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久しぶりに着物を着てみよう!和服の思い出や素敵な姿を教えてください
- 高校生二年の冬休み、桐の箪笥を開けて、気に入った着物を日替わりで着ていたことがあります。母のモダンなウールの着物や、祖母の矢がすりや麻の葉を、自分流に着付けしました。その当時、和服で通していた祖母が、どういう気持ちのものか、一言も言わず、助けてくれなかったのか、これは今でも疑問です。
- 皆様の和服の思い出、奥様の素敵な和服姿の話など、教えていただけると嬉しいと思います。
- 久しぶりに着物を着ることになりました。着物が好きだった高校時代、日替わりで着物を楽しんでいました。自分で着付けをし、苦労しながらも楽しい思い出です。しかし、当時和服で通していた祖母が、一言も言わず助けてくれなかったことが悩みです。皆様の和服の思い出や素敵な姿について教えていただけると嬉しいです。
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いいですねえ。和服大好きです。 ブランド物にはさっぱり疎いけれど和服にはこだわってます。 私の幼少の頃はまだ、大晦日には美容室は徹夜になるという時代でした。 髪を結いにくるお客さんでいっぱい。除夜の鐘を美容院で聞くという話もありました。 初詣に行くと桃割れに髪を結ったお姉さん達がいたのを覚えています。 私もウールのアンサンブルなんかを着せてもらいました。 七五三の振袖は、やっぱり帯が苦しかったなあ。 母は江戸小紋に黒羽織を着て入学式や卒業式に来てくれました。 しかし私は成人式に振袖は着ませんでした。 どうもやたら華やかな振袖に食指が向きませんで、どこが良いのかわからなかったのです。 ですがその後、友人がお正月に古い着物を着てきて、それが忘れられないくらい素敵に見えました。 聞くとおばあちゃんの着物だと言うことで、昭和初期のものだったようです。 後にそれは織りの着物、つまり紬やお召しだったとわかりました。 染めの着物は晴れの日、織りの着物は普段着だと知りました。 私はそれまで晴れ着かウールしか知らなかったのです。 すぐに着付けを習いに行き、少ないお給料から工面して少しずつ着物を揃え始めました。 母とは身長差がありすぎてお下がりをもらうことは出来ません。 晴れ着は附け下げ訪問着一枚のみ、あとは紬ばかり買いました。 着物を着ての街歩き、旅行、いろいろ楽しみました。 いっちょうらの附け下げ訪問着は友人たちの結婚式で活躍しました。 古着を見つけたりして大正ロマンやらモダンやら、お金がない中で工夫するのも楽しかった。 松田優作さん主演の「それから」という映画、夏目漱石の原作ですが、着物姿の女優さん達の美しかったこと。 さて、それから数十年。 子育て時代に少し遠ざかったものの、着物熱は未だ冷めず。 桐箪笥の置き場はもうありません。 必要に応じて染めの着物もずいぶん揃いました。 小紋なども着るようにはなったけど、やはり好きなのは織りの着物。 それが高じて習いに行って自分で織るようにもなりました。 草木で糸を染めて、機にかけ、織り上げて、着物に仕立てます。 和裁も習いました。 これからも、お婆ちゃんになっても着物を楽しみます。 娘は私の教育のせいで着物は好きですが、自分で着ようというところまでは行きません。 私に着せてもらうものだと思ってます。 覚える気にならないと教えても忘れると思うので、とくに教えていません。 いつか自分で楽しむようになってくれるのを心待ちにしています。 本当に着たい着物というのはそうならないと出会えませんからね。
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- kamejrou
