• ベストアンサー
  • 暇なときにでも

北枕は何故縁起が悪い?

北枕は何故縁起が悪い? よく、北枕は仏陀の入滅を連想させるから縁起が悪いと言いますが、 何故仏教において死を忌避する迷信が存在するのでしょうか? そもそも原始仏教においては、生きものが死ぬのは自然の摂理であり、 人間も死を恐れなくともよいと教えていたはずです。 死を連想させるから不吉だと言うのがこの迷信の理由なら、 死を必要以上に恐れない仏教の性質とは若干矛盾するような気がするのですが… これとは別に何か理由があるのでしょうか?

共感・応援の気持ちを伝えよう!

  • 回答数3
  • 閲覧数556
  • ありがとう数4

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • 回答No.3

仏教に詳しいわけではないのですが、仏教ではこの世に生きるのも修行という考え方があったと思います。 自然により訪れる死は修行を終えたと考えられますが、自ら死を連想させる形を取るというのは修行からの逃避であり、死を忌避というよりは修行中の身として不謹慎と考えられてるんじゃないでしょうか。 それか、未熟者の分際で仏陀と同じ形を取るとはけしからんとか。 ちなみに風水的には、財運が上がってお金が貯まる縁起の良いものなんですよね。 科学的にも、地球の磁力に沿った寝方で身体に良いそうです。 それぞれの考え方ですが、仏教では死を不吉なものと考えないからこそ、礼儀的な意味合いがあるのかもしれませんね。

共感・感謝の気持ちを伝えよう!

関連するQ&A

  •  「法華経」に違和感を感じてしまいました。

     「法華経」に違和感を感じてしまいました。  私は、仏教に興味を持ち「スッタ・ニバータ」、「アーガマ」、「仏教の思想1~8」(角川ソフィア文庫)、「この人を見よ=ブッダ・ゴタマの生涯」(増谷文雄著)その他諸々の仏教関係の本を読み独学している者です。この度、現代語訳「法華経」(中村元著)を読んだ時に、かなりの違和感を感じてしまったのです。  原始仏教の経典等からは、ブッダ・ゴータマは、仏陀であるけれども正しく「人間」であると感じられます。また、悟りを開くには縁起を良く理解し、四諦八正道を実践する事だと説いています。また、晩年自らの死を前にしては、自分も諸行無常の理から免れる事はないので、やがて死ぬであろう。しかし、死後は「法」を拠り所として、修行せよと弟子たちに語っています。  しかし、「法華経」に登場する仏陀は、自分は「久遠仏」であり、過去、現在、未来において永久に存在する、とか。仏国土は永遠である、とか。法華経のみが真説であり、他の経は方便だ、とか。法華経を読んだり仏像を作ったり、礼拝すれば仏の慈悲により悟りを開ける、とか。甚だ原始仏教の内容とは矛盾しますよね。諸行無常なら、仏陀とて永遠の存在ではないし、諸法無我ならば、仏陀とて実体がないのではないでしょうか。  よって、「法華経」は、仏陀を人間ではなく神格化して信仰の対象とすることによって、仏教の大衆化及び教団の強大化を目指すために当時の弟子達が創作したものではないのだろうかと考えるようになりました。悟りを開くには、難解な法を理解し大変な修行が必要と説けば、一般庶民には受け入れられませんからね。  ここで、質問です。  (1)「法華経」は、弟子の創作だと思いますか。  (2)最澄、道元、日蓮などは、「アーガマ」等の原始仏教の経典を読む機会が無かったのでしょうか。  念のため、言って置きますが、私は「法華経」は宗教的には優れた本だと思っていますし、法華経を信心している人を批判しようという意図は全くありません。

  • 仏陀は禅問答をしなかった?

    仏陀の肉声に比較的近いとされる「ブッダの言葉」などの 原始仏教の本などを読んでいるのですが、清澄平明で論理的だと感じました。 これは後世の禅宗の「隻手の声」などの不条理で不透明な質問・答えとは だいぶ異なる世界だと思うのですが、なんでこんなに違うんでしょうか? いちおう拈華微笑という話もありますが、これは後世の創作として、 やっぱり仏陀本人は禅問答のようなことは決して言い出さないと思うのですが、 どうでしょうか?

  • 初期仏教のわかりやすい本を探しています。

    初期仏教、原始仏教を勉強しています。 岩波文庫の「ブッダのことば」と「真理のことば 感興のことば」は 持っています。 それ以外で、五蘊や無明、無常、因果応報、彼岸、縁起、などを 簡単簡潔に説明した本を探しています。 特に、般若心経に書かれている「物体や精神には実体がなく空(無我)であるという教えを深く知りたいです。 よろしくお願い致します。

その他の回答 (2)

  • 回答No.2

>北枕は何故縁起が悪い? そう思う人が居るから、そう言われるだけで。 別に、根拠は在りません。 縁起担ぎに、根拠を求めても無理でしょう。

共感・感謝の気持ちを伝えよう!

