puregrape の回答履歴

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  • ヨハネによる福音書からの疑問:なぜ腿を兵卒は砕く必要があったのか?

    ヨハネ福音書から疑問をもちました。イエスがほかの2人とともに磔刑を受けたあと、兵卒が調べに来ました。ほかの2人はまだ生きていたので、腿(もも)を打ち砕いた、とあります。イエスはすでに死んでいたので、腿を打ち砕かなかったそうです。 なぜ「生きていたら腿を打ち砕く」必要があったのでしょうか?

  • キリスト教 子供が死んだ親

    幼い子供を亡くした親の、 「なぜ私の子供が死ななければならなかったのか?」 という問いに対する、納得できるキリスト教的な説明はありますか? どうやったら、子供を亡くした親をいやすことができるでしょうか?

  • D・カーネギーのいう「宗教的人生観」とは?

    デール・カーネギーの「道は開ける」に書いてあったのですが、 「宗教的人生観」とはどういうことなのでしょうか。 私は40代でこころの病気を長く患い、いまだ完治せず苦しんでいます。 神経症を30代半ばを過ぎても患っている人々についての話なんですが 治る為には、これが必要。といった内容だと思います。 厚かましいですが、例えなども書いて下さると助かります。 よろしくお願いします。

  • 日本基督教団の牧師から他教派の牧師になるには?

    私は日本基督教団の一牧師(正教師)ですが、諸事情により他教派の牧師へということも考えています。 しかし、日本基督教団の教会で育った私は他教派のことはよくわかりません。ましてや他教派で牧師となるにはその教派の神学校に行って学びなおさないといけないのでしょうか?それともその教派の試験を受ければいいのでしょうか? 他教派の牧師になるにはどうすればいいのかご存知の方がおられましたらお知恵を貸して下さい。

  • ローマ人への手紙第15章2節の意味

    ローマ人への手紙の15章2節に  私たちはひとりひとり、隣人を喜ばせ、その徳を高め、その人の益となるようにすべきです とあります。 この意味はどんな意味ですか?そのままですかね? 分かる方教えてください。よろしくお願いします。

  • ルカ伝5-39について

    ルカによる福音書 5章39節 「また、古いぶどう酒を飲めば、だれも新しいものを欲しがらない。 『古いものの方がよい』と言うのである。」(新共同訳) 共観福音書の上記箇所の意図するところがイマイチ分かりません。 36節からの一連のたとえ話は私の中では 新しいぶどう酒=イエス・キリストの伝える福音=新しい約束(古いぶどう酒は律法?) 新しい革袋=福音を受け入れる側(人)の意識 と解釈しています。福音を受け入れるには今までの(古い)肉に囚われた意識を脱して 新しい(霊の)意識が必要となる、というような感じです。 ですがそうなると39節の意味がよく分からなくなるのでこの解釈は間違い?とも考えたりして困っています。 詳しい方や神父・牧師から説教を聞いたことがある方がいらしたらご教授願います。

  • 世界金融危機について教えていただきたいことがあります。

    燃やしてしまうわけではありませんから、お金の総量は変わらないはずですよね。 足らなくなった分は、いったいどこへ消えてしまったのでしょうか? どこかに富を独占している人がいるのですか? よろしくお願いします。

