arayata333 の回答履歴

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  • たこ焼き!。

    こんにちは。 ふと思ったのですが自宅にタコ焼き機をお持ちの方って多いのでしょうか?。 先日スーパーで買うかどうか迷いまして・・・。 お持ちの方はどの位の頻度でお使いですか?。 また、美味しく作るコツなどありましたら是非ご紹介くださいませ。 宜しくお願い致します。 http://www.hatchando.co.jp/cm/index.html

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    • noname#67708
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  • あなたが一番好きな駄菓子は何ですか?

    みなさんが一番好きな駄菓子は何ですか? 私自身は一番はとんがりコーンです。 他にもかっぱえびせんも好きです。

  • 変態と変態の間にできた子供

    変態と変態の間にできた子供の性格はどうなると思いますか? 1 エロエロになる 2 正常 3 その他

  • 50代・60代の方教えてください 父の70歳のお祝いをしたいのですが

    37歳、男です。 父の70歳の誕生日が近づいてます。 今まで散々世話になっていながら、退職祝いや還暦のお祝いもしてあげることができませんでした。 私の兄弟は1つ上の姉がおりましたが3年前に急性心不全により他界しました。 現在両親は孫である私の姉の子(高校1年生)と3人暮らし。 今更ですが区切りの70歳ということで何かプレゼントやら何やら考えています。 どんな事をしてあげるのがいいでしょうか? またどんな事(モノ)をされたらうれしいですか? *予算には多少余裕があります。

  • 日本はサッカーワールドカップ出場を果たしますか?

    サッカーワールドカップ(2010年)のアジア最終予選のグループ分けが決定しましたが、率直にみなさんどのように思われますか? サッカー通な人も普段はサッカーみないという人の意見も理由とあわせて聞きたいです。 日本はラッキーな組にはいったと喜んでいる声もありますが、サッカーはそんなに甘くはない!と思います。 今やっているユーロ2008だって、波乱が多いし。 マスメディアはすぐFIFAランクとかで国の実力を判断しますが、そんなものは全くアテにならないでしょうね。日本はワールドカップ出場権をつかめるのでしょうか?

  • アナタの「あっ!」を教えてください。

    アナタが「あっ!」と感じた(or 思った)瞬間を さしつかえのないところを お教えください。

  • たまご(本当にくだらないので、暇な方だけどうぞ)

    目の前にたまごが置いてあります。 これをどう料理しても構いません。 あなたならどうしますか? 1.ゆでたまご 2.目玉焼き 3.玉子焼き 4.たまごごはん 5.スクランブルエッグ 6.その他 ※「食べない」は無しです。

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    • noname#73635
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  • 最近の柔道の質の低下を嘆く(技・ポイントの判定)