  • 回答No.1

北枕で検索すれば山のようにヒットしますので 存分に納得できるものに出会える までお調べになっては如何でしょう。 昔から諸説フンプンですが、 いずれにしてもこういう話は 最終的にご本人のご判断次第になります。

参考URL:
http://q.hatena.ne.jp/1144474668

共感・感謝の気持ちを伝えよう!

関連するQ&A

  • 仏教・四苦について

    仏教における四苦について質問です。 四苦は確か「生老病死」だったとおもうのですが、なぜ「死」は苦しみに入るのでしょうか? もともと仏教はバラモン教が元になっていて、バラモン教の考え方は輪廻から解脱しよう、といったものだったと記憶しています。そして仏陀はその解脱するために四苦八苦を受け入れなければならない、と説いているはずです。 しかし、縁起の法を理解し四苦八苦を受け入れ中道を選んでいくと解脱できることになり、それはつまり「死=苦しみ」でなくなる、ということではないでしょうか? 長くわかりにくい文章で申し訳ないのですが、回答いただけるとありがたいです。

  • 仏教では、どの宗派でも「怒り」を捨てれば幸せになれると教えているのですか。 

    上座仏教についての本を読んでいます。 仏陀の教えを、そのままに伝えているそうです。 原始仏教とも言われています。 そこでは、幸せになる道は一つだ。 「怒り」を捨てなさい。 どんな悪人に対しても、慈しみの心を持って接しなさい。 全ての人の幸せを願いなさい。 そう書いてあります。 それが、仏陀の教えだと。 頭では理解出来るものの、実際これを実践するのはかなり難しいのではないかというのが、正直なところです。 誰にでも「怒り」の感情はあります。 私にもあります。 身内に二人ほど、「怒り」の対象となる人間がいます。 冷たい態度、キツイ言い方、思いやりのない態度、礼儀知らず、素直でない、心から感謝しない、などなど。 こういう人間に対しても、「怒り」を捨てなさいというのですか。 怒らずに、慈しみの心を持って接しなさいと。 そして、その人間の幸せを願いなさいと。 たしかに、いつまでも怒ってばかりいると、こちらの精神がダメージを受けることもあり、精神衛生上良くないのは理解出来ます。 だから、今後は出来るだけ怒らないように心がけるつもりです。 それで、こちらの心の平安が保てるのなら、そうした方が得だと思います。 怒らないのは、まあいいとしても、慈しみの心を持ってその人間の幸せを願うというのは、そうとう修行を積んだ人でないと出来ないのではないですか。 すでに書いた身内の人間に対して、そうしなさいということは、要するに「許しなさい」ということですからね。 たとえ許したとしても、そういう人間はそのことに感謝するどころか、自らの態度を改める気など全然ないし、平気な顔をしてますますええ気になるだけですよ。 少なくとも私にはそう思えます。 それでも、そうしなさいというのが仏陀の教えなんですか。 上座仏教では、そう書いてあります。 では、他の宗派の教えはどうなんでしょうか。 やはり同じ教えなんですか。 それとも異なる教えなんでしょうか。 元は仏教という点では同じですから、「怒るな」「許しなさい」「慈しみの心を持って接しなさい」という教えは同じですか。 浄土宗、浄土真宗、天台宗、真言宗、禅宗などではどうなんでしょうか。 そこのところが知りたくて質問しました。 よろしくお願いします。

  • 古美門研介?さんの仕事に対する考え方

    ドラマのリーガルハイの登場人物、弁護士の古美門研介?さんの仕事に対する考え方なのですが、何が真実かは分からないから、道徳云々より、 依頼者の最大の利益になるように、最善を尽くす、と私は理解しているのですが、この考え方は、原始仏教的に考えると、世の中は無常であり、縁起の法則は複雑なのだから、何が真実かはわからない。なので、仕事として弁護士の仕事をするなら、道徳云々より依頼者の最大の利益に尽くすという考えはある程度肯定できると思うのですが、いかがですか?

