arayata333 の回答履歴

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  • 美は社会に強力な作用を起こしえるでしょうか?

    美といってもさまざまな定義があると思います。 すでにあなたが美に対して持っている概念でお答えください。 強力な作用ではなくても社会に何かしら与えるであろうと思うことがあればぜひお答えください。

  • 本物からはどうしてオーラが出る?

    特にピカソやマティスの鉛筆描きでは、たんなる鉛筆の線から光と言うか、ぼんやりとしたオーラを感じ取ることができます。しかし、いったいなぜそのようなことが可能なのでしょうか? 単に「絵が上手」なひとからは、そういったものを感じ取ることはできません。(これはたとえば書画にも通じるのでしょうが)。 深い精神性の所作といえばそれまででしょうし、多くの芸術家はそのレベルに達するまでを一生かけて目指しているのだとは思いますが、「本物性」を獲得する精神と技術のプロセスはいかなるものでしょうか。こういうことを真剣に論じている本なども少ないように思われますが、なにかお薦めのものがありましたらご紹介ください。 (はじめ美術のカテに質問したのですが、美学の領域かと思って再度質問しています。)

  • 芸銃的な生き方とは?

    この領域を歩む人、または天才と呼ばれる人は芸術的な生き方をすべき、なのか。それとも芸術的な生き方がより芸術家を、天才を生む基盤になるのか、いずれなのでしょうか? 質問の意義をうまく解説できないので、回答をいただいてお礼や補足などでそれを説明していこうと思います。

  • 芸銃的な生き方とは?

    この領域を歩む人、または天才と呼ばれる人は芸術的な生き方をすべき、なのか。それとも芸術的な生き方がより芸術家を、天才を生む基盤になるのか、いずれなのでしょうか? 質問の意義をうまく解説できないので、回答をいただいてお礼や補足などでそれを説明していこうと思います。

  • 芸銃的な生き方とは?

    この領域を歩む人、または天才と呼ばれる人は芸術的な生き方をすべき、なのか。それとも芸術的な生き方がより芸術家を、天才を生む基盤になるのか、いずれなのでしょうか? 質問の意義をうまく解説できないので、回答をいただいてお礼や補足などでそれを説明していこうと思います。

  • 現代芸術における表現形式は どうなんですか

     アニメ・マンガ・TVドラマ・映画そして小説 さしづめ これらの分野で 先端をゆく表現には どんな形式がありますか。どんな思想として捉えられますかというのが 趣旨ですが 社会の流れや世界の動きの中で 作品が どのように位置づけられるのかとしてなど おしえてください。  芸術至上主義という考え方があります。表現が それ自体として いろんな意味でともかく よいというのであれば それでよいという思想です。  ▲ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  【恋愛至上主義】とは、  恋愛を人間における最高の価値と考える思想・思考形態を指す。結婚後であったとしても、恋愛の情熱が無くなれば別れることを選び、また他の異性と恋愛に走ることもやむを得ずとする主義である。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%8B%E6%84%9B%E8%87%B3%E4%B8%8A%E4%B8%BB%E7%BE%A9 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ とヰキぺディアにありましたが(――ちなみに 芸術至上主義は まだ作成されていませんでした――) これに沿って考えるなら 《つくり捨て・使い捨て》の傾向があるとも 邪推されて来ます。  とは言うものの 現代においては 単に《ロマン主義》的であるとか《幻想的で退廃的》であったり《神秘的》であったりするとかすれば おもしろいとは限らなくなっているのではないでしょうか。複雑であります。  推測するに 《物理学や生物学の成果を ふんだんに取り入れて そのあと 想像力によって飛躍させるかたち》ではないかと思います。そうだとすると 想像力の用い方が 問題になるでしょうか。  (このQ&Aで 《ワ゛テック》という小説を勧められて読んだことがあります。これは 神学が取り入れられていました)。  (同じく ここで 《ナルト》を勧められ その解説を読みました。解説だけで 長かった。よく分からなかったぁ。《エワ゛ンゲリオン》も解説を読んだ記憶がありますが もうよく覚えていません)。  昨今 資本至上主義とも言うべきマネーゲームが 大きな失敗に陥り そのような貨幣論理の追求は ひととおりの限界に到ったとも言われます。ひととおり暴れまくったわけです。芸術表現に関しては いかがあい成っているでしょうか。ふと 関心が湧きました。  上記の芸術分野に関することは すべて 憶測です。したがって その分 具体的な内容にかんしては 話が合わないかとは思いますが よろしくお願いいたします。  ともかく 今頃ですが 芸術評論も 重要ではないかと思ったので(と言っても そこに首を突っ込もうとは思っていませんが) とりあえず みなさんから おしえを乞いたいと考えました。

