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岩手県盛岡市の郷土史に詳しい方にお尋ね
江戸時代に 盛岡城領域内に「戎村・エビス村」という アイヌ人の公式の居留地があったようなのですが 現在の住所、地名に置き換えると何になるのかをご存じの方がおいででしたら 教えていただけませんでしょうか? その居住地以外にも かなりのアイヌが住んでいたとのこと 大雑把で良いのですが その場所もおわかりになるようでしたら 併せてお教え下さい。 どうぞよろしくお願いいたします。
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エビス村というのは地名のことではありません。そう呼ばれる場所にアイヌがまとまって住んでいたということで、エビス村は領内各所にありました。 エビス村と呼ばれるところ以外にもアイヌは各所に住んでいましたので、それがどのあたりということはいえません、領内全域にいました。 ちなみに、岩手県遠野市はアイヌ語が語源です。アイヌ語では「トーヌップ」という地名でした。また、岩手町の沼宮内という地名も、もともとアイヌ語で「栗の木がたくさんあるところ」という意味です。
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- あずき なな(@azuki-7)
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アイヌは北海道だけかと思ったんですが東北にも居たのですね 二風谷が聖地なので行けば何かわかるかと思ったのですが… もしかすると記録にも残っていないかも アイヌは北海道にこそ地名が残っていますが本州では差別がひどく地名すら残すことが恥だという倭人の記録を見たことがあります
お礼
azuki-7 さま お早うございます。 こんなに早い回答を寄せていただけるとは…と 驚いています。 徳川家康の政策で 盛岡藩領のアイヌ人の 津軽半島往来は自由に許されていたそうです。 仰る記録に関しては 一概に言えないようですね。 わたくしは別の意見、つまり関西方面にまで 地名が残っているような話を聞いたことがあるんですよ。 いずれにしても ご回答をお寄せ下さりありがとうございました。
- Surf64
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かなり広いエリアに及びます ご参考までに http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1372404088
お礼
Surf64 さま お早うございます。 まさか05時台に、こんな質問に目を通して下さるだけではなく 参考URLまで見つけ出して お教えいただけるなど、感謝しております。 さっそく、どちらにも目を通してみましたが わたくしの問いの場合は 地域を岩手県盛岡市、もっと言えば江戸時代末期の 戊辰戦争のころにアイヌが住んでいた地域という限定があるんです。 もう少し自分でも調べてみなくてはと思っています。 いずれにしても、ご親切とてもうれしく存じます。 ありがとうございました。
お礼
siege7898 さま 「戎村」というのが 特定の地域を指すのではなくて そう呼ばれるところにアイヌが住んでいたというのは 推測すらしていなかったことでした。 それも領内各所にあり、全域に住んでいたとは驚きです。 加えて遠野市、沼岩内の地名の語源まで教えていただけました。 教えて下さり、本当にありがとうございました。