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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:脳の持久力と体力、それぞれについて教えてください。)

脳の持久力と体力、それぞれについて教えてください

このQ&Aのポイント
  • 躁鬱の方が体力を消耗しやすいのか、子供の運動会に参加した翌日にダウンすることがあるのかについて教えてください。
  • 躁鬱という病気における脳の疲弊について、集中力の問題や勉強内容がきつくなると次の日に脳が働かなくなる状況が起こるのかについて教えてください。
  • 躁鬱と体力、脳の持久力について教えてください。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#150961
noname#150961
回答No.2

当事者です。 気分変動が大きかったころは、体力の消耗も集中力の低下も感じました。 躁の時期は活動的で疲れを感じないものの、それを過ぎると、すぐに疲れが出る・だるい・集中力が続かず退屈しのぎさえできない、という状態でした。

qc4
質問者

お礼

ありがとうございます。 簡潔に書いてくださったおかげで、自分と比較しやすく助かりました。 やっぱり脳疲労みたいなのもくるんですねぇ。

その他の回答 (2)

回答No.3

素人ですが、心の病には興味があります。不安神経症から開放されて、もう30年ほど経ちました。その経験から書いてみます。 心を病むという事は、自分自身の心に敏感と言う意味かと思います。不安障害(ノイローゼ)が治る事は悟りを開いたと言う意味があります。それは自分の中の『自分を不安にしていた者』と出会うと言う意味になるからです。 そういう事で、人間の感情が湧き上がるシステムから書いてみます。自我意識は顕在意識ですが、左脳に存在する意識の事です。子供の時からの記憶する、或いは学ぶ事で、言葉を使って考えている脳の機能という事になります。その機能から言うと、意識する事が出来る脳という事になります。そうしてその機能の最も最たるものは『物事を分けて見る』機能という事になります。言い方を替えるならば、論理的に人生を見つめて、論理的に人生を渡って行こうとする機能という事になります。 もう一つの意識とは『右脳』に存在している人格です。そうして無意識や潜在意識として働いています。その人格は、学ばなくとも全てを持っています。生まれたばかりの赤ん坊が、何も学ばなくとも、安心や不安や、心臓の動きや呼吸する事を知っていたり、ホルモンの調節や生命活動を全てにわたって、こなす能力の事です。言い換えるなら『命そのもの働き』という言い方が可能な者の事です。 その者は、自我意識と常に行動を共にしています、そうして自我意識が、気付かないところを補う働きをしています。そうして絶えず環境の変わった事を『言葉ではない情報として』脳梁を通して自我意識に伝えています。 その情報の一端を書いてみます。高い所に上がった感じ、狭い所に入った感じ、広い所に出た感じ、鋭い刃物を見た感じ、人に会った時の感じ(その人の印象を、見た目以外にも、信用できそうとか?うさんくさそうとか?)或いはスピードを出し過ぎた場合の感じ、或いは、この人と結婚をしようと決める時の『言葉では説明できない感じ』として自我意識に伝えています。 そうして、その場の雰囲気を、空気として伝えたり、殺気として伝えたり、納期が迫った事等も、言葉ではない情報として伝えています。そうしてその者とは出会えないように作られていると思います。何故ならば意識が無くなって、『無意識に入った事を』自我意識は意識出来ないからです。 人間の毎日は意識する自分と、無意識でする自分が交替制になっています。例えば眠る事一つでも、自我意識は知らないでいます。詳細に言うならば、自我意識は眠ろうとした場合『意識がなくなっています』そうして無意識の自分に身も心も全てを預けています。そうなってから『無意識が』自分の心と体を深い眠りにいざなっています。この場合も意識から無意識への移行を、自我意識は分りません。その時には自我意識は意識が無くなっているからです。 心を病むと言う場合とは、自我意識と、もう一つの意識が対立と矛盾を起している事を事を言います。不眠症と言うものが在りますが、この場合にも言えます。『自我意識が、無意識と仲違いをしているために、身も心も、無意識に預けられない場合の事』を言っています。 心を病む事は『心の矛盾』と言う意味になります。漠然とした不安に苛まれると言う意味ですが、その不安を自我意識に抱かせている者とは、無意識の中の人格という事になります。その者と仲違いをしているために、その者を認めたがらない事が、心の病が治り難い原因となっています。 今の医学は『意識に上った事』を悪いものとして排除する方向となっています。心に湧き上がった感情を悪いもの(症状)として、在ってはならないものとして、感じなくさせる薬を処方しています。ですがその症状とは、もう一つの意識からの『自分を救うための情報』です。よい情報を悪いものとして排除しようとする事から『精神疾患』の完治と言うものとは、程遠くなって、寛解どまりと言う結果になっています。 不安の解消とは『不安を受け入れるところに在ります。その不安を受け入れる事が、最大の癒しの心理学となっています。受け入れる時に、自我意識はもう一つの意識との出会いが有るからです。その出会いのことを『自分自身を知る』つまり、悟りが開いたと言う事になります。 自分自身を不安にしていた者と出会うと言う意味になります。自分の不安が何処から来ていたのかを知るからです。それ以後『心の矛盾』は解消します。その解消した事によって『症状を』意識しなくなっています。つまり症状を忘れてしまいます。 意識する事が症状を作っていた事を知ります。二度と『心が停滞しなくなります』此処を持って完治となります。その心境は『神に会って、和解が成立した』と言う意味になります。仏教的な言い方をするなら、不安の元が分る事によって『生死の問題が解決した事』です

qc4
質問者

お礼

せっかくご回答いただきましたが、 質問の答えも見つけることができませんでした。 数行しか読むことができず申し訳ありません。

noname#160321
noname#160321
回答No.1

脳の疲労改善法は「酸素とブドウ糖」以外無いのです。 ですから、呼吸法を習い、腹式呼吸して血中酸素を増やし、炭酸を少し含んだブドウ糖飲料を大量に取るしかありません。 炭酸の役目はブドウ糖の胃からの直接吸収を促進するものです。 酸素スプレーではお金が幾らあっても足りません。

qc4
質問者

お礼

もしわたしの質問の仕方に問題がなければ、 誤解をなさっています。

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