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パリに於ける祖父の足跡(1892-1894)

祖父は帝国大学を明治23年に卒業してすぐパリのホッチキス兵器工場(サンドニ)とルアーブルの海軍造船所に留学し、大砲の設計を学びました。パリも広いので出来るだけ正確に位置を特定したいのですが、何か手立てがあったらご教示下さい。ホッチキス(Hotchkiss)についてインターネットで調べましたが、現在まで続いている会社はないようです(もしあったらその会社に連絡して昔の史料がないか問い合わせたかったのですが)。 よろしくお願いします。

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  • blackhill
  • ベストアンサー率35% (585/1658)
回答No.2

 サンドニなどパリ北西の郊外は、赤い郊外などといわれる左翼色の強い工業地帯です。  オチキス機関銃は日清戦争後、陸軍に採用され、東京陸軍工廠でライセンス生産されました。日露戦争で、ロシア軍がアメリカのマキシム水冷機関銃、日本軍が空冷のオチキス機関銃で戦ったのはよく知られている史実です。  オチキスの採用に当たっては、1887年から91年にかけてフランスに留学していた秋山好古(のちの陸軍大将)が関係したといわれ、実際、オチキスの工場も視察したようです。  陸軍がオチキス機関銃を試験輸入したのは、日清戦争後の1898年なので、質問者の祖父が関係した可能性は大ですね。ただし、アメリカのホッチキス社は回転砲を生産したようですが、フランスのオチキスが大砲を作ったという記述は見当たりませんでした。このあたりの事情については、防衛庁に資料があるはずです。  こうした知識は、googleのhotchkiss historyで仕入れたものです。また、その文中に、工場がroute de gonnesse(stains 93240)にあったという記述があります。この地名をgoogleで検索すると、100枚近くの当時の街の絵葉書をみることができます。また、画像右上の地図をクリックすると、googlemapが出てきます。  当時のパリの地形図の複製も持っていたのですが、退職するとき、勤め先に寄付してしまいました。ただし、入手が難しい地図ではないので、地理学科のある総合大学の図書館に問い合わせると閲覧できると思います。そこまで必要なら、googleで探してみます。補足で知らせてください。

その他の回答 (1)

回答No.1

ホチキス社はトムソン社と合併しました。 軍事関係ではサン=ドニのホチキス社は有名な会社ですよ。場所はパリ北西部です。サンドニ教会で検索してみてください。王族の墓所として有名な教会です。 日本では明治30年代にホチキス社の機関銃を採用しました。これに関係しているのではないでしょうか?

farisaka
質問者

お礼

PENPENMAKKYさま 早速ご回答ありがとうございました。サンドニはカテドラルの名前だけでなく、地域の名称でもあるのですね。祖父はオチキス社の工場で大砲の設計を習ったらしいのですが、サンドニの地図上で特定できると嬉しいと思います。オチキス社はトムソンと合併した後、後に消滅してしまったようで、現在にまで続いている会社がないように見えます。もし、そこら辺ご存じでしたら、あるいはこうやって調べてみたら、などご示唆いただければ幸甚です。今後ともよろしく。 好音斎Jr. 追伸、サンドニもルアーブルも一度出張の折りに尋ねてみたのですが、事前調査不足であまり成果がありませんでした。

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