  • エレン G ホワイトの信憑性について

    セブンスデーアドベンティスト教会(以下SDA)で預言者と謳われているエレン G ホワイト(以下EGW)についてお聞かせ下さい。 現時点で、「各時代の大争闘」「各時代の希望(三分の二ほど)」を読み、SDAの施設で「基礎教義(完了)」、「信仰による義認(完了)」「ダニエル書(完了)」と「黙示録(現在半ばほど)」「イエスの生涯と教え(現在半ばほど)」のクラスを受けていますが、正直、基礎教義や信仰による義認等は良しとして、預言解釈については、なぜこの様な解釈を信じる事ができるのかといった印象を受けています。 もちろん、クラスの中で、多数のEGW著書の引用を聞いています。 私個人的には、EGWの信仰姿勢には好感を持っていますが、預言解釈については、納得できません。 聖書クラスの先生に聞いても納得のいく答えが返ってこず、他の生徒や、施設のスタッフも同じです。 皆、ある程度までの信憑性が見られた時点で納得し、そのまま受け入れ、その更に奥までチェックしようとする姿勢が無いのです。何故なら、彼らにとっては現在彼らが信じている内容が全てだからです。 もちろん、信仰に関する事は奥までチェックしようとし過ぎる行為がかえって無意味な場合もある事は承知していますが、それにしても、あまりにも浅い部分で彼らが納得してしまっているため、私自身が納得いくことのできるレベルまで考えている人が私の周囲に居ないのです。 現在のところ、EGWは熱心で洞察力もそれなりにある良いクリスチャンではあるが、熱心さあまって(或は持病のせいで)少し間違えてしまっている人なのではないのかなという気持ちが強く、預言者として受け入れる事ができません。 EGWを信じている方で、どうしたら彼女の預言者としての信憑性を証明、或は主張できるかを心得ている方、或は自分はこう信じているという一意見でも構いません。 逆に、EGWを預言者ではないと考えている方で、なぜその様に考えるのか、 何でも構いませんので、彼女の預言者としての信憑性に対して、賛否両方のご意見をお聞かせ頂けます様、お願い致します。

  • エレン G ホワイトの信憑性について

    セブンスデーアドベンティスト教会(以下SDA)で預言者と謳われているエレン G ホワイト(以下EGW)についてお聞かせ下さい。 現時点で、「各時代の大争闘」「各時代の希望(三分の二ほど)」を読み、SDAの施設で「基礎教義(完了)」、「信仰による義認(完了)」「ダニエル書(完了)」と「黙示録(現在半ばほど)」「イエスの生涯と教え(現在半ばほど)」のクラスを受けていますが、正直、基礎教義や信仰による義認等は良しとして、預言解釈については、なぜこの様な解釈を信じる事ができるのかといった印象を受けています。 もちろん、クラスの中で、多数のEGW著書の引用を聞いています。 私個人的には、EGWの信仰姿勢には好感を持っていますが、預言解釈については、納得できません。 聖書クラスの先生に聞いても納得のいく答えが返ってこず、他の生徒や、施設のスタッフも同じです。 皆、ある程度までの信憑性が見られた時点で納得し、そのまま受け入れ、その更に奥までチェックしようとする姿勢が無いのです。何故なら、彼らにとっては現在彼らが信じている内容が全てだからです。 もちろん、信仰に関する事は奥までチェックしようとし過ぎる行為がかえって無意味な場合もある事は承知していますが、それにしても、あまりにも浅い部分で彼らが納得してしまっているため、私自身が納得いくことのできるレベルまで考えている人が私の周囲に居ないのです。 現在のところ、EGWは熱心で洞察力もそれなりにある良いクリスチャンではあるが、熱心さあまって(或は持病のせいで)少し間違えてしまっている人なのではないのかなという気持ちが強く、預言者として受け入れる事ができません。 EGWを信じている方で、どうしたら彼女の預言者としての信憑性を証明、或は主張できるかを心得ている方、或は自分はこう信じているという一意見でも構いません。 逆に、EGWを預言者ではないと考えている方で、なぜその様に考えるのか、 何でも構いませんので、彼女の預言者としての信憑性に対して、賛否両方のご意見をお聞かせ頂けます様、お願い致します。

