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太宰治という人間はどんな人だと思いますか?
私は太宰治という人間は、とても繊細すぎていろんなことを考えすぎな人のように思えます。いわゆる純真な心から 彼のような考え方の人間が形成されたのかと思います。 人は彼のことを非常識的な人間と判断し、一般的にな方からいうと、理解できない枠にいる人間という人もいらっしゃいますが?
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大叔父が旧制高校で太宰治と同級生でした。彼のことは無口で他の人と親しまない人だったと言っています。要するに仲が悪かったようです。 ただ、その弟が太宰治の従妹と結婚しています。乳母を連れてお輿入れしたのですが、若くして亡くなりました。ただ乳母は一生奉公なので、自分が付いてきたお嬢様が亡くなっても婚家を出て行きません。大叔父は後妻に先妻の妹(つまりこれまた太宰治の従妹)をもらいました。結婚するまで、乳母とさらに自分専用の女中二人と暮らしていたそうです。この大叔母というのが、自分で買い物をしたり、暗くなったから電灯をつけるとかいたしません。他の人がするものと思っています。 たぶん太宰治も小さい頃そのように育てられたのではないか・・・と推測しています。 直接太宰治に関係のない回答ですみません。
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- chapanese
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こんにちは。 太宰の作品、好きですよ。 あの文章のうまさは絶品くらいですね。 ところで、太宰の作品で好きなものは何ですか? 「斜陽」「人間失格」ですか?「走れメロス」ですか? chapaは「津軽」です。 太宰は津軽地主の家の末っ子で両親からかまってもらえずに育ちます、彼にとっての母は産みの母よりも彼の家に奉公にきて、彼を育ててくれた「たけ」という女性がいたのご存知でしたか? 心の許せる人は「たけ」であり、また、どこかで母の面影というかな、かまってもらえなかった、認めてもらえなかった寂しさをいやすべく、女性を求めたのかもしれません。 自殺未遂を繰り返し、薬物中毒になったり、と破天荒な生活をしていた太宰も恩師の井伏鱒二の出会いにより、井伏のはからいで才媛と家庭をもち、作品も認められるようになりました。 が、そんな彼に今度は結核の病魔がおしよせます。日に日に衰弱していく体、限られた命、その中で自分のはかなさ、命のはかなさをひしひしと感じたことでしょう。 その中で、自ら命を絶ったのは、「情けない、みっともない」姿見られたくないという、プライドだったのかもしれません。 ちなみに、彼の最後の恋人の山崎富栄の日記読まれましたか?彼女から見た太宰という人もわかるし、富栄のイメージも覆るような気がします。
No.4です。太宰さんはね、確かに「モテる人」だと私は確信しておりますが、それ以前に【愛されたい人】だったと思いますね。本人が知ってか知らずか、彼には女性をひきつける能力が備わっているンです。でも彼は「なんか違うなぁ、なんか違うナ……」ってツネに思ってしまうンですね。女のヒトは割と立ち直るの早いんですけど、男は、引きずるンですよね~……そんで、彼の場合は あんな不器用な方法を選んでしまう訳です。 それでも彼は不器用なりに知ってるンです。【去りゆくヒトが、惜しまれる】のを。その場その場をリセットしたいんです、死のうなんて思っちゃぁいない!次へ進みたかったンじゃぁないですかね~☆だから『人間失格』もラストは急ピッチでだめになる。太宰先生「あ・コレ俺のまんまじゃん(笑)」って。そいで途中から虚構の力で主人公を潰して、次へ進みたかったのだと思います。 読者には、それが無意識に届くンですね……【愛されたい!】と願うヒトを、誰がココロから非難できますかッて☆
「モテる人」だと思います。(fantasyicサン&太宰さん、ごめんなさい) 下記URLは私自身の質問です。
- sakikumo
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三島由紀夫は太宰治を評して「太宰の悩みなんて乾布摩擦でどうにかなる程度のものだ」という―。 この文章をはじめて読んだときは、 思わず苦笑してしまいました。 どちらの肩をもつわけでもありませんが…。 ただ私は、例えば「人間失格」の主人公と 太宰本人をダブらせて考えていませんので 非常識とか弱いという意識はあまりありません。
↓#1のJzamraiです。 >厳しい言い方をすれば、結局のところ”弱い”のだと思います。 と書きましたが、全否定的な意味ではありません。 「自分の弱さを認めたうえで、たくましく生きていくことが大切」というような、そんなことが言いたかっただけです。 以上、追記でした。
fantasyicさん、こんにちは。 確かに太宰治については「奇行」などがクローズアップされることが多いですが、彼を非常識的な人間だと思わない人も多いと思いますよ。(私を含めて。) あくまで一般論ですが、 ・マジメで、頭がよい。(「人というものは~するべきだ」とか、頭では理解できていて理想が高い。) ・周りの目が気になる。(「自分がどうしたい。」という自我よりも自分を客観視する部分が強いなど。) ・繊細で傷つきやすい。 というタイプの人ほど対人的・社会的な悩みが多いものだと思います。 厳しい言い方をすれば、結局のところ”弱い”のだと思います。 太宰さんも、「あるべき(こうありたい)自分」と「本当の自分」のギャップに悩んでいたようですね。 当時の世の中が求めていた”常識人”(今よりもさらに偏見が強かったでしょう。)の姿も、頭では理解しているからこそ自分を責めるという部分もあったと思います。 鉄棒で笑いをとろうとしたのを見透かしたクラスメイトに「わざわざ…。」といわれてショックを受けるという場面も私には印象的でした。 自分を客観視する傾向が強すぎたり、完璧を求めすぎたりすると、自分で自分にプレッシャーをかけすぎることになりますね。 本当に強い人は、周りがどう思おうと自分の考え方や行動を曲げないものですよね。(もちろんその人なりに心の痛みはあるのでしょうが、それを乗り越える「強さ」と「思い込み」があるのだと思います。) しかし大抵のひとにとっては、良い意味での「あきらめ」と「がんばり過ぎない自分」も必要なのではないかと思います。 というのが、「太宰治」というキーワードで私の感じたところです。 それでは。
お礼
私もそう思います。 何か弱い人間なのか?などと思いました。 物事を深く、そしてかつ冷静に客観的に見るからこそ そうなっていくんですよね。 私的には、彼は人間の本来の姿をとてもわかっているんですね。 私の考えをうまくまとめていただいた感じがします。 ありがとうございます
お礼
追記ありがとうございます。 話がそれていきますが、弱い人間ほど、最近の人はたくましく生きる気持ちがないなぁなどと感じただけです。