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こんにちは。 Ciaoplpoさん質問しておられた? 今拝見してあらっ! 私の母親は和裁をする人でしたから、 良く頼まれて着物を作っておりましたね・・・ お祖母様どのような心持ちだったのでしょうね? 人は教えられた事は忘れますけど、 自分で気付いたことは忘れませんから、お祖母様もそうだったのでは? 家内もたまに着物を着ることがあります・・・ 日頃は私も絞め殺してやりましょうかと思うこともありますが、 中々、眺めて良い趣味だこと、 そう思います・・・・ 私で言えば正月3ヶ日は着物を着ます。 母親が亡くなる前に自分で裁断して大島を作ってくれました、 私の宝物です・・・ 子供でもいれば残してやれるのですが、残念です・・・。 旅の話しはアンカテですので憚りもありますから、 また何処かで・・・。
お礼
ご夫婦で、三が日は和服で過ごされますか。うららかでよろしいですね。 偶然にも、私が三年前引っ越したおりのダンボールのなかから引っ張り出してきたのも、祖母の泥大島を仕立て直したものです。うちの男紋の扇が蝶のように散っています。それに、鹿模様の帯をしたら、まあ、家で祝うお正月なら良い加減です。 日本の風景には、和服が良い景色で。立ち居振る舞いも自然と引き締まるように思います。 せっかくの旅行が台風に重なって、大変なことでした。タクシーの件は、亀次郎さん。。。うちの夫もそうですが、何か思い立ったときには、私が止めたって、聞いてくれません。そして、奥様、多分、ご主人が横殴りの雨の中二十分もねばってくださるとは、思わなかったでしょう。無事に出立なって、良かったです。新幹線は間に合いましたか。 アクリル画のほうは、構図も決まって、ほぼ、完璧に近いですね。嵐の前の空として思い出されるのは、レンブラントの風車の絵です。 https://www.google.com/search?q=rembrandt+windmill+painting&biw=1280&bih=626&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=1I9VVPqbHtGmyATrmIDQBw&ved=0CB0QsAQ ターナーになると、もっとロマンチックになりますか。 https://www.google.com/search?q=rembrandt+windmill+painting&biw=1280&bih=626&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=1I9VVPqbHtGmyATrmIDQBw&ved=0CB0QsAQ#tbm=isch&q=turner+paintings こちらはピエール・ルソー、フランス人です。19世紀 https://www.google.com/search?q=painting+port+and+ships&biw=1280&bih=626&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=MZFVVOHGG82dygT1m4KQAQ&ved=0CDAQsAQ#tbm=isch&q=Pierre+Etienne+Theodore+Rousseau&imgdii=_ 亀次郎さんの未完の傑作は、多分,どれとも違っているでしょう。北海道の景色でしょうから。 白と黒を混ぜてグレイをつくり、その濃淡と、ストーミィ・ブルーという色がありますから、それも加減して、楽しみながら、嵐の空を創作なさってみてください。 ご回答、ありがとうございました。
- マレンヌ(@Marennes)
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おはようございます。 いつもお世話になっております。 私的のダルイお話ですが・・・ 私の和服の想い出・・・自身は全く無縁で、浴衣を着るのも温泉宿かビジホ程度です(笑)。 一方、女性は印象に残る事が多いです。確かに洋服文化が主流となり和服は『特別』『粋』と固定観念かもしれませんが常に感じてます。 母方はみな着物や着付が出来て、亡祖母は日常の多くが和服の様子でした。元々の育ちで馴染みや愛着もあったようです。まだ元気な頃に訪問した際、私の車に乗りたいとドライブしたことがありましたが、車高が低くて乗り降りに苦労かけさせてしまったことも・・・申し訳なかったですネ。 