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文章が上手く書けない

昔から文章が上手くまとめられなくて苦労しています。「やり方がわからなくて苦手」というより「書かされるのが苦痛で仕方ない」という感じです。 大学に入るまではそれでもなんとか上手くやっていたのですが、レポートというものを書かされるようになって自分がこういうものが全く書けないということに気づきました。感想文とかならまだ書けるんですが、客観性の入る文章になるとダメなようです。課題を出されると頭が真っ白になります。 で質問なんですが、こういった症状の出る障害・発達障害というのは存在するのでしょうか? ADHDだと文章を書くのが苦手だったりするようですが。 あと同じ様な悩みを持つ方いるでしょうか。 因みに本を読むのも苦手で、理由としては因果関係が上手く掴めないからです。同じ理由でテレビドラマを見たりするのも苦手です。登場人物が一体なぜこんな行動をするのか?といちいち考えてしまいます。 ※テクニックの問題ではないと思うのでテクニックのアドバイスはいらないです

みんなの回答

noname#139434
noname#139434
回答No.7

こんばんは。 お礼の回答、拝見いたしました。 f-starさんのご自分の意見をまた少しだけ知る事ができました。 これも文章ならではのデメリットでもあるんですよね。 何度も何度も時間をかけてこうやってやりとりをしなければお互いの視点やお互いの意見、お互いが持っている背景というのがわかりません。 私がこうやって返事を書き続けていると、他の方が書き込み辛い可能性が考えられますので、もう私の返事は不要だと感じた時には「返事は結構です」と遠慮なく書いてくださいね。 f-starさんは、こういったちょっと堅苦しい敬語のような文章は苦手なほうでしょうか? 敬語に抵抗があるようでしたら「^^」や他の顔文字、少し砕けた言葉で書きますが、どちらがいいでしょう? その他にも何か希望があれば言ってくださいね。 胃潰瘍の例えでしたら、「胃が痛い」→「薬を飲む」→「治らない」→「医者へ行く」→「胃潰瘍だった」→「胃潰瘍の痛みだったのか(気持ち的にはスッキリ)」→「薬を処方された」→「薬を飲み続ける」というような流れになりますね。 痛みの原因を知る事ができれば「安心」することが出来ます。 わけもわからず、ずっと痛みが続けば「このまま死んでしまうんじゃないか・・・」と頭の中を駆け巡ることにもなりかねませんし、他の事が手につかなくなってしまいますね。 水道管の例でf-starさんが色々と書き込んでくれたので、f-starさんが現在、どのような状況に置かれているのか少し感じる事ができたように思えます。 他の人以上に文献を読み漁り、一生懸命、レポート作成や勉強をしているのにいつまでたっても他の人より劣っている。 先生に文章の事を相談しても、自分は全くできていないと感じるのに「問題ないよ」と言われてしまい納得いかない。 友人や他の人に相談しても「考えすぎじゃない?」「もっと勉強しないからだよ」「そんなこと気にしなくていいんじゃない?」など真剣にとりあってもらえない。 かといって、他の学校へ行くにもお金はない。 自分の何が良くないのかひたすら考えても調べても結局わからない。 あげく、私にまで「周りがどんな状況であっても勉強し続けよう」と言われたように感じる。 こんなかんじかなぁ・・・と想像してしまいましたが、私の想像なので間違っていたらご指摘くださいね。 原因がわかることのメリットは不安が軽減されるということですね。 不安が軽減されることによって、今まで痛みを感じる事だけを考え続けていたことが「こういう原因ならこうしよう」という次へのステップを踏む事ができるようになりますよね。 もし、このようにお考えなようでしたらf-starさんも、おっしゃっているように一度、病院へ行かれてみてください。 精神科というと、ちょっと敷居が高いように感じるかもしれませんが、検査を行う事によってf-starさんの望む回答が得られるかもしれません。 検査は保険適用となっているとは思いますが、それは病院によって異なりますので電話で確認をとられてみてください。 保険適用でしたら性格検査と知能検査の2個でだいたい高くても4000円ぐらいのはずです。 確か1800円と1500円ぐらいだったと思うのですが詳しい金額は忘れました。 精神科へ行く場合、親にばれたら困るということでしたら、もう前もって親に伝えておくほうが良いかもしれませんね。 言い方としては、そのまま言ってしまうと反対される可能性が高くなると思いますので「友人が○○病院に勤めていて心理検査の練習をしたいというから実験台になってくる!」というような言い方であれば少しは認めてもらえるんじゃないかなと個人的には思います。 f-starさんは、自分のどんな文章に不満を感じ、どのような文章にしていきたいとお考えなのでしょうか・・・。 客観的に書きたい・・・と考えられていても「どのような文章なら客観的と言えるか?」という参考を探さねばなりません。 まとまりがない・・・となると、これもまたまとまりのある文章を探して、どのような事をどのような言葉に置き換えているのか、題目に対してどのような事を重要としているのか・・・などキリがありませんが、「目標とする文章」を選ぶ必要があるかもしれません。 こういうことに関しても、実際に会って話ができる状況であるならば、自分のこの一文はこのように感じる、でも本当はこのような文章にしたいのだということを詳しく聞く事ができるのですけどね。 それが可能なのは、f-starさんの身近にいる先生なのかもしれませんね。 コミュニケーションの件については、また別の話になってくると思いますので文章に関連するお返事に留めさせていただきます。

