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本を読まない人が増えましたね。

私は朝電車内で本を読んでいますが、今車内の7人掛けのシートを見渡すと、 朝は6人が居眠りorボーとしてる、1人が携帯 夜は2人が居眠りorボーとしてる、、3人が携帯、1人がやっと読書(含・新聞読み、除・マンガ) という感じで、読書(含・新聞読み、除・マンガ)している人は、平均0.5~1人位しか見当たりません。 「活字離れ」と言われて久しいですが、最近に人が本を読まなくなったというのは、統計的にも事実のようであり、日本語能力や読解力の低下が危惧されていますよね。 これは世界的傾向でしょうか? このままでは、益々、人間の「白痴化」が進むと思います。 ネットの影響もあることは承知しているのですが、皆さんは、この傾向をどう思われますか? 又皆さん自身はなぜ本を読もうとしないのでしょうか?

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  • Nannette
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回答No.11

 世界規模で見た場合には読書率はやや右肩上がりだったと思います。しかし、この日本ではたしかに読書をする人は減っているようです。現実に、書籍類の売上げ高は減少傾向にありますし、雑誌の回読率も同じく低下、そして、図書館の利用率も横ばいか低下をたどっているということですから、やはり読書をする人は減っているということでしょう。  ただ、そうした傾向も、単に電車などの中で読書をしている人の割合では判断しがたいとわたしは思います。とかく忙しくあわただしく、なにかとストレスも多い昨今、せめて電車などの車内では目と心を休めておこうという傾向が高まっていると言われているからです。  とはいうものの、読書をしている人もまだまだ多いものです。活字離れ…などと言われていますが、実際には、かなり以前から、読まない人は読まない…、そうした傾向はありましたし、近年になって急に危機的な状況になってしまったわけでもなさそうです。少なくとも、活字のほかにもテレビやパソコン、ラジオなどといろいろな情報ソースがある今日のこと、日本人が総お馬鹿化の道をたどるほどではないと思います。  わたし自身はわりに読書をする方だと思います。ただ、評判の高い小説、古典文学、自分の仕事や趣味に関する専門書といったものはよく読みますが、最近の印税稼ぎの安直な小説などはつい後回しにしてしまい手が回りません。  でも、私は読書と言うなら漫画でもいいじゃないか…という意見には反対です。たしかに漫画は漫画でよくできた作品が多く出版されていますし、それはそれで大変面白いものです。ですが、漫画を活字と比べた時、漫画にはふたつの欠点が見えてしまうからです。  ひとつは、読み進むにつれて滲み出てくる文章そのものの美しさに触れることが出来ないという不満、そしてもうひとつは、読み進むにつれて文章の奥に浮かんでくる自由にして鮮明な情景が漫画では得られないということ。  そんなのはどうでもいい、ストーリーが面白ければ漫画でもいい、漫画ならキャラクターやシチュエーションが明快に画像化されているから視覚的で理解しやすい…などという人なら、読書の代わりに漫画でもなんの痛痒もないことでしょう。それそれでいいと思います。  でも、わたしなら、美しく装丁された一冊の書物を手にし、丁寧に表紙を開き、美しく並んだ活字に胸をときめかせ、上手に書かれた豊かな文章からその美を汲み取り、読みながらその場面の自分なりの舞台の光景を、そして登場人物の風貌をと頭に描く、そしてその世界に自分も浸りきる…そうしたプロセスが大好きなのです。  そうしたデリケートな感性が衰え、イマジネーションを頭の中に描けなくなる、そうしたことこそが、ご質問者様が危惧する日本国民の知性の低下の原因だとわたしは思うし、もしそうであるならば、やはり、文字は大切、漫画を読むことでは到底補いきれない読書の効用といったものを、わたしは感じてしまうのです。