  • 最近、ちらちらとスピリチュアルなるものを聞いたりすることが多く、

    最近、ちらちらとスピリチュアルなるものを聞いたりすることが多く、 周りにも増えてきました。あまり詳しくは聞いていないのですが、 結構言ってる事がみんなバラバラなわりに、イエスキリストがどうのとか 仏陀がどうのとか言う言葉が結構頻繁に出てきます。 しかし内容を聞いていると、原始仏教と呼ばれる物や、イエスが言ったとされている事と 全く逆の、「妄想を助長させている」事を言っているような気がするのです。 だいたい共通しているのが 感謝してプラス思考になろう、とか 全ては一つであるとか、 アカシックレコードがどうやらとか 天使がどうやらとか ハイヤーセルフがどうのとか あたりをよく聞くのですが、まさにそういうのって、 仏陀が真っ先に否定していたものだと思うのですが・・・? まあ自分のためにそれらが使えれば良いんでしょうし、 精神が安定している人が趣味でやる分にはぜんぜん構わないでしょうし、 ものすごく洗脳が深い人にとっては、一人で脱構築できないから 新しい洗脳をぶつけることで脱構築できればいいんでしょうか。 このスピリチュアルを言っている人たちは、本気でそう思い込んでいるのか、 それを考えられる抽象度に無い人に対してわかりやすく言っているだけなのか。 皆さんどうお考えでしょうか? 私はスピリチュアルなるものに対して、 特に悩んでいるわけでも怒っているわけでも悲しんでいるわけでもなく、 このスピリチュアルというツールを使って人や世の中がどういう方向に転んでいくと 考えているか聞いてみたい次第です。

  • ゴータマは、解脱者のなのか?

    仏教の開祖・《ゴータマ》さんは、《解脱者》なのかどうか? ゴータマさん出家の動機が、《生・老・病・死》という《四苦》の克服であったことは、 多くの仏伝の伝えるところです。 しかし、 ゴータマさんは、 《老》い、《病》気になり、その病気がもとで《死》亡しています。 実際問題として、四苦を克服していない!! はてはて、 これはどうしたことか??? という疑問が、 数日前、わたしの頭に浮かびました。 1 ゴータマさんは、《苦》を克服、超克できたのか? 2 《解脱》は何からの解脱であったのか? 3 ゴータマさんは、本当に《解脱者》であったのか? 4 成道後のゴータマさんに、《煩悩・klesa》はあったのか? 教えてください。 よろしくお願いします。 大乗的な観点、南伝上座部的観点、原始仏教的な観点、 スピリチュアルからのアプローチ、 わたしの《ゴータマさん論》、《ゴータマ観》、 「仏教の説く《苦・duhka》とは」 などなど、 この質問に多少なりとも縁のある回答ならば、 大歓迎です。 よろしくお願いします(ペコリ)。

  • 北枕で寝ると縁起が悪いという文化は間違いだった?

    北枕で寝ると縁起が悪いという文化は間違いだった? 平城京の北側に天皇家の古墳がたくさんあります。 もし北枕で寝るのが縁起が割るとする通説は天皇家の認識とズレがあるように思える。 天皇家は北枕を演技が悪いとは認知していないのでは? 北枕が縁起が悪いと言った文化学者は時代が時代なら自害を命令されてたかも。

