arayata333 の回答履歴

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  • 最近の柔道の質の低下を嘆く(技・ポイントの判定)

     柔道経験者で、二段です。最近、と言っても、特にアトランタオリンピック(1996年)の頃からですが、全日本選手権以外の大会で、「一本」「技あり」「有効」、さらに国際大会では「効果」を取る「取りどころ」とでも言うのでしょうか、「これなら一本」などと審判が取るところが、私が経験したり習ったりしたのと違ってきているというか、ずれてきているように感じるのです。  言葉で説明するのがなかなか難しいのですが、例えばアトランタオリンピックで野村忠宏選手が金メダルを取った決勝戦で「一本」が決まった場面ですが、私が審判だったら、せいぜい「有効」です。何だか、相手を背中に担いだまま、自分も一緒にその上に乗っかるようにしてジャンプして、そのまま畳についたら、それがポイントとして取られるのか、というのが、私には「技」として不十分に思えて、不満なのです。同様のポイントが、最近の試合に多いように思うのです。背負い投げ、肩車のときに多いですが、アテネオリンピックの内柴正人選手の決勝戦のときには、そのどれともつかない技「のようなもの」で、相手を一旦畳から引っ張り上げて、そのまま手を離してドン、と畳に落としただけで「一本」になるとは、嘉納治五郎先生やら木村政彦氏らが見たら目を覆いたくなるのではないか、とさえ思います。  「一本」は、「相手を勢いよく投げて、畳に背中をつける」、となったときに取られるべきもの、と認識しています。そして、「技あり」→「有効」→「効果」は、順に「それに準じるもの」として定義されているはずです。要するに、私がポイントとして認めるべきもの、と考えるのは、「技で投げたとき」にのみ限定すべき、というものです。早い話、背負い投げで相手を担いだ体勢で、相手を前に投げれば、私はそれで「一本」として文句はないのですが、最近の判定では、相手を担いだままジャンプして後ろにドン、と相手と一緒に畳に落ちるとか、横にゴロンと一回転しただけで「有効」とか「技あり」とか、ひどいときには「一本」とかが与えられる傾向にあります。  長々と書きましたが、まず、ひとえに審判の質の低下があり、それにつられてというか、甘えてというべきか、選手もそのような技(もどき)を仕掛け合うように、最近の柔道が変わってきたと思います。それでは私が何を望むかというと、オリンピック・世界選手権などで審判を務める人たちにライセンスを与えるには、古来の日本柔道の、「これぞ一本」というようなビデオを見せるなりして、研修・指導を徹底する、ということが必要であると思います。そうすると選手も、しっかりと技を磨くようになると思います。そうでないと、日本としては金メダルの数が増えてラッキーだったかもしれませんが、アテネでの内柴選手のような「技」で金メダルを取って喜んでいると、柔道の質の低下を招くことになると思うのです。  柔道にご意見をお持ちの方、上の私の意見に共感してはいただけないでしょうか。「一本を取る柔道」が美しく、真に強い武道の精神を追求することになると思います。現に私も、それを目指して苦しい稽古に耐えてきました。特に経験者の方のご意見を伺いたいです。乱文・長文でしたが、よろしくお願い致します。

  • 最近の柔道の質の低下を嘆く(技・ポイントの判定)

