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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:1987年頃、急行ほくりくって、あったでしょうか?)

1987年頃、急行ほくりくって、本当にあったの?

このQ&Aのポイント
  • 1987年頃に、急行ほくりく(ひらがなで)って本当にあったのでしょうか?当時実際に走っていたのは、ほくりくなら、寝台特急北陸。急行なら、急行能登だったと思うので、適当に作ったのだと思うのですが、どうも気になっています。鉄道が詳しい方のご意見を頂きたいと思います。
  • 「急行ほくりく」という列車が1987年頃に実際に存在したのか疑問です。本作品での情報によれば、上野駅9番線から金沢行きの急行ほくりくに飛び乗るシーンが描かれていますが、ボックス席の夜行列車のようです。しかし、当時走っていた急行列車は急行能登で、寝台特急北陸がほくりくの名称だったと思われます。この疑問について、鉄道に詳しい方の意見を聞きたいです。
  • 「めぞん一刻」の第61話に登場する「急行ほくりく」が実在したのか疑問です。1987年に放送されたTV版のストーリーで、上野駅9番線から金沢行きの急行ほくりくに飛び乗るシーンが描かれます。しかし、当時の急行列車は急行能登で、寝台特急北陸がほくりくの名称でした。この疑問について、鉄道に詳しい方の意見を教えていただきたいです。

質問者が選んだベストアンサー

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  • ultraCS
  • ベストアンサー率44% (3956/8947)
回答No.4

北陸夜行は能登の電車化まで、定期では客車列車しかないと思います。また、電車化された能登も特急形車両でしたから、クロスシートではありません。 1987年であれば、特急「北陸(漢字です)、急行能登とも14系だったと思いますから、座席車は簡易リクライニング、ドアは自動ですが折り戸です。 1980年くらいまでは、「越前」という信越経由の急行もありました。この当時は「越前」「能登」(上越経由)とも旧型客車と軽量客車の混結でした(冬はすきま風で寒かった)。北陸は20系客車(扉は手動折り戸、ただし走行中は自動ロックされて開かない)だったと思います。 12系(クロスシート、自動折り戸)で北陸夜行を運行したことは無かったと思います(自信なし)。 と言うことで、電車夜行の「急行ほくりく」は想像の産物でしょう。

kakashi4
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 やはり、想像の産物、架空の列車だったんでしょうね。 先の回答にも書きましたが、実在の列車なら、めぞん一刻ファンが殺到して、本来の利用者が迷惑するでしょうから。 「北陸」と「能登」は名前だけは知っていましたが、「越前」は記憶にありませんでした。 昔は本当に夜行列車が多かったんですね。

その他の回答 (4)

  • kotaro-h
  • ベストアンサー率40% (149/367)
回答No.5

もう閉め切られたかなと、覗いてみたら、まだ発車してなかったので 飛び乗らせてもらいます。70年代のSL鉄からの残党です。 まず、少し設問と回答欄と、いくつかのやりとりに違和感がありました。 原作の「めぞん—」が少年サンデーに連載されていたのは、1980年代 初頭だったと記憶します。「うる星ヤツら」のラムちゃん人気の後でしたよね。 その頃は私も現役の学生で、しばらく後に泉麻人が「合コンで一番モテない サークルは『鉄研』!」とポパイでぶちかまして、大学の後輩たちが 「先輩、許せませんよ(泣き)」と、私の下宿に討ち入り前の浪士のように カチ込んで来たことを思い出します(笑)。 その頃はまだ鉄道オタクと呼ばれなくて、世間から滑っているだけの若者だったと 思います。ウオークマンとハマトラファッションなどが流行っている中で 「なんなんだ、このもっさいサークルは?」と私も正直に思っていました。 アニメ版の方は、86年くらいからでしょうか。斉藤由貴の「悲しみよこんにちは」 を思い出して、ああそうだったと、やっと気が付きました。 80年代に入り、実物の鉄道の方は、特に国鉄に対する包囲網は急速に高まって行き アニメの当該放送の2ヶ月前に、国鉄は解体されて、JRがスタートされています。 この当時は過渡期ですから、貨物列車や、郵便列車が廃止される中で、国鉄文化が まだ濃厚だったと思います。 しかし一般社会の鉄道、それも車両や列車名に対する知識なんて、きわめて 曖昧だったと思います。鉄道マニアは、鉄道雑誌と、大学のサークルくらいにしか 居場所が無く、その中で、◎●型の初期型はーとか、きわめて不毛な論争を やりつつ、「俺たちに合コンの声はまだかからないのか」とか、じりじり消耗するか 社会に出て「隠れ鉄」を過ごしながら、「あいつまだ、会社のレクに1眼レフ持って 行っている」(爆笑)、なんてそんな目くそ鼻くその、時代の裏で80年代はヒート して行き、ド派手な都市文化に乗り切れなかったのが、鉄道雑誌とアニメを見る友 たちだったと記憶します。 そろそろ本題の「ほくりく」にいきましょう。 これは史実の通りで80年代前半でしたら、「能登」と「越前」のふたつの旧客急行に 20系寝台の「北陸」の3本建てが上野から出ていました。ひらがな書きの「ほくりく」は むしろ「きたぐに」を参考にして、上野発の21:17の特急をフィクション化したのでは ないか。ボックスシートの43系時代より、自動ドアの12系の方が似ているのなら日本海 縦貫線を走った10系寝台+12系ハ座時代の501レが、モデルなのかなあと想像いたしました。 参考までに82年には転換クロスの14系に取り替えられています。 つまらぬ知識を披露いたしましてまことに済みません。 鉄道マニアの諸兄に対して、悪意はありません、私も根っからのどうでも良いこと好きの 鉄道ファンです。 今思えば、鉄道に対する知識が緩い時代。電車の下回りなど省略し過ぎて幽霊のような 時代が長かったです。漫画と劇画から、アニメへの変遷期でしょう。 電車にも萌え、斉藤由貴や高橋留美子の漫画にも萌えられた、80年代の青春なんて リアリティより、社会がまだ、アバウトでユルいものにも包括力があったのだと思います。 今見ると、イタいって?  ゴメンナサイ、その辺は許してやってくださいね。それでは。