亡母は洋服が好き(仕事のスーツなどオーダーで作らせてた)。一方で、大事な機会は何故か和装を選んでました。私の入学・卒業の折は必ず和服。参観日も何度か着物でした。小学校の入学式の帰りに雨の歩道を歩く時、配慮ない車の水飛沫を浴びてしまい、淡い色に散った泥水に嘆く姿を今も思い出します。入学式自体は何も覚えてませんが(笑) またかしこまった席や結婚式に出席の際も和服が多かったです。子供ながら最初の記憶が小学生の時の亡両親が仲人役(30代で?と当時は不思議。実は2人の縁結びだったと)。祖母のお気に入りと言う黒留袖で出席でした。普段殆ど化粧しない人が(肌が弱く避けてた)・・・式場で一瞬分からなくなったり(おバカなだけです)。後年亡父が、”お母さんの着物姿がよくてね~”とアルバム見てニヤけてるのには閉口しました(溜息)。 何かあると祖母に電話して着物を送ってもらう・・・実家には祖母用の着物専用部屋があり、どれだけ持ってたのか?分からないくらいです。亡母も嫁ぐ際に箪笥1つぎっしり着物で、その後2つに増えました。虫干しを手伝わされる時、子供ながら普段着ないのにあれこれあるな~と思う一方で、周囲が洋装の中の和服の亡母が妙に印象的でした(身長は小柄ですが)。 哀しい弔事の際もお手伝い時は洋服の喪服でも葬儀は時折和服に着替えてました。荷物運びさせられる子供としてはなんかメンドクサイな~と(汗笑) 両親の死後に実家を処分する際、維持する場所も問題。結局親戚たちに一部は引き取られました。その際反物も10数本ぐらい出てきて、こちらは呉服屋さんにかなり良い値段(らしい)で買い取って貰えました。 この呉服屋さんを紹介してくれたのが父方の縁故で、当時化粧品メーカーに勤めてた繋がりもありました。まあプロで自分も着付けを指導したり見立てや採寸、織りや縫いのチェックもこなすレベルなので話が早かったです。サイズが合えばかなりの数で欲しい着物があったと・・・こんな古い時代?・・・が、この世界は違う!〇〇の△のものでこの絵柄は!織りが!帯が!年齢や合せがこうで・・・整理してる途中の小話のはずが説教になっていました(苦笑) そう、着付のお話ですが曰く・・・着付は自分で失敗を重ね体得するのと、覚えても忘れてしまう(綺麗に着こなせなくなる)ので時折着たり練習・・・着付するではなく自分になると時折何故か決まらない、気に喰わなくてまた着直すこともあるのよ。勝手知ってる筈だけど些細な事にネ・・・貴方のネクタイの結び方だっていろいろあるし決まらない場合あるでしょ!・・・ヘイ仰るとおりで・・・(^^ゞ ネクタイと比べ物にならないのですが。遥に奥深く微妙でムズカシイ分からない世界・・・orz こんな話を後に趣味の関係でお馴染みになった女性と話す機会があり、彼女の着物の経緯や想いも興味深かったです。 また組紐やとんぼ玉のアレンジ、扇子や小物、和柄や京都「鈴木松風堂」(和雑貨)・・・一見おっさんとは全く無縁の世界を取り込むも彼女のおかげです。 妻がこの夏も浴衣を着てくれた時・・・つい大変そう?と思う一方で普段と違う姿にふと意識?夫婦で撮ってもらった写真と、亡両親の夏祭りの色褪せた写真を見ると、亡父も自分もおんなじで少しニヤけてる・・・折角の浴衣姿なのだから年相応にキリッとしなければと気を張った”筈”ですが・・・親子そろってみっともない(苦笑)。 自分語りで長文駄文が過ぎました。古い友との再会や間もなく命日もあり、なにやらあれこれ思い出しました。 m(__)m
お礼
和装の奥様とお写真を撮ったマレネスさんの表情が、お母様の着物姿をほめる、お父様の表情とまったく同じだった。。。というのは、本当に良いお話です。愛妻家は遺伝するんでしょうか。 昔の着道楽は、際限がなかったようですね。祖父の母など、”日髪化粧”であったと聞いています。素人の奥さんが、毎日髪を上げて、お化粧をするのは、特別なことだったらしいです。多分おばあさまも、ずいぶんな着道楽で、また、それを許す、おじいさまの愛情があったのでしょう。 母は、それは、派手好みで、モダンなものを好みましたが、難病と呼ばれる病にかかってから、なにがどう変わったのか、祖母の形見の墨染め桜の衣を衣桁ににかけて、毎日眺めていました。話しかけていたようにも思います。私のお気に入りで、祖母は私にくれると約束していしたが、こればかりは、どうしようもなくて、なくなったときに、棺に眠る母にかけてあげました。 女性と着物。。。何か、情の移るもののようです。 ご回答、どうもありがとうございました。