oozora2000
質問者

お礼

ご丁寧なご回答有難うございます。お礼遅くなりました。 確かに読書する人は減っているのですね。 読書の重要性に関する基本的な認識はお持ちのようですね。共感します。 読書をする人はいつの時代にもするし、しない人はいつの時代にもしない、ということであり、当たり前ですが、別に今に始まったことではないですよね。 けれども、ストレスの多い時代、電車の中ではゆっくりしたいというのもわかりますが、電車の車内ほど何事にも煩わされないで読書が出来る空間の筈、・・・ここでしない人は他でもしないのでは?一事が万事なのでは?という気もします。そして読書をしないということは確実に頭が衰える原因になるのではないか、という考えも依然として変わりません。 国力のみならず知性の点でも、他国から追いつかれ追い越されようとしている今の日本の知性を取り戻すために、あらゆる手段を講じてでも、読書の有用性をひつこく、くどく、ねちっこく、強調していく必要があると思います。

その他の回答 (17)

noname#217196
noname#217196
回答No.18

国内だと50代以上は1990年代後半以降、毎年、年間一冊も本を読まない人が過半数らしいです(読売新聞読書週間世論調査)。 ただし2000年代以降、小学生、中学生、高校生の月間読書冊数が急上昇、まったく本を読まない率も低下傾向(全国学校図書館協議会による毎日新聞との共同調査)。 といった調査結果からは十代が読書に熱心なのに対し、二十代以降はあまり本を読まない、と言えそうです。 また、いちおう読書冊数が増え、無読率が低下している中高生も、ライトノベル、ハリーポッターに代表されるファンタジー児童文学、ケータイ小説が読書の中心と考えられ、年齢の割に柔らかい内容の本しか読まないようです。このへんが、斎藤や藤原のように大学で教えている人たちには、学生が読書してないのと同じに感じる原因に思えます。 なお電車内の観察で読書離れを判断するのは難しいと思います。9.11テロ後、ホームの売店を撤去し、電車待ちの合間に売店で文庫、雑誌を買えなくなった電鉄会社は増えました。いまは電車内の暇潰しにケータイ、スマホ、携帯ゲーム機もあり、電子書籍も読めます。

oozora2000
質問者

お礼

お礼がすごく遅くなりすみません。 50代以上は1990年代後半以降、毎年、年間一冊も本を読まない人が過半数・・・驚異的な数字ですね。 もう大人は変わらないけど、こうなったら子供たちの読書習慣を後押しするしかないですね。着実に成果が上がっているようで何よりです。 後半ですが、皆さん電子書籍のことを強調されるのですが、そんなに携帯やスマホで本を読んでいる人は多いのですか?又電子化された書籍はほんの一部だと思うのですが、如何でしょうか?

回答No.17

読書家です。(濫読家というべきか) そうですね。最近は、皆さん、本を読まなくなりました。 小説もドキュメンタリーも、実用本でさえも。 >ネットの影響もあることは承知しているのですが、皆さんは、この傾向をどう思われますか?  悲しいことだと思います。 世の中が理系至上主義になって、尚のこと「読書」は忘れ去られたような気がします。 辞書を引かない人も増えましたね。 すべてネットの検索で済ませてしまう。 その結果、中途半端な知識しか身につかないということも往々にしてあると思います。 ここのような質問サイトでも、何を質問しているのか全くわからないような、奇妙な日本語を書く人が増えました。 本を読まないので、国語が出来ないわけですね。 読んだことがない人は、読み手の身になって文章を作ることを知りません。 会話同様、自分の言いたいことをバーッと書くことしか出来ないのですね。 学校でも、国語教育に力を入れませんからね、今は。 このような傾向は、個人的には本当に寂しいです。 自分が、古今東西の文学やミステリー・SF、伝記などを読んで読んで読みまくりつつ育ったことを、誇りに思います。

oozora2000
質問者

お礼

お礼がすごく遅くなりすみません。 ネットの検索だけで済ませてしまうことにより、「情報達人」にはなれるかもしれませんが、思考力は育たないでしょうね。日本語能力も低下するでしょうし・・・。

