昭和のおもしろエピソード

このQ&Aのポイント
  • 昭和時代の子供の頃の思い出を振り返ると、お茶菓子に関するマナーが違ったことがありました。
  • 当時はお茶菓子を出しても人々は遠慮して食べず、お土産に包んで持ち帰るのが一般的でした。
  • しかし、最近の世の中ではお茶菓子を自由に食べることが一般化しており、昔とは違うマナーが生まれています。
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昭和の話

昭和といっても長いので、前半生まれと後半生まれでは全然違ってくるかもしれませんが…。 子どもの頃親に連れられて親戚回りをしたり、逆に家に招待したりということが多々ありました。 その時来客用に茶菓子が出されたり、出したりしますよね。 私の子供の頃の記憶では、これに手を付けた人が誰もいません。 どんなに勧められても勧めても大人たちは皆遠慮してお茶しか飲みませんでした。 だから私はお茶菓子を前にしても、グっと我慢しなきゃいけないのがマナーなのだと物心ついた頃から思ってました。 これは子どもにとってかなり辛いものだった記憶があります。 しかし大抵残った茶菓子をお土産にと包んでくれるので、それが楽しみでもありました。 ところが昨今このマナーについて親に話すと、そんなマナーは初めからない。お前の思い過ごしだというのです。 私の記憶ではお茶菓子を出して、人が遠慮なく食べるようになったのは、自分も含めて平成からだと思っていたのですが。 皆さんの昭和の記憶と照会してみて下さい。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.7

非常に興味深いアンケート内容だと感じました。 当方の【昭和の記憶】も、kurukuru様に近いものがあります。 昭和中間より後期の人間です。 当方形の解釈ですが、恐らく経済的な要因と地域的な風習及び 家族構成等が大いに絡むと感じておりました。 平均的に貧しいとされた頃や地域で、いつしか「ガッツク事」を 卑しいとされ、我慢や遠慮が「暗黙の美徳」となっていた様に 思えます。 また、家族構成においても姉妹兄弟の場合と「ひとりっ子」では 「早いもの勝ち」或いは「遠慮」等の感覚も違い、「甘やかされ」 があったりで大きく異なるのだと思えておりました。 当方も【親に習ったマナー】との認識は無く、強いて申せば 「相手よりも先に手を着けるな」といった程度の習いでした。 それ以外は、やはり親の行動を見て育った感じですね。 やはり「美徳感」が大きく影響したと感じます。 有意義なアンケート、有難う御座いました。

kurukuru
質問者

お礼

レスありがとうございます。 有意義なアンケートなんて言われてうれしいです。 地域差なんでしょうかね。 住んでる地域も問えば良かったかな。 そういえば年の離れた弟は遠慮なく手を伸ばしていたのを思い出しました。 それを見て私も遠慮がちに頂いていました。 >当方も【親に習ったマナー】との認識は無く、 >「相手よりも先に手を着けるな」といった程度の習い あーまさにそれですね。そんな感じありました。 兄弟姉妹の順序でも認識が変わってきそうですね。 たいてい下の子は我慢知らずですからね。

その他の回答 (19)

回答No.20

昭和36年生まれで今年還暦です(笑)。 >来客用に茶菓子が出されたり、出したりしますよね。 はい、そのお茶菓子は誰もが普通に口にしていました。昭和の頃から「我慢」などしたことがありません(笑)。 >お茶菓子を前にしても、グっと我慢しなきゃいけないのがマナー 初耳です。親戚でもありますし、口にしても全く問題ないと思いますが。 もしかすると、質問者様は京都及びその周辺の風習のことを記憶しているのかも知れません。そうした風習は地方によって大きく異なることがありますからね。 ちなみに私はそうした謎めいた風習などと完全に無縁な北海道出身・在住です(笑)。

kurukuru
質問者

お礼

レスありがとうございます。 やはりそんなマナーはなかった派が多数のようですね。 しかし、各々の投稿欄の共感数までいれるとけっこう「あった派」にも共感者がいます。 これはどう考えるべきか。 だいたい皆さん子供目線からの投稿で、 当時大人だったけどそうでしたという人はいませんでしたね。 昭和のマナーというわけではなく、少数派ながらそうだった人たちもいたと考えます。

