• 締切済み

ときどき感情が抑えられなくなります(長文です)

数年前から、たまに感情が爆発してしまい、困っています。 精神科で安定剤や抗鬱剤を処方され、2年ほど飲みましたが、やっぱり感情の爆発は抑えられませんでした。、医師も薬を処方する以外特に何もしないし、どんなに訊いても病名を教えてくれないこともあり不信感がつのり、通院を止めてしまいました。薬も勝手に減らして行き、やめてしまいました。それが3年ほど前です。特に悪化することもなく、現在に至っています。 どういうときに感情が爆発するかというと、「自分は評価されない」と感じたときです。 子供の頃から、自分は家族に正当に評価されていないという不満は常にありました。例えば、 ・通信簿が5段階で4と5ばかりなのに馬鹿呼ばわりされた。 ・合唱部とスポ少を2つ掛け持ちしたのに「何もできない」と親戚の前でこき下ろされた。 ・スポーツがあまり得意でないのに、市の大会で、個人競技で入賞したことが1度だけあったが、賞状を見せたら無言で返された。 ・高校時代、髪をカラーせず制服も標準で、毎日教科書や辞書を持ち帰って家で勉強していたが、学生鞄には全部入りきらないのでサブバッグも持って通学していたところ、「学生鞄以外の鞄を学校に持って行く奴は不良だ」と言われた。 ・大学受験を控えているにもかかわらず、祖母が勝手に毎日近所の子供を預かってきて私に押し付けるので、毎日3~5時間ほど子供の面倒を見ていた。その他食事の後片付けなど、家の手伝いと勉強を両立し、現役で第一志望に合格したのに、「馬鹿は私立しか行けないから金がかかる」と言われた。 などです。 しかし、この頃は、不満はあっても感情の爆発は殆どありませんでした。 感情が爆発するようになったのは、8年ほど前に妊娠してからです。 つわりがひどく、トイレも這ってやっと行けるくらいで、それ以外は全く動けない私に、夫は毎日「寝てばかりいては駄目だ。体を動かさなきゃ」と言い続けました。 その都度、「つわりの時期は、流産の危険があるから、安静にしたほうがいいんだよ。運動は安定期に入ってからだよ」と説明する私を、夫は「子供を言い訳にするな」「本や人の言うことを真に受けるなんて、マニュアル通りの女だな」と罵倒しました。それで、夫に対して「誰の子供がお腹にいると思ってんの!あんたがつわりになりなさいよ!」などとキレるようになってしまいました。 産後も、母乳のあげ方にまで、「泣いたらすぐ飲ませるなんて甘やかし過ぎじゃないのか」「肥満児だ、母乳を減らせ」などと細かく口を出されました。「母乳は飲みたいときに、欲しがるだけあげていいんだよ。自然のものだから、完母で肥満なんてないよ」「この前の健診で、むしろスリムな方だって言われたよ」と、育児書を見せたり、産科医や助産師がそう言っていたと説明しても、やはりマニュアル女と非難され、キレてしまいました。 また、産後ずっと慢性的に頭痛・倦怠感・睡眠障害などに悩んでいます。 黒酢を飲んだり、ストレッチをしたり、暖めたりいろいろしてみますが、あまり改善しません。 内科・婦人科・整形外科など、いろいろ検査を受けましたが「異常なし」でした。それでも、家事や育児は、出来る限りのことはしています。 夫は「食事の品数が少ない」「部屋が散らかっている」「洗濯物が溜まっている」など、毎日文句ばかり言います。毎日、体調が悪い中でも精一杯やっているのに・・・・・・と、不満がつのります。 頭痛とめまいでフラフラしながら作った料理に文句を言われたり、ダルい体に鞭打って洗濯したのに畳んでないと文句を言われると、異常に怒りがこみ上げてきて、抑えられません。 また、義母に、「運動不足よ」などと、まるで自己管理が悪いから具合が悪くなるんだというようなことを遠まわしに言われると、物凄く腹が立ちます。以前、義母に誘われて散歩したりしたのですが、翌日起き上がれなくなりました。逆効果だと思います。 そこで質問なのですが、私が「自分は評価されていない、もっと認められてしかるべきだ」と感じたり、ひとのアドバイスを素直に受け入れられないのは、私が精神的に異常だからなのでしょうか。自己愛が強過ぎますか? もし異常があるとすれば、今後どうすればいいのでしょうか?唯一通える精神科は、上記のようなことがあったので行きたくありません。。心療内科でも治りますか? よろしくお願いします。