     柔道経験者で、二段です。最近、と言っても、特にアトランタオリンピック(1996年)の頃からですが、全日本選手権以外の大会で、「一本」「技あり」「有効」、さらに国際大会では「効果」を取る「取りどころ」とでも言うのでしょうか、「これなら一本」などと審判が取るところが、私が経験したり習ったりしたのと違ってきているというか、ずれてきているように感じるのです。  言葉で説明するのがなかなか難しいのですが、例えばアトランタオリンピックで野村忠宏選手が金メダルを取った決勝戦で「一本」が決まった場面ですが、私が審判だったら、せいぜい「有効」です。何だか、相手を背中に担いだまま、自分も一緒にその上に乗っかるようにしてジャンプして、そのまま畳についたら、それがポイントとして取られるのか、というのが、私には「技」として不十分に思えて、不満なのです。同様のポイントが、最近の試合に多いように思うのです。背負い投げ、肩車のときに多いですが、アテネオリンピックの内柴正人選手の決勝戦のときには、そのどれともつかない技「のようなもの」で、相手を一旦畳から引っ張り上げて、そのまま手を離してドン、と畳に落としただけで「一本」になるとは、嘉納治五郎先生やら木村政彦氏らが見たら目を覆いたくなるのではないか、とさえ思います。  「一本」は、「相手を勢いよく投げて、畳に背中をつける」、となったときに取られるべきもの、と認識しています。そして、「技あり」→「有効」→「効果」は、順に「それに準じるもの」として定義されているはずです。要するに、私がポイントとして認めるべきもの、と考えるのは、「技で投げたとき」にのみ限定すべき、というものです。早い話、背負い投げで相手を担いだ体勢で、相手を前に投げれば、私はそれで「一本」として文句はないのですが、最近の判定では、相手を担いだままジャンプして後ろにドン、と相手と一緒に畳に落ちるとか、横にゴロンと一回転しただけで「有効」とか「技あり」とか、ひどいときには「一本」とかが与えられる傾向にあります。  長々と書きましたが、まず、ひとえに審判の質の低下があり、それにつられてというか、甘えてというべきか、選手もそのような技(もどき)を仕掛け合うように、最近の柔道が変わってきたと思います。それでは私が何を望むかというと、オリンピック・世界選手権などで審判を務める人たちにライセンスを与えるには、古来の日本柔道の、「これぞ一本」というようなビデオを見せるなりして、研修・指導を徹底する、ということが必要であると思います。そうすると選手も、しっかりと技を磨くようになると思います。そうでないと、日本としては金メダルの数が増えてラッキーだったかもしれませんが、アテネでの内柴選手のような「技」で金メダルを取って喜んでいると、柔道の質の低下を招くことになると思うのです。  柔道にご意見をお持ちの方、上の私の意見に共感してはいただけないでしょうか。「一本を取る柔道」が美しく、真に強い武道の精神を追求することになると思います。現に私も、それを目指して苦しい稽古に耐えてきました。特に経験者の方のご意見を伺いたいです。乱文・長文でしたが、よろしくお願い致します。

  • 最近の柔道の質の低下を嘆く(技・ポイントの判定)

     柔道経験者で、二段です。最近、と言っても、特にアトランタオリンピック(1996年)の頃からですが、全日本選手権以外の大会で、「一本」「技あり」「有効」、さらに国際大会では「効果」を取る「取りどころ」とでも言うのでしょうか、「これなら一本」などと審判が取るところが、私が経験したり習ったりしたのと違ってきているというか、ずれてきているように感じるのです。  言葉で説明するのがなかなか難しいのですが、例えばアトランタオリンピックで野村忠宏選手が金メダルを取った決勝戦で「一本」が決まった場面ですが、私が審判だったら、せいぜい「有効」です。何だか、相手を背中に担いだまま、自分も一緒にその上に乗っかるようにしてジャンプして、そのまま畳についたら、それがポイントとして取られるのか、というのが、私には「技」として不十分に思えて、不満なのです。同様のポイントが、最近の試合に多いように思うのです。背負い投げ、肩車のときに多いですが、アテネオリンピックの内柴正人選手の決勝戦のときには、そのどれともつかない技「のようなもの」で、相手を一旦畳から引っ張り上げて、そのまま手を離してドン、と畳に落としただけで「一本」になるとは、嘉納治五郎先生やら木村政彦氏らが見たら目を覆いたくなるのではないか、とさえ思います。  「一本」は、「相手を勢いよく投げて、畳に背中をつける」、となったときに取られるべきもの、と認識しています。そして、「技あり」→「有効」→「効果」は、順に「それに準じるもの」として定義されているはずです。要するに、私がポイントとして認めるべきもの、と考えるのは、「技で投げたとき」にのみ限定すべき、というものです。早い話、背負い投げで相手を担いだ体勢で、相手を前に投げれば、私はそれで「一本」として文句はないのですが、最近の判定では、相手を担いだままジャンプして後ろにドン、と相手と一緒に畳に落ちるとか、横にゴロンと一回転しただけで「有効」とか「技あり」とか、ひどいときには「一本」とかが与えられる傾向にあります。  長々と書きましたが、まず、ひとえに審判の質の低下があり、それにつられてというか、甘えてというべきか、選手もそのような技(もどき)を仕掛け合うように、最近の柔道が変わってきたと思います。それでは私が何を望むかというと、オリンピック・世界選手権などで審判を務める人たちにライセンスを与えるには、古来の日本柔道の、「これぞ一本」というようなビデオを見せるなりして、研修・指導を徹底する、ということが必要であると思います。そうすると選手も、しっかりと技を磨くようになると思います。そうでないと、日本としては金メダルの数が増えてラッキーだったかもしれませんが、アテネでの内柴選手のような「技」で金メダルを取って喜んでいると、柔道の質の低下を招くことになると思うのです。  柔道にご意見をお持ちの方、上の私の意見に共感してはいただけないでしょうか。「一本を取る柔道」が美しく、真に強い武道の精神を追求することになると思います。現に私も、それを目指して苦しい稽古に耐えてきました。特に経験者の方のご意見を伺いたいです。乱文・長文でしたが、よろしくお願い致します。