  • 現代芸術における表現形式は どうなんですか

     アニメ・マンガ・TVドラマ・映画そして小説 さしづめ これらの分野で 先端をゆく表現には どんな形式がありますか。どんな思想として捉えられますかというのが 趣旨ですが 社会の流れや世界の動きの中で 作品が どのように位置づけられるのかとしてなど おしえてください。  芸術至上主義という考え方があります。表現が それ自体として いろんな意味でともかく よいというのであれば それでよいという思想です。  ▲ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  【恋愛至上主義】とは、  恋愛を人間における最高の価値と考える思想・思考形態を指す。結婚後であったとしても、恋愛の情熱が無くなれば別れることを選び、また他の異性と恋愛に走ることもやむを得ずとする主義である。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%8B%E6%84%9B%E8%87%B3%E4%B8%8A%E4%B8%BB%E7%BE%A9 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ とヰキぺディアにありましたが(――ちなみに 芸術至上主義は まだ作成されていませんでした――) これに沿って考えるなら 《つくり捨て・使い捨て》の傾向があるとも 邪推されて来ます。  とは言うものの 現代においては 単に《ロマン主義》的であるとか《幻想的で退廃的》であったり《神秘的》であったりするとかすれば おもしろいとは限らなくなっているのではないでしょうか。複雑であります。  推測するに 《物理学や生物学の成果を ふんだんに取り入れて そのあと 想像力によって飛躍させるかたち》ではないかと思います。そうだとすると 想像力の用い方が 問題になるでしょうか。  (このQ&Aで 《ワ゛テック》という小説を勧められて読んだことがあります。これは 神学が取り入れられていました)。  (同じく ここで 《ナルト》を勧められ その解説を読みました。解説だけで 長かった。よく分からなかったぁ。《エワ゛ンゲリオン》も解説を読んだ記憶がありますが もうよく覚えていません)。  昨今 資本至上主義とも言うべきマネーゲームが 大きな失敗に陥り そのような貨幣論理の追求は ひととおりの限界に到ったとも言われます。ひととおり暴れまくったわけです。芸術表現に関しては いかがあい成っているでしょうか。ふと 関心が湧きました。  上記の芸術分野に関することは すべて 憶測です。したがって その分 具体的な内容にかんしては 話が合わないかとは思いますが よろしくお願いいたします。  ともかく 今頃ですが 芸術評論も 重要ではないかと思ったので(と言っても そこに首を突っ込もうとは思っていませんが) とりあえず みなさんから おしえを乞いたいと考えました。

  • 本当の愛ってなんなんでしょうか?

    本当の愛ってなんなんでしょうか? 私は以前から自己犠牲の上に愛がある。 そう考えていました。 けれども、その考えに矛盾を抱くようになりました。 犠牲と考えているうちは愛ではないという矛盾です。 うまく伝わるでしょうか。 自己犠牲の上になりたっていた愛だから、とても苦しいものでした。 病気になるほど苦しいものでした。 それでは、本当の愛とはいったいなんなんでしょうか? 自分を捨てずに愛が語れるものなのでしょうか? 哲学という意味もよく解っていないのですが(一応ウィキペディアは確認しました)、こちらのカテゴリーで質問させていただきます。 今は、純粋に愛の意味が知りたいのです。

  • 十字架に接吻

    私に信仰はありませんが、キリスト教に疑問があります。 クリスチャンはよく十字架にキスするんですよね。 そして、イエスも十字架を背負いゴルゴタの丘に向う途中 「死を達成させるための十字架」に接吻した。 完全無欠の神には憎悪とか軽蔑という不の感情など必要がない。 仮に慈悲深いということは善悪の規則がないに等しいということであっても、 キリスト教では感謝を示す行為のようにも映ります。 それを人間である信者が真似てみたところで感情的になるばかりではありませんか? どうして残酷な十字架を愛でるかのように、 とてもありがたいもののように扱っているのですか?