     柔道経験者で、二段です。最近、と言っても、特にアトランタオリンピック(1996年)の頃からですが、全日本選手権以外の大会で、「一本」「技あり」「有効」、さらに国際大会では「効果」を取る「取りどころ」とでも言うのでしょうか、「これなら一本」などと審判が取るところが、私が経験したり習ったりしたのと違ってきているというか、ずれてきているように感じるのです。  言葉で説明するのがなかなか難しいのですが、例えばアトランタオリンピックで野村忠宏選手が金メダルを取った決勝戦で「一本」が決まった場面ですが、私が審判だったら、せいぜい「有効」です。何だか、相手を背中に担いだまま、自分も一緒にその上に乗っかるようにしてジャンプして、そのまま畳についたら、それがポイントとして取られるのか、というのが、私には「技」として不十分に思えて、不満なのです。同様のポイントが、最近の試合に多いように思うのです。背負い投げ、肩車のときに多いですが、アテネオリンピックの内柴正人選手の決勝戦のときには、そのどれともつかない技「のようなもの」で、相手を一旦畳から引っ張り上げて、そのまま手を離してドン、と畳に落としただけで「一本」になるとは、嘉納治五郎先生やら木村政彦氏らが見たら目を覆いたくなるのではないか、とさえ思います。  「一本」は、「相手を勢いよく投げて、畳に背中をつける」、となったときに取られるべきもの、と認識しています。そして、「技あり」→「有効」→「効果」は、順に「それに準じるもの」として定義されているはずです。要するに、私がポイントとして認めるべきもの、と考えるのは、「技で投げたとき」にのみ限定すべき、というものです。早い話、背負い投げで相手を担いだ体勢で、相手を前に投げれば、私はそれで「一本」として文句はないのですが、最近の判定では、相手を担いだままジャンプして後ろにドン、と相手と一緒に畳に落ちるとか、横にゴロンと一回転しただけで「有効」とか「技あり」とか、ひどいときには「一本」とかが与えられる傾向にあります。  長々と書きましたが、まず、ひとえに審判の質の低下があり、それにつられてというか、甘えてというべきか、選手もそのような技(もどき)を仕掛け合うように、最近の柔道が変わってきたと思います。それでは私が何を望むかというと、オリンピック・世界選手権などで審判を務める人たちにライセンスを与えるには、古来の日本柔道の、「これぞ一本」というようなビデオを見せるなりして、研修・指導を徹底する、ということが必要であると思います。そうすると選手も、しっかりと技を磨くようになると思います。そうでないと、日本としては金メダルの数が増えてラッキーだったかもしれませんが、アテネでの内柴選手のような「技」で金メダルを取って喜んでいると、柔道の質の低下を招くことになると思うのです。  柔道にご意見をお持ちの方、上の私の意見に共感してはいただけないでしょうか。「一本を取る柔道」が美しく、真に強い武道の精神を追求することになると思います。現に私も、それを目指して苦しい稽古に耐えてきました。特に経験者の方のご意見を伺いたいです。乱文・長文でしたが、よろしくお願い致します。

  • 運動神経がないです

    僕は今高校生何ですけど今までスポーツを やってなくて運動神経が無く体育でもみんなとやる競技はいつも 足を引っ張ってしまいます。 だから夏休みだけ週1で何か球技系のスポーツを習おうと 思っているんですけど夏休みだけで運動神経はよくなりますか? 真剣に困ってます。

  • 体操

    高校で1年間体操しているのですが、いまだにこれといった技ができません。1年といっても、週1~2回なんで 倒立はうまく肩が入らずに止まることができません。 シンピもできません。つりがよくわかりません。どこに力を入れればいいのか。 側転は手と足が直線ではありません。進行方向に向けたまま、手首を返すことができませんし、何よりも上で肩が開ききってない状態です。後入るとき足がクロスしてしまいます。 ロンダートは側転と問題は同じですが両手の幅が広いってことと、ひねりきれていないってことです。 よけいに足がクロスしてしまいます。言い方かえると、直前に斜めから入ってしまいます。 ハンドスプリングはエバーマットですが一応できます。 問題は肩が出てたまにつぶれることと、倒立になるのが遅いことです。 バク転は跳んだ後、手がつくとき斜めに刺さり、足がそのままつぶれてしまいます。 放物線描いてそのままつぶれてしまいます。放物線の最後に腕が内側に入れません。ハートを半分にしたような線上を動くことが目標です。 自分でこのくらいはわかるんですが、練習方法がわかりません、がむしゃらです。部員二人なもんで。 肩が大きな問題だと思いますが、どのように練習すればよいのでしょうか。(本当は動画をみてもらいたいのですが。) 長々とした文章ですいませんがよろしくお願いします。

  • 情欲は 罪ですか

     《罪》とは ここでは そのおこないに対して あとで償わなければならないという性質のことを言います。必ずいわゆる罰とよぶべき悪い結果を伴なうという意図・意欲・おこないのことです。  《情欲》とは 一般的な意味に解してもらってよいと考えますが 例としてたとえば 次の文章の中に描かれた内容を言っています。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ・・・カルタゴでは いたるところで《恥ずべき情事の大釜(サルターゴー)がふつふつと音を立てていた》。アウグスティヌスは〔十六歳のとき〕まだ愛することを知らなかったけれども 《愛することを愛して 愛の対象を求めていた》。《愛し 愛されることが 私には甘美であり 愛する者の身体を享受することは なおさらに甘美であった》(『告白』3・1)。アウグスティヌスはやがてひとりの女性と同棲し 十八歳のときに一児の父となる。《情欲で結ばれた場合 子は親の意に反して生まれるのであるけれども 生まれた以上は愛さずにはいられない》(同上4・2)。男子はアデオダトゥスと名づけられた。・・・ (熊野純彦:『西洋哲学史 古代から中世へ』2006 p.169) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  * アウグスティヌス自身が 《恥ずべき》と言い 悔いて《告白》しているのですが 《罪》と見なすべきなのでしょうか という問いです。  * 《罪》の定義を改めるというご回答も あるかと考えます。  * わたし自身の少しく抱く考えは 《規範として罪を想定しその規範を振りかざすことは ありえないのではないか》 / また――いっそのこと極論を出して 話がすすむと言えるとするなら―― 《罪という言葉は それ自体 要らないのではないか》 と思うようになっています。  * 自由なご見解を述べて お答えを寄せてください。

