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人間は、~しない葦である・・・

パスカルは言いました。 「人間はひとくきの葦にすぎない。自然の中で最も弱いものである。だが、それは考える葦である」 と・・・ でも、 「「人間はひとくきの葦にすぎない。自然の中で最も弱いものである。しかも、それは謙遜しない葦である」 という見方も出来そうな気がします。 どうでしょうか、皆さんは「人間は、~しない葦である」という見方で考えたら、どんな言葉が入りそうでしょうか。 ご自由なご発想からのお答えをお待ちしますので、宜しくお願いします。

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回答No.11

こんにちは。 「人間は、満足しない葦である」 ……現状に満足しないからこそ、新しいものを生み出したり 改善したり、異議を唱えたり、伝えようと言葉を選んだり するのではないかと思います。 「人間は、絶え間がない葦である」 ……人間全体をみて(受精卵の状態から肉体の停止まで)絶え間なく 様々な状態のものが混在しているとも言えるし 一人の人間を見ても(再生される細胞・傷ついたばかりの細胞) いろいろな段階がありどこが始まりでもなく終わりでもないと 言えるのではないかと思います。 人間一人の『生命の意義・価値』は、たぶん本当にわずかなものだけど それが欠けすぎたり失われる時間が長すぎると“葦”という存在も 枯れてしまうのかと考えました。 パスカルのこの言葉を知ったのは子供時代で、今から20年ぐらい 前ですが、そのときよりも(当たり前だけど)言葉の意味に 近づけたような気がします。 母国語ではないので、それが本当はどんなニュアンスなのかっていう 部分までは、深く入れなかったのですが・・・。 現在は「家族制度」「戸籍」があり、自分の親、その親、あるいは、 自分の子、その子、という血の流れが明確だけれど、もしも 社会とか族という単位で暮らしていたら、自分が生きている意味とか 価値が薄まっていつどうなってもいいかなぁっていう気持ちが 強くなるのではないかと思います。葦の本数が増えるというか… うまくいえないですが、今だと簡単に居なくなれない(自殺)ので 社会(制度)というものが人間に与えた重圧は大きいと 今日の自分は感じています。

be-quiet
質問者

お礼

人が簡単に満足してしまう葦だったら、人類の進歩はなかったでしょうからね。 更に、それが綿々と受け継がれていくということが、個体での成長だけでは出来ない、まさに奇跡的な進化をもたらすわけですね。 でも、時にその流れに入ることを拒絶する葦が生えてきますし、そこまで行かずとも、果たして自分の遺伝子を残すべきなのかと疑問に思う人は結構いるかもしれませんね。 まあ、そういった葦の存在にも、何らかの必要性があるのではないかとも思いますが・・・ ありがとうございました!

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その他の回答 (12)

回答No.2

こんにちは パスカル様の頃と時代が違いますよね。この言葉は知っていたけどどまんなかストライクではなくなったようなきもします。しいていうと 丸腰で闘わない葦 ていうのはどうですか

be-quiet
質問者

お礼

まあ、いささか言葉に溺れている感じで、当時でもどまんなかストライクではなかったような気もしますけどね(笑)。 「人間は、丸腰で闘わない葦」 ・・・自分の弱さを自覚していたからこそ、武器を手に入れて進化できたんでしょうね。 ありがとうございました!

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回答No.1

 そうですねぇ~。 「努力しない」「勉強しない」「忍耐しない」 「思いやらない」葦であるってとこですか。

be-quiet
質問者

お礼

人間は弱々しい葦なのだから、忍耐強く努力して勉強しなければ、他に負けない力を身に付けることが出来ないのに、それがなかなか出来ないのが人間ということになりますかね。 せめて思いやりの優しい気持ちだけでも持ちたいのに、それも欠けていそうですし? ありがとうございました!

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