  • 現代芸術における表現形式は どうなんですか

     アニメ・マンガ・TVドラマ・映画そして小説 さしづめ これらの分野で 先端をゆく表現には どんな形式がありますか。どんな思想として捉えられますかというのが 趣旨ですが 社会の流れや世界の動きの中で 作品が どのように位置づけられるのかとしてなど おしえてください。  芸術至上主義という考え方があります。表現が それ自体として いろんな意味でともかく よいというのであれば それでよいという思想です。  ▲ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  【恋愛至上主義】とは、  恋愛を人間における最高の価値と考える思想・思考形態を指す。結婚後であったとしても、恋愛の情熱が無くなれば別れることを選び、また他の異性と恋愛に走ることもやむを得ずとする主義である。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%8B%E6%84%9B%E8%87%B3%E4%B8%8A%E4%B8%BB%E7%BE%A9 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ とヰキぺディアにありましたが(――ちなみに 芸術至上主義は まだ作成されていませんでした――) これに沿って考えるなら 《つくり捨て・使い捨て》の傾向があるとも 邪推されて来ます。  とは言うものの 現代においては 単に《ロマン主義》的であるとか《幻想的で退廃的》であったり《神秘的》であったりするとかすれば おもしろいとは限らなくなっているのではないでしょうか。複雑であります。  推測するに 《物理学や生物学の成果を ふんだんに取り入れて そのあと 想像力によって飛躍させるかたち》ではないかと思います。そうだとすると 想像力の用い方が 問題になるでしょうか。  (このQ&Aで 《ワ゛テック》という小説を勧められて読んだことがあります。これは 神学が取り入れられていました)。  (同じく ここで 《ナルト》を勧められ その解説を読みました。解説だけで 長かった。よく分からなかったぁ。《エワ゛ンゲリオン》も解説を読んだ記憶がありますが もうよく覚えていません)。  昨今 資本至上主義とも言うべきマネーゲームが 大きな失敗に陥り そのような貨幣論理の追求は ひととおりの限界に到ったとも言われます。ひととおり暴れまくったわけです。芸術表現に関しては いかがあい成っているでしょうか。ふと 関心が湧きました。  上記の芸術分野に関することは すべて 憶測です。したがって その分 具体的な内容にかんしては 話が合わないかとは思いますが よろしくお願いいたします。  ともかく 今頃ですが 芸術評論も 重要ではないかと思ったので(と言っても そこに首を突っ込もうとは思っていませんが) とりあえず みなさんから おしえを乞いたいと考えました。

  • 本当の愛ってなんなんでしょうか?

    本当の愛ってなんなんでしょうか? 私は以前から自己犠牲の上に愛がある。 そう考えていました。 けれども、その考えに矛盾を抱くようになりました。 犠牲と考えているうちは愛ではないという矛盾です。 うまく伝わるでしょうか。 自己犠牲の上になりたっていた愛だから、とても苦しいものでした。 病気になるほど苦しいものでした。 それでは、本当の愛とはいったいなんなんでしょうか? 自分を捨てずに愛が語れるものなのでしょうか? 哲学という意味もよく解っていないのですが(一応ウィキペディアは確認しました)、こちらのカテゴリーで質問させていただきます。 今は、純粋に愛の意味が知りたいのです。

  • 復活とは? 不死の境地とは?

