arayata333 の回答履歴

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  • 存在と存在理由とは どちらが大切ですか

     前者だと考えるのですが もし  ○ 生命を賭してでも これこれの使命を果たせ  という存在理由を持ったとした場合 どう考えるでしょうか。  A. 存在こそが大事なのだから その使命とやらが あやしいと考えるのか。  B. いやいや おのれの生涯を賭けた使命としての存在理由なら 存在そのものなのだから おのづと答えは知れているとなるのか。  * 人間は考える葦だとは よく言ったものですね。このことで考える余地があるということが 人間なのでしょうか。

  • 存在と存在理由とは どちらが大切ですか

     前者だと考えるのですが もし  ○ 生命を賭してでも これこれの使命を果たせ  という存在理由を持ったとした場合 どう考えるでしょうか。  A. 存在こそが大事なのだから その使命とやらが あやしいと考えるのか。  B. いやいや おのれの生涯を賭けた使命としての存在理由なら 存在そのものなのだから おのづと答えは知れているとなるのか。  * 人間は考える葦だとは よく言ったものですね。このことで考える余地があるということが 人間なのでしょうか。

  • 人の命の重さは同じか?

    皆さんこんにちは。 人の命の重さは同じなのでしょうか? 例えば、強盗、強姦を繰り返して刑務所から出所してきた 人間と、真面目一筋で生きてきた人間の命は、後者のほうが 重くなければいけないと感じるのですが、どうなのでしょうか? 観光船で遭難したとき、社気的地位のある人が、自分は世の中で 必要な人間なんだから先に助けろ。と、主張したりするのを 映画やドラマで観たことがあるのですが、これはある意味あって いるようで、そんなことくらいでは人の命はかわらないとも 思えるのですが、どうなのでしょうか? 仮に人により命の軽重があったときの線引きはどこなのでしょうか? 社会的地位、金のあるなし、性別、年齢。。など、考えられると 思うのですが、「人の命は同じではない」と思われてる方は、どの 辺りの線引きでそれを考えられるのか、教えていただけば幸いです。 なお、先ほど「正しい宗教とは? 」という質問をポイントを 入れて締め切りましたら、ポイントを入れた以外の人の回答が 全部削除されてしまいましたー   どうやら最近システムの変更があったようなのでご容赦ください。

  • わたしはなぜここに存在するのか?

    なぜわたしは今ここにいるのですか? なぜ生まれてきたのですか? なぜ過去にも今も多分未来にも存在し続けるのですか? なぜ生きているのですか? 存在しなくなった場合はどうなるのですか? よろしくお願いします。

  • もっと実用的な哲学はないものでしょうか?

    ニーチェ、キルケゴール、フーコなどなどの著作を読んでる(乱読)のですが、けっして下らないとは言いませんが(むしろ「古典」や「基礎」としては大変価値がある)、正直、現代とはかけ離れていて何処か「机上の論理」めいたものを感じます。 回りくどいうえに、大して重要ではない事を難解な言葉で長々と綴っている…そんな印象を受けます。 確かにまだ既定の概念がなく、あるいはそこからさらに未来の先端を切り開いたという意味では、「当時」としては画期的であり革命的だったかもしれません。 また、哲学は「学問」であり、「教訓ではない」というのも分かります。 ただ、ここ最近読んだ書物の中で一番為になったのは、カーネギーの経営関係にまつわる経済本でした(経済といえど「人間」が主体であり、欲望が習性が如実に表れる分野で、ある意味哲学“彼らは失敗すれば文字通り「死」が待っているので”の領域かなと感じました) あとは孔子の教えが現在参考になっています(ただ、儒教は何処かもう古い気がします…) 最近は知人からサルトルの実存主義の方をすすめられています(ニーチェやキルケゴールでは古典といえやや古いとの事…)。 そういえば、最近(でもないかもしれませんが)フランスか何処かの国で、著名な先生が「意味のない理論」を‘画期的な理論’として発表したら絶賛されて、ネタばらしした事件があったような…。 もっと実践的(最先端?)な哲学を探しているのですが、お勧めはありますでしょうか?

