• 締切済み

自分の人生における一冊教えてください。

タイトルのとおりです。自分の考え方が変わってしまったとか・・・ 私は宮本武蔵の「五輪書」です。 いろんな良書を読み自分の幅を広げたいと思っています。 よろしくお願いいたします。

みんなの回答

noname#56879
noname#56879
回答No.4

本は著者によっては難しく退屈なものがありますからね。 1冊読み終えるのに時間のかからない作品に良書が多いですね。 以下は私のお勧めです。何か心が動くかも(^.^) 【中谷彰宏】 ・人生の億万長者になろう(PHP文庫) ・今したいことを今しよう(PHP文庫) ・運を味方にする達人(PHP文庫) 【ひすいこたろう】 ・3秒でハッピーになる名言セラピー←シリーズで4冊程あります。 【石井裕之】 ・人生を変える!心のブレーキの外し方(フォレスト出版) 【戸田智弘】 ・働く理由(ディスカバー21) 【水野敬也】 ・夢をかなえるゾウ(飛鳥新社)

  • harepanda
  • ベストアンサー率30% (760/2474)
回答No.3

自分の人生における一冊といわれると、「自分の考え方が変わってしまう」という体験をしたことはまだなくて、「自分の考えを確信に変えてくれた」という本なら思いつきます。 岩波文庫「ヘーゲル政治論文集(下)」ですね。 これは哲学者ヘーゲルの政治論文を集めたもので、上巻が若い頃のヘーゲル作品、下巻が円熟期のヘーゲル作品です。 下巻の中に、いわゆる「民会論文」というものが入っていて、正式タイトルは、「18XX年から18XX年のヴュルテンベルク王国の民会の議事録:代●●から▲▲うんぬん」とかいう、到底覚えきれない長ったらしいものです。この民会論文、ヘーゲルの大作の山の間でうずもれてしまっており、専門家の間でも認知度は低いという残念な作品なのです。しかし、ヘーゲルは法哲学や社会科学でも一級の哲学者であり、独自の成熟した政治理論を持っていました。象牙の塔の外で政治的に成功したのは、彼のキャリアを通じて、この民会論文だけであり、新聞に転載され反響を巻き起こしたのです。 具体的には、ナポレオン没落後のヨーロッパの新しい体制はどのようにあるべきかという議論が中心で、彼の出身国であるヴュルテンベルクでの憲法制定国会を取り上げています。当時のドイツは、ローマ法を使っていたため、ラテン語で書かれた法律を読める国民は少なく、ローマ法の書記が特権的地位を良いことに、本来支払うべき税金の7倍にわたる横暴な手数料を取っているケースすらあるなどと指摘する、義憤に駆られた熱い本です。書記と言っても三権分立以前の書記ですから、今風に言えば、司法書士、行政書士、税理士を兼ねた強力な権限を持っています。また、議会にはローマ法勢力が多く、ヘーゲルは彼らを厳しく批判し、ローマ法勢力と自然法勢力の論戦に加わっています。 哲学者の書いたものを読んで大笑いしたのは、この民会論文だけです。批判の激しさもはたから見ていると、こっけいなレベルに達しています。議会の行動は、まるで一昔前の日本の株主総会のようなシャンシャンぶりであり、ヘーゲルの皮肉や批判も、これでもか、これでもか、というほどのレベルです。他人の文章を引用した箇所では、こんなのもあります。「ヴュルテンベルクは、他のドイツ系国家ではファウスト博士以来、知られるところでなくなった特別な人間を扶養するという、悲しむべき美点を持っている。ところでこの特別な人間とは、書記である。」何のことだか良く分かりませんが、多分、ファウストのように悪魔に魂を売ったのが書記である、というもってまわったイヤミだと思います。 さてこの民会論文、ヘーゲルの大著にして他の政治哲学者の間でも著名な「法の哲学 - 自然法と国家学」の数年前に発表されており、「法の哲学」の先駆けとなる主張を多数含んでいます。世間ではこの大著は「法の哲学」という名前で知られていますが、実際は、「法の哲学」がメインタイトルで「自然法と国家学」がサブタイトルなのか、それとも逆なのかという基本的なことすら、専門家の間でも、あまり議論されないのです。 ヘーゲルは若いころギリシャ的共同体を理想像とする趣味にはまっていたこともあって、近代自然法には批判的な人物であるというイメージが強く残っています。しかし、民会論文から1817年における講義の講義録などを読んだ後になると、少なくとも円熟期に入った後のヘーゲルは、ルソーの意志論を使いこなし、自然法の系譜に入る思想を持っていたことが、明快に浮かび上がってくるのです。 「法の哲学」の序文には、理性的なものと現実的なものは一致するという有名な部分があり、マルクス主義者が誤解して、ヘーゲルは既存の社会制度を擁護する守旧派だというイメージを世間にばら撒いてしまいました。しかし、よく読むと、意味は全く違うのです。本来の意味は、「哲学は偏見にとらわれていない意識と同じで、理性的なものと現実に機能するものは同じであるという確信から出発する」という文脈なのです。はっきりと言い換えると、「理論と現実は必ず一致する。理論では正しいが現実には機能しないなどと言う人は、偏見にとらわれているだけだ」という意味であることが分かります。 私もヘーゲルと同じく、理論と現実は必ず一致するという信念で生きています。この結論にまで私を導いてくれた「民会論文」に、感謝感激です。 マルクスがヘーゲルを正しく理解できなかった理由のひとつに、マルクスの世代においては既に自然法理論のような架空性の高い理論は使われなくなり、社会科学でも実証主義的傾向が強まっていたという事情があると思います。なんという研究者のセリフだか忘れましたが、ヘーゲルは自然法の完成を見るとともに、その解体が始まる位置に立っているのです。

  • jey9
  • ベストアンサー率14% (22/148)
回答No.2

リチャード・バックの「イリュージョン」 何度読み返しても、その度に新しい発見があります。

  • Willyt
  • ベストアンサー率25% (2858/11131)
回答No.1

荘子です。眼から鱗が何枚も落ちます。 冒頭の『燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや』にまずガーンとやられました。

関連するQ&A

専門家に質問してみよう