私は三世代同居で祖母だけは生涯着物でしたから、私も子供の頃からよく着用してました。幼稚園に通い出して着物は着て来てはいけませんと注意されてから、少しずつ着物離れしていったように思います。 休日にはよく着ていましたが、クラブ活動やら受験勉強やらで休日も学校にいることの方が多くなってしまってましたから、それからは学生になるまでは袖を通すことはありませんでした。 Ciaopolpo さんの疑問、分かるような気がします。私も着付けは誰からも教わっていませんが、そのお蔭かプロではないのに着付けを頼まれるようになりました。七五三から花嫁衣裳に十二単に留まらず殿方の着付けも。 そうそう、5歳から剣道をしていたのですが、技術よりも誰よりも襟元が決まっていて袴が似合うと褒められたことがありました。 祖母から受け継いだ着物は、やはり絹の訪問着やら附下は残していますが、ウールや矢絣はパンツに作り替えて着用しています。 今は、休日や祝日に着物着用すると市バスや市電が無料だったり、平日でもあるタクシーが和服割引してくれるので、着用する機会が増えてきました。今夏は浴衣もよく着たのですが、友人と待ち合わせをしていた時、知らない方が「今日はお祭りでもあるのですか?とても美しく着こなされていますね。」と声を掛けて下さって嬉しかったですよ。 せっかくの民族衣装です。お正月と言わずどんどん着用しましょう。
お礼
バスやタクシーで割引があるのは、大特典です。やる気が出る、といいましょうか。 昔からの着物を、大切に”たおして”、現在も着ておられるのなら、おばあさまやお母様もきっとお喜びのことでしょう。 知らない方から声をかけられるぐらいなら、きっと着こなしだけではなく、姿勢や所作も美しく決まっておられるに違いありません。帯を背負うことで、おなかの辺りに力が入るように思います。 今回は、半襟だけ新調して、楽しんで着付けてみたいと思います。 ご回答、ありがとうございました。
- hp100
- ベストアンサー率58% (384/654)
母方祖母や母親が着物好きで着付けは見様見真似で覚えました 高身長でお下がりは着る事が出来ません っか,おはしょりが取れずロングガウンか男物着物状態w 振り袖は1反では作れず,2反の白反生地から染め工程からの注文でした 私的にはレンタルで良かったんだけど…とても数が少なくて 見様見真似で覚えた着付けでは日給バイトで稼がせてもらえました(下品www 特に七五三の着付けは得意でした 親御さんには不人気な事が多かったですが(曰く「高校生バイトに着付け出来るのか!!」 どんなにグズる子でも漫画やゲームの話しながらチャッチャと着付けられました 自分自身もまだ子供だったので子供あしらいが上手かったのかも知れません カナダ人の留学生に着付けした事もあります 高身長過ぎて着付けのお婆さんに呼び出されました 腰は痛いわ,片言で全く着物を着た事がない人に着付けするのが非常に疲れたらしくって 基本&普段着の着物は着付け出来るけど,最近の飾り結びはあまりやりたくないですね 帯が凄く傷む締め方があるので化繊帯でもちょっと可哀想になります
お礼
たくさんの、楽しい思い出、ありがとうございます。 高校時代に七五三の着付けをなさいましたか?!すごい、すごい。”は~い、こっち向いて、両手挙げて、両手下げて、後ろ向いて、はい出来上がり。”みたいに、きびきび手際よくゆくのが良さそうですが、子供も可愛いお姉さんのほうが嬉しいでしょうし、それにも増して才能がおありなんでしょう。 他の方のご回答にもありましたが、150センチが標準身長だったとすると、170センチ近くで、しかも振袖だときびしいと思います。二反で一着、苦肉の策ですが、ご両親の愛情の深さを思わせるエピソードです。 手先だったか、扇の形に折って、お太鼓の斜め上に飾る結び方をみたことがありますが、あれは、袋帯ですから、もったいなくも恐ろしいように思いましたが、やはり、傷みますよね。 自分では着られても、なかなか他の人に着付けをするのは、難しいものです。アルバイトのチャンスもあって、より、お上手になられたように思います。これからも、機会があったら、どんどんでていらっしゃって、周りの人に着物の輪を広げてゆかれますように。 ご回答、ありがとうございました