  • エレン G ホワイトの信憑性について

    セブンスデーアドベンティスト教会(以下SDA)で預言者と謳われているエレン G ホワイト(以下EGW)についてお聞かせ下さい。 現時点で、「各時代の大争闘」「各時代の希望(三分の二ほど)」を読み、SDAの施設で「基礎教義(完了)」、「信仰による義認(完了)」「ダニエル書(完了)」と「黙示録(現在半ばほど)」「イエスの生涯と教え(現在半ばほど)」のクラスを受けていますが、正直、基礎教義や信仰による義認等は良しとして、預言解釈については、なぜこの様な解釈を信じる事ができるのかといった印象を受けています。 もちろん、クラスの中で、多数のEGW著書の引用を聞いています。 私個人的には、EGWの信仰姿勢には好感を持っていますが、預言解釈については、納得できません。 聖書クラスの先生に聞いても納得のいく答えが返ってこず、他の生徒や、施設のスタッフも同じです。 皆、ある程度までの信憑性が見られた時点で納得し、そのまま受け入れ、その更に奥までチェックしようとする姿勢が無いのです。何故なら、彼らにとっては現在彼らが信じている内容が全てだからです。 もちろん、信仰に関する事は奥までチェックしようとし過ぎる行為がかえって無意味な場合もある事は承知していますが、それにしても、あまりにも浅い部分で彼らが納得してしまっているため、私自身が納得いくことのできるレベルまで考えている人が私の周囲に居ないのです。 現在のところ、EGWは熱心で洞察力もそれなりにある良いクリスチャンではあるが、熱心さあまって(或は持病のせいで)少し間違えてしまっている人なのではないのかなという気持ちが強く、預言者として受け入れる事ができません。 EGWを信じている方で、どうしたら彼女の預言者としての信憑性を証明、或は主張できるかを心得ている方、或は自分はこう信じているという一意見でも構いません。 逆に、EGWを預言者ではないと考えている方で、なぜその様に考えるのか、 何でも構いませんので、彼女の預言者としての信憑性に対して、賛否両方のご意見をお聞かせ頂けます様、お願い致します。

  • エレン G ホワイトの信憑性について

    セブンスデーアドベンティスト教会(以下SDA)で預言者と謳われているエレン G ホワイト(以下EGW)についてお聞かせ下さい。 現時点で、「各時代の大争闘」「各時代の希望(三分の二ほど)」を読み、SDAの施設で「基礎教義(完了)」、「信仰による義認(完了)」「ダニエル書(完了)」と「黙示録(現在半ばほど)」「イエスの生涯と教え(現在半ばほど)」のクラスを受けていますが、正直、基礎教義や信仰による義認等は良しとして、預言解釈については、なぜこの様な解釈を信じる事ができるのかといった印象を受けています。 もちろん、クラスの中で、多数のEGW著書の引用を聞いています。 私個人的には、EGWの信仰姿勢には好感を持っていますが、預言解釈については、納得できません。 聖書クラスの先生に聞いても納得のいく答えが返ってこず、他の生徒や、施設のスタッフも同じです。 皆、ある程度までの信憑性が見られた時点で納得し、そのまま受け入れ、その更に奥までチェックしようとする姿勢が無いのです。何故なら、彼らにとっては現在彼らが信じている内容が全てだからです。 もちろん、信仰に関する事は奥までチェックしようとし過ぎる行為がかえって無意味な場合もある事は承知していますが、それにしても、あまりにも浅い部分で彼らが納得してしまっているため、私自身が納得いくことのできるレベルまで考えている人が私の周囲に居ないのです。 現在のところ、EGWは熱心で洞察力もそれなりにある良いクリスチャンではあるが、熱心さあまって(或は持病のせいで)少し間違えてしまっている人なのではないのかなという気持ちが強く、預言者として受け入れる事ができません。 EGWを信じている方で、どうしたら彼女の預言者としての信憑性を証明、或は主張できるかを心得ている方、或は自分はこう信じているという一意見でも構いません。 逆に、EGWを預言者ではないと考えている方で、なぜその様に考えるのか、 何でも構いませんので、彼女の預言者としての信憑性に対して、賛否両方のご意見をお聞かせ頂けます様、お願い致します。

