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動作性IQと言語性IQのバランスについて
もう1年前になるのですが鬱で精神科を受診した際、心理検査というものを受けました。ローシャッハテスト、SCT、描画テスト、IQテスト(WAIS-R)をしたのですが、報告書を読んだところ、特にIQテストのことで気になっていることがあります。 IQのテストでは10項目のテストを言語性検査と動作性検査の2つに分類してその結果をそれぞれ言語性IQ、動作性IQ、その総合をIQとしているらしいのですが、私の結果は言語性IQが116で動作性IQが105とあり、2つの差が11と少し大きめらしいです。 報告書の「要約」という項には、その差があるために自分が考えたり、こうしたいと思うことに行動が追いつかないことがあるかもしれない。と書いてありました。結果を見た先生も「本来は動作性IQも言語性IQの水準にあるはずだが、精神状態の影響もあって低くなっている。だから動作性IQはまだ上がる」とおっしゃっていました。その後諸事情で別の病院を紹介してもらいそこでの通院はすぐやめてしまったのですが、動作性IQのことが今でも気になっています。 自分が考えたり、こうしたいと思うことに行動が追いつかないことがあるかもしれない。という事は多分誰にでも当てはまるのではないかと私は思うのですが、引きこもりだった私はそれが人よりも大きめなのかもしれないと思います。少しでもそのギャップをなくすためには私の場合動作性IQをあげることがいいのかな、と思ったりしています。通院を続けていればそのための専門的な指導が受けられたのかもしれませんが、どなたかそういった訓練か何かのようなものをご存知ないでしょうか?私は18歳の男です。
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WAIS-R等のウェスクラー型知能検査の場合、言語性検査は(耳で聞いて言葉で答える)音声系回路の能力を、動作性検査は(目で見て手で操作する)視覚・運動系回路の能力を測定します。 また、単に言語性検査と動作性検査のバランス(個人内差)を見るだけではなく、各検査項目(下位検査)の評価点(SS)を分析して、その方のどのような能力が強く、どのような弱いかを分析して、その方の神経心理学的認知特性を分析します。 しかし、WAIS-R等の心理検査があなたのすべての能力を測定できるわけではなく、その場でのコンディションや、あなたの生育歴や学習や行動でのエピソード等、周辺情報が検査結果解釈の重要な参考資料となります。 さて、ご心配の件ですが、手元に尺度換算表がないので、言語性と動作性の差11というのが、5%水準、あるいは15%水準で有意な差があるかどうか、確実なお答えができません。 ただ、11という差が有意な差であったとしても、No.1の方がお答えの通り、1SO以内の差であり、その結果から言えるのは「全検査IQの解釈には注意を要する」ということだけだと考えます。 むしろ、WAIS-Rに習熟した検査者であれば、あなたに対して、この結果から、具体的にあなたがどのような認知特性(どういう能力が強く、どういう能力が弱い)とともに、そのことが、今困っていることにどのように影響していると考えられるか、説明してくれるはずです。 受診されたのが精神科で、他のテストバッテリーの組み方を見ていると、複数の検査結果から病相について診断名をつけるデータとして行われた印象を受けます。 また、医師からあなたへの説明を拝見すると、WAIS-Rについては、十分な知識を持った方の解説とは思えません。WAIS-Rの熟練者ならば、なぜ、動作性IQに精神状態が影響して低下していると考えられるのか、根拠を示してくれるはずですし、むしろ、言語性と動作性の差の問題以上に、認知特性とあなりの困っていることとの関連を解説してくれるはずです。 教科書的な一般論で言えば、(受検時のコンディションの影響はあるものの)、成人の脳や神経はすでに成長が終わっており、WAIS-Rの結果は、その方固有の認知特性(個性として)と捉えるのが普通です。 仮にその結果から、問題となる個人内差があったとすれば、弱い能力を上げることを考えるよりも、その弱い部分を強い能力を使ってどのように補って、快適に生きていけるようにするかを考えていくことの方が大切です。 現在、WAISに関しては、新版のWAISが発売され、長らく改訂されていなかったWAIS-Rは古いバージョンとなりました。 長くなりましたが、ご相談の件につきましては、WAIS-R本来の活用方法に習熟していない方の意見であり、気になさることはないと考えます。 詳しい検査項目ごとの数値はわかりませんが、あなたの場合、言語性、動作性ともに平均水準以上の能力をお持ちなわけです。(また、言語性検査と動作性検査が同一の例の方が少なく、多少の差異が存在する例の方がはるかに多いものです) 動作性検査について言われた言葉にとらわれて悩んだり、それを上げるべき訓練等を考えることは無駄なご心配だと思いますよ。通院を続けても、そのような訓練は存在しなかったはずだと思います。 どうか一つの心理検査に関する、一人のコメントで、悩みを深くしたり、振り回されたりなさらないようになさってください。