f-star
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 やり取りに関してですが、 誤解が生じる、なかなか理解が進まない理由は 私は文章によるデメリットではなく お互いが前提としている意識の違いによるものだと思っています。 黒いものが黒く見える人と白く見える人ではお互いの言っていることは いつまで経っても通じません。 方向の違うベクトルが進めば進むほど距離が開くような感じです。 精神検査の情報ありがとうございます。 性格検査は一度受けたことがある気がするんですが あまり参考にはなりませんでした。 私の書き方が誤解を与えたんだと思いますが、 私は「文章が上手く書けるようになりたい」わけではないです。 なんだかまとまりのない文章になってしまいましたが 色々と参考になりました。

noname#139434
noname#139434
回答No.6

こんにちは。 大変、丁寧な回答をいただけて嬉しく思います。 補足を頂いてから、時間が空きすぎてしまいましたので、失礼だとは思いますが補足文を引用させて頂きます。 >本を読むと、意味は分かるんですが、いざその内容を・・・ f-starさんが経験した事でなら、レポートとして文章にまとめることができるわけですね。 確かに自分が経験したことでなら、たとえ話も作りやすく、相手に伝わりやすいように、相手が理解しやすいように1個の単語でも噛み砕いて説明することが可能となってきますね。 それに、f-starさんはレポートを書く際の文献を「これは他人の考えである」ということを認識していらっしゃいます。 だいたいの人は、文献を読むとその文献の実験結果や知識をあたかも「自分が考えたもの」のように文章をまとめ、客観的記述を重要とするレポートを主観的に記述していく傾向があります。 f-starさんは、こういった傾向に流されず、「こう書いてしまえば主観的になる」「文献を読んでこれは理解したし、覚えたけど自分の考えではない」ということに気づき「では、どうしたら・・・」というところまで行き着いているように思えます。 レポートはf-starさんが考えている通り、自分の考えを書くものではありませんね。 「○○によると・・・○○という実験結果が得られたようである」「○○は・・・○○と述べている」 他にも色々ありますが、この文章を読んでどのように感じましたか? 私の考えは一切述べておらず、文献に書かれてある「事実」のみを記述していることになりますね。 これを他人が読むと「客観的に記述している」と見られる可能性が出てくるであろうと思います。 >医者にかかって検査を受けられたということですか?・・・ はい、そうです。 精神科へ行き、心理検査を受けました。 心理検査ですべてがわかる、というわけではありませんが何万もの人を検査して統計処理を行い、そのうえで、精神病レベルなのか、神経症レベルなのかが定められておりますので多少は信頼できる検査であろうと私は思っています。 検査結果ではIQが測定できますが、私の年齢の平均IQに比べると私のIQはかなり低めに出ました。 発達障害ではありませんが、ギリギリのラインです。 たとえ、発達障害のIQ領域になっていたとしても私は学ぶことをやめたりはしなかったと思います。 どんな障害があっても、その障害に応じて、どのように社会適応していくのかが問題であり、○○障害、○○病などはほとんど関係ないと私は考えています。 