  • エレン G ホワイトの信憑性について

    セブンスデーアドベンティスト教会(以下SDA)で預言者と謳われているエレン G ホワイト(以下EGW)についてお聞かせ下さい。 現時点で、「各時代の大争闘」「各時代の希望(三分の二ほど)」を読み、SDAの施設で「基礎教義(完了)」、「信仰による義認(完了)」「ダニエル書(完了)」と「黙示録(現在半ばほど)」「イエスの生涯と教え(現在半ばほど)」のクラスを受けていますが、正直、基礎教義や信仰による義認等は良しとして、預言解釈については、なぜこの様な解釈を信じる事ができるのかといった印象を受けています。 もちろん、クラスの中で、多数のEGW著書の引用を聞いています。 私個人的には、EGWの信仰姿勢には好感を持っていますが、預言解釈については、納得できません。 聖書クラスの先生に聞いても納得のいく答えが返ってこず、他の生徒や、施設のスタッフも同じです。 皆、ある程度までの信憑性が見られた時点で納得し、そのまま受け入れ、その更に奥までチェックしようとする姿勢が無いのです。何故なら、彼らにとっては現在彼らが信じている内容が全てだからです。 もちろん、信仰に関する事は奥までチェックしようとし過ぎる行為がかえって無意味な場合もある事は承知していますが、それにしても、あまりにも浅い部分で彼らが納得してしまっているため、私自身が納得いくことのできるレベルまで考えている人が私の周囲に居ないのです。 現在のところ、EGWは熱心で洞察力もそれなりにある良いクリスチャンではあるが、熱心さあまって(或は持病のせいで)少し間違えてしまっている人なのではないのかなという気持ちが強く、預言者として受け入れる事ができません。 EGWを信じている方で、どうしたら彼女の預言者としての信憑性を証明、或は主張できるかを心得ている方、或は自分はこう信じているという一意見でも構いません。 逆に、EGWを預言者ではないと考えている方で、なぜその様に考えるのか、 何でも構いませんので、彼女の預言者としての信憑性に対して、賛否両方のご意見をお聞かせ頂けます様、お願い致します。

  • 箴言1章7節 「主を畏れることは知恵の初め。」意味を教えてください。

    旧約聖書・箴言1章7節、「主を畏れることは知恵の初め。」という聖句の意味を教えてください。なるべく詳しくお願いします。 でも、そんなに詳しくはない、という方でも回答をお願いします。

  • 旧約聖書 ヨセフとルベン

    創世記の37章で、ヨセフは他の兄弟たちから妬まれ殺されそうになりましたが、 ルベンが血を流すのは止めようと言い、 ヨセフは殺されずに穴にほうり込まれましたよね。 なぜルベンはヨセフを殺すのを止めたんですか? ただ単に本当に血を流すのが嫌だったからですか? どなたか教えて下さい!!

  • 旧約聖書の創世記について

    高校3年になる者ですが、創世記について調べています。 創世記について分かりやすい解説や、読んだことがある方は、感想を頂けたら大変嬉しいです。。創世記の中の心に残る話や感心した話などについて、教えて頂きたいです。どうかお願いします。