着物は、自身の結婚式の時に、紋付き袴を着ただけで それ以外は一切無いです、成人式の時もスーツでしたしね (紋付羽織袴は1~2名くらいは居たかな???) 妻は成人式の時に、両親から振袖を買って貰ったのですが 22歳で私と結婚した為、実際に着たのは自身の成人式の時と 知人の結婚式の時の2回しか着る機会が有りませんでした その為かどうかは知りませんが、妻の妹は自分の振袖は作らずに 妻の着物を着て成人式に出席しました そう言った意味では、振袖と言うのは僅かの期間しか着る事が出来ず 昔の方は、親から子へと引き継いでいったのも、判る気がします
お礼
普段洋服で通している男性が、結婚式という、人生の一大イベントで、いきなり、紋付はかまを身に着けるというのは、一体、どういう気持ちのものでしょうか。 いやがうえにも緊張を高めてしまうものでしょうか。いや、逆に、まな板の鯉で、落ち着く効果をもたらすかもしれません。 女性のお振袖は、今思い出してみれば、あまりに日常と違う自分の姿に、ずっと興奮状態であったように覚えています。そう、お振袖は、おっしゃるように、箪笥の肥やしなのです。 奥様は妹さんがいらしてラッキーでした。振り返ってみれば、私はお振袖、一度しか着ていません。娘にぜひ、と思いますが、これは、着付けが難しいですからねぇ。。。 私の振袖の越し方行く末を考えさせてくださるご回答、ありがとうございました。
こんにちは。(^-^) 和服・・というほど、ご大層な話でも ないのですが・・。 思い出すのは私が子供の頃、 お正月に母が着ていた ウールの着物ですね。 うちは自営だったので、 父は年末ギリギリまで仕事、 手伝っていた母も何やかやと忙しく・・。 でも母には「お正月の準備は怠りなくしたい」という 気持ちが強かったようです。 毎晩遅くなってから、 おせち作り(黒豆、田作り、昆布巻き) お煮しめや野菜の煮物の下準備・・ ある年からは、自動餅つき器まで買って、 30日にはのし餅やお鏡さまを作って・・ 大掃除はほとんど、私が受け持っていましたが、 それでも 「お母さん、こんな忙しくして倒れるんじゃ・・」 なんて思っていました。 大晦日31日の夕方、 父が仕事場の掃除をして、 神棚にお水やお酒を供える頃、 お正月準備を一通り終えた母は お風呂に入って、 それまで着ていたズボンとエプロンを 洗濯機に入れ、 ウールの着物に着替えていました。 夕食を食べ終わって、 少しのお酒で顔を上気させて コタツでのんびり紅白なんか見ている 母を眺めていると、 子供の私も 「今年も無事に年越しできて良かった」なんて 思ったりして・・。 母が一年のうちで着物を着るのは 大晦日の夜から、 翌日の一日くらいでした。 子供の頃は母が お正月準備にかける情熱(?)が よくわかりませんでしたが、 母が誰に憚ることなくのんびり出来たのは お正月くらいだったんですね。 という、思い出でした・・。 最近やたら両親や 子供の頃のことが思い出されるのは やっぱり、年齢のせいなのかなぁと思います。
お礼
おうちで商売をなさっておいでだったなら、本当にせわしない年の瀬だったでしょう。お母様が、休む暇もなく新年の支度をなさるのを幼いコーヒー・ビーンさんが、心配をしながら見ていた様子が目に浮かぶようです。 日本中、どこのお母さんも熱病に冒されたように、大晦日はおせちを作るのに大わらわだった時代が、確かにありました。最近は”料亭のおせち”やらを注文して、優雅なお正月を迎えるのが理想のようですが、昔は、一年に一度のご馳走を作り上げるのが主婦の誇りであったように思うのです。 うちは、お客様も少なかったので、正月三が日は、女どもはゆっくり出来たように記憶しています。お掃除も洗濯もしなくてもよかったのでした。そんなときに晴れ着を着るのは、贅沢なことですね。 何の映画だったか、失念しましたが、”人間は変わってしまうけれど、思い出は変わることがないからな。。。”というせりふがありました。お母様の着物姿は、コーヒー・ビーンさんの心の中で、いつまでも変わらず、生きてゆくんでしょう。 ご回答、ありがとうございました。