  • 次のプレーのイメージ

    部活でサッカーをやっている中学生です。 ポジションはDFをやっています。 いつも、次のプレーのイメージを考えてプレーをしているつもりなのですが、なかなかうまくいきません。 ボールをもらったときに、パスしようと考えてたスペースに味方が走りこんでいなかったり、味方にパスしようとしたときに、パスする味方に敵がついてるとすぐに「とられる」と思ってしまいなかなか味方にパスが出せずにすぐに敵に囲まれてボールをとられることが多いです。 それと、ボールをもったときに、味方からパスを要求されるとすぐにそっちに反応してしまい考えていたパスコースとパスを要求する味方のどっちにパスするか迷ってしまいます。 と、こんな感じで自分らしいサッカーが出来てない状況です。 パスコース・スペース・敵の位置は常に確認しているつもりです。 友達には「周りが見えていない」と言われます。 何かアドバイスなどありましたら教えていただきたいです。 宜しくお願いします。

  • 最近の柔道の質の低下を嘆く(技・ポイントの判定)

     柔道経験者で、二段です。最近、と言っても、特にアトランタオリンピック(1996年)の頃からですが、全日本選手権以外の大会で、「一本」「技あり」「有効」、さらに国際大会では「効果」を取る「取りどころ」とでも言うのでしょうか、「これなら一本」などと審判が取るところが、私が経験したり習ったりしたのと違ってきているというか、ずれてきているように感じるのです。  言葉で説明するのがなかなか難しいのですが、例えばアトランタオリンピックで野村忠宏選手が金メダルを取った決勝戦で「一本」が決まった場面ですが、私が審判だったら、せいぜい「有効」です。何だか、相手を背中に担いだまま、自分も一緒にその上に乗っかるようにしてジャンプして、そのまま畳についたら、それがポイントとして取られるのか、というのが、私には「技」として不十分に思えて、不満なのです。同様のポイントが、最近の試合に多いように思うのです。背負い投げ、肩車のときに多いですが、アテネオリンピックの内柴正人選手の決勝戦のときには、そのどれともつかない技「のようなもの」で、相手を一旦畳から引っ張り上げて、そのまま手を離してドン、と畳に落としただけで「一本」になるとは、嘉納治五郎先生やら木村政彦氏らが見たら目を覆いたくなるのではないか、とさえ思います。  「一本」は、「相手を勢いよく投げて、畳に背中をつける」、となったときに取られるべきもの、と認識しています。そして、「技あり」→「有効」→「効果」は、順に「それに準じるもの」として定義されているはずです。要するに、私がポイントとして認めるべきもの、と考えるのは、「技で投げたとき」にのみ限定すべき、というものです。早い話、背負い投げで相手を担いだ体勢で、相手を前に投げれば、私はそれで「一本」として文句はないのですが、最近の判定では、相手を担いだままジャンプして後ろにドン、と相手と一緒に畳に落ちるとか、横にゴロンと一回転しただけで「有効」とか「技あり」とか、ひどいときには「一本」とかが与えられる傾向にあります。  長々と書きましたが、まず、ひとえに審判の質の低下があり、それにつられてというか、甘えてというべきか、選手もそのような技(もどき)を仕掛け合うように、最近の柔道が変わってきたと思います。それでは私が何を望むかというと、オリンピック・世界選手権などで審判を務める人たちにライセンスを与えるには、古来の日本柔道の、「これぞ一本」というようなビデオを見せるなりして、研修・指導を徹底する、ということが必要であると思います。そうすると選手も、しっかりと技を磨くようになると思います。そうでないと、日本としては金メダルの数が増えてラッキーだったかもしれませんが、アテネでの内柴選手のような「技」で金メダルを取って喜んでいると、柔道の質の低下を招くことになると思うのです。  柔道にご意見をお持ちの方、上の私の意見に共感してはいただけないでしょうか。「一本を取る柔道」が美しく、真に強い武道の精神を追求することになると思います。現に私も、それを目指して苦しい稽古に耐えてきました。特に経験者の方のご意見を伺いたいです。乱文・長文でしたが、よろしくお願い致します。

