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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:1960年代から70年だの国内1眼レフ市場について)

1960年代から70年代の国内1眼レフ市場についての疑問

このQ&Aのポイント
  • 当時の国内1眼レフ市場でのニコンFの人気と価格について
  • プロカメラマンの間でのキャノンの評価と使用された国産機について
  • ペンタックスSPの評価と東京オリンピックでの活躍について

質問者が選んだベストアンサー

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  • FEX2053
  • ベストアンサー率37% (7991/21373)
回答No.3

ちょうどそのころからカメラを使い始めましたので。 >(1)当事「ニコンFは高嶺の花」だったと聞いていましたが、 >読者投稿の写真を見るとほとんどの人が(8割くらい)Fを >使っていました。本当に高嶺の花だったのでしょうか。 はい、その通り。高嶺の花でした。 でも、今でも「コンテスト入賞者」がNikonD4やCanon5Dを 使ってるいるのと同等で、「ハイアマチュア」は頑張ってお金を 貯めてNikonを買ったものです。それに、買うのは新品とは 限りませんからね。結構中古市場もしっかりしてたんです。 コンテストに入賞できない、コンテストなんて初めから考えて いない人には、Pentaxが結構な人気でした。 >プロの間でのキャノンの評価は、F1とFDレンズがでるまで >上がらなかったのでしょうか。 その通りで、だいたい上位機種が初めからなかったです。 CanonFTも「故障しやすい」「レンズが甘い」とかで、Nikon Pentax、Minolta以下の2流評価でしたね。 だいたい、キャノネットがダンピングで提訴されたなんてことも あって、Canonと言えば、安かろう悪かろうの代表でしたもの。 ・・・ま、ペトリ以下とは言いませんが(苦笑) そういうのを払しょくしたいと、気合を入れて作ったのがF-1で、 その時は、プロに無料で貸し出すとか、定期点検を無料でする とか、とにかく「プロ向けに徹底的に売り込む」ことをやったので 「プロに成りかけのアシスタント」などがCanonに飛び付いたん です。で、皆さんそのままシステムを引き継いでるんですね。 その頃「プロストラップ」付きのCanonに飛びついて、今は押しも 押されもせぬ大御所・・・って人を、私、知ってますし。 >コニカFTA レンズが定評あるヘキサゴンでしたし、シャッター優先の自動 露出が出来るということもあって、アマチュアには人気がありま したが、いかんせんシャッターストロークが驚くほど長く、プロは 見向きもしませんでhした。 >他にもこの時代にプロに使用された国産機がありましたら この時期、プロは「報道」以外では35mmは使ってません。 ハッセルブラッドやブロニカなどの6×6、トプコンホースマンや リンホフテヒニカ、スピードグラフィックなどの大判カメラが普通 でした。国産の大判では「マミヤ」が一大勢力でしたね。 あと、フィールドで一眼レフを使いたい人向けの、Pentax6x7 というバケモノみたいにデカイ一眼レフがあり、ハイアマチュアも 結構振り回していたものです。 >(3)ペンタックスSPは大衆機と認識していますが、「50mm >1.4付は買えなかったので1.8で我慢した」と聞いたことが >あります。これは本当でしょうか。 本当も本当。私がそうです。55mm/1.8はPentax持ちでは 定番のレンズでしたから。 あのころのカメラの価格は、今の雰囲気で言えば後ろにゼロ を付けると、だいたい今の生活実感に合ってると思います。 >(4)「ペンタックスSPはシステムカメラとした東京オリンピックで >活躍した」と聞きましたが、オリンピックの写真を見るとニコンF >を使っている人ばかりです。本当にSPは使われたのですか。 はい、今の時代まで残ってるような良い写真を撮る「プロ」こそ Nikonを使ってましたが、アマチュアやハイアマチュアはPentaxを 振り回してる事も多かったです。Pentaxは交換レンズも安くて システムを揃えやすかった・・・という面もあります。 要は「レンズ交換の楽しさ(主に望遠)」が、東京オリンピックと Pentaxで一般に周知された、ということですね。

その他の回答 (4)

