ナザレのイエスの言動、彼が周囲に伝えようとした考えと、後世のキリスト教の教義とが一致しているわけではありません。
現代に伝わるキリスト教の教義は、イエスの死後、教団のいろいろな人がいろいろな時代にいろいろな理屈付けをしたものが、いろいろな都合で認められて加えられてきた、そういう意味では雑多なものが混在しています。聖書の中にも、相互矛盾する部分はいっぱいあるし。(著者・執筆年代もばらばらの沢山の書物を一つに合本して『聖書』を作ったので。)
ナザレのイエスが一番頻繁に批判したのは、イエス当時のユダヤ教の中でも特に宗教教義を振り回して他人に干渉する人、宗教戒律を他者に押し付けようとする人だったことが、福音書からは推測できます。当時は『パリサイ派』呼ばれた流派にそういう行為が目立ったので、パリサイ派の人と論争することが多かったようです。
でも、イエスが批判したのは、特定の宗派だけではなく、宗教の戒律が人間性を抑圧することそのものだったと思います。あるいは宗教が社会をコントロールすることに反発したと言えますね。(不倫で石打ちの死刑に処せられようとする女を助けるエピソードが典型です。)
しかし、イエスの死後、イエスの弟子(自称弟子も含めて)たちが作っていくキリスト教教団(=教会組織)は、どんどん権威主義的になっていくし、イエスが批判したはずのものまで取り込んでしまいます。
初期の教団は、『イエスが旧約で予言された救世主である』という教義を作り、その理屈で旧約聖書も認めてしまいました。キリスト教は、従来のユダヤ教の教義(『旧約』)からも正当化できると主張するほうが、自分たちの内面的にも、また布教上も、都合が良かったということでしょうね。
初期のキリスト教教団の中心はユダヤ人=もともとはユダヤ教信者だったので、ユダヤ教を完全に捨てるよりも、ユダヤ教の新解釈として自分の中で納得したのでしょう。
(一方、キリスト教内部には、はっきりとユダヤ教批判をして、キリスト教とユダヤ教の隔たりを強調する流れも存在しました。一口に『キリスト教』といっても、いろんな異なる思想や立場があるわけです。)
お礼
ありがとうございます。 よく分かりました。