• ベストアンサー

北枕は何故縁起が悪い?

北枕は何故縁起が悪い? よく、北枕は仏陀の入滅を連想させるから縁起が悪いと言いますが、 何故仏教において死を忌避する迷信が存在するのでしょうか? そもそも原始仏教においては、生きものが死ぬのは自然の摂理であり、 人間も死を恐れなくともよいと教えていたはずです。 死を連想させるから不吉だと言うのがこの迷信の理由なら、 死を必要以上に恐れない仏教の性質とは若干矛盾するような気がするのですが… これとは別に何か理由があるのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#250246
noname#250246
回答No.3

仏教に詳しいわけではないのですが、仏教ではこの世に生きるのも修行という考え方があったと思います。 自然により訪れる死は修行を終えたと考えられますが、自ら死を連想させる形を取るというのは修行からの逃避であり、死を忌避というよりは修行中の身として不謹慎と考えられてるんじゃないでしょうか。 それか、未熟者の分際で仏陀と同じ形を取るとはけしからんとか。 ちなみに風水的には、財運が上がってお金が貯まる縁起の良いものなんですよね。 科学的にも、地球の磁力に沿った寝方で身体に良いそうです。 それぞれの考え方ですが、仏教では死を不吉なものと考えないからこそ、礼儀的な意味合いがあるのかもしれませんね。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

その他の回答 (2)

回答No.2

>北枕は何故縁起が悪い? そう思う人が居るから、そう言われるだけで。 別に、根拠は在りません。 縁起担ぎに、根拠を求めても無理でしょう。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • kyoromatu
  • ベストアンサー率14% (746/5025)
回答No.1

北枕で検索すれば山のようにヒットしますので 存分に納得できるものに出会える までお調べになっては如何でしょう。 昔から諸説フンプンですが、 いずれにしてもこういう話は 最終的にご本人のご判断次第になります。

参考URL:
http://q.hatena.ne.jp/1144474668
全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • 黒猫やまとの宅急便は縁起が悪い?

    日本では古来から、「黒猫」は縁起が悪い不吉な生き物だといわれて、私もそのように聞かされていたのですが、そんな黒猫を看板に掲げる黒猫やまとの宅急便て何かおかしくないでしょうか? 普通は、商売なら、縁起とかそういう類のことは気にすると思うのだけど。黒猫さんところで働いてる社員さん社長さんはなんでわざわざ黒猫なんかを選んだんでしょう。別に白猫やまとの宅急便で問題があるとは思えません・・・。いくら縁起が悪いとかそんな迷信じみたことを信じないと言っても、避けるにこしたことないはずです。これでは気になって安心して「黒猫やまと」さんにお仕事まかせられなくなってしまう・・・ことはなくても気になります(笑)なぜなんですか!?

  • 仏教・四苦について

    仏教における四苦について質問です。 四苦は確か「生老病死」だったとおもうのですが、なぜ「死」は苦しみに入るのでしょうか? もともと仏教はバラモン教が元になっていて、バラモン教の考え方は輪廻から解脱しよう、といったものだったと記憶しています。そして仏陀はその解脱するために四苦八苦を受け入れなければならない、と説いているはずです。 しかし、縁起の法を理解し四苦八苦を受け入れ中道を選んでいくと解脱できることになり、それはつまり「死=苦しみ」でなくなる、ということではないでしょうか? 長くわかりにくい文章で申し訳ないのですが、回答いただけるとありがたいです。

  • 4は死、9は苦、英語では?

    漢字には4や9は死や苦を連想するから不吉だ、と避けられていることが多々ありますよね。 結婚につま先が出た靴で行くな(妻、先出る)や、病室の番号に4という字は使われない、等。 英語や中国語、ロシア語などにもそれと似たような縁起が悪い、といわれていることはありますか?

