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無くなる九州弁
先日、テレビを見ていると鹿児島の屋久島に住んでいる住人が、標準語っぽい言葉で話してました。以前、奄美大島の若者と熊本の若者と話す機会があったのですが、ほぼ、標準語を話していました。大分の中年夫婦も標準語を話していました。九州弁は、標準語化に向かっているのでしょうか?
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青森と鹿児島が日本で通じない方言2強だと思っていましたが現在は変わったでしょうね。沖縄を忘れてはいけませんが。言語学者によっては琉球語を日本語に含めず独立した言語とするそうです。 鹿児島弁と言いますが、奄美大島は島津氏の琉球征伐以前は琉球で言語も琉球語に近く、鹿児島弁と関係がありません。また種子島屋久島は航海の民である研究によると言葉はむしろ日向灘、紀伊半島とつながりがあるそうです。私は種子島に出張して「カレーください」とひとこと言っただけで、鹿児島から来たかいと言い当てられたことがあります。 つまり鹿児島弁は鹿児島県本土と宮崎県南部に孤立した言葉で、離島とも熊本や宮崎中部北部とも全く違います。 と言いながら、標準語が発明から150年しか経たないというのもあるし、テレビの時代では10年で言語が変わっていくのは当然です。私がものごごろがついた頃は叔母は外人を「グワイジン」と言っていましたが、当人の言葉もすぐガイジンに変わったように思います。全国民が同じテレビを見て日本語を学ぶのですから日本中どこにいっても同じでしょう。 2000年に北京の日本語スナックの女の子が、大阪の客は恐怖だと言っていました。日本人はよそ行きではみな日本語で話しますが、大阪人はどこに行っても大阪語で話すので、学校で習った日本語で理解できないからだそうです。
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- SPS700
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1。九州弁は、標準語化に向かっているのでしょうか? いいえ、そうは思いません。 2。タイ人と話す時はタイ語に切り替えます。それと同じで、よその人と話す時は、よそ語に切り替えます。九州といっても色々ですから、相手を見て言葉を選ぶわけで、小さい子でも結構二、三種は話せます。 僕の長崎の甥は三つの時、遊びに来た福岡の従兄弟と、島原の親戚の子と遊んでいるのを聞くと、福岡と島原と長崎を使い分けているだけでなく、テレビを真似たチャンバラごっこの時は標準語に、バイリンガルどころか多重言語の使い手なのに感心しました。
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そうなんですか。逆に、それで安心しましたね (^_^) 巨人の星の左門豊作のような言葉は、大切にして欲しいものですね。ありがとうございました。
- eroero4649
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金田一春彦先生だったかなあ、誰か国語学者の先生が「京都から離れるほど京都の古い言葉が方言として残っている」という話をしていたんですよね。 つまり地方の方々に失礼な言い方をすれば、都会で流行った言葉が地方に伝わって、そこが都会(京都)から遠ければ遠いほど最新の流行からは遅れているってことなのですよね。 今はテレビやインターネットで情報が瞬く間に全国に駆け巡りますから、地方色を残していくのはなかなか難しいと思います。地方の人同士が情報交換をする機会も昔に比べれば増えていますから、大阪の人と名古屋の人と仙台の人と福岡の人が一緒の席で話をするとなったら、やはり統一言語として標準語(東京弁)を使うのがスタンダードになるだろうなと思います。そうしないとコミュニケーションに齟齬が生じます。 ですので九州弁に限らず、全国の方言が標準語(東京弁)に飲み込まれていくのは仕方がないと思います。だって広島の放送局のアナウンサーも標準語で原稿を読むでしょうからね。広島のアナウンサーがバリバリの広島弁でニュースを読んだら、仁義なき戦いかはだしのゲンみたいになってしまいます。それに広島の放送局のアナウンサーとても広島出身ではない場合も多いでしょうからね。 また言語の統一化というか標準化は方言に限ったものでもないと思います。我々もよく意味を理解しないまま「サステナブル」とか「ロハス」とか使っています。外来語、カタカナ語ですよね。 特にITに関わる言葉なんかはいちいち日本語で適切な訳語を作っている余裕はないので、外来語がそのまま引用されていきます。これは日本語の英語(外国語)化といえますよね。
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なるほど。なんか寂しいと言えば寂しいですね。あと残るとしたらイントネーションですかね…イントネーションだけは、中々統一は出来ない(特に関西)でしょうね(笑ありがとうございました。
- staratras
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「方言の衰退・共通語化」は九州に限ったことではなく、全国的な傾向でしょうね。ただしでは「方言はなくなってしまうのか」と考えるのはいささか早合点です。その証拠が江戸時代に書かれた本居宣長の「玉勝間」の一節です。 肥後(熊本)から訪ねてきた客が、当時すでに「見える」「聞こえる」と話していた言葉を「見ゆる」「聞こゆる」と話すのを聞いて、宣長が「熊本では一般にそうした昔の雅な言い方をするのか」と聞いたら「熊本でも田舎の方のものは皆そうだが、少しでも改まってものを言うような人の多くは「聞こえる」「見える」と話している」という答えが帰ってきたというのです。 ところが21世紀の現在の熊本でも、「聞こゆる」「見ゆる」という言い方は年配の人を中心に根強く残っています。玉勝間が書かれた時代から少なくとも200年以上も動詞の活用形の変化(というか古語から現代語への変化あるいは共通語化)という「言葉のゆれ」が継続中なのです。もちろん「見ゆる」「聞こゆる」は古語「見ゆ」「聞こゆ」に由来する「正しい日本語」で、九州方言と決めつけるのは誤りですが…。 回答者も九州出身で、普段は共通語の世界に生きています(九州出身者には微妙なアクセントの違いから見破られることがあります)が、首都圏にいる親族や高校時代の友人らと話すときには自然に方言が出ます。同窓会は「ふだんは話さない(話せない)ふるさとの言葉での会話を楽しむ場」でもありますので、九州(に限らず全国の)の方言はその中身が時代に合わせて変わりながらも細く長く生き続けるのだと思います。
お礼
そうですか。多少は残ってるんですね。自分は、かつての日本の中心地、関西在住ですが、日本の中心が東に移ってからは、日本中、どこに行っても異端視されがちなイントネーションに見られます。それだけに、逆に、他所の地域のイントネーションに敏感になるのかもしれませんね(笑)ありがとうございました。
お礼
なるほど(笑) 大阪は、かつての日本の中心だったというプライド+大都会というプライド+標準語とは真逆のイントネーションということから、標準語から最も遠い言語ではないかと思いますね。それと、全国を旅して1番好きになったイントネーションは、実は、鹿児島でした。福岡や長崎、熊本とも違うイントネーション…多分、鹿児島弁が嫌いな日本人は居ないと思いますね(^_^) ありがとうございました。