  • この格闘技は日本にありますか?

    私は今POEKOELAN(発音はプコランに近いです。もしくはポコラン)というものをアメリカで習っています。 もうすぐ日本に帰国に帰るのですが日本でも習えればなと思っています。 POEKOELANは白帯がPOEKOELAN式の護身術を学び(100と10数通りあります)、それ以上は基本となる動物の動きを自分流に変えて発展させるというようなものです。 もし日本にない場合は似た様なものはないでしょうか? あまり相手と闘うことは好きではないのでPOEKOELANの様な格闘技があればいいなと思うのですが。 よろしくお願いします。

  • 最近の柔道の質の低下を嘆く(技・ポイントの判定)

     柔道経験者で、二段です。最近、と言っても、特にアトランタオリンピック(1996年)の頃からですが、全日本選手権以外の大会で、「一本」「技あり」「有効」、さらに国際大会では「効果」を取る「取りどころ」とでも言うのでしょうか、「これなら一本」などと審判が取るところが、私が経験したり習ったりしたのと違ってきているというか、ずれてきているように感じるのです。  言葉で説明するのがなかなか難しいのですが、例えばアトランタオリンピックで野村忠宏選手が金メダルを取った決勝戦で「一本」が決まった場面ですが、私が審判だったら、せいぜい「有効」です。何だか、相手を背中に担いだまま、自分も一緒にその上に乗っかるようにしてジャンプして、そのまま畳についたら、それがポイントとして取られるのか、というのが、私には「技」として不十分に思えて、不満なのです。同様のポイントが、最近の試合に多いように思うのです。背負い投げ、肩車のときに多いですが、アテネオリンピックの内柴正人選手の決勝戦のときには、そのどれともつかない技「のようなもの」で、相手を一旦畳から引っ張り上げて、そのまま手を離してドン、と畳に落としただけで「一本」になるとは、嘉納治五郎先生やら木村政彦氏らが見たら目を覆いたくなるのではないか、とさえ思います。  「一本」は、「相手を勢いよく投げて、畳に背中をつける」、となったときに取られるべきもの、と認識しています。そして、「技あり」→「有効」→「効果」は、順に「それに準じるもの」として定義されているはずです。要するに、私がポイントとして認めるべきもの、と考えるのは、「技で投げたとき」にのみ限定すべき、というものです。早い話、背負い投げで相手を担いだ体勢で、相手を前に投げれば、私はそれで「一本」として文句はないのですが、最近の判定では、相手を担いだままジャンプして後ろにドン、と相手と一緒に畳に落ちるとか、横にゴロンと一回転しただけで「有効」とか「技あり」とか、ひどいときには「一本」とかが与えられる傾向にあります。  長々と書きましたが、まず、ひとえに審判の質の低下があり、それにつられてというか、甘えてというべきか、選手もそのような技(もどき)を仕掛け合うように、最近の柔道が変わってきたと思います。それでは私が何を望むかというと、オリンピック・世界選手権などで審判を務める人たちにライセンスを与えるには、古来の日本柔道の、「これぞ一本」というようなビデオを見せるなりして、研修・指導を徹底する、ということが必要であると思います。そうすると選手も、しっかりと技を磨くようになると思います。そうでないと、日本としては金メダルの数が増えてラッキーだったかもしれませんが、アテネでの内柴選手のような「技」で金メダルを取って喜んでいると、柔道の質の低下を招くことになると思うのです。  柔道にご意見をお持ちの方、上の私の意見に共感してはいただけないでしょうか。「一本を取る柔道」が美しく、真に強い武道の精神を追求することになると思います。現に私も、それを目指して苦しい稽古に耐えてきました。特に経験者の方のご意見を伺いたいです。乱文・長文でしたが、よろしくお願い致します。