  •  「法華経」に違和感を感じてしまいました。

     「法華経」に違和感を感じてしまいました。  私は、仏教に興味を持ち「スッタ・ニバータ」、「アーガマ」、「仏教の思想1~8」(角川ソフィア文庫)、「この人を見よ=ブッダ・ゴタマの生涯」(増谷文雄著)その他諸々の仏教関係の本を読み独学している者です。この度、現代語訳「法華経」(中村元著)を読んだ時に、かなりの違和感を感じてしまったのです。  原始仏教の経典等からは、ブッダ・ゴータマは、仏陀であるけれども正しく「人間」であると感じられます。また、悟りを開くには縁起を良く理解し、四諦八正道を実践する事だと説いています。また、晩年自らの死を前にしては、自分も諸行無常の理から免れる事はないので、やがて死ぬであろう。しかし、死後は「法」を拠り所として、修行せよと弟子たちに語っています。  しかし、「法華経」に登場する仏陀は、自分は「久遠仏」であり、過去、現在、未来において永久に存在する、とか。仏国土は永遠である、とか。法華経のみが真説であり、他の経は方便だ、とか。法華経を読んだり仏像を作ったり、礼拝すれば仏の慈悲により悟りを開ける、とか。甚だ原始仏教の内容とは矛盾しますよね。諸行無常なら、仏陀とて永遠の存在ではないし、諸法無我ならば、仏陀とて実体がないのではないでしょうか。  よって、「法華経」は、仏陀を人間ではなく神格化して信仰の対象とすることによって、仏教の大衆化及び教団の強大化を目指すために当時の弟子達が創作したものではないのだろうかと考えるようになりました。悟りを開くには、難解な法を理解し大変な修行が必要と説けば、一般庶民には受け入れられませんからね。  ここで、質問です。  (1)「法華経」は、弟子の創作だと思いますか。  (2)最澄、道元、日蓮などは、「アーガマ」等の原始仏教の経典を読む機会が無かったのでしょうか。  念のため、言って置きますが、私は「法華経」は宗教的には優れた本だと思っていますし、法華経を信心している人を批判しようという意図は全くありません。

  • キリスト教・ミトラ教・仏教・日本神道の関係

    こんにちは。よろしくお願いします。 日ユ同祖論というのがありますね、 佐伯好朗氏によれば ●秦氏は中央アジアにあったキリスト教国弓月王国出身である。 ●仏教伝来以前に日本には原始キリスト教が伝わっていた ということです。 また最近次のような説があることもしりました。 ●キリスト教はミトラ教の影響を受けている。 ●仏教における弥勒信仰はミトラ教の影響を受けている。 ここから、 日本に伝わったのは原始キリスト教ではなく ミトラ教の影響を受けた弥勒信仰だという可能性もあるのでは? と思いました。 (1)これについてどうお考えになりますか。 またその理由をお聞かせください。 (2)聖徳太子の誕生の話はきリスト誕生の話にそっくりです。 また、仏陀の誕生の話にも似ています。 ミトラ教には類似した話はあるのでしょうか。 (3)記紀の記述には聖書の記述に似ている点があると指摘されています。 キリスト教・ミトラ教・仏教・日本神道はどのように繋がっていると考えられますか。 それとも全く関係ないのでしょうか。