どんな病を持っていたとしても、他人がどうこうできるわけでもなく、他人が痛みを背負ってくれるわけでもなく、他人が治療してくれるわけでもありませんよね。 どのように対応していけば良いのか?という自分の問いに対して、他人からのヒントを参考に自らが行動し、自らで答えを出していくしか方法はありません。 失敗や恥あってこその成功で、失敗や恥がなければ成功もありません。 ですから、私は誰に何を言われようと、周りがどんなに秀才であっても自分のペースで自分のできることを自分のレベルで挑戦し続けています。 >周りの人が「昼休みにレポートを完成させる」とか・・・ 周りの人がみんなそんな人たちだったら絶望を感じますね。 周りの人の成績が良いからこそ、自分の成績は良くないという白か黒しか見えないような考えにまで至ってしまいますよね。 これは果たして何人の人と比べた事になると思いますか? 確かに、f-starさんの周りは文章の得意な方が多いように思えます。 その文章の得意な方たちが外国や今の大学以外のところでレポートをまとめると果たして成績が「良い」ということになるでしょうか? どんな場所にいっても、レポートを作成することが可能だと言い切れるでしょうか? 私ならNOと答えます。 f-starさんの周りでは文章の得意な方たちが多く、プレッシャーを感じてしまう世界ではありますが、少し別の世界へ離れてみると、f-starさんと同じような境遇をお持ちの方もいらっしゃいますね。 むしろ、その世界から離れると今度はf-starさんがレポート作成が丁寧だという周りからの評価を受け、別の人がf-starさんを見て「自分はどうしてこんなに文章が・・・」と悩む方も出てくるやもしれません。 「この集団の中では文章は苦手なほうになるかもしれないけど、全体的に見ると自分は平均ぐらいだろう」というような肯定的な考えを描いてみるのも良いかもしれませんね。 周囲の優秀な方たちばかりを観察することは、自分を今以上に貶める原因となる可能性が高くなります。 大切なことは「できない原因探し」ではなく「どうしたらできるか?」であろうと私は思います。 わかりやすく例えるなら・・・ ある日、家に帰ると水道管が破裂しており、家中が水浸しになっていたとします。 f-starさんはとめどなくあふれ出ている水をそのままに「どうして水道管が破裂したのだろう?」と水道管を辿って原因を探しますか? 恐らく、水道管が破裂しているとわかったなら何故、破裂したのか?ではなく、どうしたら水をとめれるか?と、水道局に電話しますよね。 レポートに関しても、周囲の方たちへの考え方もこれと同じことです。 最後に・・・ 「わかりにくくてすみません」とありますが、「わかりにくい」「伝わりにくい」というのが文字だけのやりとりでのデメリットとなります。 f-starさんの書き方が良くないではなく、文字だけのやりとりに必ず付随してくるデメリットなのです。 反対にメリットとしては、相手に○日の○時に返事をくださいというような要求がないかぎりは、返事は自分の都合に合わせていつでも書けるということになります。 リアルでの対面場面ですと、相手が話しかけてきたら無言で自分の都合に合わせて返事をするというわけにはいきませんよね。 ですから、f-starさんに原因があるわけではなく、私たち人間の外側に原因があると考えられるということです。