  • localtombi
  • ベストアンサー率24% (2911/11790)
回答No.16

本というか活字ですよね。 朝の通勤時間でもマンガ本を読んでいるリーマンを見かけますが、おいおい!と思ってしまいます。 活字離れといっても、何も電車内で本を読めということではなく、日常的な生活の中で「何かを読む機会」というものが漸減している(もしくはほぼ消滅している)ような気がします。 私は仕事柄書いたりすることが多いですが、いまだに「我が身の凡才ぶり」を嘆きます。 ですが活字を読むことで、文章の構成や言い回し、流れなどのイメージが鍛えられるのはどうやら事実のようです。 このQ&Aサイトでも、志望動機について添削してください的なQを見ることがありますが、実に稚拙な文章、アンバランスな文章に出くわすことがあります。 言いたいことがうまく言い表せていない、表面的になぞって終わっているようなことが多いです。 もっとも昔は「手で何かを書く行為」が当然で、頭の思考もそれに対応していましたが、今はキーを叩いて完結する世界が主流となってきています。 漢字が思い出せない、漢和辞典の引き方が分からない、例えば依頼の依について“にんべんに、ころも”と言っても、え?と返されるようなことが当たり前になってきているような気がして、ちょっと不安です。 ですが、もう時代の流れとしては戻れないのでしょうね。 読む人はこれからも読んでいく、読まない人はこれから益々読まなくなる・・ それは各人の価値観でしょうから仕方がないことだと思います。

oozora2000
質問者

お礼

お礼がすごく遅くなりすみません。 おっしゃるように、よい文章を書くためには、多くの文章を読むことが大事だと思います。 最後の文章にだけは注文を付けたいのですが、本を読まないのは個人の自由だし、価値観だというのは理解できますが、これは決して「良い価値観」などではなく「悪い価値観」だと思います。 本を読まない人は確実に頭脳の劣化を招き、思考能力や文章力も磨けず、結局損になると思います。

noname#152422
noname#152422
回答No.15

電車の中ですか。 かつてとても迷惑に感じていた、新聞を読む人が少なくなったのはとても好ましいと思っています。 いろいろと邪魔だしバサバサとうるさいし。 自分が電車で本を読むときは、スマホではなく紙でできた本を読みます。慣れのせいもあるでしょうが、文字間の隙間の大きさとか、本の手触りや匂いといったものも同時に楽しむ感覚をもつためというポジティブな理由と、PCと睨めっこしている時間が多いので移動中くらいはデジタル機器と離れたいというネガティブな理由が思い当たります。 電車を通勤だけに使うかどうかというのも関係あるんじゃないでしょうか?不慣れな場所に移動するときは乗り過ごしが怖いので、スマホをいじることはあっても本を読むことはありません。 活字離れについては、たぶん当てはまらないと思います。紙でできた本以外にも文字に接する方法や機会が増えているため、過去のどの時期と比べても活字に接する時間が増加しているはずです。 ただ、読み書きについては、書く能力は全体的に弱くなっているはずです。変換機能を用いても漢字を覚えることはできませんし、PCで書くのに慣れてしまうと手書きのときに思い出しにくくなります。しかし、読みについては種類や形態が多様化しているので過去よりも現在の方が能力が向上しているのではないかと思います。 白痴化についてですが、それはどうでしょう?一例として、将棋の谷川九段は電車を居眠りタイムと称していて本は読まないはずですが、彼は日本、それどころか人類が誇る最高の知性をもつ人の一人であることは疑いありません。 数学者の野崎明弘さんは、周囲から見るとボーっとしているようにみえて、実は頭の中では普段からストックしている数学のテーマについて考えていて、それに集中するあまり自分が今何処にいるのか、それどころか何処へ向かっているかも失念してしまうというエピソードを何度もお持ちだと聞いたことがあります。 電車の中で本を読まないからといって「白痴」というのは当てはまらないようです。 電車のなかで何もすることがないとき、座席に座った人や立っている人がズラっとほぼ全員スマホを見つめている光景が異様で不気味に感じ、「うわ~こいつら北朝鮮のマスゲームの選手みたいだな」と思うことはあります。しかし、自分自身が何かに集中していれば気になりません。 むしろ、世の中の変化を否定して物事を一つの側面でしかみずに思考停止してしまうとそれは「白痴化」につながるのかもしれません。