回答No.5

当時と今では、お金の価値がぜんぜん違いますからね。当時の価格を十倍くらいにした価格が、今に換算した価格差と考えるとだいたい合うかと思えます。実際は、15倍くらいかもしれませんが・・・ 要するに、NIKON Fは、今の価格に換算して100万円位したカメラということで、2万円の価格差は、今のお金の価値で考えると20万円差くらいあったということ。実際には、当時の人は、もっと価格差を感じていたと思いますよ。 今の一万円は、当時の千円くらいの感覚になってしまっているということですね。

  • mac1963
  • ベストアンサー率27% (841/3023)
回答No.4

報道写真の世界ではライカが主流でした 戦場の撮影の場合ライカをぶら下げて玉よけにする等とも言われたぐらい丈夫な物でした それがニコンに取って代わられた原因は 朝鮮動乱のとき極寒の地でライカすら凍り付いて作動しなくなった状況で唯一動いていたのがニコンだった それ以来報道の現場でニコンを使用するユーザーが増えたのです 故に報道はニコンだったんですね 今のようにキャノンが全盛になったのはオートフォーカスのEOS発売時にキャノンが報道関係者や有名なプロカメラマンに配ったからなんですよ無償でね それ以来キャノンの優位になったけどニコン使用し続ける人がいるのは信頼から何ですね 信頼という意味ではほかのメーカーは100年は追いつけないでしょう

  • kuma-gorou
  • ベストアンサー率28% (2474/8746)
回答No.2

私の経験から 【ペンタックス・ペンタックス・ペンタックス・ぼ~えんだよ・ぼ~えんだよ・ワ・イ・ドだよ♪ 】 アルバイトのなけなしの金で、初めて買ったカメラが、ペンタックスSV+タクマー50mmF1.8。 勿論、露出計など付いてないカメラですから、露出は勘ピューター。それが、今日、基礎知識として役立っています。 その後、社会人になって、SP⇒SPFと進み、憧れのニコンF2が買えたのは、社会人になって10年目。 当時、大衆機と言えば、ペンタックスがダントツ。恐らく、一眼レフ市場のシェアー4割をキープしていたと思います。 兎も角、当時の給与では、ニコンは高根の花。 (1)当時のカメラ雑誌でも、使用機材は様々。ニコンが8割は、ちょっと誤認識だと思います。 (2)報道系は兎も角ニコン。特に、スポーツ系では、望遠でミラー切れのないニコンしか使いモノにならなかったと思います。 (3)はい、買えませんでした。F1.4は、SPとセットで買いました。 (4)既に述べたとおり。大衆機としてはダントツでも、スポーツ系となると、ニコンには太刀打ちできる性能は有りませんでした。

回答No.1

(1)当時の公務員の初任給の5倍以上でしたから、いまだと100万円近いでしょうか。 「2万円ほど高い」といいますが、当時の初任給は2万円以下です。 http://nikonfan.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post_ef07.html 写真を投稿するような人は頑張って買ったんでしょうね。 そうじゃない人は写真を「作品」なんて意識は無く、家族の記念(記録)として捉えていた人が多いから投稿写真も少ないという図式ではないでしょうか。 (2)キヤノンはF1以降ですね。 それ以前はキヤノン自信がプロ市場を意識していなかったのではないでしょうか。 当時の社長が取材を受けた時のカメラマンが皆ニコンだったのをみて、発奮してF1を開発したらしいです。 (3)まぁそういうこともあったのでは? 今だって似たような事はあるでしょう。 (4)どこかでひっそり使われたかもしれませんね。 それを「活躍」というかどうかは書く人の目的次第。 いまだにオリンピック会場で「ニコン優勢!」「キヤノン大多数!」などとやり合ってますから。 余談ですが、当時本当に高かったカメラで、フイルムも現像プリントも高かった時代に、1枚ずつ露出や構図を決めながら家族や旅行の写真を撮ったものです。それはお父さんの名誉ある仕事でした。子供がたまにカメラを持たせてもらったり、シャッターを押させてもらえたときは有頂天でした。 1本のフイルムの中に桜と紅葉があったりもしました。 現像に出して仕上がるまでの1週間の何とも言えない気持ちは、若い方にはわからないでしょうね。 良い時代でした。

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