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アナタの 【あの日】 【あのとき】 を教えてください。
宜しくお願いします。 【私のこと】 あるビーチで、波が消えてエメラルド・グリーンの水を透かして 徐々に深くなってゆく海底や泳いでいる魚が見えたことがありました。 何十回か訪れていた地ですが、後にも先にもそのとき1回きりで、 いまでもその光景が目に浮かびます。 ある年の春先、ポルトガルの南部の乾燥した気候で咽喉をいためた私は 湿潤なビスケー湾岸に逃げてきて、夕暮れの雨の中を散策していて、 カテドラルの前に通りかかったとき、ある女性が微笑みながら 「食事に来ませんか」と自宅に招いてくれました。 旅先で食事に招かれることは少なからずあることですが……聖堂の前で というのは初めてで記憶に残りました。 後日、再訪し日本料理をつくり試食していただきましたが、そこから 高速バスで移った町でも more impressive なことがあり、いまでも その女性が幸運の女神さまではなかったかと感じております。
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学生時代、男同士で語り合ったりするのは、1970年代は普通のことでした。 卒業式を控えた高揚した気分の頃、新しいカートリッジを買ったたからと誘われて 私が彼のアパートを訪ねて行きました。 南義孝とかのLPを聞きながら、安ウィスキーを飲みながらくだらない女の話と 映画の話で盛り上がったものです。 世もふけてきて確かずっと映画の話をしていて、原作の小説の話になったときに 彼がボールドウィンの『もう一つの国』 を見せて、「こういうのはどう思う?」と彼が私に問いかけたのです。 その作品が、同性愛を扱ったものだというのはなんとなくわかり、それでも私は 彼を傷つけまいと、「読んでないけど、ジェンダーの差別も含めてマイノリティーの 立場で書かれたものは・・・」とか意味不明なことを口走って、こともあろうに 「もう、寝よう。」などと言ったものです。 灯かりを消したら、彼がもそもそと私に身体を押し付けてきて、私がじっとしていると 急に「いけない。男に手をだしてしまった。」とテレ笑いして、 「音楽つけたままでいいよね」と彼が言いったのだけ覚えています。 何事もなく迎えた次の朝、彼が布団を捨てに行く。といい、布団を抱えて 早朝の住宅街を歩きました。郊外のアパートのある丘の上は人も車も 姿がなく、ぼくらはふざけて道路に布団を敷きました。 寝てみるか? いいよ。車がきたら困る。 それから26年の歳月が過ぎ、父が亡くなり葬儀を行なった田舎の寺の 会場の人ごみに、わざわざ駆けつけてくれた彼の姿を見つけました。 もういい歳のはずなのに、実家のデザイン事務所をついだ彼の容姿は 26年前のままで、こちらを見つめる眼差しにはあの日、あの時と同じく 暖かい情愛にあふれていました。 なぜか涙がとまらなかったです。
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- honn1mono1
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【あの日】【あのとき】ですネ。 高校の卒業式のことでした、友達といつものところで話しをしていたら 友達が新たまって「ずっと友達でいよう」と言って、俺に握手をしてくれました。 俺も握手をして「おう」みたいな返事をしましたね。 本当に感動をした一瞬でしたネ、今でも心に残っています。 小学校の頃の話です。 近くに古墳が出来たので見物に行きました。 山の階段を登って古墳にまでたどり着いたのですけれど。 古墳の壮大さに大きな感動を覚えました。 とても大きく素晴らしい風景に息を飲みました。 そのときの感動は忘れられません。 自然と古墳の風景美に体を震わされましたね☆ 中学校の頃の話です。 友達と一緒に話してたのですけれども。 友達と遊んだことは今でも忘れられませんね。 肩を並べて写真をとったことは一生の忘れられない宝物です。 素晴らしい青春でしたね、友達は本当に大切な存在です。 流れる川、緑、橋、素晴らしい風景を私を魅了しました。 辛いことを抱えていたのですけれど、景色は相変わらず素晴らしいです。 光や自然は私の思いと関係なく素晴らしいものですネ。 その自然の美に感動させられましたことを覚えています。 素晴らしい自然が地球に存在していることを知りました。 私の【あの日】【あのとき】を話させて頂きました。 素晴らしい思いでは宝物ですネ☆
お礼
ありがとうございます。 お友だちと、数多くの思い出、大切にしてください。 キリマンジャロの氷河が消えて、あの豹はどうなったのでしょう。
お礼
ありがとうございました。 ………………………………………… 素晴しい。