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変拍子について

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お礼率 100% (18/18)

楽譜をみていて、変拍子の曲がありますが、納得のゆく変拍子の曲(主にメロディがわかりやすいもの)となぜこの拍子なのかと首をかしげるものがあります。チャイコフスキーの悲愴交響曲の第2楽章は4分の5拍子(これは複合拍子ですが)で納得できますが、ストラビンスキーの春の祭典のあの拍子は、絶対のものなのでしょうか。作曲家の独断できめられるのでしょうか。ムソルグスキーの展覧会の絵のプロムナードは、はじめ拍子が変化しますが、後半は、一定の拍子で書いてあります。あのままの拍子で弾くと何か変だと思うのですが。編曲者が、拍子を変えてしまうこともあるようですが、無知な私にご教授ください。
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レベル8

ベストアンサー率 71% (20/28)

kaisoさんのおっしゃるように、変則的な拍子の曲には、一曲のすべてが同じ拍子で構成されるものと、時間経過とともに次々と拍子が
変わっていくものとがあります。そもそも「拍子」は、メロディーなどに時間的な規則性を与え、聴衆が覚えやすいようにするためのも
のです。音楽は、娯楽的なものは勿論、芸術的なものでさえ、一種の「わかりやすさ」というのが必要です。また音楽は時間芸術ですか
ら、特に「時間方向」における何か一定の人為的な秩序が必要です。拍子はそのためのものです。
5拍子、7拍子などでずっと同じ拍子で最初から終わりまで構成されることと、色々な拍子が混在することとは別の問題です。
チャイコフスキーは「5拍子」という時間秩序で全体を構成しようとしました。これはそれまでの作曲家が多く行ってきた、ニ、三、四
拍子のスタイルで曲全体を構成することと何ら変わりはありません。単に2や3や4が5に変わっただけです。ずっと5拍子に保つことで、
曲全体は独特のバランスを持ち、聞き手に理解を与えるでしょう。しかし、ストラビンスキーの祭典に代表される「リズムの改革」
から生まれた拍子は、「規則性が無い」という意味でチャイコフスキーとは全く異なるものです。つまり、「春の祭典」を聴くときは、
拍子の概念をいったん捨て去るべきなのです。小さなリズムの細胞が寄り集まって出来ている春の祭典では、スコアを見れば拍子が次々
に変わっていくことが解りますが、実際には、その一つ一つの拍子にはそれほど意味は無いと考えるべきです。演奏家は拍子感覚が全く
無い曲の楽譜を見ることに慣れてはいません。例えばオーケストラにおいて小節線が全く無い譜面を見て全体がピッタリと合わせること
は極めて困難です(実際には小節線の無い曲もあります)。そのため、ストラビンスキーは何か音楽的な意図を伝えるというよりは、演
奏家にとっての弾きやすさを考えて拍子を配置したと考えるくらいで良いのです。彼の不規則に変わる拍子は、
「それまで『時間的秩序を与える』という意味のあった拍子から、秩序を奪い、リズムを拍子という束縛から解放させる」
という意図から生まれたもので、譜面上の拍子記号にはそれほど意味は無いと考えるべきでしょう。

とはいえ拍子は演奏家に様々な影響を与えるものです。大抵、小節の最初の拍(1拍目)に強拍が来ると無意識に考えて、そのように演
奏します。作曲家が拍の概念の入る余地の無い曲を書く場合は、そのことに充分気を付けなければならないのですが、そういう意味で、
編曲者が拍子を変えてしまうことは、最初の作品本来の姿や意味を、演奏時に失ってしまう危険性があります。

ストラビンスキーが創始した「リズムの解放」は、その頃の音楽に大きな影響を与えましたが、このような斬新なアイデアも、もとはロ
シアに古くから伝わる民謡などの音楽素材だと考えられます。民謡は、ちゃんと記譜されることもなく口承伝達で受継がれるのが普通で
す。その民族にとって歌いやすいリズムの多くは、変拍子が混在していると思われます。西洋では早くから拍子を導入しましたから、か
えって変則的なリズムに違和感を感じますが、もともと我々の心の中にあるものは、現代的な枠組みからすれば、もっと複雑で記譜し難
いリズムではないでしょうか。作曲家バルトークは、東欧に伝わる民謡を数多く採譜した人ですが、そのなかで例えばある農村で歌われ
ていた旋律を採譜した記録を見ると、その農民が拍子の概念を持たずに歌っていたことがありありと解ります。バルトークはこのような、
西洋のアカデミックな音楽に影響を受けていない、口承伝達による民謡を素材とした多くの作品を残していますが、作品として残ってい
る楽譜には、拍子が決められており、演奏家が弾きやすいように構成されています。ただし音楽そのものは拍子の概念を必要としないた
めに、楽譜の上では、しばしば変則的に拍子を変更せざるを得なかったのです。
つまり変則的に次々と拍子が変わる音楽は、作曲家が「意図的にそのようにした」のではなく、作曲家の頭の中にある音楽像がそもそも
変則的であったために、作曲家が楽譜を書くときに「そうせざるを得なかった」と言って良いでしょう。
拍子がしっかりと音楽を支えている状況を普通とする固定観念のもとでは、春の祭典のような音楽は奇異に聴こえるでしょう。実際、初
演のときにはフランス・パリで大騒ぎとなりました。しかし、音を時間的にどう配置するかを考える音楽において、拍子がなければならな
いとする考え方は、単に習慣のようなもので、音楽のもつ本来の目的からすれば、拍子は絶対に必要なものではないのです。
お礼コメント
kaiso

お礼率 100% (18/18)

回答いただきましてありがとうございました。専門家の方にお答えいただきまして、感激と、気恥ずかしさでいっぱいです。お心配りいただいた丁寧なご説明で、十分理解できました。自由になった気分です。確かに、音の存在が前提ですね。再度、春の祭典のスコアをみてみましたが、意図的な操作は感じられませんでした。あくまで、自分の耳に聴こえる音楽の忠実な記譜の努力をされているわけですね。
投稿日時 - 2001-03-20 10:22:01
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