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宗教家の方と無神論者の方へ

noribou11の回答

  • noribou11
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回答No.8

生命科学の研究者ですが無神論者というわけではありません。 日本人はどうも特定の宗教団体に属している人物が宗教家というイメージが あり残念です。いかに日本人が神学を勉強しなくなったのかという結果ですね。 本来、宗教とは社会生活を営む上での道徳であり公共心でもあります。 私の経験ではボランティア精神に長ける人は大抵なんらかの信仰心を 持ち合わせているように思えます。なんらかの力によって 生かされているという認識が彼等を慈悲深くさせているんでしょうね。 インチキ宗教は許せません。しかしながら、信仰心が道徳の基盤になって いることは多くの宗教で見られることです。多分、No.2さんが所属しているで あろう団体も多くの会員は普通の人よりおだやかですしね。 No.3さんの反論のようになってしまって恐縮ですが 自分の言動に自分で責任を持つというのは難しいことです。 そこに甘えがあれば犯罪じゃなければいいんだという精神が生まれます。 自分の行動を自分で推考し実践する院生には悪い結果が続くと精神的に まいってしまう人がけっこういます。こういった状態のときに インチキ宗教と出会うとメロメロになってしまうのですが、始めから 信心があるものは、これも試練と打たれ強いところがあります。 海外で宗教の話しになったとき(本ではタブーとされてますが、仲が良くなれば 宗教の話しはけっこうします)無神論者なんて言えば「じゃあ、あなたの道徳の 基盤はどこにあるの?」なんてことになります。そんなときに「自分」と 答えても「法律」と答えても空しいだけです。 と、言っても私は禅宗であり、浄土系のように南無阿弥陀仏を唱えていれば 救われるものではありません。仏に助けを乞うのでも、日蓮系のように 釈迦の教えに固執するのでもなく「いかに釈迦に近付けるか」を自問自答し なぜ、我々は生きているかを考えます(生物学者ですから生物的には理解してますけどね) そもそも、医学、文学、工学、哲学、芸術の根本は神学にありますからね。 宗教とは勉強することだと思っています。 宗教とは社会生活の規範であり、それが全てではありません。 故に同じ宗教でも土着文化と融合した結果、地域差が生じます。 仏教とてヒンドゥ教、道教、儒教、神道など、さまざまなものの影響を受けています。 仏教は死んだら輪廻転生によって他に生まれ変わるのだから先祖がいつまでも 天国にいるはずがないのに位牌に礼拝するとか。葬式なんてキリスト教の影響ですしね。 確かに歴史的みれば宗教はろくなことがないように思えます。 しかしがなら、それは組織が問題なのです。人間の残酷なところは 団体になると善悪の判断がつきにくくなることです。個人の信心が問題ではありません。 神を信仰するが故に幸福が訪れるのではなく、神の教えに従い己を律することで 道徳心と公共心を養うことが信心の理由です。 繰り返しますが多くの信仰者にとって信心とは生活の規範であります。 それが全てであるような妄信家ではありたくない。 無神論者を気取るほどの自分は持ち合わせていない。 成功すれば周囲の人達と出会えたことをただ感謝するのみ。 なにごとにも「ありがたい」という信心のみを大切に。 この道を行けばどうなるものか危ぶむなかれ。危ぶめば道はなし。 踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる。迷わず行けよ。 行けば分かるさ。 アントニオ猪木ではありません。一休禅師です。

koutatoreikun
質問者

お礼

 ご回答ありがとうございます。 >自分の言動に責任を持つのは難しい。そこに犯罪じゃなければいいという甘えが生まれる  たしかにnoribou11さんのおっしゃるとおりかもしれません。しかし、そのことを「甘え」という 風に見るのか、「自由」という風に見るのか、それは個人によるものだと思います。自由と言っても、 フリーではなくてリバティーです。  >「自分」と答えてもむなしいだけ  これがどうもわかりません。何で「自分」と答えてむなしくなってしまうのですか?そんなに 自分は空虚な存在なのですか?私の場合を述べさせていただきますが、私は若輩者であるがゆえ、 宗教上の方々と比べると、明らかに人間ができていません。いや、誰と比べても未熟でしょう。 しかし、完成されてはいませんが、逆に変化の可能性を秘めています。私はその変化の可能性が 完成された何かを上回る可能性を秘めていることだと思っています。「宗教」ははっきりと 形のあるものですが、別にこれから作っていくでもいいと思いますね。普遍的な根本にすがる 気はありませんから。  >神の教えに従い己を律することで道徳心と公共心を養う  これは私の解釈なのでまちがっていたら申し訳ないのですが、つまり、心の中に神の教え という道徳規範を作るということでしょうか。うーん、私の考えでは、「規範の一つ」ということになりますね。  ルールなんてこの世にゴマンとありますし。  >何事にも「ありがたい」という信心を大切に  このように思える人は、宗教をしているしていないにかかわらずすばらしい人だと思います。

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