  • 《左の頬をも向ける》とき 抵抗を排除していますか

     その一節全体を掲げます。  マタイ 5:38 「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。  5:39  しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。  5:40 あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。  5:41 だれかが、一ミリオン(* あるいは 千歩)行くように強いるなら、一緒に二ミリオン(* 二千歩)行きなさい。  5:42 求める者には与えなさい。あなたから借りようとする者に、背を向けてはならない。」  5:43 「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。  5:44 しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。  5:45 あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。  5:46 自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。  5:47 自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか。  5:48 だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」  * ここは 例の山上の垂訓が 《〔貧しい人 あるいは 心の貧しい人 もしくは〕 ただ神により頼む人は 幸いだ》から始まって 説教のごとく 述べられるところです。《腹を立ててはならない / 誓ってはならない》などとともに 《復讐してはならない / 敵を愛しなさい》と同じく要約される段落に当たります。  * さて このとき 抵抗してはいけないでしょうか。  * 読み方としての場合と そしてそれとは別に考える場合とがあると思いますが いづれのご回答でも 結構ですので ご見解をおしえてください。  * わたしは 抵抗派ですが どうも必ずしも 決まっていると限らないようで 当惑しています。わたしの立ち場から ご回答の内容について さらに細かく 分からないところをお尋ねすることがあるかと思いますが よろしくお願いいたします。

  • 人が 人のあやまちを赦すことができますか

     赦さない あるいは 赦してはいけない と言おうとするのではありません。  赦すことができない つまり その能力を持ち合わせていないのではないでしょうか。  あるいは もしこういう言葉を用いるとすれば 赦す権利も資格も ないのではないでしょうか。  このところ このような主題が 出ており 考えてきたのですが 上の結論に至りました。さらに検証し検討していきますが みなさんからも おしえていただきたいと思いました。  哲学の質問は こういう議論のような性格を帯び そのような経過をたどることは 避けられないことだと思います。つまり 自己の意見も ある場合には 提出するものと考えます。そういう出で立ちですが よろしくご回答をお寄せください。

  • 人が 人のあやまちを赦すことができますか

     赦さない あるいは 赦してはいけない と言おうとするのではありません。  赦すことができない つまり その能力を持ち合わせていないのではないでしょうか。  あるいは もしこういう言葉を用いるとすれば 赦す権利も資格も ないのではないでしょうか。  このところ このような主題が 出ており 考えてきたのですが 上の結論に至りました。さらに検証し検討していきますが みなさんからも おしえていただきたいと思いました。  哲学の質問は こういう議論のような性格を帯び そのような経過をたどることは 避けられないことだと思います。つまり 自己の意見も ある場合には 提出するものと考えます。そういう出で立ちですが よろしくご回答をお寄せください。

  • 最近の柔道の質の低下を嘆く(技・ポイントの判定)