  • meraku9
  • ベストアンサー率35% (18/51)
回答No.19

>うちの親には「シツケのシ」の字もされた覚えはないので、親の姿勢ではないと思うんですけど。 はい、「しつけ」だとは解釈してません。 たんに子供が親を見て「そうするものなんだ」と勝手に理解してただけに過ぎません。 端的に言えば、ガサツな親元にはガサツな子が自然と育ち、礼節重んじる親元にはわきまえを知る子が育つというだけの事です。 親の背を見て育つだけであって、必ずしも「注意・しつけ」と関係するとは感じてはいません。

kurukuru
質問者

お礼

再度の投稿ありがとうございます。 う~ん確かに来客も親戚筋が多かったから、似た価値観があったとしてもおかしくないですね。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15295/33014)
回答No.18

 #12です。補足です。  今自動翻訳というと手軽に聞こえますが、50年代はまだ新築した外側三階真ん中吹き抜け、熱くなるので専用の冷房装置のついた建物に、ピクピクと不規則に回る磁気テープの背の高い装置が並び、たくさんの真空管を使うコンピュータが1台入っている時代でした。  でもよその大学や研究所との連絡には電子メールが使われていましたし、入力は穴の空いたパンチカードで、ロシア語の機械翻訳は進んでいました。  げに「昭和は遠くなりにけり」ですね。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15295/33014)
回答No.17

 #12です。補足です。 >>昭和一桁でネット駆使してるなんてすごいですね。  いえね。僕は53年に渡米留学し日本には昭和は23年までしかいません。その頃文科と理科のアイの子みたいな院にいたのでスプートニクを飛ばしたロシアに負けまいと電子メール、ロシア語の機械翻訳は始まっていました。 >>一桁の人にそんな風習なかったと言われると自信がなくなってきますが、これまでに4人の方が共感してくれているので、どうなんでしょうね。少数派みたいですが・・・  昭和といってもざっと一億日本人がいたわけで、一いろじゃないですから、ある家では幼児虐待というか、犬の訓練の「お預け」の幼児版みたいな家も、僕らのように親戚の風月堂という和菓子屋に必要以上に頻繁に出入りしていたガキの家もあっていいと思います。

kurukuru
質問者

お礼

再度の投稿ありがとうございます。 丁度今話題になってる真鍋さんと似たような経歴ですね。 昭和23年に日本を経ったのなら、まだ戦後の貧しい時期でそんな慣習はなかったでしょうね。

  • zabusakura
  • ベストアンサー率15% (2232/14812)
回答No.16

学校でおやつを食べる時間があったというのは初めて聞きました。 いえいえ、おやつの時間ではなく、お茶(抹茶)の作法を学ぶ時間で、 飲む方の作法を学ぶ時は和菓子が出されました。

kurukuru
質問者

お礼

再度の投稿ありがとうございます。 お茶を学ぶ時間なんですね。 そういえば、お菓子目当てに茶道部に入ってた子がいたのを思いだしました。

回答No.15

こんにちは。 私は昭和の中頃の生まれですが、私の周りでは親戚の家や友達の家に行った時、お菓子そのものが出てなかったように記憶しています。 母の茶飲み友達が家に来る時も、お茶を入れてお出しするのは私の役目でしたが、お菓子はつけてなかったですねえ・・・。 なんでしょうか、そういう文化だったのかも??

kurukuru
質問者

お礼

レスありがとうございます。 お茶しか出ていなかった記憶なんですね。 地域差もあるかもしれませんね。

  • cicibo
  • ベストアンサー率34% (190/557)
回答No.14

>どんなに勧められても勧めても大人たちは皆遠慮してお茶しか飲みませんでした それはなかったです。おかわりはしていませんが、食べていた記憶があります。 >大抵残った茶菓子をお土産にと包んでくれるので、それが楽しみで そうですね、当時はティッシュはなくて、ちり紙といって何かを包んだ紙の再利用だったと思います。 >マナーについて親に話す 私の家では、ラッパ飲みが禁止でした。 夏にはお茶ではなく、冷えたプラッシーがよく出ていました(私の地方では)。 それを必ずコップに移してから飲まないといけません。いまのペットボトルのように直接口をつけて飲む(ラッパ飲み)ことは、決して許されませんでした。 よき思いでですね。

kurukuru
質問者

お礼

レスありがとうございます。 やっぱりなかった派が多数なようです。 ラッパ飲みは確かにうちでもタブーでしたね。 品がないという理由で。 韓国のドラマで鍋ごとラーメンを食べたり、ビビンバを食べてるシーンをよく見るのでびっくりしています。

