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いじめ隠蔽にモノ申す

   昔から「いじめ」で自殺というのは世界の其処彼処にある。だが、いじめで事件が起きるまで    「見て見ぬふり」をする教育者が居るのは何故だ?  しかも「いじめ」が起きていた事を全く気付かなかったと質問に応えていたが  教育者たるものは「生徒」に信頼されて「先生=指導者」だろ?  その「イジメ」が明るみに出るまで「知らんぷり」ってのは如何なものか?  また学校でのイジメを気付かない両親にも「否」があり「学校側」だけでの問題では無いが  自殺遊び?なる事が行われていたとニュースで知ったのだが  学校の基本的な教育方針とは何なのか?頭を傾げてしまう。  何年か前に「インターネット」の書き込みで小学生が殺人を起こした事件があったが  これも教育者と両親、大人達が「子供」の不自然さに感付かなかった事に要因がある。  イジメはホンの些細な事から拡がる、今回のイジメの事件は政府も腰を上げて取り組むと  表明してはいたが、「気付かない、気付かなかった、知らなかった」の言い訳には  「喉元過ぎれば熱さ忘れる」ようにしか聞こえない。  今回の大津、茨城での「いじめ自殺事件」について皆さんからの意見を聴きたいと思います。    

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noname#159516
noname#159516
回答No.1

愛情の反対語は「興味ない」「無関心」だそうな。 もっと回りの物に興味を持つ、他人事に首を突っ込む、自由の定義に他人に迷惑をかける自由はないと知れ。 です。

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