  • キリスト教会に通っていたら頭がパニックになりました。

    ある教会に通っていたら頭がパニックになったのです。 その教会の人達が発するメッセージは、世間が悪い、未信者は愚か、信じなければ地獄へ行く、自分達の教会は正しくて他の教会は間違っている、などでした。それでもイエスさまを信じて勉強を続けて行きました。論理的にも納得が行きました。というか自分の考えをはさむ余地がなかったです。自分独自の考えを持つのは高慢だと思うようになりました。ですが洗礼がなぜか怖くて受けれませんでした。教会の人々への不信感があったのだと思います。 信者同士のケンカの絶えない教会だったようで牧師も問題視していました。 そのうち疲労で体が重くなって地に沈むようになりました。世界が明らかに異様に映るようになり、世界が二つあると思ってきました。正しい世界と間違った世界です。 あるとき未信者の人が教会の年配の人に無神論などを持ち出して反論していました。僕はそれをある方法でかばってしまいました。 それから教会員の人の一部が敵意をみせてくるようになりました。また当てつけのような発言も多々ありました。 急に低姿勢になり慇懃無礼な態度をしてきました。 ある日僕の家の玄関に切断された蛇の死体が置いてあり、誰がやったんだろう、何のために・・・と考えているうちに怖くなってパニックになりました。自分は悪魔なのかと思い悩みました。 その後は教会に行かなくなり自分でネットで聖書のことなど信仰のことなどを調べていました。 ある神父が他宗教の国へ赴いて布教するのですが殺されてしまうのです。その神父が最後に書いた言葉、それだけが頼りでした。神父が気づいたのは自分達が異教徒を見下しているという事実です。それに異教徒怒っているのだと。そして神父は他の宗教もまた神のみこころのうちにあるのだと悟って死にました。そのときは知りませんでしたがこれは宗教多元論というものだと思います。 この神父を支持している自分は教会では受け入れてもらえなかったのです。ただ仏様はいいらしく、拝んでいらっしゃるかたは多かったようでs。外国人の方も多く、そういう方に宗教多元論のようなものを話すとアウトでした。 その後は精神科へ入院しましたが、すぐに睡眠薬を大量に飲んでしまいました。 あとは後遺症で真っ暗な日々でしたが、ことあるごとに神様からメッセージが送られてくるようになったんです。壁にヘブライ語のようなものが浮き出たりしました。それだけが唯一救いです。 以前の回答者さんへ:けして自分は悪くない、人が悪いと思っているわけではありません。自分が悪いといつも思ってきました。悪いと思ったから悩みました。真剣に真理とはなんだろうと考えました。自分独自の考えは持っていません。他人の受け売りです。友人には相談できません。心からの友人ですが、僕は以前は物事は全て自分で解決しようとしていました。牧師先生とは仲はいいです。年賀状をくださいます。僕の人格を誤解しないでくださいね。 この教会はどうなっているのでしょうか?僕が被害妄想なのでしょうか?洗礼を受けさせるために論理的に逃げ場をなくして無理やりというやり方なのでしょうか?この心の傷はどうすればいいでしょうか?彼らは親切心でやったのだから非はないのでしょうか?

    • ベストアンサー
    • noname#140265
    • 社会・職場
    • 回答数7
  • 聖書 ヨハネII9~11の解釈

    日本聖書刊行会の新改訳聖書 ヨハネII9~11の解釈について教えて下さい。できれば純粋なプロテスタントを信仰している方にアドバイス頂きたいです。 この御言葉は、一度背信した者を決して受け入れてはいけないという意味なのでしょうか?それは家族であってもそうなのでしょうか?この世でいう家族よりも神の家族が優先するのでしょうか?

  • 新約聖書聖句の訳文のお願い

    1954年改訳の新約聖書『ローマ人への手紙』第12章3節について、英訳聖書の英文とかなり違いがあるようです。 ギリシャ語は分りませんが、きっと英訳のほうが原意に近いと思っています。 英文聖句を忠実に和訳いただければ幸甚です。また混乱しておる修飾関連を特にくわしくご説明いただければありがたいです。 For I say, through the grace that was given me, to every man that is among you, not to think of himself more highly than he ought to think; but so to think as to think soverly, according as God hath dealt to each man a measure of faith. ちなみに日本語聖書では以下のとおりです。 わたしは、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりびとりに言う。思うべき限度を越えて思いあがることなく、むしろ、神が各自に分け与えられた信仰の量りにしたがって、慎み深く思うべきである。 よろしくお願い申し上げます。

  • 新約聖書聖句の訳文のお願い

    1954年改訳の新約聖書『ローマ人への手紙』第12章3節について、英訳聖書の英文とかなり違いがあるようです。 ギリシャ語は分りませんが、きっと英訳のほうが原意に近いと思っています。 英文聖句を忠実に和訳いただければ幸甚です。また混乱しておる修飾関連を特にくわしくご説明いただければありがたいです。 For I say, through the grace that was given me, to every man that is among you, not to think of himself more highly than he ought to think; but so to think as to think soverly, according as God hath dealt to each man a measure of faith. ちなみに日本語聖書では以下のとおりです。 わたしは、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりびとりに言う。思うべき限度を越えて思いあがることなく、むしろ、神が各自に分け与えられた信仰の量りにしたがって、慎み深く思うべきである。 よろしくお願い申し上げます。

  • イエスの救いの本質は

    イエスの救いの本質は、キリスト教の言った方が良いのでしょうか。 私は余り賢くないものですから、難しい言葉は除いて頂き、判り易く10行以内に言って頂ければ幸いです、本質(要)でかまいません。 恐縮ですが、よろしく御願いします。