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理科の解剖授業
現在小5の姪がいます。先日 動物実験の廃止を訴える記事に触れ、思い出したことがあります。中学の時、授業中に蛙の解剖をしました。何のためか分からないような、ただ 無意味に命を奪っただけの行いで、当時非常に憤りを感じ、現在も思い起こすだけで腹が立ちます。この つまらないイベントは、今も中学で行われているのでしょうか。 誤解があってはいけないので記させて頂きますが、私は 全ての解剖を否定している訳ではないし、自分もベジタリアンではなく、肉も食べています。その為、こういう 命 について意見を述べる場合、本当にその難しさを嫌というほど感じずにはいられないのですが、ただ、昔のように資料等が無いなら 実物を見るしかないので ある程度は納得もできますが、今は 映像の良い資料が幾らでも手に入るはずです。それでもする必要があるのだろうか、と思うのです。生体の解剖は、医学に携わり、その必要があって初めてすればいいことなのではないでしょうか。 解剖があることを前提に書いてしまいましたが、もう一点お尋ねしたいことがあります。 この解剖を父兄、又は生徒などの署名で止めさせることが出来るでしょうか。又、実際 そういうことがあった、という方がいらっしゃいましたら方法など、教えて頂きたく思っております。 どうぞよろしくお願い致します。
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>何のためか分からないような、ただ 無意味に命を奪っただけの行いで、当時非常に憤りを感じ、現在も思い起こすだけで腹が立ちます。 あなたにとっては命の重みを感じる、非常に有意義な授業だったと思いませんか。 現代は嫌なことに目を向けない傾向があり、牛肉や豚肉も牛や豚と言う生き物の命を絶つことによって手に入るもので、それを考えるとおろそかには出来ません。 理科の実験も同様で、現在はやってもやらなくてもよいと現場に任されているため、実施している学校は2割程度です。 子供たちの中にはビデオの授業ではリアリティがなく、死んでも生き返ると信じている者もいて、命の重みを感じていないようです。 多感な年代ですから、死という物を真剣に考えて、実際にやって欲しいと考えています。 バーチャルと実際では違い、昔から「畳の水練」という言葉さへあります。 犬や猫も死ぬのが嫌だから飼わないという人がいますが、犬や猫は人より早く寿命が尽きます。 家族の一員として可愛がり、老いていき亡くなるのを看取ってこそ、優しい子供が育つと私は思います。 根は同じで、昔は家族に看取られ、畳の上で死にましたから、子供たちも死を受け入れられたのですけど、今は病院で死にますから、祖父や祖母の死が受け入れられない、ちょっと困った世の中と思います。
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- yakyutuku
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目的は勿論生物学の教育のためです。意味がわからないのは(教員の指導力不足か)あなたが生物学に興味が無いだけでしょう。資料を百回みてもわからない、理解できないが、1回試料をみれば理解できることなどいくらでもあります。 現在も中学で行うのが理想とされていますが、現実的にはなかなかできないのが現状です。まず費用が相当かかります。次に、教員に解剖や解剖指導のできる人がなかなかいません。さらにいうと、解剖を指導するとなると教員の助手が必要となりますが、そんな人手もなかなか確保できません。それから受験偏重の近年では、わざわざ解剖をやるメリットを感じないというのが、学校側の本音だと思います。かくいう私も解剖は大学で始めて経験しました。 動脈と静脈の違いを理解することぐらいは、誰でも必要だと思いますし、学問の理解に解剖は役に立つと思います。中学に生物学など不要という極端な意見をお持ちなら別ですが、感情的に解剖を否定するのは感心できません。
今の子供って、鮭は切り身で泳いでるとか、ニワトリは4本足だと思っている子も多いんですよ。 毎週毎週解剖やっているわけじゃなし、1回くらい実物を見てもいいと思うんですが。 ただ、そういったことは全く考えられていないわけではないようで、大学の研究室の教授は論文の選考の際に、アメリカでは「実験動物にムダな苦痛を与えていないか」という点も加味されると言っていました。