桐は防虫効果がありますので特に和服の収納には適していますね。 お祖母様が助けてくれなかったのは、見よう見真似で質問者様が綺麗に着こなしていらしたからかもしれません。 襟は詰め過ぎると幼女のようになり、あけ過ぎると遊女のようになると申します。 そこに拘った質問者様には知らずと着こなしを身に着けていらしたのでしょう。 妻は着物が好きなのでたくさん持っています。 それよりもアンカテなので僕のお話を聞いていただいても宜しいでしょうか。 男が和服を着る機会は結婚式などを除けばせいぜい温泉旅館の浴衣だと思います。 独身の人は「死んでる」ことをアピールしていたりします。 あぁ、なんて残念なんだと少しこめかみを押さえたり。 男性の帯は腰骨やや下あたりに結ぶのに、なぜか日頃のベルトよりも高い位置で結んでいる人もいます。 パンツが見えそうでハラハラします。 帯の結び方は関東と関西では違います。 リボン結びは無いでしょー。 そんなこんなで寛げない僕に、仲居さんがこっそり耳打ちしてくださいました。 「お客様、浴衣が裏返しです。」
お礼
社内の有志でスキー旅行といえば、赤沢温泉やら、蔵王温泉でしたが、男性の浴衣姿に、そんな隠されたドラマがあったなんて。さりげなく、さりげなく、と振舞えば振舞うほど、ぎこちなくなってしまう。。。若い頃私にもそんな経験がありました。 胸高に帯を締めると、モンゴルの民族衣装みたいになって、可愛いことは可愛いようにも思います。 関西と関東では、男性の帯の結び方が違うとは、初めて知りました。角帯の締め方でしょうか。そういえば、気にしたこともありませんでしたが、男性は男性でそれなりに苦労なさっているんですね~。リボン結びはちょっと。。。 現在は、奥様のお着物の趣味を楽しんでおられますか。 幼女と遊女。。。うまいですね。祖母は、きっちり襟を合わせ、母は、衣紋を抜いていたので、そのどちらにもならないよう、私なりの着方を工夫するつもりだったように思います。 女の子が産まれるとお嫁入りに間に合うように、庭に桐の木を植える、という風習が関東にはあったようです。奥ゆかしい慣わしですが、もう、そんなことを覚えている人もいないでしょう。 ご回答、ありがとうございました。
- ミッタン(@michiyo19750208)
- ベストアンサー率15% (3894/25669)
ありません… ってか、七五三ですね 3歳のときの写真で歴史が止まっています 婆さまの家の玄関での記念写真を覚えています 無理矢理お化粧してね 既に3歳のときに自我があったんです 「こんな動きを拘束する着物を纏ってたまるか」と 着物を買うから成人式に出ろと煩く言われたのに「だったら現金でちょーだい」 その2日後、阪神大震災 おかんに「ほらみてみぃ、罰が当たったんや」 え”え”え”? それって関係ある? なんて不謹慎な母親… 友人は1日だけのために100万掛けたという風の噂… 「洋服、何着買えるんよ?」 まだまだ着物を着るお年頃ではなさそうです。。。
お礼
ミチヨさんのお母様、強持てですね~。 それだけ娘さんの晴れ姿が見たかったということかもしれません。 白黒の写真は残っていますが、三歳のときの記憶は全然ありません。その当時の私は、恥ずかしいことに、祖母の趣味で、ちびまるこちゃん風おかっぱの刈り上げヘアでした。秘蔵写真になっています。 お振袖が高いかどうか?!こればかりは価値観の問題なのです。。。話は変わりますが、私は社交ダンスをしていて、いつもあまり派手でないドレスを探しています。先週、”これは!”というのを見つけて、取り急ぎ連絡を取ってみたら、なんと、お値段が65万円でした。それでも欲しい私なのですが、ミチヨさん、これ、やはり、もったいないですよね~。 ”ブーツが何足買えるんよ?”と活を入れて欲しい私です。 ご回答、ありがとうございました。