  • 縁起からでる意味と陰陽5行

    こんばんはー。 ちょっと質問をー。 以下は、アウトラインとしてですが ぼくらは意味の世界に生きています。それはニヒリズムを考えれば確かだと思うのですが。つまり意味を失っては生きていけません。 物質は物質という意味があります、それは明確に「意識」の外部への投影だと思ってます。それらがただの電子雲だ、と思ってはいません。 で、その意味というものは、矛盾から発生している、のではないか、と思いました。 というより、意味=矛盾、そのものだと思います。 (もう少しベタな言い方だと、「え? なんで?」、という意味のわからなさ、意味わからへん! なんでなの? と思わず叫びたくなる、そういう経験が、まさに意味を作り出している、という) 意味は、矛盾から生まれて、そして、意味はその自己矛盾故に、必ず消えていく、と思うんです。 つまり、意味を、正しいものとして、ぼくが勘違いしている間だけ、意味は成立している、と思います。 意味は、業や、巡りやカルマ、などと言われるように、ネガティブなものと、必ずセットで成立しています。それは切っても切り離せない、というか、マイナスがあるからプラスがある、という意味です。 意味は、理解できなさ、矛盾を、把握して理解しようとした、まさにその瞬間発生する、と感じました。 それは、人の脳の把握能力による、「無」の分裂、と個人的に思っています。 意味が起こる仕組みそのものは、陰陽5行説が僕はかなり正しい、と感じました。 つまり何もないものが、陰陽2つに分裂する、ということですが。 具体的に、縁起によって、矛盾した意味が作成されるところの仕組みを、陰陽5行説は説明している、と思います。 つまり、現実問題、基本的概念は常にペアでしか存在できない、という事実と、あらゆる概念はこのたくさんあるペアの組み合わせによってできてる、というのは、たぶん・・だいたいは、正しいような気もしますが・・・ ちなみにこの概念の現実的に組み合わさり方は、数学の考え方である、複雑系の状態を取っている、と思っています。樹形図的なイメージです。 意味は矛盾そのもの、というのは、別に現世否定とかではありません。 純粋に、意味のメカニズムとしてお伺いします。 縁起などの言葉の意味は、言葉、概念としては少し知ってるつもりです。 縁起はこの世を空だといってます。つまり、意味は「意味がない」といってるとも解釈できます。この世の意味は本質的な意味がないからこその、空じゃないでしょうか? つまり意味のできる仕組みを解くことは、縁起を実感すること、と思ってます。 縁起、と言うような上から俯瞰した視線ではなく、 まさにこの世に、今ダイレクトに生きる人間の視点から、分析したいなーと思ってます。そうでないと実生活でこの概念は使えないなーと思うので。 上のように感じながらも、まだ色々実感するには分からないところがあります。 これが分からないんだ、ということができないのがもどかしいんですが。 理屈が日常生活にまで降りてきてくれない! 何か論理に欠けているところがあります。 イメージとしては、概念としての把握じゃなく、感情や衝動や、そういうものが、理由なく生まれるところかな?? 感情は、無が時間的に分裂した現れ。人格は空間的に分裂した現れだ、と今のところ把握してるのですが、どう思われますか? つまり、現世とは、時間と空間に分裂したものであり、その時空間の性質に沿って、感情と人格、という概念が表れてる、と思ってるんですが、今のところは。 いろんな精神病の事例を見ても、それはかなり当てはまっている、と感じるので。 それらは単に「ない」でも、まあいいのですが・・・ 多分それは、意味の矛盾を感じてるのは、ぼくだけではなく、だれでも70億人みんなそうなんだ、と言うところが実感としてないような気もします。 つまり普遍的な、意味の作成の仕組みが極めて抽象的故に、具体的な外的事柄に依存しない、だれにでも当てはまるメカニズムなんだ、というところかなと。 上の話をふまえて、加えることや、あるいは間違っている所など、あったらと思いました。 まとまりなくてごめんなさい、というかまとめられないので質問してるんですが・・ 自分でも色々勘違いしていることは間違いないんですが、客観的な意見が伺いたいです。仏教的のみの切り口に限らず、ちょっと視野を広げたいなーと。 よろしくお願いします。

  • 法華経は、偽経?

    下記のサイトに、法華経成立について、ある歴史的考察が書かれています。 http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/buddhism/bud120.html それによると、法華経は、偽の経典だそうです。 お釈迦様の入滅が紀元前543年で、紙の発明が105年です。 紙がそもそも存在しないという影響もあると思いますが、古代インドでは、お釈迦様の説話を500年間に亘り、口伝で忠実に暗唱しており、後にそれを文字として経典にしたのが、パーリー聖典です。 パーリー聖典は、原始仏教の聖典であり、お釈迦様の言葉に最も忠実な内容と言われます。 一方、法華経は、お釈迦様が亡くなって約500年後に、お釈迦様以外の人が自分の説を勝手に書いたものだそうです。 それなのに、法華経がお釈迦様の意思を継ぐ物と主張する人々が居ますが、一体全体、500年前に亡くなった人の意思を、どうやって確かめたのでしょうか。 例えば、現代から見て、織田信長は、500年ほど前の人です。 織田信長の行動に反する内容の物語を、現代人が書けば、それは単に、トンデモ歴史小説と呼ばれるでしょう。 ところが、法華経については、それこそがお釈迦様の意思だと主張する人々がいます。 その根拠は何でしょうか?

  • 電車の形式でJRは4を避けていないのだと思いますか

    二つ質問があります。あいまいな想像の回答でもOKです。 質問1 電車の形式で各会社は4は「死」を連想し縁起が悪いという理由でさけているケースが多く4000形とか400形というのは少ないです。 しかしJRでは4をさけていません。 400代の車両は交流直流両用の車両についています。(485系、415系など) それとスハフ42とかクモハ42というのもありました。 42というのは「死に」で縁起悪いですが、JR(旧国鉄)はつけています。 これは何故だと思いますが? 質問2 東武や東急では形式を細かくわけています。 東武なら50000系 50050系 50070系、 東急なら5000系 5050系 5080系という感じで。 それに対し京王などは形式を細かくわけません。 9000系には地下鉄乗り入れ用の9000系があり9000系30番台という感じになってて9030系とは言っていません。 形式を分ける会社と分けない会社の違いはなんだと思いますか。

  • 北枕(きたまくら)は良くないか

    北枕(きたまくら)は本当に良くないのでしょうか? どうして良くないと言われているのでしょうか?