f-star
質問者

お礼

三たびの回答有難うございます。 私とは視点の異なる意見で勉強になります。 ほとんど仰る通りだと思うんですが、少しだけ自分の意見を書かせて下さい。 ・なぜ原因にこだわるのか 原因探しが行き過ぎると不毛だというのは、確かにそうです。 原因探しというのはクリエイティブな行為ではないし労力をかけても結局何もわからないかもしれません。 自分でもタコつぼに入っているんじゃないかと思うことはあります。 しかし個人的には、原因というのは参考資料であり、問題解決の指針だと思っています。 水道管が破裂した原因を知ったところで人生に多大な影響を与えることはないですが、問題は自分の頭に関することですから。 例えば胃が痛い。 「どうやったら」胃が痛くなくなるか? 胃薬を飲めばいい。 対症療法というやつでしょうか。 「なぜ」胃が痛いのか? 答えは「胃潰瘍だから」 更になぜ胃潰瘍になったのか? 答えは「ストレスがかかっているから」。 上記二つのどちらがいいかということではなく、胃の痛みを取るにはどちらも必要なことです。 多分こんなことはskinnerさんも分かっていると思います。 水道管の話で仰りたいことは分かります。でもちょと違うんです。 私が今置かれている状況を水道管でたとえてみると、 同じ住宅街に住み、同じ家賃を(もしくはそれ以上を)払っているのに 「なぜか」自分の家の水道管ばかりが破裂する。 電話がつながらない。 水道局の人が来ても「特に問題ないです」と言われる。 お隣さんに相談しても「私のところは問題ないわよ。気のせいじゃない?」と言われる。 親には「あなたの努力が足りないから水道管が破裂するのよ!」と言われる。 または「外から見たら水道管が破裂していることはわからない(だから気にするな)」と言われる。 家は一人暮らしなので一人で問題に対処し続けなければいけない。 しかし水道管の修理は難しくて自分ではできない。 引越そうにもお金が無い。 そして大変失礼なんですがskinnerさんには 「水道管が破裂してても気にせずに蛇口から水を出そう」と言われているように聞こえてしまう。 私は「蛇口から水なんか出ないよ…水道管が壊れてるのに」 こんな感じです。 私が原因にこだわるのは、性格の問題かもしれません。 ただ、例えば色盲の人が自分が色盲であると分かっているのとそうでないのとでは自分の感情も周囲への接し方も異なると思います。 その人が色盲であると知っているかいないかで他人の意識も変わります。 まあ、そこまで言うなら医者に行けという話なんですが、コミュニケーションが上手くとれない、見知らぬ場所に行って見知らぬ人に会うのが苦痛ということでずっと躊躇っています。 他にも御指摘に関して色々思うことはあるんですが、上手くまとまりません。とにかく何度も回答して下さってありがとうございました。 自分のことを少し客観的に見ることができました。

回答No.5

お礼、拝見しました。 かなり以前、私がフランス語を勉強し始めたとき、 像を見たことがない人にフランス語で教えてあげてください といったような課題が多々課された記憶があります。 できるだけ少ない言葉で的確に相手に伝えるスキルは大切ですね。 日ごろ私は〈1分間テーマ作文〉〈3分間テーマ作文〉などを お勧めしているのですが質問者さまのトレーニングとして 短文の練習は有効かどうかは何とも言えないものの、 やってみても損はないような気がします。障害があるのでしょうが トレーニング不足の印象も感じてしまいます。それと、 脳のエクササイズにもなりますので、楽しみながら 〈Peter Piper〉 〈外郎売〉 のトレーニングをしてみませんか。 そうすることで滑舌がよくなるだけではなしに 心が美しく磨かれます。こちらも、ご損はありません。 お試しあれ! (とりあえず、You Tube などで聴いてみてください) 〈Peter Piper〉は十秒ほどですので 自己紹介のときなどに〈隠し芸〉として 披露すると喜ばれます。 ちょっとしたマジックなど〈隠し芸〉にして おきませんか。 ちょっとしたことで人間の幅を広げることができ 自信にもなります。参考まで。 毎朝のストレッチングに、 〈Peter Piper〉〈外郎売〉の ながら早口練習を 加えても問題ないでしょう。

f-star
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 確かにトレーニング不足かもしれません。 どうも私は自分が書いた言葉、文章が相手にどう受け止められるのかということをあまり考えていないような気がします。 自分が感じたそのままを書いているというか、要するに主観的、自己中心的な書き方をしているというか。 相手に如何に伝えるかという練習はやはり必要ですよね。 ピーターパイパー、外郎売、いいかもしれないです。 隠し芸とかを持っていないのでちょっとやってみようかという気になりました。また試してみます。 色々ご提案有難うございました!