     健康が保たれている・損なわれているにかかわらず わたしたちは 言ってみれば 余命いくばくかの状態で生きています。百年・八十年・・・・三十年・二十年というふうに たとえ明確にではなくとも まちがいのない形で 余命は決まっています。  そこで持ち上がるのが 人生論です。  哲学がいやしくも 幸福を主題にするかぎりで 人生論の行きつくところは 浄福あるいは覚りとは何ぞやです。   この現在の肉(身体=精神)の生をも超えて 再生=復活あるいは不死の境地という想定にまで わたしたちの想像力もしくは直観力は 伸びるようです。  最近 次のような概念もしくは考え方を反芻しました。  1. すべてを 終わり=目的から 始める。  2. では 終わりは どこにおくか。  3. 永遠の現在というばあいにも 千年あるいは五百年を生きつづけても 退屈であるのではないか。  4. 一たん死んで そのあとの再生なのか。それとも そうではなく いまの体のまま 二百年ないし百五十年を生きるというのか。(二百年なら 実際問題としては 永遠であるだろう)。  ・・・(かなしいかな ここまでで止まりました)。  この《終わり=最終目的=意志の休息》の議論について ご見解を述べて おしえていただけませんか。  復活については 一定の解釈を 持っていますが――つまり 《真理が すべてにおいて すべてである》というものですが―― ほかにもおしえてください。  不死の境地については 解脱・涅槃あるいは清浄心のことだとまでは理解しますが おしえを乞いたいと思います。(ブッダ葬送とまで言っている人間ですが よろしかったら ご教授ください)。  あるいは 非・復活の論 反・再生の説 その他その他についても おしえてください。  あるいは ひょっとして 理想社会の議論とつながっているのかとも思ったりします。自由なご見解をお寄せください。

  • 十字架に接吻

    私に信仰はありませんが、キリスト教に疑問があります。 クリスチャンはよく十字架にキスするんですよね。 そして、イエスも十字架を背負いゴルゴタの丘に向う途中 「死を達成させるための十字架」に接吻した。 完全無欠の神には憎悪とか軽蔑という不の感情など必要がない。 仮に慈悲深いということは善悪の規則がないに等しいということであっても、 キリスト教では感謝を示す行為のようにも映ります。 それを人間である信者が真似てみたところで感情的になるばかりではありませんか? どうして残酷な十字架を愛でるかのように、 とてもありがたいもののように扱っているのですか?

  • 芸銃的な生き方とは?

    この領域を歩む人、または天才と呼ばれる人は芸術的な生き方をすべき、なのか。それとも芸術的な生き方がより芸術家を、天才を生む基盤になるのか、いずれなのでしょうか? 質問の意義をうまく解説できないので、回答をいただいてお礼や補足などでそれを説明していこうと思います。

  • 芸銃的な生き方とは?

    この領域を歩む人、または天才と呼ばれる人は芸術的な生き方をすべき、なのか。それとも芸術的な生き方がより芸術家を、天才を生む基盤になるのか、いずれなのでしょうか? 質問の意義をうまく解説できないので、回答をいただいてお礼や補足などでそれを説明していこうと思います。

  • 現代芸術における表現形式は どうなんですか

     アニメ・マンガ・TVドラマ・映画そして小説 さしづめ これらの分野で 先端をゆく表現には どんな形式がありますか。どんな思想として捉えられますかというのが 趣旨ですが 社会の流れや世界の動きの中で 作品が どのように位置づけられるのかとしてなど おしえてください。  芸術至上主義という考え方があります。表現が それ自体として いろんな意味でともかく よいというのであれば それでよいという思想です。  ▲ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  【恋愛至上主義】とは、  恋愛を人間における最高の価値と考える思想・思考形態を指す。結婚後であったとしても、恋愛の情熱が無くなれば別れることを選び、また他の異性と恋愛に走ることもやむを得ずとする主義である。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%8B%E6%84%9B%E8%87%B3%E4%B8%8A%E4%B8%BB%E7%BE%A9 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ とヰキぺディアにありましたが(――ちなみに 芸術至上主義は まだ作成されていませんでした――) これに沿って考えるなら 《つくり捨て・使い捨て》の傾向があるとも 邪推されて来ます。  とは言うものの 現代においては 単に《ロマン主義》的であるとか《幻想的で退廃的》であったり《神秘的》であったりするとかすれば おもしろいとは限らなくなっているのではないでしょうか。複雑であります。  推測するに 《物理学や生物学の成果を ふんだんに取り入れて そのあと 想像力によって飛躍させるかたち》ではないかと思います。そうだとすると 想像力の用い方が 問題になるでしょうか。  (このQ&Aで 《ワ゛テック》という小説を勧められて読んだことがあります。これは 神学が取り入れられていました)。  (同じく ここで 《ナルト》を勧められ その解説を読みました。解説だけで 長かった。よく分からなかったぁ。《エワ゛ンゲリオン》も解説を読んだ記憶がありますが もうよく覚えていません)。  昨今 資本至上主義とも言うべきマネーゲームが 大きな失敗に陥り そのような貨幣論理の追求は ひととおりの限界に到ったとも言われます。ひととおり暴れまくったわけです。芸術表現に関しては いかがあい成っているでしょうか。ふと 関心が湧きました。  上記の芸術分野に関することは すべて 憶測です。したがって その分 具体的な内容にかんしては 話が合わないかとは思いますが よろしくお願いいたします。  ともかく 今頃ですが 芸術評論も 重要ではないかと思ったので(と言っても そこに首を突っ込もうとは思っていませんが) とりあえず みなさんから おしえを乞いたいと考えました。

