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人間の本当の解決や満足は得られないのか?勇敢な人とヘタレの関係性について考える
- この世では本当の解決や満足を得ることはできないのだろうか?人間は基本的にヘタレな存在なのか?勤勉で勇敢な人とヘタレの関係性について考えてみる。女々しい男と逞しい男の本質についても考察する。
- 勤勉で勇敢な人は実は精神的にも弱い存在であり、周囲からの批判や謗りを恐れて無理矢理努力している。一方、怠け者や軽薄な人は批判を厭わず逞しい存在である。男らしい男と女々しい男の関係にも疑問を持つ。
- 生きている者は基本的に女々しい存在であり、男らしい人や逞しい人は存在しないのではないか?生き物は元々雌から生まれるし、知恵のある者は利用される。また、ヘタレや女々しいという言葉の使用に疑問を呈する。他人中心の考え方も自己中心と同じだと主張する。
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良い感じに考えてますね。 どんどん考えていって、それらを俯瞰すればある事にきづくはずです。 同じ物を見て、ある人とある人は全く違う感想を言う。 同じ物を見て、ある人とある人は全く違う評価をする。 つまりどういうことでしょうか? その同じ物は、本当は何なのでしょうか? 何か完全なる答えがあるのでしょうか?無いのでしょうか? 簡単なところから初めてみましょう。 猫は怖いですか?可愛いですか? ネズミにとっては怖いでしょう。 我々人間にとっては可愛いでしょう。 もちろん人間の中には怖いという人もいるでしょう。 じゃあ猫は本当は何ですか?怖いですか?可愛いですか? いいえ、違いますよね。猫は見ての通りの「それ」ですよね。 「それ」に、わたし達は「思考」や「言葉」を使って、 ただ何か名前や属性を「頭の中で」付けているだけなんです。 あらゆる全てがそうなんです。 あらゆる全てには属性や答えや何かなんて持ち合わせていないんです。 あらゆる全てはただ「それ」なだけです。 我々が頭の中で、「それ」に何か属性があったり、答えがあったりすると、 思い込んでいるだけなのです。 人間は、基本皆ヘタレですか? 生きている人間は皆、女々しいのが基本ですか? いいえ、違います。人間は、基本「人間」なだけです。 誰かが、その「人間」に「ヘタレ」とか「女々しい」とかいうラベルを貼っているだけです。
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そう考えるのは自由ですが、世の中には「中庸」、「寛容」、「常に精力的」な人が居ますので、家に帰れば「ヘタレ」だよというご意見もあり得ますが、ヘタレの克服のためだけに雄々しい人ばかりでは無さそうです。 いま、日本はたそがれちゃっていますが、元気な人を無理に「囲いに入れて」出て来るなといっている面もありますから、十年すればもっと元気になると思います。
難しい事は分かりませんが、結局「価値観」の違いなのではないかと思います。 「善意」だって「偽善だ」という人もいる。 一生懸命命の大切さを説いても自分の命も当人が「要らない」と思えばそれまでのものと認識されてしまう。 本当の「満足」も「解決」も人それぞれでは無いのでしょうか? 当人がそう思うなら、他人が口出しする事は無い。 何もかも本当の所、誰もその基準が分からないから多数派の意見に乗ってしまう。 人はモノでは無いので基準とかで測れるものは無いんだと思います。
お礼
そうですね。 元々は何者でもない者に、ラベルを貼るだけなんですね。 納得、了解です。