oozora2000
質問者

お礼

お礼がすごく遅くなりすみません。 確かに新聞など紙の音はうるさいし、スペースを取りますね。で、私は新聞は会社か家で読むことにしました。代わりに本を読み始めたら、読めること読めること・・・こんなに快適&効率的な空間はないと思ったのに、あまり読んでいる人を見かけないのでこの質問となりましたが、必ずしも皆さんそう思われないようで・・・ひとりよがりだったかも。周囲から見るとボーっとしているようにみえても、実は頭の中では色んなことを考えている方もいるのですね。 乗り過ごす心配もわかります。今「坂の上の雲」に熱中してしており、一昨日は2回乗り越しましたし・・・でも止められません。 又、私も電車内の人が皆眠ってるか、携帯やスマホをいじっている景色を見て、非常に異様に感じるのですが、世の中の変化を否定して物事を一つの側面でしかみずに思考停止してしまうようなことにならないよう、気を付けたいと思います。

noname#156504
noname#156504
回答No.14

電車内での現象のみで「活字離れ」「世界的傾向」を語る事が そもそもおかしな事です。 「統計的な事実」すら断言なさっていないのは、その統計が 曖昧である事の証明です。 せめて「何時、何処で、誰が(もしくはどの会社か)」出した 統計かを明確にして引用するべきでしょう。 >日本語能力や読解力の低下が危惧されていますよね。 こうおっしゃる反面、「白痴」が差別用語と御存知無いご様子。 これは一体、どういう事でしょう。 >又皆さん自身はなぜ本を読もうとしないのでしょうか? 読んでいますよ。御質問者様が御存知無い所で。 単に「自宅」だというだけですが。 電車内では読めないです。パニック発作の原因になるので。

oozora2000
質問者

お礼

電車の車内ほど何事にも煩わされないで読書が出来る空間の筈、・・・ここでしない人は他でもしないのでは?一事が万事なのでは?という気もしますが、確かに目によくない、ということもありますし、家で読む習慣になったいる人もいるのは事実でしょうね。私は逆に家ではあまり本を読みません。他に色々やることが多いし、又読書の後の内容ダイジェストの整理もしているので・・・。 差別用語を使ったのは安易だったと思います。申し訳ありません。

  • cxe28284
  • ベストアンサー率21% (932/4336)
回答No.13

電車の中で本を読まないからと言って、本を読まないとは限らないと思います。 私は集中できないし、短時間しか乗らない場合中途半端なので読みません。 今日デパートにある本屋に行ってみると、結構人がいて文庫本を買っていく人は いました。ここはできた当初より3倍ぐらい拡張しています。 子供が本を読まないでゲームやアニメだけみているのはどうかなと思います。 なぜかと云うと本を読むと云う事は、受け身だけではいられなくて自分の想像力や、 推理力や読解力をフル稼働させなくてはならないからです。そうでなければ、 文字が立ちあがって生き生きとした場面になってこないからです。 国語のカテで中国の若い人が夏目漱石を読んで質問してきます。 日本人より流暢に質問文を日本語で書いてきます。 昔子供文庫をやっていましたが、お母さんたちが読み聞かせのために本を借りていきました。 文庫で一度読んで貰った本をもう一度自分で読みたいと云って借りていく子がいました。 大人や親の努力も必要なのではないかと思います。

oozora2000
質問者

お礼

>本を読むと云う事は、受け身だけではいられなくて自分の想像力や、 >推理力や読解力をフル稼働させなくてはならないからです。 その通りですね。考える過程が脳を活性化する訳であり、読書をしないと確実に脳が劣化するのだと思います。他の代替手段としては、本を書けるほどの古今の知識人に会って色々話を聞くことくらいかと思いますが、そんなに出来ることではないし、やはり読書が一番手軽に知識や考え方を手に入れられ、思考の道具に出来る手段なのではないかと思います。