  • 女性はどうして占い好きが多いのですか?

    「占い」が商売になるくらい発展しているこの業界ですが 特に女性に人気があると思うのです 女性に人気がある理由は何でしょうか? 男の私にもその秘密を教えていただけると嬉しいです

  • この格闘技は日本にありますか?

    私は今POEKOELAN(発音はプコランに近いです。もしくはポコラン)というものをアメリカで習っています。 もうすぐ日本に帰国に帰るのですが日本でも習えればなと思っています。 POEKOELANは白帯がPOEKOELAN式の護身術を学び(100と10数通りあります)、それ以上は基本となる動物の動きを自分流に変えて発展させるというようなものです。 もし日本にない場合は似た様なものはないでしょうか? あまり相手と闘うことは好きではないのでPOEKOELANの様な格闘技があればいいなと思うのですが。 よろしくお願いします。

  • 私、頑張っていますよね??

    私は、20代前半の会社員(女)です。本日は、皆さんの温かいお言葉が頂きたく投稿しました。 恋人がいない歴=歳の数…の女なのですが、私は諦めていません!! 私のしている努力は正しいですよね?(普通OR人並みですよね?) (1)恋愛関係の本を読んで常日頃から勉強している。(佐藤○○先生の著書が好きで大体読破しました) (2)笑顔でいる、明るい気持ちでいる、おしゃれを楽しむ (3)エステに通って脱毛中 …いつ彼氏が出来ても良いように努力はかかしません。会社では明るくしているので、おじ様社員(既婚者)にはモテモテです(笑) …周りの同級生は結婚していたり、子持ちだったりします。正直、焦りはあります。 高校生の時から(1)、(2)の努力をしているのですが恋が実ったことがありません。自分から告白しても失恋して終了。そうなると、容姿の問題なのですか???でも、どの本を読んでも「容姿じゃなく内面だ」と書いてあります。 私は今後、どういう風に頑張っていけば良いのですか??それとも頑張らずに「自然に」が良いのでしょうか??

  • 女子で柔道やっていて悩みがあります。

    こんにちは。私は現在大学2年生で、部活で柔道をやっています。 柔道は好きなのですが、やはりどうしても腕や太ももに筋肉がついてしまいます。 割と筋肉質なようで、ちょっと運動しただけですぐ太ももがふっとくなってしまいました。 入るズボンを探すのも苦労するし、夏は特に二の腕が張っていて、一見脂肪に見えるんですよね・・・・・。 やっぱり大学生なのでおしゃれもしたいし、女の子らしくなりたいです。今のところは、授業が忙しくて毎日の練習のうち、週3~4回練習しているので、まだ大丈夫な気がします。私は足首や手首は細いほうで唯一の自慢なんですが(^^;)先輩をみていると足首も太めだし、肩ががっちりしていて、私もあんなふうになってしまうのかな・・・・。と怖いです。 よく雑誌にのっている、ひきしめ方法は普段スポーツをやっていないからこそ、筋肉がちょっとついて引き締まるのだと思うので、あまり意味ないですよね・・・・・。目指すは「バレリーナのような柔道家」なのですが、無理でしょうか・・・・? 女性で柔道をやっている方、バレエをやっている方、その他のスポーツをやっていらっしゃる方・・・どなたでもよろしいのでアドバイスをいただけませんか。男性の場合には、がたいのいい女性はどう思うかも聞きたいです。

  • 人間は失敗作?