  • 存在と存在理由とは どちらが大切ですか

     前者だと考えるのですが もし  ○ 生命を賭してでも これこれの使命を果たせ  という存在理由を持ったとした場合 どう考えるでしょうか。  A. 存在こそが大事なのだから その使命とやらが あやしいと考えるのか。  B. いやいや おのれの生涯を賭けた使命としての存在理由なら 存在そのものなのだから おのづと答えは知れているとなるのか。  * 人間は考える葦だとは よく言ったものですね。このことで考える余地があるということが 人間なのでしょうか。

  • 存在と存在理由とは どちらが大切ですか

     前者だと考えるのですが もし  ○ 生命を賭してでも これこれの使命を果たせ  という存在理由を持ったとした場合 どう考えるでしょうか。  A. 存在こそが大事なのだから その使命とやらが あやしいと考えるのか。  B. いやいや おのれの生涯を賭けた使命としての存在理由なら 存在そのものなのだから おのづと答えは知れているとなるのか。  * 人間は考える葦だとは よく言ったものですね。このことで考える余地があるということが 人間なのでしょうか。

  • 存在と存在理由とは どちらが大切ですか

     前者だと考えるのですが もし  ○ 生命を賭してでも これこれの使命を果たせ  という存在理由を持ったとした場合 どう考えるでしょうか。  A. 存在こそが大事なのだから その使命とやらが あやしいと考えるのか。  B. いやいや おのれの生涯を賭けた使命としての存在理由なら 存在そのものなのだから おのづと答えは知れているとなるのか。  * 人間は考える葦だとは よく言ったものですね。このことで考える余地があるということが 人間なのでしょうか。

  • 存在と存在理由とは どちらが大切ですか

     前者だと考えるのですが もし  ○ 生命を賭してでも これこれの使命を果たせ  という存在理由を持ったとした場合 どう考えるでしょうか。  A. 存在こそが大事なのだから その使命とやらが あやしいと考えるのか。  B. いやいや おのれの生涯を賭けた使命としての存在理由なら 存在そのものなのだから おのづと答えは知れているとなるのか。  * 人間は考える葦だとは よく言ったものですね。このことで考える余地があるということが 人間なのでしょうか。

  • 存在と存在理由とは どちらが大切ですか

     前者だと考えるのですが もし  ○ 生命を賭してでも これこれの使命を果たせ  という存在理由を持ったとした場合 どう考えるでしょうか。  A. 存在こそが大事なのだから その使命とやらが あやしいと考えるのか。  B. いやいや おのれの生涯を賭けた使命としての存在理由なら 存在そのものなのだから おのづと答えは知れているとなるのか。  * 人間は考える葦だとは よく言ったものですね。このことで考える余地があるということが 人間なのでしょうか。

  • 正しい宗教とは?

    皆さんこんにちは。 私が昔読んだ本なのですが、死後どうすれば天国に 行くことができず、地獄に落ちるのか? 現世で何をすればあの世で罪が重くなるのか? と、いうような内容の事を書いていました。 この世でする殺人などは、それほど罪が重くもないらしく 現世で一番罪が重いのは、誤った宗教を広める事らしいの ですが、その誤った宗教というのがいまいち、よくわかりません。 おそらくその意味は、本当の教えを正確に広めないといけない。 というような事だろうと思うのですが。 でも、どの宗教が正しく、どの宗教が誤っているか、というのは、 結構判断が難しいのではないかと思っています。 しかし、お金がたくさん必要な宗教や、なんか変な商売を して利益を上げなくてはいけない宗教は、私のような素人目で 見ても「あやしい」とは思っています。 では正しい宗教や、誤っている宗教を見分ける基準は、他に 何かありますでしょうか?

  • 「自分を責める」=「自分をほめる」??