回答No.12

本と言う形ではなく、携帯やタブレットなどで読む方が多くなっております。 というか、電車内では本や携帯は読まない人が多いようです。酔いますから。 電車内で携帯などはマナー違反ですしね。 活字離れが日本語能力や読解力の低下につながるわけではないこともあります。 読むけど分からない表現はそのまま流したり、語感のイメージで理解してしまうということが多くなったような気がします。 リアルで異世代と話すことが少なくなったことが大きいようです。 私が若い頃も「活字離れ」と言われていましたが、現在のほうがよく読まれているような気がします。 アニメも小説原作のものが多いみたいですし。 本屋も潰れることが多いですが、万引き被害とネットショップ、リサイクルショップの台頭によるものでしょう。 景気低迷もありますけど。 本屋が潰れる=活字離れとは考えないほうがいいです。 熊本県ですが、昨年は「1か月に3冊以上本を読む子どもの割合が過去最高」だったとか。 別の古いアンケートですが、20代30代などは他の年代と比べて読まないそうです。 また別のアンケートでは20代30代のほうがよく読まれているという結果がありますが。。。 世界的傾向と言われても・・・貧富の差が激しい国では文盲もいますし、ネットが必ずしも悪とは言えませんし・・・ ただ、文盲率は下がってきているので、世界的傾向ではないと思います。 このアンケートに回答されている方は本であれネットの文章であれ、読むほうが多いようですね。 私は本をあまり買わないだけで読むほうです。 何回も何回も好きな作品は繰り返し読むタイプなので。

oozora2000
質問者

お礼

丁寧なご回答ありがとうございます。 まず譲れないのは、活字離れは、確実に日本語能力や読解力の低下につながると思います。 でも回答者様はじめ熊本の方は読書家が多く、着実に読んで、その成果を活用されているようですね。

  • izumi044
  • ベストアンサー率36% (1335/3634)
回答No.10

こんばんは。 >皆さん自身はなぜ本を読もうとしないのでしょうか? 人によって、読書に快適な空間はさまざまだと思います。 私の場合、他に邪魔される心配がないという点で「通勤途中」が一番読書に向いています。 今は歩いて通える距離なので、読書量は極端に減りました。 家にいる場合、家事やらドラマの時間やらなんやらと気になることが出てきてしまうため、なかなか集中して読めません。 同時に、家で読む場合はかなりゆっくりと読み進めます。セリフは人が語るように、美しい描写や綺麗な表現などに出会うとそこを何度か読み返したりもします。 そんな読み方をしますので、数時間余裕が出来た時でないとなかなか「本を読もう」とならないことが多いです。 また、速読も出来ないわけでないのですが、なにせ自己流で身につけたものですので、極度に目が疲れることと集中力をかなり要しますので、そこまでして大量に本を読みたいとも思いません。

oozora2000
質問者

お礼

私も、他に邪魔される心配がないという点で「通勤途中」が一番読書に向いていると思います。 速読も確かに集中力がいるので、疲れている時には向かないかもしれませんね。

noname#156725
noname#156725
回答No.9

50歳♂ > 1人が携帯…3人が携帯 > なぜ本を読もうとしないのでしょうか? これだけでは、判別が付かない…携帯でも?本を読めます。 私が使用する普通の携帯でも、小説本等を表示出来るアプリ が付いてますし…ましてや?スマートフォンやi ファンが 普及している今の時代に…本を持ってないからと言って? 読まなくなったは、時代に逆行されていると思いませんか?