     柔道経験者で、二段です。最近、と言っても、特にアトランタオリンピック(1996年)の頃からですが、全日本選手権以外の大会で、「一本」「技あり」「有効」、さらに国際大会では「効果」を取る「取りどころ」とでも言うのでしょうか、「これなら一本」などと審判が取るところが、私が経験したり習ったりしたのと違ってきているというか、ずれてきているように感じるのです。  言葉で説明するのがなかなか難しいのですが、例えばアトランタオリンピックで野村忠宏選手が金メダルを取った決勝戦で「一本」が決まった場面ですが、私が審判だったら、せいぜい「有効」です。何だか、相手を背中に担いだまま、自分も一緒にその上に乗っかるようにしてジャンプして、そのまま畳についたら、それがポイントとして取られるのか、というのが、私には「技」として不十分に思えて、不満なのです。同様のポイントが、最近の試合に多いように思うのです。背負い投げ、肩車のときに多いですが、アテネオリンピックの内柴正人選手の決勝戦のときには、そのどれともつかない技「のようなもの」で、相手を一旦畳から引っ張り上げて、そのまま手を離してドン、と畳に落としただけで「一本」になるとは、嘉納治五郎先生やら木村政彦氏らが見たら目を覆いたくなるのではないか、とさえ思います。  「一本」は、「相手を勢いよく投げて、畳に背中をつける」、となったときに取られるべきもの、と認識しています。そして、「技あり」→「有効」→「効果」は、順に「それに準じるもの」として定義されているはずです。要するに、私がポイントとして認めるべきもの、と考えるのは、「技で投げたとき」にのみ限定すべき、というものです。早い話、背負い投げで相手を担いだ体勢で、相手を前に投げれば、私はそれで「一本」として文句はないのですが、最近の判定では、相手を担いだままジャンプして後ろにドン、と相手と一緒に畳に落ちるとか、横にゴロンと一回転しただけで「有効」とか「技あり」とか、ひどいときには「一本」とかが与えられる傾向にあります。  長々と書きましたが、まず、ひとえに審判の質の低下があり、それにつられてというか、甘えてというべきか、選手もそのような技(もどき)を仕掛け合うように、最近の柔道が変わってきたと思います。それでは私が何を望むかというと、オリンピック・世界選手権などで審判を務める人たちにライセンスを与えるには、古来の日本柔道の、「これぞ一本」というようなビデオを見せるなりして、研修・指導を徹底する、ということが必要であると思います。そうすると選手も、しっかりと技を磨くようになると思います。そうでないと、日本としては金メダルの数が増えてラッキーだったかもしれませんが、アテネでの内柴選手のような「技」で金メダルを取って喜んでいると、柔道の質の低下を招くことになると思うのです。  柔道にご意見をお持ちの方、上の私の意見に共感してはいただけないでしょうか。「一本を取る柔道」が美しく、真に強い武道の精神を追求することになると思います。現に私も、それを目指して苦しい稽古に耐えてきました。特に経験者の方のご意見を伺いたいです。乱文・長文でしたが、よろしくお願い致します。

  • 自分の道がさだまらない。

    うつ病で会社を辞めさせられました。再就職したのですが、怒られすぎて再発しました。入院しても、自分が気がつかないまにストレスが溜まり、心神喪失の一歩手前まで行き、トラブルで退院しました。記憶をなくし、気がつくと、うつ状態で寝込んでいました。それから、今までいろんな職種に挑戦しましたが、結果的にすべてだめでした。 就職を決めるという事と同時に、自分のこままの自分で前に進む事が大切でだと思っています。今までは理想の自分を描いて、それに近ずく事を考えていましたが、その事が自分を責めていました。自己顕示欲が強く、わがままで、落ち込むと暗い事しか言えなくて、少ししんどい事があるとやる気のない気持ちと態度が出て、落ち込んだ気持ちが人の誠意に答える力を無くし、どこに行っても嫌われる人間です。 もう、自分で決めて自分で歩まないと行けないのに、迷い、悩み、心は割れて、揺れ動いてます。どう動こうか迷っています。

  • 自分の道がさだまらない。

    うつ病で会社を辞めさせられました。再就職したのですが、怒られすぎて再発しました。入院しても、自分が気がつかないまにストレスが溜まり、心神喪失の一歩手前まで行き、トラブルで退院しました。記憶をなくし、気がつくと、うつ状態で寝込んでいました。それから、今までいろんな職種に挑戦しましたが、結果的にすべてだめでした。 就職を決めるという事と同時に、自分のこままの自分で前に進む事が大切でだと思っています。今までは理想の自分を描いて、それに近ずく事を考えていましたが、その事が自分を責めていました。自己顕示欲が強く、わがままで、落ち込むと暗い事しか言えなくて、少ししんどい事があるとやる気のない気持ちと態度が出て、落ち込んだ気持ちが人の誠意に答える力を無くし、どこに行っても嫌われる人間です。 もう、自分で決めて自分で歩まないと行けないのに、迷い、悩み、心は割れて、揺れ動いてます。どう動こうか迷っています。