    自分を責めることは、自分をほめることなのでしょうか。 ある本にそう書いてあったのですが、納得がいかずにいます。 なぜ責める行為がほめるにつながるのでしょうか。考えても考えてもよくわかりません。。。 どなたかお暇なときに、くわしく説明していただけるとうれしいです。

  • 存在と存在理由とは どちらが大切ですか

     前者だと考えるのですが もし  ○ 生命を賭してでも これこれの使命を果たせ  という存在理由を持ったとした場合 どう考えるでしょうか。  A. 存在こそが大事なのだから その使命とやらが あやしいと考えるのか。  B. いやいや おのれの生涯を賭けた使命としての存在理由なら 存在そのものなのだから おのづと答えは知れているとなるのか。  * 人間は考える葦だとは よく言ったものですね。このことで考える余地があるということが 人間なのでしょうか。

  • 偽善は何故「悪である」のか?そうなら一体どうしろと言うの?

    しない善よりする偽善という発言もありますが、大体偽善って悪く言われる気がします。 何故でしょうか。 自分の心が綺麗だと思い込んでいる? 自分の名誉のために人を利用している? 綺麗なことは綺麗な心でしなければならない? それとも、全ての人は綺麗な心を持たなければならない? ?? でもここでまた一つ疑問。 心は個人の力ではどうにかするのはかなり難しいと思うけど、じゃあ「偽善者」は一体どうしたら良いのでしょうか。 そういう意見はあまり見かけません。 頭で分かっていても何もするな? やり方が売名的で、そのやり方を変えろ?(チャリティーイベントについてなら、こういう発言は見たことあります) 以上、些細なヒントでも下さるとうれしいです。

  • もっと実用的な哲学はないものでしょうか?

    ニーチェ、キルケゴール、フーコなどなどの著作を読んでる(乱読)のですが、けっして下らないとは言いませんが(むしろ「古典」や「基礎」としては大変価値がある)、正直、現代とはかけ離れていて何処か「机上の論理」めいたものを感じます。 回りくどいうえに、大して重要ではない事を難解な言葉で長々と綴っている…そんな印象を受けます。 確かにまだ既定の概念がなく、あるいはそこからさらに未来の先端を切り開いたという意味では、「当時」としては画期的であり革命的だったかもしれません。 また、哲学は「学問」であり、「教訓ではない」というのも分かります。 ただ、ここ最近読んだ書物の中で一番為になったのは、カーネギーの経営関係にまつわる経済本でした(経済といえど「人間」が主体であり、欲望が習性が如実に表れる分野で、ある意味哲学“彼らは失敗すれば文字通り「死」が待っているので”の領域かなと感じました) あとは孔子の教えが現在参考になっています(ただ、儒教は何処かもう古い気がします…) 最近は知人からサルトルの実存主義の方をすすめられています(ニーチェやキルケゴールでは古典といえやや古いとの事…)。 そういえば、最近(でもないかもしれませんが)フランスか何処かの国で、著名な先生が「意味のない理論」を‘画期的な理論’として発表したら絶賛されて、ネタばらしした事件があったような…。 もっと実践的(最先端?)な哲学を探しているのですが、お勧めはありますでしょうか?

  • なぜ人は心配をするのか?

    皆さんこんにちは。 心配はしようがせまいが、物事はなるようにしかなりません。 心配というのはまったく無駄な行為であり、むしろ精神的 苦痛が感じられマイナスな行為のはずです。 それなのに、なぜ人は心配をするのでしょうか? もし、人に心配をする機能がなければ、どうなるのですか?

  • 偽善は何故「悪である」のか?そうなら一体どうしろと言うの?