みんなの回答

回答No.4

No2です。楽しんでいますよ。 生い立ち 結婚生活 過ぎたことよりも 未来のことを…。 今は 経済的には決して裕福じゃありませんが ぐっすり眠れるようになりました。きっと 結婚時代は合わない相手との暮らしに、こころが拒否反応を起こしていたのでしょうね。今は 孤独だけれど幸せです。何かを手に入れる為には 何かは 手放さなければ ならないのですね。あなたの ファーストプライオリティ(最優先順位)は 何なんでしょうね。

unma
質問者

お礼

楽しく過ごしていらっしゃるとのこと、ほっとしました。 >あなたの ファーストプライオリティ(最優先順位)は 何なんでしょうね。 普段の生活では意識していませんが、自分らしくありたい、でしょうか。自分で考えて判断し、行動しているのに、やいのやいの言われると「自分らしく生きているのに邪魔された」って思ってしまうんです。 具体的な方法はまだ思いつきませんが、楽しく生きられるよう心がけたいと思います。 ありがとうございました。

unma
質問者

補足

この場をお借りして、回答してくださった方々に、改めてお礼を申し上げます。 どのご回答も参考になったため、甲乙つけがたく、マスターを選べませんでした。今回はポイントなしとさせていただくことにしました。 ご回答、ありがとうございました。