  • 縁起からでる意味と陰陽5行

    こんばんはー。 ちょっと質問をー。 以下は、アウトラインとしてですが ぼくらは意味の世界に生きています。それはニヒリズムを考えれば確かだと思うのですが。つまり意味を失っては生きていけません。 物質は物質という意味があります、それは明確に「意識」の外部への投影だと思ってます。それらがただの電子雲だ、と思ってはいません。 で、その意味というものは、矛盾から発生している、のではないか、と思いました。 というより、意味=矛盾、そのものだと思います。 (もう少しベタな言い方だと、「え? なんで?」、という意味のわからなさ、意味わからへん! なんでなの? と思わず叫びたくなる、そういう経験が、まさに意味を作り出している、という) 意味は、矛盾から生まれて、そして、意味はその自己矛盾故に、必ず消えていく、と思うんです。 つまり、意味を、正しいものとして、ぼくが勘違いしている間だけ、意味は成立している、と思います。 意味は、業や、巡りやカルマ、などと言われるように、ネガティブなものと、必ずセットで成立しています。それは切っても切り離せない、というか、マイナスがあるからプラスがある、という意味です。 意味は、理解できなさ、矛盾を、把握して理解しようとした、まさにその瞬間発生する、と感じました。 それは、人の脳の把握能力による、「無」の分裂、と個人的に思っています。 意味が起こる仕組みそのものは、陰陽5行説が僕はかなり正しい、と感じました。 つまり何もないものが、陰陽2つに分裂する、ということですが。 具体的に、縁起によって、矛盾した意味が作成されるところの仕組みを、陰陽5行説は説明している、と思います。 つまり、現実問題、基本的概念は常にペアでしか存在できない、という事実と、あらゆる概念はこのたくさんあるペアの組み合わせによってできてる、というのは、たぶん・・だいたいは、正しいような気もしますが・・・ ちなみにこの概念の現実的に組み合わさり方は、数学の考え方である、複雑系の状態を取っている、と思っています。樹形図的なイメージです。 意味は矛盾そのもの、というのは、別に現世否定とかではありません。 純粋に、意味のメカニズムとしてお伺いします。 縁起などの言葉の意味は、言葉、概念としては少し知ってるつもりです。 縁起はこの世を空だといってます。つまり、意味は「意味がない」といってるとも解釈できます。この世の意味は本質的な意味がないからこその、空じゃないでしょうか? つまり意味のできる仕組みを解くことは、縁起を実感すること、と思ってます。 縁起、と言うような上から俯瞰した視線ではなく、 まさにこの世に、今ダイレクトに生きる人間の視点から、分析したいなーと思ってます。そうでないと実生活でこの概念は使えないなーと思うので。 上のように感じながらも、まだ色々実感するには分からないところがあります。 これが分からないんだ、ということができないのがもどかしいんですが。 理屈が日常生活にまで降りてきてくれない! 何か論理に欠けているところがあります。 イメージとしては、概念としての把握じゃなく、感情や衝動や、そういうものが、理由なく生まれるところかな?? 感情は、無が時間的に分裂した現れ。人格は空間的に分裂した現れだ、と今のところ把握してるのですが、どう思われますか? つまり、現世とは、時間と空間に分裂したものであり、その時空間の性質に沿って、感情と人格、という概念が表れてる、と思ってるんですが、今のところは。 いろんな精神病の事例を見ても、それはかなり当てはまっている、と感じるので。 それらは単に「ない」でも、まあいいのですが・・・ 多分それは、意味の矛盾を感じてるのは、ぼくだけではなく、だれでも70億人みんなそうなんだ、と言うところが実感としてないような気もします。 つまり普遍的な、意味の作成の仕組みが極めて抽象的故に、具体的な外的事柄に依存しない、だれにでも当てはまるメカニズムなんだ、というところかなと。 上の話をふまえて、加えることや、あるいは間違っている所など、あったらと思いました。 まとまりなくてごめんなさい、というかまとめられないので質問してるんですが・・ 自分でも色々勘違いしていることは間違いないんですが、客観的な意見が伺いたいです。仏教的のみの切り口に限らず、ちょっと視野を広げたいなーと。 よろしくお願いします。

  • 電車の形式でJRは4を避けていないのだと思いますか

    二つ質問があります。あいまいな想像の回答でもOKです。 質問1 電車の形式で各会社は4は「死」を連想し縁起が悪いという理由でさけているケースが多く4000形とか400形というのは少ないです。 しかしJRでは4をさけていません。 400代の車両は交流直流両用の車両についています。(485系、415系など) それとスハフ42とかクモハ42というのもありました。 42というのは「死に」で縁起悪いですが、JR(旧国鉄)はつけています。 これは何故だと思いますが? 質問2 東武や東急では形式を細かくわけています。 東武なら50000系 50050系 50070系、 東急なら5000系 5050系 5080系という感じで。 それに対し京王などは形式を細かくわけません。 9000系には地下鉄乗り入れ用の9000系があり9000系30番台という感じになってて9030系とは言っていません。 形式を分ける会社と分けない会社の違いはなんだと思いますか。

  • 北枕で寝ると縁起が悪いという文化は間違いだった?

    北枕で寝ると縁起が悪いという文化は間違いだった? 平城京の北側に天皇家の古墳がたくさんあります。 もし北枕で寝るのが縁起が割るとする通説は天皇家の認識とズレがあるように思える。 天皇家は北枕を演技が悪いとは認知していないのでは? 北枕が縁起が悪いと言った文化学者は時代が時代なら自害を命令されてたかも。

  • 北枕(きたまくら)は良くないか

    北枕(きたまくら)は本当に良くないのでしょうか? どうして良くないと言われているのでしょうか?

  • 北枕について

    北枕って本当に体に良いんですか? なんか、人間の体には磁石のようにN極とS極があって、頭がN極にあたるから、北を向くと良いんだとか・・・。 これって本当なんでしょうか、どの辺まで信憑性があるのでしょう? ご存知の方、是非とも教えてください。 よろしくお願い致します。