第2回 ポエニ戦争 ハンニバルの決断
年は離れていますがいとこの高校生と今日話す機会がありポエニ戦争の話題となりました。そこで二人とも疑問に思った内容を記載しますのでよろしくお願いします。
カルタゴの勇将ハンニバルは5万の兵と37頭の戦象を引き連れてアルプス越えを敢行し、ティキヌスの戦い、トレビアの戦いで連勝し、あの有名なカンナエの戦いではローマ軍に致命的な大打撃を負わせました。それから一気に首都ローマへ進軍すればローマを滅ぼすことができ歴史さえもかわったであろうに、なぜハンニバルはこの時に引き続き首都ローマ攻撃をしなかったのでしょうか?
私は以下のように考えているのですが、(それでも疑問点はありますが)この考え方でいいのでしょうか?
自分で調べてみてはと批判されるかもしれませんが時間的なこともあり教えていただければ幸いかと思います。誠に勝手ではありますがよろしくお願い申し上げます。
1、度重なる戦闘で兵も象も疲弊していた
2、カルタゴは地中海の向こうに位置しており、海を渡っての兵糧を確保するのが難しかった。(それならばイベリア半島からの兵糧なら確保できたのではないかとの疑問がわきますが)
3、当時の海軍はローマのほうが上であった。いわゆる制海権はローマが握っていた。(でもカルタゴのほうが海上都市であり海軍も強かったのではとの疑問が生じますが)
という内容が考えられますが、それともハンニバルにはもっと別の考えがあったのでしょうか?
それとついでに「ハンニバルのアルプス越え」は有名ですが、このアルプス越えはイベリア半島からどのルートを通ってきたのでしょうか?
これもどうしてもわかりません。 どなたかご存知の方がいれば、これもご教授の程お願い申し上げます。
お礼
ありがつございます。くだらない質問に答えていただき何よりです。