回答No.4

質問者さまに、レポートの課題を課している大学の先生に この質問のようなことを巻紙に毛筆の美しい書体で手紙に真摯に書いて 相談してみませんか。(メールは不可というか礼を欠くので止めましょう) 現に過去のレポートを読んで質問者さまの実力の程度を知っているでしょうから 学長や、先生の同級生などの他大学の専門家を紹介してくれるなど 協力してくださるかもしれませんよ。現状のままでは 将来の生きる選択肢や生きる領域が限られてしまいますね。 いい専門家を紹介してもらえるといいですね。 それには、真摯に対応することが大切です。 紹介したくても、 そうした専門家の存在が不明というケースがありますので アメリカなど世界に調べを広げてみるのも1つ方法ではないでしょうか。 いちばん安易な方法はアメリカのメディア(=新聞・TV・雑誌)に、 手紙を書いてみることです。アメリカの医学部のある大学にも 手紙を書いてみましょう。 アメリカ以外にも、できるだけ現地語で手紙を書いてみましょう。

f-star
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 そうですね、大学の先生に相談するのが結局一番早いかもしれません・・・ そうする機会もあるにはあったんですが、話すこと自体が結構苦痛なんです。 たぶん話しても「ちゃんとできてるじゃない?」と言われるだろうなあとか、「どういう風に難しいのか」と訊かれても、うまく説明できない、もしくは説明しても伝わらないという苦しさがあるからだろうと思います。 専門家の不在ということはありますね。 世界に調べを広げるというのはありですね…御指摘ありがとうございます。考えてみます。 英語はあんまり上手くないんですが。

noname#139434
noname#139434
回答No.3

こんにちは。 お礼の回答ありがとうございます。 私はイメージをそのまま書き出す事ができないのです。 本を読んでも「そうなんだ~・・・」としか思えず、あとは真っ白ですね。 イメージ通りに書けないというのは、恐らく、参考書のようなしっかりした本のような文章の構成や書き方をイメージしているのかもしれません。 それで、実際自分で書いてみるとまとまりもなく、何を伝えたいのか言いたいのかわからないのです。 レポートを他者に見てもらうことはありますが、やはり評価は「何が言いたいのかわからない」「まとまりがない」とのことでした。 f-starさんは本を読んで文章にまとめるとき、「あれは何故?これはどういう意味?なんでこうなるの?」といった疑問、「あれも大切な気がする、これも加えなきゃ伝わらないかも」というようなことが頭に浮かびませんか? 私は本を読んだりしていると、とにかく色々な事が頭を駆け巡り、収集がつかなくなって最終的には「自分はなんでこんなに頭が悪いんだろう・・・」と自分を責め、そして「何か他に原因があるのかも・・・」という具合になってしまいます。 結局、何らかの障害があったわけでもなく、脳に異常が見られたわけでもありませんでした。 単純に、一度に色々な事を考えすぎて自分でまとめられる能力の度を越えていたという自分なりの答えにいきつきました。 なかなか直るものでもありませんが、一度に色々考えているということを自分で気づけるように心がけています。 レポート完成には、私は早い時は3時間程度で終わりますが、書けない時は2週間3週間毎日何時間も机に向かっています。 私の周囲の人でもレポート完成には最低1週間かかると言っていた人もいましたし、一ヶ月かかる人もいらっしゃいました。 それもこれも、時間制限がゆるいからでしょうね。 f-starさんのレポートはどのくらいの文字数で、どれくらいの期間で仕上げなければならないのでしょうか? また、期限がすぎると、周囲からどのような評価、対応を受けるのでしょうか? 私はレポートを書かなければならない会社というのをあまり知らないので・・・。 それとも、f-starさんはもうレポートを書かなければならない状況にいるのではなくて、レポートを書いていた時期を振り返って「あの時レポートが書けていれば・・・」というような後悔をしているということなのでしょうか? そして、二度とそんな思いを繰り返したくないから今のうちに原因を見つけて解決しておこうと考えての質問だったのでしょうか?

