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家康はいつごろから鷹狩りを行っていますか?

家康はいつごろから鷹狩りを行っていますか? 家康が鷹狩りを好きになったのはいつごろからでしょうか。 誰の影響を受けていますか、信長でしょうか。

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  • Pinhole-09
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回答No.3

諸々の本やネットに家康の鷹狩は今川の人質に なって、駿府にいた少年時代と書かれています。 其の元は幕臣の子で家康の研究者である、山路愛山の 書いた「徳川家康」(岩波新書)です。 それによると竹千代(家康の幼名)はしばしば鷹狩に 出歩き、時には他人の田畑山林を荒らし迷惑をさせた との由。   蒲原は小鳥多くよい遊猟地であり竹千代 はしばしば鷹を放った。   (太源雪斎に教育され ましたが、ひまを盗んで鷹狩をしたともいいます。) 愛山は戦国~江戸時代の文書を読み漁り、この話は 出所も正しく信ずべき話とあります。 竹千代は7~19才まで駿府にいたので、鷹狩を覚え 大好きになったのは10才過ぎと考えられます。 今川義元は京風を好み、京より公卿、文人をよく招き 鷹狩も盛んで、竹千代もそれに染まったのでしょう。 その頃の供は1~2人で、大勢の供を連れた本格的な 鷹狩は岡崎城へ帰り三河を大体平定した23才頃から でしょう。 信長も鷹狩が好きなので、信長ー家康の同盟にも 役だったと思います。

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回答No.2

誰の影響かというより、「健康おたく」だったからと言われています。 スポーツが体にいいことを知っていた、当時は数少ない人だったのです。 剣術の奨励も、その観点からだったのではないでしょうか。 また、当時のどんな医者も及ばないほど、漢方の知識があり 自分専用の薬箱を持っていたし。 自分だけではなく、家来が病気の時も処方してやったとういう話もあります。 戦場には必ず自分の側室を伴い、梅毒にも注意したと言われています。

回答No.1

こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 >>誰の影響を受けていますか、信長でしょうか。 近衞前久(このえ さきひさ)を紹介します。 http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:buYDwIMNFQUJ:www.weblio.jp/content/%E8%BF%91%E8%A1%9B%E5%89%8D%E5%97%A3+%E9%BE%8D%E5%B1%B1%E5%85%AC%E9%B7%B9%E7%99%BE%E9%A6%96&cd=3&hl=ja&ct=clnk&gl=jp 上記の文中の「織田信長との親交」にもあるように、近衛前久と織田信長が親密になり、お互いが鷹狩りで競ったり、談義に花が咲いたようですね。 その後、鷹狩りの解説書「龍山公鷹百首」(りゅうざんこうようひゃくしゅ)を豊臣秀吉と徳川家康に贈ったとありますので、秀吉と家康が仲直りをした頃、つまり、天正14年(1586)前後と推測します。 もちろん、それ以前にも家康は鷹狩りをしていたとは思いますが、前久からの「龍山公鷹百首」がその後の鷹狩りの基本となったと考えられます。家康43歳前後。 なぜなら、それ以前には、織田信長が天下を掌握しており、次いで、豊臣秀吉との和睦などを考えると、おちおちと優雅に鷹狩りなどをしていられなかった状況ではなかったのではないかと考えられるからです。

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