• 締切済み

権力基盤について

こんにちわ(^O^) 今、高校生なんですが、 日本史の授業で、 こんな論述題が出ました(´・ω・`) 摂関(藤原氏)政と院(上皇)政 平氏政権の権力基盤で共通している点を200字以内で。 というのが出ました! まとめるのが苦手で 教科書を見ても ごちゃごちゃしてしまって 分かりません× 200字じゃなくて良いので 誰か分かる方いたら 教えていただけたら嬉しいです(T_T)

  • 歴史
  • 回答数2
  • ありがとう数2

みんなの回答

回答No.2

たびたび失礼します<m(__)m> 先ほどの入浴中に神がおりてきました… そうなんです「朝廷」というキーワードで回答したらどうでしょうか? 例えばですよ… 摂関家・上皇・平氏らが拠点としたのは朝廷であり、それこそが共通した権力基盤に他ならない。彼らの政権運営の手法は律令制国家が築いた朝廷に基礎におき、前代以来の天皇を中心とした政治機構の範囲以内で政務をとることにより、政務を執りかつ遠隔地支配をも可能にする、当時においては最も現実的な政権運営手段であった。この営みは以降にみられる鎌倉幕府とは一線を画す、特徴的な営みである。 とかなんとか上手いこと書き換えてですね…

回答No.1

まとめるのが苦手って…この問題だったらみんな苦手なんじゃないですか?僕も苦手です… いずれにせよ回答としてですが、権力をどのように行使するのか?といえば 摂関政治→律令国家の官僚機構の上に立ち、摂政や関白といった地位を背景に権力を行使。 院政→簡単にいえば官僚機構の他にある院庁といった家政機関の発言力を拡大させ権力を行使。 平氏政権→摂関家同様に一族こぞって公卿・殿上人となり国政に参与。 もちろん荘園というか土地を媒介する経済基盤も共通しますが、ここでは回答としてどうなんでしょうね?というのも、特に平氏に関しては、30余国の知行国主を一門で占めるといった具合ですし、もっといえば積極的な対外貿易による経済基盤の強化があげられますから、一様に荘園といった語句で一刀両断できないですよね… むしろ外戚のことかな?というのも、天皇の親戚というか、近親者による政権運営といった面も無視できないんですよね。ただ…上皇って外戚に含めてどうなの?って話なんです。 僕ならやっぱり律令制政治を中心とした権力基盤ということにしておこうかなと… そんなわけで200字… その手段は様々であるが、律令制官僚機構に働きかける権力行使の在り方は共通している。摂関においては官僚機構の頂点であり、院政においては、官僚機構の埒外にある院庁ではあるが、最終的に上皇の権威を背景に政府に働きかける。平氏政権においては、院政を利用しつつ摂関のごとき一門による政治体制を構築したと評価できよう。いずれにせよ、いかに律令政府を主導するか?といった営みであることに変わりない。 …あとはご自身で何とか頑張ってください。 ここは博識な人がたくさんいますので、他の人ならもっと上手じゃないですか<m(__)m>

関連するQ&A

  • 論述題について至急!

    こんにちは! 今、学校で論述題が出されたんですが 摂関(藤原氏)政と院(上皇)政と 平氏政権の権力基盤で共通している点を 200字以内で述べよ。 何故武士は発生したのか? その歴史的背景を50字以内で述べよ の2つなんですが だれか分かる人いますか(T_T)?

  • いかにして、摂関政治から院政へと権力が移行したか?

    Wikipedia 『院政』 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%A2%E6%94%BF 平安時代、藤原北家の摂関政治により日本の政治が支配されていました。 その後、上皇の院政により藤原氏から実権を奪ったとされています。 こうなった経緯は、一般的には以下のように説明されています。 ・白河天皇の父である後三条天皇は、藤原氏を外戚としていなく、 藤原氏にとらわれることのない自由な政治を行なえた。 ・上皇は武士の力を巧みに利用する事により、藤原氏より優位に立てた。 ここで疑問があります。 武士の力を利用するのは上皇だけでなく、藤原氏も出来た事だと思います。 また、平安時代は天皇の指名権は実質上は藤原氏に握られていたので、 藤原氏を外戚をしない後三条を天皇に即位させなければ、摂関政治を 維持できたと思います。 かつて栄華を誇った藤原氏が手をこまねいて易々と実権を奪われたとは 考えにくいです。 歴史教科書に書かれている以外の何か理由があるような気がします。 いかにして、上皇は藤原氏から実権を奪い取ることに成功したのでしょうか? ご見解をお聞かせ願います。

  • 時の権力者はなぜ天皇に取って変わらなかったのか?

    曽我氏に始まり、藤原氏、平氏に源氏に北条氏、足利氏に、信長秀吉家康と数え上げたら切りが有りません。 これらの面々は天皇家より強大な権力と財力を持っていました。室町以前の天皇家の荘園なんて無いに等しいぐらいだったと聞きます。 はたまたこれらの権力者は直接的、間接的に天皇や上皇を殺し勝手に次期天皇を決めたりしています。有史以来天皇家が権力財力を誇示できたのはほんの一ページに過ぎません。 これだけ天皇家をないがしろにしていて大義名分もあったものでは無いと思います。 世界と比べたらいけませんがここまで来たら大半の国は禅譲もしくは簒奪が行なわれていたと思います。 万世一系などというのもどこの権力者も夢見る事なので理由になりません。 本当に神の子孫と考えていたのなら殺したりするでしょうか? これらの事を考えても象徴だからとか大義名分が取れなかったからとか万世一系だからというのは理由にならないと思います。 これらの面々が天皇に取って変わったとしても利点は見当たるが欠点はあまり見当たらないように思います。