kakashi4
質問者

お礼

力のこもったご回答ありがとうございました。 回答が本題から離れていても、楽しいければ、いいんじゃないでしょうか。(笑) だから、もうしばらく開けとこうかと思ってます。 「きたぐに」で思い出しましたが、ひらがな書きの夜行列車には、上野発だけでも「ゆうづる」「はくつる」「あけぼの」と、結構ありましたね。 それらを参考にして「ほくりく」とひらがな書きにしたという、kotaro-hさんの説には納得です。 ところで、画像のUPは著作権に触れるからと控えてましたが、なんとYOUTUBEに動画がUPされてました。 「急行ほくりく」のシーンは、↓のURLの動画を再生して2:30あたりからです。 <http://www.youtube.com/watch?v=BeAAGXsFVbo> 車両は、あがぎのようにデッキがあり、色はオレンジと深緑の湘南電車の色。 列車名も架空なら、車両も架空でしょうか? それから、今日気がついたんですが、上野駅9番線からの発車なのに、電車が左に走ってゆくのも矛盾してますね。 鉄道ファンなら烈火のごとく怒り出しそうです。

  • Kon1701
  • ベストアンサー率24% (1445/5856)
回答No.3

1980年代に北陸<>上野の夜行列車に乗ったことはありますが、寝台特急は”北陸”(漢字だったと思います)、急行は能登でした。どちらも客車です。能登の自由席/指定席はボックス席でしたが、自動扉ではありません。上野駅の発車はもう少し遅かったような・・・?  能登、その後に電車になり、乗ったこともあります。いつごろ電車になったかは覚えていません・・・。 アニメ、必ずしも列車は適切に描かれていません。台車が3つある電車を見たこともあります。私は、そんなもの、と思っています。飛行機も似たようなものですし。

kakashi4
質問者

お礼

『台車が3つある電車』(笑) たしかに、アニメには何じゃこりゃってのがありますね。 台車がいくつもあるのは、貨物用の電気機関車か、超重量物を運ぶ貨車くらいでしょう。 めぞん一刻のアニメには、鉄橋のシーンが何度も登場するんですが、理工系の人間にはまったく考えられない構造です。 視聴者から指摘がなかったんでしょうか? そうそう、能登の発車時刻は、↓のページによると、1980年なら上野発21:49ですね。 http://w01.tp1.jp/~a073009361/JIKOKU/exp80/noto.htm 手動のドアの列車も、1980年台前半には私も乗ったことがあります。 常磐線の上野-仙台間の普通列車でした。 鉄道の高速化に伴って消えてゆき、今では窓も開かなくなりましたね。

noname#230414
noname#230414
回答No.2

懐かしい名前ですね。 急行北陸  能登 週末は.登山する人でいつぱいでした。 私も立山に行くのに利用しました。上野→富山間見知らぬ山男と仲良しに.帰りは一杯やていまたね。 友達も30人できました。今も時々飲み会やっていますよ。 上野に朝着き山男のまま.会社にいっていました。 高速バスの運行により.客足が遠のき引退しました。

kakashi4
質問者

お礼

おお!聞いたことがあります。 週末になると、上野駅は大きなリュックを背負った山男が大勢見られたとか。 そうそう、新田次郎の小説にも、そんなシーンがあったような? 今は少なくなりましたねぇ。 私も出張で時折夜の上野駅を通りますが、いても年配の方で、おばさんの割合が多いような気がします。 私は、何度か夏の連休に自転車旅行で北海道を回るときに、会社から帰ってから常磐線の十和田に乗って、北を目指しました。 当時は、青森から出稼ぎで東京へ来ていた人の帰省とか、いろんな人がいて、長い時間一緒に居ると会話も弾みましたね。 みかんをもらったり、お酒ももらった覚えがあります。 ちなみに、山をやってる人達は友達が増えるようでいいすねぇ。 自転車旅行の人達(ライダーをもじって、チャリダー)は、キャンプ場やツーリングトレイン(これも今は廃止)で出会うと、見知らぬ仲間たちが車座になって、一杯やって盛り上がるんですが、なぜか一夜限りの友達で終わってしまいます。 山の方が、友達が増えて良かったのかなぁと、いまさらながらに思います。

  • kuma-gorou
  • ベストアンサー率28% (2474/8746)
回答No.1

フィクションです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E9%99%B8_(%E5%88%97%E8%BB%8A)

kakashi4
質問者

お礼

早速のご回答、ありがとうございました。 ご回答いただいたWIKIのページは、私も見ました。 そしたら、急行黒部、急行越前とか、かなり変遷があったようなので、もしかしたらと思って、念のために質問しました。 やっぱり、架空の列車ですよねぇ。 めぞん一刻は人気があったから、実在の列車を登場させたら、ファンが殺到して本当に利用する人たちが迷惑しちゃいますからねぇ。(笑) ちなみに、他にも、こんなページも見つけました。 細かく時刻表が載っていたのですが、3年刻みなので1987年の時刻は確証が得られませんでした。 http://w01.tp1.jp/~a073009361/index.htm

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