  • youchan37
  • ベストアンサー率37% (248/669)
回答No.3

いつか私のお聞き苦しいメタボな例え話に(苦笑)、お付き合いいただいた気がしております。 私は医師ではありませんので、「心のダイエット=心理社会的側面」しか、本来お話する立場ではありません。 遺伝子的・器質的な側面も含み、治療の妨げになる場合にも、意図的に医師は多くを語らない場合もあります。 この時の「不信感がつのった」とのお気持ち、決して貴方様を責めるつもりはありませんが、 ここには僅かではありますが、貴方様の自己嫌悪の反映を感じてしまうのです。失礼ご容赦下さい。 他のものについても、微妙なのです。微妙なのだが「貴方様にも少し自己嫌悪がある」。 まずは特に、幼児期までの親子関係はとても大きいです。そこで親に心の土台をつくって貰っていたら、 今のご主人様の「幾ばくかの冷たさ」を受け止めることができたとは思います。 まぁ、ご主人様のこれにより、近年やや感情の爆発が起きるようになった、という側面もあろうかと思います。 数学的な「直線」は数学の世界では存在しますが、現実には存在しない。~ご存知ですよね。 現実の直線には必ず「太さ」があります。歪みもある。問題はそれらの「程度」です。 ~以下様々なことを申し上げますが、決してご自分を責めないで下さい。私にもそういうつもりはありません~ 心の数学世界では「完全に心が自立すれば、決して誰にも何にも心を傷つけられることはない」と云います。 これは数学の直線のようなものです。 我々は現世で生きる限り、他の生命を頂戴しなければ生きていけない。「業」というのがある。 それは「直線の太さ」にも匹敵するものでありましょう。~後は程度問題です。 100あった自己嫌悪を10位にまで減らせられれば、大きな山は越したことになるでしょう。数年位でいけると思います。 そして、そこから先も営々修行を続けなければいけないでしょう。「真に優しいおじいちゃん・おばあちゃん」になるために。 ご主人様のお言葉その他拝見しました。産後~育児の真っ最中において、これは確かに、やや冷たい態度とも思います。 それで、貴方様がこれを「どう受け止めるか」なのです。 確かにその時は傷ついた。しかし数日で忘れてしまった、とか。 「相変わらずこの人(ご主人様)は子供だわ。子供が二人になって大変だわ」と、ため息と苦笑いで流れていく、とか。 そのように捉えることができたならば、貴方様は生き易くなるはずなのです。 ではどうして、なかなかそうならないのか? ハッキリとは言い切れません。可能性としては、自己愛性人格的傾向があるかも知れません。 幼児期に一時的に強くなる誇大自己。「私は特別なんだ。凄いんだ」。こう思わないとやっていけない弱い時期が、 幼児にはあるのです。 そういう時期に、例えば褒められなかった。認めて貰えなかった。 すると「褒めてくれなくても、認めてくれなくても、私は特別なんだ、凄いんだ」と、この誇大自己にしがみつく。 すると自己愛が肥大化する。強く残留するのです。大人になっても、です。 同時にこれは、甘えられなかった、ということにもなります。幼児には必ず甘えがあり、それは食欲と同じです。 満たされれば消えるものです。しかし甘えられなければ、満たされない。だから「甘えが残る=甘えた人になる」。 貴方様の今の怒りには、様々な原因があるとは思いますが、上に照らして考えれば、 まず貴方様の心には「超凄い理想的な自分」がいるかも知れません。だとすればそれを満たしたい。 だから「賞賛を求める」のです。「自分は評価されない=賞賛を求める」。 但しこれは可能性です。自己愛が肥大化しても萎縮しても、自己愛が傷つけば甘えは残るのです。 甘えという側面で考えれば、甘えたいということは、認めて貰いたいということでもあるのです。 子供が高いところから飛び降りる。「お母さん見て見て」。大人から見ればつまらないことです。 しかしそれを褒めてあげるのが「甘えを満たしてあげる」ということです。「認めてあげる」ことでもあります。 「凄いねー、そんな高いところから飛び降りられるようになったんだねー、足腰が強くなったねー」と。 そしてこれは、子供の自立を喜ぶということでもあります。「ダメダメ危ないよ」と否定してばかりいると、 子供は「自立に進むことは悪いことなのか?」と思うこともあるのです。 どうか、日頃貴方様がお子様にどう接していらっしゃるのか。そんなところも再点検してみて下さい。 そしてご自分の幼児期も見つめ直してみる。1歳半~3歳位が最重要です。以後5歳位までと云われています。 そしてもしそこに、かすかな記憶の中に、自分の心の傷を見出すことができれば、涙が溢れ出てくるかも知れません。 そして甘えが残っていたなら、大人になった今も、幼児が親に求めるような賞賛を求めてしまいます。 回りの人に対して、要求が高過ぎないでしょうか? 再点検してみて下さい。 回りの人は皆そうです。皆より良い「本物の自己愛」を獲得するために、修行中の人ばかりなのです。 立ち遅れている人もいる。幸いにしてかなり進んでいる人もいる。人それぞれです。そして貴方もその中の一人です。 勿論私もです。みんな真に優しいおじいちゃん・おばあちゃんを目指している途中の人ばかりなのです。 自己愛が肥大化した人は、理想の自分と現実のありのままの自分を比較して、それが自己嫌悪になります。 「私は特別だから、住む家は最高に整っているべきだ。でも実現されない。そんな現実の自分は情けないな」と。 そんな自己嫌悪もあります。 或いはそれが人に向けられることもあります。 「自分は特別だから、最高に優しい器の大きな夫を持って然るべきだ。でも実現されない」と。 するとこれは、気づかずに起きる自己嫌悪になっていくのです。厳しくなりますが、自己蔑視と言ってもいいです。 ご主人様をあまり強く「悪しき人」と捉えるならば、それはご自分の自己嫌悪を強くすることにも繋がってしまうのです。 「こんな夫は大嫌い」と思えば、「こんな夫しか持てなかった自分なんて大嫌い」にもなってしまう。 ですから、それにお気づきになれば、如何でしょう? 少し生き易く感じませんか? しかし、私の稚拙な言葉や本に書いてある理屈を理解しただけで、直ちに自己嫌悪から大きく抜け出すことは これはなかなか難しいことが多いです。今までの心の習慣を変えていかなければいけない。 幼児期の親子関係で幾ばくか自己愛に傷がついたとしても、決して親御さんを責めてばかりではいけません。 勿論過去を振り返った時、ある場面においては「あの時のことは、どうしても許せない」と思うのは、 これは仕方ないです。完璧な人などいない。あの加藤 諦三さんですら、ご自分の過去を振り返り同様の怒りを仰っています。 しかし、そういうことも含めて、これは自分の運命なんだと。それを全て自分で背負うのです。 「誰のせいにもしない。親のせいにもしない。主人のせいにもしない。何のせいにもしない。病気のせいにもしない…」。 これは口で言うのは簡単ですが、実際には大変な覚悟が必要です。どうかお子様のためにも、と願うのです。 私が最近思っていることは「本物の自己愛」と「本物の自尊心」の良循環というようなことです。 やっと自分なりに、あの方々が仰っていた意に合致してきたな、などとうぬぼています。 既に長くなりました。それについてはリンクで失礼させていただきます。 どうかまず真の意味で、より一層ご自分を愛し、それによりお子様のことも包んで差し上げてください。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5115292.html 回答番号:No.12 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5120191.html 回答番号:No.11 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5129026.html http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5128254.html

unma
質問者

お礼

お礼が遅くなり申し訳ありません。 前回はありがとうございました。今回も、根っこは同じなんですね。 確かに、子供時代は充分甘えていなかったと思います。自分で子育てをしていると、そう感じます。自分の子供は充分甘えさせてあげたいと考えています。ただし、甘やかさないように。難しいですね。 ご回答を拝見して、、難しくてよくわからない部分もありますが、いつか、「本物の自己愛」「本物の自尊心」を持てるようになりたいです。 ありがとうございました。