f-star
質問者

お礼

こんにちは。 >本を読んでも「そうなんだ~・・・」としか思えず 私もこんな感じです。特に講義とかを受けていても「そうなんだ」としか思えません。「他人事」という感じですかねえ・・・ ではなぜ感想文が書けるかというと、たぶん本の内容を自分がよく知っていることに関連させて無理にでもまとめているからだと思います。 >f-starさんは本を読んで文章にまとめるとき~ 私は本を読むと、意味は分かるんですが、いざその内容をレポートにしようとすると無理なんです。本に書いてあることはあくまで「他人が考えたこと」であり、「自分が実感として知っていることではない」というか、「自分が知っていること」しか文章にして書くことができないんです。 例えば(変なたとえですが)「テレビの仕組みについて書け」と言われたとき、テレビの仕組みについて書かれた本を読めば仕組みは分かるんですが、それをレポートにはできない。 でも、たぶん自分でテレビを作ったり(?)分解することができたら、書けると思うんです。 自分でも面倒くさい人間だと思います。 >結局、何らかの障害があったわけでもなく、脳に異常が見られたわけでもありませんでした。 これは医者にかかって検査を受けられたということですか? だとしたら相当悩んでいたんだと思いますが診断を受けて納得というかすっきりされたんでしょうか・・・ この辺の経緯をもう少し教えて頂けたら嬉しいです >f-starさんのレポートはどのくらいの文字数で~ 私がまともに学校に行っていたのは1,2回生の時なんでその時はせいぜい2000字とか4000字、提出期限は一カ月先とかの課題だったんですが、多分文字数が何字でも、提出期限がいつであっても苦労したでしょう。 周りの人が「昼休みにレポートを完成させる」とか「2000字なら2時間くらいでできる」なんて言うのを聞くたびに絶望的な気分になりました。 卒業論文だと数万字になるんですが、それを聞いたときは「もうこれは無理だ」と思いました。 期限が過ぎたら、まあ、単位を落とすだけですね…友達とかには言ってません。教授も特に何も言ってきません。 >私はレポートを書かなければならない会社というのをあまり知らないので~ 私もよく知らないですが(すみません)、とりあえず私は会社勤めはしてないです。 今レポートを書かなければいけない状況にあるのではなく、「あのとき書けていれば」と思っているわけでもないです。 ただ、周りの人間がさほど苦労もなく出来ていたことが自分一人に出来なかったという苦しさをずっとひきずっています。 日常生活で苦労していることは他にもあるんですが、まずレポートが書けなかったということをヒントに、原因を探ってみようということで質問させて頂きました。 なんかわかりにくくてすみません。

f-star
質問者

補足

なんか内容の方に気をとられてお礼を忘れてました…補足欄ですみませんが回答下さってありがとうございます。

noname#139434
noname#139434
回答No.2

はじめまして。 私も文章を書くことがとても苦手なので、うまく伝わるだろうかと不安を感じています。 ここからの私が書く文章はf-starさんを批判しているわけでもなく、攻撃しているわけでもなく、リアルで会話するような至って普通の状態で書いているということを念頭にお読みいただければと思います。 f-starさんもレポートで苦戦なさっているのですね。 私もレポートを山のように書いていますが、書いても書いても納得いきませんし、全くまとまりがありません。 頭の中で描いているイメージと実際に自分の目の前に現れた文章は次元が違います。 f-starさんは感想文は何とか書けるとのことですが、私は感想文すら書けません。 何か本を読んでも、自分が何を感じたか認識できていないのです。 つまり、私の場合、言葉や文章を表出することが不得意ということです。 レポートって簡単なように見えて難しいものですよね。 感想文なら自分の感じたようにそのままを書けば良いらしいですが、レポートとなると課題が決められていて、その課題に沿って本論だとか、まとめだとか形式に沿って書かねばなりません。 制限を設けられ、自由を奪われる状態というのは本当に苦痛なものです。 テクニック関連の書き込みは拒否されているようなので、触れないことにします。 f-starさんの「根本的な問題があるように感じる」というのは「自分には生まれ持った何らかの障害があるのではないか?だから文章を思い描くことも書くこともできないのだ」という考えが頭の中を廻っているという解釈でよろしいでしょうか? そうであるならば、結論からいうと「医者にしか診断できませんし、文字からだけの情報しかないので安易に病名は告げられません」ということです。 個人的な意見としては、文章を書くことが苦痛、というひとつだけの特徴を手掛かりに病名を探せばヒットします。 しかしながら、f-starさんは「感想文なら何とか書ける」ようです。 と、いうことは「文章が書けない」ではなくて「レポート作成が苦手だ」ということになると思うのです。 文章や言葉というものは、日常生活で様々に使われています。 メモをする、名前を書く、手紙を書く、質問を書く、意見を求めるなどなど、文章作成にもいろいろ、種類があるということがわかりますね。 そんなたくさんの種類をすべてスラスラ書ける人なんてほとんどいないのではないかと私は思います。 文章完成までの時間は遅い人もいれば、早い人もいます。 さらには「遅い」「早い」の判断基準も人によって異なりますね。 人間は「できることもあればできないこともある」ものなのですよね。 レポートという感想文とは違う種類の文章作成に出会い、感想文との形式の違いに慣れず、自分はこんなにも文章を書けない奴だったのか・・・と悩み、落ち込むとは思いますが、諦めずに間違っててもいいから、的外れでもいいから、とにかく何かを「書いてみる」ことが大切であろうと私は思います。 はじめは感想文として書いてみて、読み返して、主観的な部分を抜き出してみるのもいいかもしれませんね。 手間はかかるとは思いますが・・・。 お互いにレポート作成がんばりましょう。 応援しています。