  • 摂関政治から院政への移行に関して

    学校の教科書では、「白河上皇が院政を始めました。」と既定事実のように淡々と記述されていますが、そんなに簡単に移行できたものなのでしょうか? 当然既存の権力側(藤原氏)の抵抗があったのではないでしょうか? 教科書には特に抵抗があったとも書いてはありません。 不思議でなりません。

  • 平治の乱 信頼が独断で御所に放火って無茶杉w

    最近この時代に興味があっていろいろ読んでるんですが 平治の乱直前の院、天皇家、摂関家の力関係はよくわるし、 信西に対する反感が、院側 朝廷側に大勢出てきたのもわかるんですが、 それにしても藤原家の人間が上皇が住む御所を焼き討ちって無茶が過ぎませんか? いませんよね、彼以前に臣下で御所襲った人間。(保元の乱は天皇が上皇を攻撃したわけだし) 人間って、その時代の価値判断に絶対しばられるわけだし、どうしても彼の行動が納得できません。 どなたか解説をお願いします。 信西憎けりゃ、そこらへんで襲撃すればいいだけの話で

  • 幕府設置の意味

    鎌倉幕府設置の理由、意味についての質問です。 平氏政権の打倒後に源頼朝が後白河上皇に征夷大将軍に任じさせたことで鎌倉幕府は設置されました。氏姓制度以来、政治的権力を集中させた豪族から平清盛までの権力者は天皇の貴種性を利用して政権を獲得してきましたが、なぜ源頼朝は朝廷とは独立した政権を立ち上げたのでしょうか。確かに朝廷側に「任命」されるので、その貴種性を利用してはいるのですが、二元的支配に移行した点でそれまでの政権とは大きく異なるように感じます。 また、そのように朝廷からの独立を考えるに至った背景はどのようなことがあったのでしょうか。 よろしくお願いします。

  • 世界史 論述 教科書に載ってない知識の対応の仕方

    下の画像についてですが、 問題は「16世紀のオスマン帝国の軍事制度の特徴、ならびに非イスラーム教徒への対応 120字程度」ですが、 波線を入れたところの知識は教科書、一問一答には載ってませんでした。用語集にはのってたりもしましたが、重要度はかなり低くたぶんではありますが、他の受験生もできないのじゃないかと思います。 こういう問題はどのように答えたらいいのでしょうか? ティマール制は知ってても、それがトルコ人騎兵であることなどは知らなかったし(もしかしてマムルークのこと?) 特に最後の行については教科書などにも載ってないので、非イスラームへの対応の仕方について何をかけばいいのかがわかりませんでした。 また、別の問題ですが、 「第四共和政、第五共和政の政治形態の違いについて説明せよ」(一部省略) で、第四共和政は議会優勢で政権不安定   第五共和政は議会の弱体化・大統領権限強化・政権の安定 ということが書かれてるのですが そのようなことは同じく載ってなかったので、かけませんでした。 どうしたらいいのでしょうか? 志望大学は東京大学文1でセンターレベルの知識があれば論述もできるとありますが、実際知らない知識があり困ってます。 こういうところは差のつかない問題(みんな解けない)なんでしょうか?

  • 天皇について

     現在の天皇制はその天皇が崩御されるまで一代その地位にありますが、日本史を見てみると、これまで何代もの天皇が帝位を引き継いで来ました。  飛鳥・奈良・平安時代は女帝や幼帝がでましたが時の権力者(蘇我・藤原・平家・源氏・北条・足利・徳川)の意向、思惑で天皇が交代しました。また上皇、法皇等の院政もありました。  臣下の意向で簡単に天皇が交代させられ、譲位、廃帝させられた天皇も居ます。摂関時代や武家政治下では何故、一代天皇を続けられなったのでしょうか?

  • 論述について

    こんにちは! 論述についての質問です。 大学一年で国文学科に所属しているのですが、授業で論述の課題がでました。 その内容は、「説話・説話集の特徴や性格について論述せよ」というものです。 題にする説話は決まったのですが、特徴や性格とは具体的にどういうものかがよくわかりません。 つまり、文章の形などを意味するのでしょうか? ちなみに私の考えているテーマは、「十訓抄と宇治拾遺物語との比較について」です。 十訓抄は第六段三十六段、宇治拾遺は題百二十一話の藤原実資が死亡したところの場面です。 場面は一緒ですが、書かれている内容が違っていることについて考察するつもりですが・・・ もしかしたら題目から外れて、とんちんかんなことをやろうとしているのでは、と不安になっています。 できるだけ早く回答していただけると有り難いです。よろしくお願いします

  • 説話についての論述の仕方

    こんばんは! 論述についての質問です。 大学一年で国文学科に所属しているのですが、授業で論述の課題がでました。 その内容は、「説話・説話集の特徴や性格について論述せよ」というものです。 題にする説話は決まったのですが、特徴や性格とは具体的にどういうものかがよくわかりません。 この課題は、説話を必ず一つ以上取り上げなければなりません。 ちなみに私の考えているテーマは、「十訓抄と宇治拾遺物語との比較について」です。 十訓抄は第六段三十六段、宇治拾遺は題百二十一話の藤原実資が死亡したところの場面です。 場面は一緒ですが、書かれている内容が違っていることについて考察するつもりですが・・・ もしかしたら題目から外れて、とんちんかんなことをやろうとしているのでは、と不安になっています。 できるだけ早く回答していただけると有り難いです。よろしくお願いします