    しない善よりする偽善という発言もありますが、大体偽善って悪く言われる気がします。 何故でしょうか。 自分の心が綺麗だと思い込んでいる? 自分の名誉のために人を利用している? 綺麗なことは綺麗な心でしなければならない? それとも、全ての人は綺麗な心を持たなければならない? ?? でもここでまた一つ疑問。 心は個人の力ではどうにかするのはかなり難しいと思うけど、じゃあ「偽善者」は一体どうしたら良いのでしょうか。 そういう意見はあまり見かけません。 頭で分かっていても何もするな? やり方が売名的で、そのやり方を変えろ?(チャリティーイベントについてなら、こういう発言は見たことあります) 以上、些細なヒントでも下さるとうれしいです。

  • 「もっと自分に自信を持って!」というのは無責任な発言では?

    自信のない人に「もっと自分に自信を持って!」と言うのは、 そばアレルギーのある人に、「根性でそばアレルギーを克服して、おそばを食べられるようになって!」と言うのと同じようなことではないかと以前から考えています。 「本人でもそれはどうにもしようがないのだ」という理解で受け容れられるべきものが世の中には色々あるように思いますが、どうでしょうか?

  • もっと実用的な哲学はないものでしょうか?

    ニーチェ、キルケゴール、フーコなどなどの著作を読んでる(乱読)のですが、けっして下らないとは言いませんが(むしろ「古典」や「基礎」としては大変価値がある)、正直、現代とはかけ離れていて何処か「机上の論理」めいたものを感じます。 回りくどいうえに、大して重要ではない事を難解な言葉で長々と綴っている…そんな印象を受けます。 確かにまだ既定の概念がなく、あるいはそこからさらに未来の先端を切り開いたという意味では、「当時」としては画期的であり革命的だったかもしれません。 また、哲学は「学問」であり、「教訓ではない」というのも分かります。 ただ、ここ最近読んだ書物の中で一番為になったのは、カーネギーの経営関係にまつわる経済本でした(経済といえど「人間」が主体であり、欲望が習性が如実に表れる分野で、ある意味哲学“彼らは失敗すれば文字通り「死」が待っているので”の領域かなと感じました) あとは孔子の教えが現在参考になっています(ただ、儒教は何処かもう古い気がします…) 最近は知人からサルトルの実存主義の方をすすめられています(ニーチェやキルケゴールでは古典といえやや古いとの事…)。 そういえば、最近(でもないかもしれませんが)フランスか何処かの国で、著名な先生が「意味のない理論」を‘画期的な理論’として発表したら絶賛されて、ネタばらしした事件があったような…。 もっと実践的(最先端?)な哲学を探しているのですが、お勧めはありますでしょうか?

  • もっと実用的な哲学はないものでしょうか?

    ニーチェ、キルケゴール、フーコなどなどの著作を読んでる(乱読)のですが、けっして下らないとは言いませんが(むしろ「古典」や「基礎」としては大変価値がある)、正直、現代とはかけ離れていて何処か「机上の論理」めいたものを感じます。 回りくどいうえに、大して重要ではない事を難解な言葉で長々と綴っている…そんな印象を受けます。 確かにまだ既定の概念がなく、あるいはそこからさらに未来の先端を切り開いたという意味では、「当時」としては画期的であり革命的だったかもしれません。 また、哲学は「学問」であり、「教訓ではない」というのも分かります。 ただ、ここ最近読んだ書物の中で一番為になったのは、カーネギーの経営関係にまつわる経済本でした(経済といえど「人間」が主体であり、欲望が習性が如実に表れる分野で、ある意味哲学“彼らは失敗すれば文字通り「死」が待っているので”の領域かなと感じました) あとは孔子の教えが現在参考になっています(ただ、儒教は何処かもう古い気がします…) 最近は知人からサルトルの実存主義の方をすすめられています(ニーチェやキルケゴールでは古典といえやや古いとの事…)。 そういえば、最近(でもないかもしれませんが)フランスか何処かの国で、著名な先生が「意味のない理論」を‘画期的な理論’として発表したら絶賛されて、ネタばらしした事件があったような…。 もっと実践的(最先端?)な哲学を探しているのですが、お勧めはありますでしょうか?