- KoalaGold
- ベストアンサー率20% (2539/12475)
映画のエキストラで葬式のシーンとなると喪服は自前です。大量の喪服は衣装係も用意してなくて、持ち込みが使えない場合だけの予備だけが置いてありました。靴もバッグも然り。私は急遽中古の店で買い込んできました。 撮影当日朝5時に集合すると、5人ばかりは別室で喪服の着物の着付けをしていました。良家の奥さん風、バーのマダム風、気風のいいおばさん風、PTA風、親戚のおばさん風と着物でも色々です。 私も着たかったなあとオーディションで選ばれた人の共通点を探していたら、オーディションに参加した人がポツリと言いました。身長150cmだってさ、と。 確かに。衣装係が日本の中古店で買い付けた喪服なのでサイズが昔の日本人サイズ。そういう事でしたか。 着物が似合うを自称する私は持っていないので、京都や浅草などの観光地でレンタル着付けしてます。 結婚式も神前でした。オーストラリアでは書類の署名とパーティのみで式は親の前で上げるために日本で行いました。なで肩の旦那に紋付袴はとても似合ってました。でも180cmの身長でもその場の衣装では最大の物を装着した上、袴はギリギリ腰まで下げないと足首が露出してしまい、日本人は短足だったんだと合点がいきました。 高身長の外国人やモデルさんの着付けは難しいでしょうね。
お礼
貴重な体験談をありがとうございます。 映画のエキストラ、といいますと、あとでその映画を見に行って、”あら~、あんなところに私がいるわ~”という風に確認なさったことがありましょうか。私は、写真やビデオをあとからみてみると、(特に声が)、自分はこうである、と思っていたのと全然違っていて、あっけに取られることが多いです。横顔や、後姿は、普段見ることができないので、ビックリの連続です。 和服は、家族に好きな人がいて、一からそろえてくれないと、若い女の子が自分で思い立って、揃えるぞ~と思ったときには、呉服屋さんのお世話にならないと、にっちもさっちもいかない、という残念な側面がありますね。 観光地のレンタルは、グッド・アイデアです。舞妓さんや芸妓さんになって、かつらもお化粧も、玄人風になさいましたか?!?!コアラゴールドさん、度胸ありますね。 そうそう、着物が似合うのは、撫で肩にやなぎごしといいまして。ご主人、撫で肩のほうは合格でしたか。身長がだいたい同じぐらいの娘に私の絣を四苦八苦して着付けて、写真を母に送ったことがありました。ハーフとはいえ、手足が私より十センチ以上長いのに気がつきました。袖がツンツルテンになってしまって。 身長がとびぬけて高い人は、多分、着物地一反では足りないような気がします。不経済なことこの上ないですね。それで、着付けに踏み台が必要だったりして。。。 でも、結婚式、ことなくすんで良かったですね。 そのときは大慌てでも、あとで笑い話になるような事件がたくさん積み重なって、ご夫婦の絆が強まってゆくのでしょう。 ご回答、ありがとうございました。
- haiji1996
- ベストアンサー率14% (232/1633)
いいですね、海外では着物は喜ばれますね。 私もオーストラリアに住んでいた時、日本人会で着物のファッション・ショーが開催され、それにモデルとして出場したんです。色々な着物をとっかえひっかえ着て、たくさんの人に注目されながらランウェイを歩き、スーパーモデルの気分が味わえました(^_^;) まだ十代でしたから、可愛かったです、お化粧も綺麗にしてもらって。 オーストラリア人にも、とても喜ばれましたよ。 主催者が、日本人補修校の先生だったんですが、その先生は、お茶の先生の資格を持っていて、素敵な着物もたくさん持っている方だったんです。自宅にも、畳敷きの茶の間をリビングの一角に設けていました。とても綺麗な方で、日本ではアナウンサーをしていた方で、オーストラリアの大学教授と国際結婚したんです。Ciaopolpoさんと同じですね(^-^) やはり国際結婚をされる方って、知的で感性も豊かな素敵な女性が多いですね。Ciaopolpoさんもテキサスで着物のファッション・ショーを開催されたらいかがでしょうか?