回答No.2

今まで悲しかったですね。 私は47歳女性、コンプレックスの塊です。そして自意識過剰。人間関係がうまくいかない時はいつも 自分を攻めてしまいがちです(この歳でもです。ハハッ、性格は変わらないなぁ)…元夫は、あなたのパートナーによく似たタイプでした。生活の為に、ギリギリまで出来る限りの我慢をしていました。けれど、人間らしさ…私らしさ…私が思うところの、夫婦関係は、築けずに…。あのままなら、きっと《うつ》になっていたと思います。あなたは 自分自身を否定せずに可愛がってあげて下さい。誰でも人は、認められたいと思うものだと思います。ただ、人というのは、相性があると思うのですね。例え血を分けた家族でも、もちろん夫婦でも…。相容れないタイプとは 何処までも 平行線…悲しいけれど…です。あとは どう折り合っていくか。どの位距離を取るか。諦めて?それとも見放して?我が道を行くか。因みに、私の身体の不調は 旧姓に戻った途端 嘘のように絶好調!こころは 身体と 一緒なんだなぁ と再確認。 自分が精神的に元気にいられること あなたも それを最優先して下さいね。 人生の送り方は ひと各々、楽しんでいきましょう。

unma
質問者

お礼

お礼が遅くなり申し訳ありません。 我慢のしすぎはよくないんですね。結局、心が健康でないから身体にも影響が出るのかなって思いました。回答者様は、現在は人生を楽しんでいらっしゃるのでしょうか。 楽しく過ごせるようにしたいです。 ありがとうございました。

  • precog
  • ベストアンサー率22% (966/4314)
回答No.1

素人です。ここでは診断は出来ませんので、個人的な感想のみということで。 うつ病か統合失調になりやすい人のように感じますね。このまま続けてると危ないような、、、薬に頼ると根本の原因が改善されないまま残るんで、手を打つなら今のうちかと。 人間はイメージで単純に人を判断してしまうので、イメージをコントロールしないと他人に認めてもらうことは出来ません。正義 (正当な評価) は作られるものであって、当然のようにそこにあるものではないのです。 具体的に言うと、不条理な扱いを受けたときは、その場で戦わないとダメです。最初は誰でも負けて苦い思いをすると思いますが、一度失敗したら過去に学び、次回からはこき下ろされたとき、認められないときにはちゃんと戦って勝たないとダメです。いつもいつも負けてたら、周囲の評価はダメ人間のままです。一方で「認められなくても私は優れているんだ」って思いが募っていくと、どんどん周囲の評価との乖離が進んでいきます。 それと、他人に認められようが、認められまいが、どう言われ様が、行動の自由は自分のものであり、身体を拘束されていてさえも精神は自分のものだと気づく必要があります。 他人の言葉を100%に取ってそこに縛られていると、自分で自分の首を絞めることにしかなりません。他人にはあなたのことは100%はわからないのです。周囲から見ると「訳のわからないことでキレる人」となってしまい、あなたに合理性があろうとなかろうと病気認定されてますます周囲のポジションを失います。 それから、批判を深刻に受け止めたり、細かく反論していくと、批判してる側も段々真剣になってくるし、だんだん細かいところまで検証することで確信に変っていきます。うまく批判をかわしている人の行動を観察して真似してみてください。まぁ、コツは同じこと。言われたことを100%に受け取らないことです。言うほうも100%に受け取っているとはまさか思わないので、少なくとも120%とか、反論してくるなら200%で要求してます。 ひとつひとつ言われたことの事の重大性を考えながら「こういう話ならこの辺が限界だよね」というところを見つめながらコミュニケーション取って下さい。 それから、「立場」というものを理解しましょう。例えば親というのは子供には自分に可能な100%以上のものを要求します。150%要求しても100%に達するかどうかわかりませんよね? あなたが逆の立場でもそうするはずです。立場を理解しましょう。 ただ、いつもいつも反発していればいいというものでもありません。何か要求されたときの反応の仕方はレベルがあると思います。簡単には、、、 ・相手の言うとおり、自分のミスで容易に修正可能 ・相手の言い分もわかるが、余裕があったら努力するというレベル ・話にならない、不条理な要求だから、ごり押しするなら爆発する (ボイコットを始める) まともな相手なら、顔色を見ながらしゃべってるはずですので、こういう明確なサインを出すようにしたほうが良いです。3番目は誤解があるから正さねばならないときで、あなたもしっかりした説明をする義務があります。プチ切れてもOKかと。 それと、機会あるごとに相手の欠点もつつきまわるようにしましょう。自分に欠点があり、普段許されているという気になれば、強いことはいえないものです。 または、「家族の欠点をつつきまわす関係にはなりたくない。わたしのことが認められない、大目に見れないなら家庭とはいえない。家に居てリラックスできない。これでは針のむしろだ。あなたはわたしの身内になりたいと思ったのではないのか? 根本的なところで誤解があったなら別れるしかない。」と宣言してみるか。

unma
質問者

お礼

お礼が遅くなり申し訳ありません。 確かに、言われたことを真に受けすぎる傾向があると思います。それと、自分の評価も気にしすぎかもしれません。聞き流すということが苦手です。 コツを身につけられるようになりたいです。 ありがとうございました。

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