いじめ作文について
夏休みの作文で、私は【「社会を明るくする運動」作文コンテスト】の部門で書こうと思っています。
何かおかしいところがありましたら、ご指摘お願いします。
いじめとは、された側がいじめだと感じれば成立する。
よくニュースで見かけるいじめのニュース。見ていると胸が苦しくなり涙が溢れてきそうになることが多々あった。
いじめといえば、集団で傷つけ、いじめの対象となった人に肉体的、精神的な苦痛を与える、ということをまず思った。
そこで加減ができなくなり、いじめを受けていた人はやがて身体を壊してしまう。
いじめを行った理由は「面白半分だった」。
私は思う。面白半分で済まされるようなことではない。いじめはれっきとした犯罪なのだから。
いじめられた人は心に大きな傷跡をつくり、社会で生きていく力を失ってしまう。例え社会で生きていく力を取り戻したとしても、心にできた傷跡は絶対に完治などしていないのだ。
いじめを見て見ぬふりをするものはいる。
「自分がいじめられてしまう」などといった恐怖があるから、見て見ぬふりをするのだ。
確かに怖い。しかし、いじめを受けている人はそれの何倍以上も恐怖に身を侵されているのだ。
見て見ぬふりをしている人は、何らかの方法で助けてあげられないのかと考えるべきだ。
そこで、一緒になっていじめに加わるなんてもっての外だ。
いじめは犯罪なんだ、と強く思い、どちらとも助けてあげるつもりで勇気を持てばいい。
犯罪を犯す前に救い出すのは当然のことだ。誰もそれを止めようとはしないだろう。
一方、子供の鏡となる大人の世界にもいじめは存在する。
大人の世界はこんなにも悲惨なのか、と思い知らされる。
職場では地位というものがあるため、簡単に手は出せないのだろうと思う。大人の世界はそのような圧力がある。
学校の職員らがいじめに気付かず、遊びとして処理していた、というニュースを見たことがある。
他にも、いじめはなかったと学校ぐるみでいじめを隠ぺいしようとしているニュースも。
大の大人がこんなことして恥ずかしくないのか、と私はつくづく思った。
本来ならば、大人は子供を守る存在だ。
学校は未熟な子供をちゃんとした教育を受けさせて、社会に出させるものだ。
私は、どんな場所においても、国においても、いじめはどこにでも存在するものだと思う。
いじめは大きな社会問題だ。
今の時代、インターネット等が広く普及して、SNSを使う機会が増えている。
そのせいか、コミュニケーション能力が不足してしまい、相手の気持ちや周囲の反応を読み取る能力が薄れてきている。
インターネット上でもいじめもある。
携帯電話やパソコンを通じて、掲示板等に悪口や誹謗中傷を書き込むことだ。
ネットいじめの怖いところは、自分の知らないところで広まって、突然周りの関係がおかしくなっていくこと。
そして最大の恐怖は、誰がやっているか分からないことだ。
もし自分の友達がネットに書き込んでいたら、私は友達というものを信用できなくなってしまいそうだ。
「イラつき」や「ムカつき」から始まるいじめもある。
話し合いでいじめが解決したらいいが、コミュニケーション能力が不足している状態での話し合いでの解決は上手くいかず、更に関係に亀裂が入ってしまうということも考えられる。
私がいじめを無くすために考えたのは、コミュニケーション能力を高め、「イラつき」や「ムカつき」を子供のような考え方ではなく、「大人」の対応で接していくことでいじめは減少していき、その後の関係にも亀裂は入ったりしないと思う。