f-star
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >ここからの私が書く文章はf-starさんを~ お気遣い有難うございます。 よく相手にそのつもりがないのに批判されているように感じてしまうことがあるのでこう書いて頂けると助かります。 >私もレポートを山のように書いていますが~ 山のように書けるのが凄いですね・・・納得いかなくてもとりあえず形にできるというのは私から見れば「書ける人」です。 「頭の中で描くイメージと実際とはかけ離れている」と仰っていますが、イメージをそのまま書き出すことはできないのでしょうか? 「感想文が書けない」というのは私にはちょっとピンとこないですが、本を読んで内容は理解しているけれど特に何も思わないということなんでしょうか? 私は感想文は書けると言ってもやはりまとまりがなく最終的に何が言いたいのか分からなくなってくるんですが… >f-starさんの「根本的な問題があるように感じる」というのは~ その解釈であってます。 障害というのは大袈裟かもしれません。 勿論診断は医者にしかできないでしょうが、自分の知らない予想外の病気(というとやはり大袈裟ですけど)を御存知の方がいたら教えて貰いたいというのと、同じ悩みを持つ方だったら自分はこういう理由だったと教えていただけるのではないかと思った次第です。 >と、いうことは「文章が書けない」ではなくて~ 確かにそうですね。文章でいうなら、こうやって質問文も書けているわけですし。 >さらには「遅い」「早い」の判断基準も人によって異なりますね 例えば1時間と1日の差だったら許容範囲かもしれません。 しかし1時間と1週間の差で、挙句1週間かけても完成しなかった、となればやはり問題だと思います。しかもそれが最初だけでなくずっと続いたら? 学生ならそれでもいいかもしれませんが、会社だったらこんな人間雇っておけないでしょう。 >的外れでもいいから、とにかく何かを「書いてみる」ことが~ 「とにかく何かを書いてみる」ということすらできませんでした。 本当に一文も思いつかないのです。 >お互いにレポート作成がんばりましょう。 残念ながら学校はすでに中退してしまいましたが・・・ とにかく親身な回答有難うございました。 問題の本質は「文章が書けないこと」ではないのかもしれないです。

回答No.1

どんな職業にお付になるかはわかりませんが、「業務報告」や「営業日報」等、 書かなければならないことが多いと思います。 報告書の内容がわかりずらい(文章がわかりずらい)、と散々怒鳴られ、 ビジネス文章講座を受講して学んだことがあります。 当時は精神障害は発病しておりませんでした。 参考にならないかもしれませんが。

f-star
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 文章講座を受講なさって書けるようになるんでしたらちょっと私の状態とは違うかもしれないです。 文章講座を受講しても書ける気がしないです・・・ 精神障害等は発病されてなかったんですね。 参考になりました。

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