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戦国大名たちの同性愛というのは

戦国時代にいた大名たちには「同性愛」ということが「常識」だったと聞くことがあります。 現代には「同性愛」のがちょっと変なお好みですが、同時には誰の大名でも平凡のだったと、例を挙げれば、織田信長と森らんまるの関係とか、武田信玄が「男色」を楽しんだって記録とか、 でも、私は知り合いの人より、こんな言葉を聞きました その人は、 東洋における「男色」というのは伝統的な「陰陽論」から出てあることと、ただ若者と老者が一緒に寝るだけ、それによって若者の「陽気」を受け取ることだった。西洋のように「男と男が性的な肉体関係」を取ることはなかった と言いました。 では、戦国大名たちの「同性愛」ということもそんなに言えることですか。 そして、戦国人たちの性生活について、お勧めの本はなんことがありましょう

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  • Bird1979
  • ベストアンサー率48% (114/236)
回答No.3

こんばんは 主君と家臣の同性愛については忠の観念、同輩同士の関係については義の観念と結びついているといわれます。愛の「純粋」な形を「滅私」とみるならば、それは即ち「武士道」と通じるものがありますね。 女性との愛は、どうしても生殖というものが属性としてありますから、衆道というものも、性行為というよりもプラトニックな面が強かったのではないでしょうか。 ちなみに、戦国時代の衆道は単に性愛にとどまらず政略・軍略とも関係していたそうです。越中神保氏による「上杉謙信暗殺計画」や、東北の雄、蘆名氏と佐竹氏の同盟関係にも「寵童」や武将同士の「契り」が介在していたそうです。 衆道(美少年好み)については、明治に入ってからもあったようですね。森鴎外の『ヰタ・セクスアリス』などは有名ですね。また川端康成も若い頃の寮生活で経験した同姓への恋心を、晩年になって『少年』という作品に描いています。 以上のネタ本は『武士道とエロス』(氏家幹人 講談社現代新書)です。日本における「男色文化」を概説したもので、新書本ですから手軽に面白く読めました。お勧めします。

参考URL:
http://books.yahoo.co.jp/book_detail/19475366
ressise
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  • Ichitsubo
  • ベストアンサー率35% (479/1351)
回答No.4

少年を描いた春画が残っていると言うことを考えると、「男と男が性的な肉体関係」を持つことはあったと考えて良さそうです。 そもそも同性愛が「変」という意識はキリスト教文化によるもので、キリスト教に裏打ちされた西洋文化が大きく流入しなかった時代には、同性で恋をしたり交わったりすることが特別おかしなことという意識は爪の先ほどもなかっただろうと考えられます。武田信玄が小姓の高坂昌信に当てた恋文というものも現存しているそうですね。 また、江戸初期には、若いうちから女性との恋にうつつを抜かすのは、女の尻ばかり追いかける不埒なやつと思われたとも言います。ある程度の年齢になり「身を固める」という意味もあって女性との愛になっていったのでしょう。このあたりは#3Bird1979さんの書かれているとおりではないでしょうか。

ressise
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  • yoshi-thk
  • ベストアンサー率38% (2059/5283)
回答No.2

戦国というか、江戸時代の半ば頃までは、男色はあったようです。 そのことを「衆道」というのです。 一度「衆道」で検索されてはどうでしょうか? それで、詳しいことを書いている本があるかと思います。 ちなみに、簡単に書いている本と言えば、新潮45で昨年9月号の記事の中で紹介してました

ressise
質問者

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親切な説明、本当にありがとうございます!

noname#113190
noname#113190
回答No.1

戦国時代には「友情」という概念が薄かったことはご存知でしょうか。 現在でも異性同士の友情というものはあり、肉体関係はないがお互い何となく好意を抱いてる男女というものはありますが、戦国時代の男同士の友情とはあれに近いもので、やはり命を懸けて全面的に信頼するには裸の付き合いも必要という感覚もありました。 また武士は縁起を担ぎますから、原則的には戦場に女性が入ることを忌まわしく考えてますから、女性は連れて行きません。 それでもやはりストレスは溜まりますから、男同士でということになります。 ところで現在と違うのは、男性同士の愛情があるからといって、「男色家」と言うわけではなく、武士は家を守ることが第一で、子孫がいなければ家が絶えてしまい、家来たちも路頭に迷いますから、異性同士の肉体関係ももちろんやります。 男色一本の、細川正元や上杉謙信もいましたが、彼らは武士としては無責任としか言いようがなく、実子がいない上に養子もきちんと決めなかったので、養子の間に争いが起き、家が衰退してしまいます。 徳川家光も男色専門でしたが、中年になって尼さんの坊主頭にムラムラして、女性に目覚めたのも有名な話です。 ほとんどの身分ある武士は男も女もというのが普通で、肉体関係のあった男性が側近として側を固め、命がけで主君を守って戦うということになります。 男性だけというのも珍しいように、女性のみというのも珍しいと考えます。

ressise
質問者

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親切な説明、本当にありがとうございます!

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