  • 20代です。もう銀行を辞めたいんです。とてもじゃないですけど僕には銀行業務は無理です。

    東京の都内の銀行に勤めています。現在3年目になります。 田舎から東京の大学に進学して卒業と同時に都内の銀行に就職。 はたから見ればうらやましいと思うかもしれません。 しかし毎日が地獄です。地獄とは毎日罵倒されたり、忙しすぎて目が回ったり、暴力を受けたりではありません。 仕事ができない、物覚えが悪い、営業センスがない、お客からクレームがくる、仕事を任されてもミスを犯す。 仕事でミスを犯すというのは、書類をなくす。お客様のデーターを消す。鍵をなくして大騒ぎになったこともありました。(これはもう銀行員として致命的なミスですよね)まあどれもこれもあってはならないミスになりますが。 そんなこんなで仕事をまわしてもらえなくなりました。「君に仕事を振るくらいなら自分でやったほうが簡単に済むし君に仕事を振るのは危険だ、取り返しのつかないミスを犯す」という感じでしょうか。 任される仕事といえば、営業車や営業自転車を番号順に並べたり、飲み会の席の店の予約、ダンボールの整理、その他もろもろです。まるで用務員です。(あくまでも用務員の方を見下しているのではなく銀行員として入行したのに違う職種の仕事をしているという意味です) 後輩もいますが後輩のほうが明らかに必要とされていますし 「○○さん(女性)でもそのくらいはできるんだぞ。何でお前はできないんだ」といわれることもしばしば。銀行はやはり男が率先して引っ張るという雰囲気が今でも抜けていません。 そんなこんなで毎日銀行に行くのがつらいです。何をしに行ってるのかわからないからです。誰も声をかけてくれなくなりました。僕の存在は空気です。もちろん仕事中も気まずくて毎日おどおどしています。まあでも営業車を駐車場に順番に並べるときは気楽ですよ。独りになれるし二時間は時間つぶせるし。 しかしお給料やボーナスをもらうのが非常に心苦しいです。 いわゆる給料泥棒だからです。 まあ学生時代からアルバイトをしても使えない人間でしたけど…。 辞めようかと思います、いや辞めたいです。田舎の両親にも電話で相談します。しかし両親は厳格で古い人なので「銀行を辞めるなんてそんなの許さん!」という感じでしょうか。 どうすればいいでしょうか。

  • 自分の道がさだまらない。

    うつ病で会社を辞めさせられました。再就職したのですが、怒られすぎて再発しました。入院しても、自分が気がつかないまにストレスが溜まり、心神喪失の一歩手前まで行き、トラブルで退院しました。記憶をなくし、気がつくと、うつ状態で寝込んでいました。それから、今までいろんな職種に挑戦しましたが、結果的にすべてだめでした。 就職を決めるという事と同時に、自分のこままの自分で前に進む事が大切でだと思っています。今までは理想の自分を描いて、それに近ずく事を考えていましたが、その事が自分を責めていました。自己顕示欲が強く、わがままで、落ち込むと暗い事しか言えなくて、少ししんどい事があるとやる気のない気持ちと態度が出て、落ち込んだ気持ちが人の誠意に答える力を無くし、どこに行っても嫌われる人間です。 もう、自分で決めて自分で歩まないと行けないのに、迷い、悩み、心は割れて、揺れ動いてます。どう動こうか迷っています。

  • 介護・暴力を乗り越えました!!

    こんばんは。 わたくしは、ただ今慢性疲労で療養中です。 でも、母の老人ホームには、必ず笑顔で行き、ついでに診察までしてきます。帰ると疲れで、しゃがみこんでしまいます。家庭内暴力にも11年間耐えて、母の介護も8年間お下の世話を仕事から帰って、ほとんど睡眠時間なくやってきました。今は母が落ち着き、ようやく自分のことを考えることができるようになりました。暴力をふるう弟は親の世話もせず、のうのうと暮らしています。でもわたくしは大好きな母とおしゃべりするのが生き甲斐です。それほど頑張ったわたくしは誉めていただけるでしょうか。