oozora2000
質問者

お礼

私の認識では、ネットや携帯でも本が読めるのは勿論承知していますが、まだ全ての本が読めるのではないし、本を読んでいる人は、メールやゲームやネット検索(これは再三言っていますが「読書」でなく、単なる「情報入手」ですよね。」ですね。)に比べれば圧倒的に少ないのでは、と思っています。果たして実態はどうなのでしょうか? それと >読まなくなったは、時代に逆行されていると思いませんか? という日本語がよくわからない。 「本を読まなくなった」ことは時代に逆行→「本を読む」ことが時代の流れ、という意味?

  • cucumber-y
  • ベストアンサー率17% (1846/10420)
回答No.8

日本語能力や読解力と言った文章の裏側まで思考することを考えれば新聞よりも漫画のほうが『読書』と呼べると思いますがいかがでしょう。 私の感覚では巷に多く広まっている漫画でも内容的にはライトノベルと同等、名作と呼ばれる漫画であれば文学作品にひけを取らない内容を有していると思っているのですが。 私は漫画中心(購読漫画雑誌7誌、ビジネス雑誌趣味雑誌13誌)ですがそれでもハードカバー、文庫本合わせて月に5~10冊は読んでいます。 漫画を読書に含まないご質問者さんがどんな高尚な文学に触れているのか興味がありますね。 (日本語に深く精通していながら差別用語をこのような場で使う意図も含め。) 読書に相応しい場は人それぞれ。 ご質問者さんが乗っている電車が世界基準だとも思えません。 (データを取るには対象サンプル数が少な過ぎる上に似た生活パターンの方が多くいますから。) 「読書をしている」と公言するほどの方であればこのようなデータの取り方にも詳しいはずですが・・・ >皆さんは、この傾向をどう思われますか? 日本の庶民が「読書」などと言い出したのは僅か150年ほど前のこと。 その時代から比べれば読書量、知識量ともに比べるまでも無く多くなっています。 紙媒体の本だけが知識の基であった時代から媒体が多様化すれば紙媒体の利用者が減少するのは自然な流れと言えるでしょう。 >又皆さん自身はなぜ本を読もうとしないのでしょうか? 趣味や仕事、睡眠時間を考慮すればそんなに読書ばかりしている時間がありません。 (私は先週まで1ヶ月ほど入院していてその間にオークションで買いなおした阿刀田高氏作品64冊読みましたがこんな贅沢な時間の使い方は労働者が普段出来るものでは無いと思います。)

oozora2000
質問者

お礼

cucumber-yさん、しばらく見えないと思ったら、1ヶ月も入院されていたのですね。その間に64冊?・・・すごい!確かにこんなに贅沢な時間の使い方は労働者が普段出来るものでは無いですね。 確かに漫画も画像の裏側に隠れているイメージを想像するだけでも思考力が鍛えられるかもしれませんね。漫画、ハードカバー、文庫本合わせて月に5~10冊は読んでおられるのなら、「読書家」に入りますね。 差別用語を安易に使ったことは軽率でした。 又、電車内の状況だけでは、統計的に不十分だったことも認めます。 又、印刷技術の向上により大量印刷が可能になる前と比べれば、各段に読書人口が増えていることも事実ですね。 一日の中で、勿論読書ばかりに時間をかけることはできませんが、そういった意味で電車のような移動時間は、またとない読書の時間だと思われるのに、実行している人が少ないことが気になってこのような質問を出しました。 今朝、NHKの「あさいち」でも速読のことをやっていました。速読の出来る人が出てきて、初読の新書本を番組スタッフと競争して「せーの」で読み始め、10分で、内容を理解した上で読み終わっていました。 毎朝、出勤前に2冊読み終わるそうです。私も早速、今朝の車内で1冊読み終わり、帰途の車内で再読しました。やる気があれば、誰でも、少ない時間でも沢山本が読めると思います。 それをしないのは、本当に勿体ないと思います。

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