• 締切済み

江戸時代について質問です。

江戸時代には多くの農書が書かれましたが、その基礎となった領主の農村・農民支配の特徴はなんでしょうか?

  • 歴史
  • 回答数1
  • ありがとう数0

みんなの回答

回答No.1

こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 >>その基礎となった領主の農村・農民支配の特徴はなんでしょうか? 色々な考え方もありますが、 (1)領主の収入は「米」が主でした。つまり、年貢米ですね。 (2)いかにして、自国の増産を図るかが大問題。 (3)そこで、農機具の改良や発明等に力をいれました。 (4)さらには、新田開発も進めました。 (5)農民は、その領内に土着しており、現代のように各地の情報が伝達されない。 (6)そこへいくと、大名や領主は、他国との交流もあり、それにより得た情報を基に、農機具の改良や治水、灌漑事業に取り組み、自国の増産に取り入れようとしました。農書を作り、農民の技術開発に力を入れました。 (7)飢饉や凶作でも年貢米の取立てをして、農民を困窮させた・・・などと、多くの書物には書かれてありますが、実際は、農民が豊かになる=領主も豊かになる。多くの領主は農民を大切にしました。 (8)面白いことに、おおかたの大名の江戸の下屋敷内には、水田がありました。もちろん、畑もありました。 (9)これは、領主に、いかに稲作や農産物の生産が困難かを実際に見聞させることが目的でした。 (10)こうした下屋敷に住居を構え(与えられ)、農作業に従事する百姓は「○○淡路守殿百姓」などと呼ばれました。 的外れでしたら、無視してください。

関連するQ&A

  • 江戸時代の農村

    「幕藩領主が行った農村、農民の支配」 と言われ、 皆さんはどの様な事が思いつきますか? 上記の様なテーマに沿って、レポートを 書きたいのですが、決め手となる題材を 探しています。 有識者の皆様、もし宜しかったらお教え下さい。

  • 戦国、江戸期の農民にとって領主(大名)とは

    戦国、江戸時代の農民にとって、領主(その国の大名)はどの様な存在だったんでしょう?農民が領主に年貢を納めていた事は知っていますが、領主が農民に何かしてあげていたのでしょうか。現代に例えるとミカジメ料を取る代わりに、店を守ってやるなどと言う893屋さんみたいなものだったんでしょうか。 ご存知の方、教えてください。

  • 江戸時代の身分制度について

    江戸時代の身分制度について質問です。 えた、ひにんが受けた差別は、幕府が意図的に行ったものなのでしょうか? 教科書には「こうした差別は、幕府や藩の支配に都合良く利用されました」 との記述があります。 だとすると、意図的に差別をさせるよう仕向けたということにはならないでしょうか。 しかし、調べてもそのような記述がなかなか出てきません。 幕府が差別をさせたという記録が明確にあれば納得がいくのですが… また、差別をさせたのだとしたら、その目的が 「農民の不満の矛先を差別に向けるため」 というようによく言われていますが、 それだけで厳しいしばりのあった江戸時代の農民の不満が解消されるとは到底思えません。 実際のところどのような目的と考えられるのでしょうか? 長くなりましたが、どうかご回答よろしくお願いします。

  • 江戸時代の米の消費について

     江戸時代の農民は、全体の8割程度だったといいます。その農民は、あまり米が食べられなかったといいますが、もしそうなると、農民が生産した米を残りの2割の人口で消費していたんでしょうか。江戸時代の米は、貨幣としての役割もあったといいますが、何れは消費しないといけないはずです。そのへんが、どうも納得いかないので、どなたかお分かりになるかがいらっしゃれば、ぜひ教えてください。

  • 江戸時代の農村は貧しかったのか?

     昔から疑問に思っていたのですが、江戸の時代の農村が貧しかったと言うのは明治政府の洗脳教育ではないかと思います。  地方に行けば何百年も続いている農家がありますが今の私の家よりも遙かに広い家です。敷地も何百坪なんて家もたくさんあります。  しかし、武家屋敷に行ってみるとそれに比べると慎ましい家です。  下っ端の武士の家なんて2DK以下の住まいしかありません。  また、どこの農村でも酒醸造の技術も伝えられていると言うことは米を食料でなく酒にまわすだけの余裕があったということではないでしょうか?  飢饉や高い年貢率に苦しんでいるのであれば祭りなどする余裕はないはずですがどこの農村にも江戸時代からの祭りは残っています。  確かに一部の農村では飢饉に苦しんだり高い年貢に耐えきれず一揆を起こした地方も記録には残っていると思いますが、それを明治政府が拡大解釈して教育したのでは無いかと思います。  皆さんの周りの農村で江戸時代の暮らしが分かるような記録はありませんか?

  • 江戸時代の髪型

    江戸時代の農民と差別されていた人の 髪型について調べています。 服装も差別化されていた時代なので 武家と同じ髪型というのもおかしいと思うのですが なかなか調べてもわかりません。 もちろん、江戸時代と言っても長いので 流行はあったでしょうが、基本的なもので構いません。 男性、女性それぞれについて 詳しい方、教えていただけると助かります。 よろしくお願いします。

  • 江戸時代と身分

    江戸時代の日本は、農民が土地に縛り付けられて、身分の固定によって浮上する機会もなく、現代のような「個人」は観念されない社会だったということですが、農民が過酷な年貢に苦しみ一揆・逃散・駕籠訴をすることはあっても、三圃農法によって中世からの脱却がはかられた欧州と違って江戸期の日本では革命的な動きや身分闘争というものは全く起こらなかったのでしょうか? 農民は親も自分も子も孫も、農民の子はずっと農民という身分に疑問をいだいたり、そこからの脱却を考えたりはしなかったのでしょうか。 吉田松陰は天皇の下にみんな平等という思想を持っていたようですが、江戸時代にこういった(擬似)平等的な考えをもっていた人物は他にもいたのでしょうか。 ご意見を賜れれば幸いです。

  • 江戸時代の絵を探しています!

    はじめまして。 現在、江戸時代あたりに描かれた、「農民の秋祭りの様子」の絵を探しています。 イメージとしては、農民が普段着で踊り謡い、五穀豊穣を祝う・・・ というような感じです。 お心あたりの方がいらっしゃったら教えてください!

  • 江戸時代の教育について

    江戸時代の教育には藩校などの支配階級を対象としたものと、寺子屋のように庶民を対象とした教育があると思います。 今庶民を対象とした教育について調べているのですが、庶民に教育をするようになった背景がいまひとつつかめません。「農業全書」といった農民向けの書物が出版され、庶民も文字が読めなければいけなくなったからなのかな~と自分なりに予想してるんですが・・・ それ以外の理由などあれば教えてください。よろしくお願いします!

  • 江戸時代の農民は何を食べていたのか

    以前、読んだ本の中に書かれていたことです。 (題名や著者名は忘れてしまっています) 「江戸時代の多くの農民(小作)は滅多に米を食べることは出来ずに稗や粟などの雑穀を食べていたとされている。しかしながら、日本全国で生産された米の総量から算出すると酒や味噌などで消費される米の分を差し引きしても、当時の総人口2000~3000万人が主食として食べるのに十分な量があったはずである。」 ということでした。確かに米は貨幣の代わりに売買・流通していても、貨幣なら保存できても米はいつまでも保存は出来ないでしょう。腐って捨てる位なら小作農民もそれなりに(月に数回程度は)食べて消費していてもおかしくないと思います。 江戸時代の米は最終的にはどのように消費されていたのでしょうか。