お礼
初々しい十代のハイジさんが、あでやかなお振袖や訪問着をまとって、お顔を上気させながら、ランウェイを歩くところを想像するのは、良いものですね。 私も若い頃は日本人会でお世話になって、フィラデルフィアの近郊に住んでいたときに、近所の大学に通っていたご縁もあり、”インターナショナル・フェスティバル(といったかどうか??)”の着物のファッション・ショーで、若いお嬢さんに、派手な着物をお貸ししたことがあります。私は、おしゃべりで、しかもあがることがまったくないので、解説担当でした。舞台の上に畳を敷いて、柔道の試合実演もあり、決まり手など、一生懸命覚えて、お話したのを覚えています。 最近は、日本人の方とお会いする機会がなくなってしまいました。ここ二年、日本食料品店にお豆腐を仕入れに行くときだけですね。そのぶん、こちらで気晴らしをさせてもらっております。(日本人とのお付き合いは)ちょっと休憩のつもりでしたが、どうやら、このままになりそうな気配です。 お褒めにあずかりまして。国際結婚は、一見派手で楽しそうに見えますが、ある意味、鈍感で押しが強くないとやってゆけない側面があり、ハイジさんのお知り合いの女性も、お美しい女性ながら、どこか、一匹狼的なところをお持ちだったと拝察します。 楽しいご回答、どうもありがとうございました。
お礼
何十年にも及ぶ着物歴をかいつまんでご紹介いただき、ありがとうございます。 お召し、とは、懐かしい響きです。矢絣の着物は確か、お召しだったように記憶しています。着心地がほっこり暖かかったように覚えていますが、どうでしたか。つむぎは、産地によって、風合いが違い、帯にすると素敵でした。 そうですか。。。ご自分で染色して、織物をなさるなら、お嬢様にぜひひとつ残してさし上げたいですね。昔、芝木好子の小説で、”貝紫幻想”だったと思いますが、木の枝を煮出して、更布をくちなし色や桜色に染め上げる模様を読んで、その、”命をもらって染め上げる”という、敬虔な感覚に圧倒された覚えがあります。 年とともに、お気持ちのままに、深く着物とかかわっておられるご様子は、微笑ましいとともに、日本の文化を継承されているようで、心強く思われます。 Youcanさんと違って、祖母がそろえてくれた和服を、一そろい持たされてお嫁入りしたものの、私、四十歳を過ぎたころ、太ってしまいまして。。。夫に嘆かれたので、お米断ちなどして、体重を元にもどした経緯があります。 おかげで、お嫁入り前の着物の前が合わなくなりまして。。。子供を産んだ後、体型が変わることも考えて、おくみを広く取ってくれていたのですが、とても間に合いませんでした。今回、痩せたとは言うものの、果たして、きちんと前が合いますか。。。祈るような気持ちです。 ”それから”は、藤谷美和子さんがお綺麗です。 当時、祖母が誰にも触らせなかった、宝物の半襟箱のことを思い出しました。私は粋な白が好みでしたが、藤谷さんの着こなしは素敵ですね。 私の知らないことを、まだまだご存知でいらっしゃるように思います。また、質問をするようなことがありましたら、ご回答、よろしくお願いいたします。 ご丁寧なご回答を、誠にありがとうございました。