  • 十字架に接吻

    私に信仰はありませんが、キリスト教に疑問があります。 クリスチャンはよく十字架にキスするんですよね。 そして、イエスも十字架を背負いゴルゴタの丘に向う途中 「死を達成させるための十字架」に接吻した。 完全無欠の神には憎悪とか軽蔑という不の感情など必要がない。 仮に慈悲深いということは善悪の規則がないに等しいということであっても、 キリスト教では感謝を示す行為のようにも映ります。 それを人間である信者が真似てみたところで感情的になるばかりではありませんか? どうして残酷な十字架を愛でるかのように、 とてもありがたいもののように扱っているのですか?

  • 他人の人生を経験することは人類全体を幸せにするか不幸にするか

    この質問は、たいして考える価値はありませんとおもいますので、最後まで熟読したりせずに、適当に斜め読みして、適当に答えてください。 人の人生を経験することをもしできたとして、それが総体的に幸せなことでしょうか。たとえば、SF的に、精神だけを人の肉体間を移動させることができて、その他人の家庭や職業を生きる、もちろん持病や特技なども体験する(もっとも専門的な知識はついていかないので限界があります)、そうやって、50人くらいの人生を週ごとに転換して一年くらい体験することにする。 そういうことを国民の義務としたとすると、現在つらい境遇にある人は、生ぬるい人生を送っている日と多数を経験すれば、より自分の不幸を痛切に感じ、ますますつらくなっていくかもしれない。逆の場合は、自分の人生の幸せ度をより感じて、幸福度が増すかもしれない。そういうことではないかもしれないが、人生を攪拌することによって、総体的に、幸せ度は上がるだろうか?(幸せを感じる量が上がるか)です。 妄想ですからもう読まないでいいですよ。いい加減に検討違いない闇解答を書き捨てていってください。 すなわち、見識を広げる、しかも文字や映像で体験するのではなく、体で体験する他人の人生というものがあれば、それは人を豊かにするのか、それともより険しく腐敗していくのか? どういうものでしょうか?

  • ネオプラグマティズム

    一次文献を読まれた方にお伺いしたいのですがフレッチャーの状況倫理とはどのようなものなのでしょうか?

  • 時間イコール存在

    哲学される皆さんへ。関心がありますでしょうか。思索する上での大前提?となるのではないかと思うので、提案(思いつき?)してみます。 この世界の現象は‘時間’というものがあるから。‘時間’がなかったら‘現象’しない。現象は時間の継続が生み出すもの。一瞬という概念も時間のある世界。時間がないということは真の無。何もない世界は論じられません。 哲学する対象は時間のある‘有’の世界。 我々は時間と共に、あるいは時間に依って、存在する(表現が適切かどうか不安ですが)。 とりあえずは思いついたことを述べてみました。 深みのある思索など出来る頭脳ではないので、分かりやすい意見など、聞かせていただけると嬉しいです。 よろしくお願いいたします。