    変なことをお尋ねします。 「人間は失敗作ですか?」 というのは今人間がしていることって人間以外の動物から見れば迷惑以外の何物でもない気がするのです。文明の発展だって所詮人間の生活を豊かにしようとしているだけで他の動物にとっては住むところを破壊され環境を悪くし不都合としか思えない気がするのです。 極端な話、本当に地球の生物や環境のことを考えるのであれば人間がいなくなることが一番いいのではないかとさえ思えます。 最近この考えが頭に取り付いて離れません。この意見への同調、反論、どんな意見でも構いませんので意見をお願い致します。 よろしくお願いいたします。

  • 謙遜の意味

     謙遜とはへりくだりする態度と行為でしょうか。  謙遜は無能の言い訳ではないということは聞いております。  謙遜をhttp://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%B8%AC%C2%BD&kind=jn&mode=0&kwassist=0でみると、  [自分の能力・価値などを低く評価すること。控え目に振る舞うこと。]  そして英語ではhumbleだそうです。でも説明は日本語とは異なるようです。  そして対義語はやはり高慢でしょうか。    [質問]謙遜とはどういう態度と行為でしょうか?   立脚している命題、ないしは当為や原理はどんなものがあるのでしょうか。断片や随筆、感想でも結構なのでお教え下さい。    

  • 夢分析は今、どれくらい進歩しているのでしょうか?

    フロイトの著作を読みました。 しかし、フロイトの本は何十年も前のものなので今はもっと"夢"に対する研究が進んでいるのでは!?と思い、質問させていただきました。 今、精神医学の世界では「夢分析」はどのくらいの地位なのでしょうか? また、夢分析に対するお勧めの本があれば教えてください。 (Amazonで検索しても、スピリチュアル関係が多いので…) 以上、宜しくお願いします。

  • 潜在意識は誰が作った言葉?

    巷で良く聞く「潜在意識」という言葉。 いったい誰が作った言葉で、誰が広めた言葉なのでしょうか? フロイトやユングといった深層心理学の範疇であれば、その起源はわかりやすいのですが、ちょっと調べてみても「潜在意識」の起源はわかりません。 マーフィーの成功法則や、自己啓発、催眠療法などでよく使われているのはわかるのですが・・・ ご存知の方、いらっしゃいましたらよろしくお願いします。

  • 「今」を認識する時間

    人間の脳が 「今」を認識している時間は、何秒位とするのが妥当なのでしょうか。 「今」は未知の未来に進んでいます。過去は全て記憶にすぎません。 では、「今」とは、心理学上あるいは、脳科学上、 何秒くらいとするのが妥当なのでしょうか。 質問を変えると、何秒位前なら、 人間脳にとって過去と現在の見分けがつかないのでしょうか。 かなり短いとは思うのですが・・・

  • 法と仏どちらが大事か?(仏教)

    仏教カテゴリーの質問を見ていて疑問に思いました。 実際のところどうなんでしょうか。 というのも、仏教のカテゴリーにおける質問の多くは↓ たとえば、悟りとは何か?輪廻転生は何か?中道とは何か? 仏とは何か?我はあるのかないのか?空とは何か? このように、何か?という質問が多いような気がします。 シッダッタに聞いたら毒矢のたとえで一蹴されそうな気もしますが、 仏陀になったという存在と、法という智慧の内容と どっちが重要なのでしょうか? もし、回答してくださるのであれば、申し訳ないですが 「厚く三宝を敬え。三宝とは仏法僧なり」 これは禁じ手とさせてもらいます。

  • 「大人」とは?

