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只まのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌も湧く。
こんにちは、 タイトルの文は夏目漱石が著書「草枕」で書いた言葉です。 また、漱石はこうも言っています。 芭蕉という男は枕元へ馬が尿するのをさえ雅な事と見立てて発句した。 (*註:おくの細道に、「蚤虱馬の尿なす枕もと」という句がある。) 『質問』:皆様の身近な生活で、お下劣だけど、見方をかえるとそこに詩が生まれるかも知れない物事ってありますか?
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- dell_OK
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どうだろう。 私は詩人ではないので、そこに詩を詠み得なかったが、動物園に行ったら、カバがこちらに尻を向けてボトボトとやっていたのが、シャッターチャンスだったように思うのと、同じくどこかの施設に行ったら、トイレの便器から、とても人間一人のものとは思えない量(8キログラムはあると思われる)の大便が、あふれ出ていたが、これを流したら大変な土石流となるであろうと思ったくらいでした。 見方を変える事が不可能なほどにただそのものの在り方を見ざるを得ないような現実さ加減は詩を詠むには適さないと思われる。
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ご回答ありがとうございます。 >見方を変える事が不可能なほどにただそのものの在り方を見ざるを得ないような現実さ加減は詩を詠むには適さないと思われる。 ですね。