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- morsan
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No.2回答者です。(回答の中で「1SO」と誤記しましたが、正しくは「1SD」でした。訂正いたします。) ウェスクラー型の心理検査(WISC,WAIS等)は、実施や一応の解釈ができても、本当に患者さんの役に立つ資料として説明できる力量のある専門家は、まだあまり数多くないのが実情です。 特に、成人対象のWAISに関しては、実施においても、検査課題に対する反応の中で、被験者の純粋な能力とスキルとして身につけてきた能力(例えば正確にわからない時に、誤りではない曖昧な回答で切り抜ける等)を見分ける力量も必要で、そうした技量を持つ検査者は少ないと聞いています。 私自身も、勉強と自己洞察のため、自分自身のWAISの結果と認知特性を知りたい(検査を受けたい)のですが、先輩に尋ねても「あなたのように知識を持った人を検査できる専門機関となると、ないかもねぇ…。」と言われました。 もし、自分の認知特性やそれに伴う生きにくさや対応策について知りたいとお考えでしたら、下記リンクの各都道府県にある「精神保健福祉センター」にその旨を連絡されて、地域にある適切な病院あるいは専門機関を紹介してもらうのが良いかもしれません。 お書きの通り、将来の進路を考える上でも、それ以上に自分が快適に生きていくためにも、自分の認知特性について知っておくことは、役立つと思います。 私の場合、単に認知特性だけではなく、もう一歩踏み込んで、軽度発達障害として話題になっている、AD/HD:注意欠陥多動性障害、PDD(HFPDD:高機能自閉,AS:アスペルガー症候群、等の切り口から、自分の特性を理解することがとても役立ちました。 書店やWEBで多くの情報が得られますので、こうした面も手がかりにして、自分の特性を自分で洞察されていくのも良いと思います。 いずれにしても、人間誰しも、それぞれの凸凹があって、その違いが個性となっています。その個性故に、他の人以上に、日常的なことにつまずいたり悩んだりして、生きづらさを感じている人は少なくありません。(私もその一人です)そうした時に、自分の特性を理解することで、少しでも快適に生きられるようになることが一番大切なことだと思います。 arimさんはまだお若いですし、今まで悩み苦しんで来られた体験、そしてarimさんの個性だからこそ、他の人にはできない社会の役割(仕事)が待っているのだと思います。 ぜひ、自分の特性をマイナス方向に捉えるのではなく、意味ある物として捉えて、無理をせずに進んで行っていかれることを応援しています。
お礼
なるほど。教えていただいたURLから近くのところに電話をして検査を受けたいと思います。本当にありがとうございました。
- pontamana
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強調しておきますが、素人!!!です。ご了承ください。 たしか、その二つの差が大きい場合(多分15が目安だったと)発達障害を疑うという記述を本で読んだことがあります。ディスクレパンシだったかな?かなーりあいまいです。ごめんなさい。ようはかみ合わないっていう意味です。 で多分11は大きいほうですね。 ただ、100をこえているのであればどちらも正常域か高知能域ではないでしょうか?だから問題はないのではないでしょうか? IQが高いほど差が出やすいらしいですし、問題視する必要があるのかな?? すいません、対応、訓練などは知りません。 臨床心理士さんあたりでないと回答できないのではないかとおもいます。僕も途中で意味がわからなくなり本も読みきれなかったです( ̄ ̄;) うつの状態で読む本じゃなかったって感じです。
お礼
ありがとうございます。言語性のほうはBright Normalで動作性のほうはNormalということでした。本当に問題視する必要はないのかもしれません^^;
お礼
ご回答とても参考になりました。温かい言葉もありがとうございます。 自分の認知特性というところにはとても興味を持ったのですが、それが検査を終えて私の耳に届かなかったというのは凄く残念です。 今は将来のことについて考えている最中なので、職業適性なども測る意味でももう1度別の場所で受けるというのも手なのでしょうか?病院は患者の順番待ちが多くあまり先生ともお話できなかったのですが、病院によっては詳しい解説をしてもらえるところもあるのでしょうか。 最近の脳力ブームでそういうことに少し敏感になりすぎているのかもしれません。