    年が明けると、皆さんもまたひとつ年を取るわけです。 そこで「大人とは何か」という質問です。 もちろんこのカテに質問した以上、一筋縄ではないお答えを期待してのことです。 「大人」とは、というと、社会的な側面、生物学的側面からのアプローチが主になるのだと思いますが、そうではなく、もっと掘り下げてみたいのです。 例えば河合隼雄氏のいう「思春期性」ということは、実際には最早「思春期」ではないからこその言葉といえるでしょう。 実際には「大人」という概念は「社会的」概念として限定されるものなのかもしれません。「大人である」とか「大人でない」というのは社会通念との単なる比較でしかなく、そうすればこの質問の意味もないわけですが・・・ 「妥協することを知る」「諦めることを知る」「自分の限界を知る」 「自他への責任」「社会への貢献」「権利と義務の理解と遵守」 「種の保存」「自由と責任」・・・ このようにわたしでも思いつきそうな定義は「大人」に対する「子供」という対概念から導き出されたものです。 大人と子供それを矛盾物として対立させるのではなく、手がかりとして実り豊かな思索の時をもとうという意図です。 できれば子供と対概念としての「大人」像ではなく「子供」の類概念としての大人像を提示していただければと思います。 「大人」と「大人である」というのは何か違うのか? 紋切り型でないご自由に発想を広げて「あなたの大人像」をお聞かせください。

  • 寺を経営するために坊主になりたいと思っています

    寺を経営する為に坊主になるというのはおこがましい、もしくは不謹慎でしょうか。 一応、仏教に関しては浄土宗関係の知識を持っています。 得度は得ていませんが、それはいずれ必ず得るでしょう。 具体的には通信で大学に通い直すと思います。 お寺に何人か友人もいますが、皆お寺を経営したいと云えば、 「それは素晴らしいことだ」とか「実際、そんなに良いものではない」 といった後、どこか遠い目をされてしまいます。 お金を稼ぎ世のために尽くす手はいくらでもあります。 それを無理やりお寺にぶつけようと思っている訳ではありません。 今すぐと思っている訳でもなく、漠然と自分の未来像にあるものです。 もちろん他の生き方を選ぶかも知れません。 私個人においては経営する力のない者がお寺を継ぐのは宜しくなく、 一般社会で成功できないのであれば夢は潰えるでしょう。 そうまでして我欲を通す気はありません。 ・一つお寺の為に生きること ・一つ地域の為に尽くすこと ・一つ宗派の為に尽くすこと ・一つ文化を守ること ・一つ文化を伝えること ・一つ世の為に尽くすこと ・一つ仏教の為に尽くすこと ・一つ人の為に尽くすこと まだ、私自身確立した気持ちではありませんが、 折角なのでここでも聞いてみたいと思いました。 どうぞご意見下さいませ。

  • 寺を経営するために坊主になりたいと思っています

    寺を経営する為に坊主になるというのはおこがましい、もしくは不謹慎でしょうか。 一応、仏教に関しては浄土宗関係の知識を持っています。 得度は得ていませんが、それはいずれ必ず得るでしょう。 具体的には通信で大学に通い直すと思います。 お寺に何人か友人もいますが、皆お寺を経営したいと云えば、 「それは素晴らしいことだ」とか「実際、そんなに良いものではない」 といった後、どこか遠い目をされてしまいます。 お金を稼ぎ世のために尽くす手はいくらでもあります。 それを無理やりお寺にぶつけようと思っている訳ではありません。 今すぐと思っている訳でもなく、漠然と自分の未来像にあるものです。 もちろん他の生き方を選ぶかも知れません。 私個人においては経営する力のない者がお寺を継ぐのは宜しくなく、 一般社会で成功できないのであれば夢は潰えるでしょう。 そうまでして我欲を通す気はありません。 ・一つお寺の為に生きること ・一つ地域の為に尽くすこと ・一つ宗派の為に尽くすこと ・一つ文化を守ること ・一つ文化を伝えること ・一つ世の為に尽くすこと ・一つ仏教の為に尽くすこと ・一つ人の為に尽くすこと まだ、私自身確立した気持ちではありませんが、 折角なのでここでも聞いてみたいと思いました。 どうぞご意見下さいませ。