  • citytombi
  • ベストアンサー率19% (1721/8628)
回答No.13

我慢しなければいけないマナーは聞いたことがありませんが、残ったお茶菓子を包んで渡してくれることはありました。 それは今でも、訪問先によってはあるのでは? お茶菓子はある意味「オブジェ」的に出すことが多いです。 要するに、来客にもかかわらず何も出さない・出ていないのでは体裁が悪いから、とりあえず形として(おもてなしの意思表示として)お菓子を出すということです。 それを食べる・食べないは自由ですが、出した側は「せっかく出したので食べて欲しいし、そうでなかったら持って帰って欲しい」という気持ちもあります。

kurukuru
質問者

お礼

レスありがとうございます。 やはり聞いたことのないマナーという答えが一番多いようですね。 共感者は皆遠慮がちな子供だったのかな。 たしかに子供らしくない子供とは言われてましたが。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15295/33014)
回答No.12

1。子どもの頃親に連れられて親戚回りをしたり、逆に家に招待したりということが多々ありました。  昭和一桁です。そいうことはありませんでした。 2。その時来客用に茶菓子が出されたり、出したりしますよね。  僕はそんな大人の話って興味がないので他の部屋にいますた。大人は来客にそうしてました。 3。私の子供の頃の記憶では、これに手を付けた人が誰もいません。  家では飲んだる食ったり、してました。 4。どんなに勧められても勧めても大人たちは皆遠慮してお茶しか飲みませんでした。  そりゃまたご苦労なことで。 5。だから私はお茶菓子を前にしても、グっと我慢しなきゃいけないのがマナーなのだと物心ついた頃から思ってました。  はあ、そんな家もあったんですね。 6。これは子どもにとってかなり辛いものだった記憶があります。  そりゃそうですよね。 7。しかし大抵残った茶菓子をお土産にと包んでくれるので、それが楽しみでもありました。  へえ、それはそれは。 8。ところが昨今このマナーについて親に話すと、そんなマナーは初めからない。お前の思い過ごしだというのです。  ごもっともです。 9。私の記憶ではお茶菓子を出して、人が遠慮なく食べるようになったのは、自分も含めて平成からだと思っていたのですが。  いえ、魏志東夷伝(中国の東の方の野蛮人に付きて)という嘘八百の本にも卑弥呼の頃から客の残り物を食うという習慣は書いてないそうです。 10。皆さんの昭和の記憶と照会してみて下さい。  昭和でもそんな児童虐待の話は聞いておりません。

kurukuru
質問者

お礼

レスありがとうございます。 昭和一桁でネット駆使してるなんてすごいですね。 一桁の人にそんな風習なかったと言われると自信がなくなってきますが、これまでに4人の方が共感してくれているので、 どうなんでしょうね。 少数派みたいですが・・・

  • fs64vvz
  • ベストアンサー率31% (353/1129)
回答No.11

こんにちは。 ルールとまではいかず、別に親が食べなくても子どもは食べても良かった雰囲気だったんで頂いてましたが、たいがいものすごく甘かったのを覚えています。 今でも地方のスーパーの一角に売っている、いわゆる「おばあちゃんの家で大皿に盛ってある茶菓子」。 水飴を寒天で固めてオブラートに包んだやつとか、これまた激甘の練りあんが入ったもなかとかですね。 大人はこれを食べちゃうとお腹いっぱいになってしまって帰宅して家でご飯作る気がしなくなる、甘すぎて頭痛や歯痛がする…というのを知ってて食べなかったんじゃないでしょうか。 おもてなしのお菓子として、小洒落た洋菓子など甘さ控えめのものが出るようになってからは、私も大人になりましたが、出されれば頂いています。 ルールじゃなくて、単に甘すぎて口に合わないから遠慮する体で断ってたんじゃないかと私は思ってます。

kurukuru
質問者

お礼

レスありがとうございます。 たいてい甘いものと、しょっぱいもの代表御煎餅が盛り付けてあった気がします。 私は洋菓子が好きだったので、小さなバームクーヘン、チョコでコーティングされたプチケーキの「シルベーヌ」なんかが出てくるとうれしい反面、我慢が苦しかった。。

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