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健さんと文太アニキの格
高倉健の方が全然上だと聞く人聞く人皆そう言うのですが、その世代に育ってない私には同じくらいに見えます 一体何がそんなに違うのでしょうか?
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- uniquepro
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格なんて所詮他者の評価に過ぎないわけで。自分で格上だ格下だ、言い合ってるのをたまに見ますが不毛そのものです。たとえは違いますが、 「(ジャイアント)馬場と(アントニオ)猪木はどっちが格上?」 と同じくらい無意味な話だと思います。 元に戻して高倉健と菅原文太、この奇しくも同時期に鬼籍に入ることになった名優と呼ぶにふさわしい両人。この両者の格の差をどう見るか。 ただ100%誰が見ても高倉健の方が上だとは、自分には思えません。 特に俳優としての能力に限れば、両者とも一長一短があると見ます。 高倉健という俳優は、特に俳優としての地位を確固たるものにして以降、基本的には「主演俳優」でした。こうなると、今度は明らかな端役・ちょい役、いわゆる「助演」を務めることが難しくなります。もちろん、使う側の気遣いもあるのですがそれ以上に「主演俳優」ゆえの難しさ。 個人的意見ですが、主役と脇役はまったく別の素養が必要な俳優・演技だと思っています。この辺りは現代劇より古典芸能、歌舞伎や能・狂言などの知識教養がある方は分かると思いますが、はっきり言ってまったく違うものです。現代劇ではたまに脇役一辺倒の俳優女優が主役を演じるとそれだけで話題性はありますが、いざ見てみるとやはり違和感がある。 ※例えば脇役としては確固たる地位を築いているエンケン(遠藤憲一)や笹野高史などのこれもまた名優の域に入りつつある俳優でも、主役となると何か違う。 高倉健が仮に連続ドラマや2時間ドラマで主役と敵対する敵役の”ストーリー中盤で消える程度のナンバー2”とか、それこそ開始5分で水死体になる役で、後は回想でしか登場しない役…もし本当にそんなシーンで登場したら、本人も見る側も違和感ありすぎです。これは良い悪いではなく、高倉健という俳優が出すそれこそ「格」が成せるもの。 では菅原文太はどうか。元々実録シリーズで名を馳せていたのと、先頃某トーク番組の追悼で語っていましたが、出発点が常に劣等感から始まっている(正直芸能界最初がモデルだったのは初耳でした。ただライバルが岡田眞澄と聞いて然もありなんと。今でもモデルは国産よりハーフのモデルが紙面でもショーでも、それこそテレビ・ネット配信などの動画媒体の露出でもあからさまに重用されるのに当時の岡田眞澄vs菅原文太なら後者の勝ち目は0だったはず)。その中で逆に高倉が持ち得なかった役の広さを会得したのだと考えれば、主役以外という分野については菅原の方が格上だと思います。 ただ高倉健格上説を唱える人々に取ってみれば、やはり文芸映画作品への出演・主演数と、その作品における賞レースの評価が理由になっていると思います。そういう方々にすれば、きっと北野武氏の映画は何一つ評価が出来ないのでしょう。賞典という評価で見れば北野武の映画は明らかにアウトサイドですから。 そもそもが高倉健・菅原文太でまともに共通しているのが若き頃ヤクザ映画に出ていた、と言うだけの話。そこから先がまるで違う道で俳優道を進んできた両者なのですから、それに格だの相対評価を下すこと自体無粋そのものだと思います。 個人的評価で良いなら、自分は菅原文太の方に親近感があるので(おそらくCM媒体への出演数が高倉健に対し圧倒的に多い)、菅原文太推し、にはなると思いますが、あくまで個人評価です。これを正しいか否かなんて言うつもりはありません。一番記憶に残っているのが、映画でも何でもなく、 「…パーシャル!!」 ※某家電メーカー冷蔵庫CMより のその一声だけなのですけどね。