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村が消える?
村が消える? 合併により「村」が消えつつあります。 都市生活者にとって「村」は都市生活から開放され、自分をリセットできる貴重な空間でもあります。 もちろんその土地はそのままで、地名に「・・市」が重なるだけのことですが、 「・・村」と「・・市・・」では響きが違うのは当者のエゴでしょうか? 同様の思いを持たれた方、「村」から「市」になった事によるプラス、マイナス面等、 教えて下さい。
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都市生活者にとっては、地名で郷愁を感じるかどうかの問題ですが、その地域に生活する人にとってはもっと切実な問題です。 大きな市の周辺の町村などで、その隣の大きな市に住みたいけど住宅とかが高くてしかたなく村に住んでいるような人は、村ではカッコ悪く、早く市に合併したほうがいいと思っている場合もあります。 しかし、それ以外の大半の場合は、そこで暮らす村人はできたらそのままであってほしいと切望していますが、財政難でしかたなく合併に踏み切らざるを得ない状況が大半だと思います。 村から市に合併されると、顔見知りで親身になって村民のことを考えてくれた村長さんをはじめ村議会、村役場の人もほとんどいなくなり、市長や市議会、市役所では辺境の合併した旧村の細かいことなど理解できないし、大きな市の市長では市民の顔や暮らしも覚えきれず、きめ細かい対応もできなくなります。 まず第一に村役場が協力して行なっていた村のイベントなどが廃止となり、村の学校や病院も統廃合となり、市の中心まで出向かなければならず不便になり、旧の村のエリアはますます寂れてきます。特に、市と合併すると市の中心的な観光地や産業のPRや検討となってしまって、辺境の旧村のエリアは忘れられ見捨てられがちになります。 そういう意味では、合併などせずに村のまま独立して頑張っていければいいのですが、いくらそれを望んでも現実派そんなに甘くはありません。人口千人程度でその半数以上が年金暮らしの老人で村内に主な企業などない村が多いですが、そんな村では税金が集まりません。収入はないのに面積は広く生活の困っている支援を必要とする村民は多いので、村の財政は大変です。村のごみ収集、くみ取り、簡易水道の維持、学校や病院の維持、消防署の維持、村道修理、村営バスの運行又は民間バスの赤字を補助、防災対策・・・、村の収入は少ないのに、面積が広く災害など多いと費用はどんどんかかり、村長や村議会議員、村役場の運営もままなりません。財政赤字が増え、村の借金が積み重なり、そのままでは最低限の公共サービスもできなくなるので、税金を払う人の多い少しでもましな近隣市町村と合併を嫌でもせざるを得ない状況に追い込まれています。 もし、村を残したいなら村に移住する人や移転する企業が増えない限り、国や県が村に支援金を渡さないと到底無理だと思います。 このままの状態でも、また税収を地方に委譲しても、収入がなく費用のかかる老人ばかりの村では、遅かれ早かれ村の財政は行き詰まり、村は消えていってしまうと思います。
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- azsaguaro
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合併云々については、当事者ではないので語れません。 ココに引っかかった方、他にいらっしゃらなかったのかなぁ。 >都市生活者にとって「村」は都市生活から開放され、自分をリセットできる貴重な空間でもあります。 (中略) >「・・村」と「・・市・・」では響きが違うのは当者のエゴでしょうか? ココだけ読んだら、そりゃあエゴでしょう。 もっと言えば、傲慢・暴言・妄言・ネゴト…だと思いますね。 といいますか、 >都市生活者にとって「村」は都市生活から開放され、自分をリセットできる貴重な空間でもあります。 ココだけで「都市生活者ってナニサマなワケ?」と感じます。 「村」で暮らす住民にとって、村は生活そのものです。 勝手に「リセットできる空間」扱いするのは、いかがなものでしょう。 リゾートや観光で文字通りの「村興し」としてムラ自らセールスポイントとして謳っているならまだしも、「他者を自分に奉仕する『だけの』存在」とみなすのは「都市vs.ムラ」の構図に限らず個人対個人であっても、失礼ではないでしょうか? しかも、実体について(例えば、巨大リゾートホテルができた、等)ならまだしも、「響きが違う」なんて…。 とはいえ、私自身は一応「都市出身の都市生活者」に属するので(ルーツは超イナカながら一応「町」)、「村」出身者・在住者の感情については、推測することしかできません。 「村」が「市」になるのは嬉しいのか、寂しいのか。 おそらく両方でしょう。しかし、ほとんどの「村」では、「村」のままだろうと「市」になろうと、「過疎」という現実は同じであり、自治体の単位や名称などは、現実の一部に過ぎないのではないだろうか、と感じます。 そういえば「都市生活者」である知人が以前「本籍地が『郡』なのがイヤ!」と言っていたことがありました(この人は埼玉の奥地にある「市」の住人でしたが、都内通勤者だったので「都市生活者」とみなしてよいでしょう)。 さすがに本籍地ともなると「どーでもいい」と私も思いますが、ご本人は気にしていたようでした。 さて。 もちろん、村に対して「都市生活者にとってはリセットする“ための”空間」と感じること自体は理解できますし、村という言葉にノスタルジーを感じるのも自然な感情でしょう。 でも、それは自分の心に仕舞っておくべき感情であって、コトバにしてはならないと思います。 自分はマンションかツーバイフォー住宅に住みながら、他人に古民家(小洒落たモノではなくホントに古いだけの家)に住み続けることを強制はできないでしょう。 村に限らず、何かで馴染みのあった地名が消えるのは寂しいものです。 ノスタルジーは地名に限ったことではなく、また地方や過疎地に限ったことでもありません。例えば都心のちょっと古くて感じのいい民家や建物が壊されるのを見ると「勿体ないな、残念だな」という感情は湧きます。 ですが、全くの第三者が、クチを挟む筋合いはないでしょう。 クチを挟みたければ、「全くの第三者」ではなく「当事者」になればよいのです。 例えば、棚田は機械を入れることができず、減反政策下の現代に於て経済的合理性はなくなっています。ですが「棚田のある風景」に愛着のある人々は、棚田の米を購入したり、田植えや草取りを手伝う等して積極的に関与することで、「棚田を残してほしい」と口出しできるのです。 大阪府千早赤阪村はかなり前から「大阪府唯一の村」で、ムラ生活に憧れて移住するヒトもいて、「なので町になれる条件は満たしているが、あえて『村』で居続けている」…と昔聞いていました。 実際「千早赤阪村 移住」で検索すると、幾つか見つかりました。 ですが、 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E6%97%A9%E8%B5%A4%E9%98%AA%E6%9D%91 を見ると、一時は合併話もあったような…。事情は分かりませんが、財政難もあったようです。 とはいえ、一般人にはなかなか移住も叶わないし、別荘を建てるだけでも簡単ではないのが現実ではあります。 そんななかで、ムラへのノスタルジーを手っ取り早く満たすには http://www.utsukushii-mura.jp/ に参加してみてはいかがでしょうか。 ただし、コレでさえ「行政としての『村』」が絶対条件ではないようです。 「村」限定で応援したいのであれば、「ふるさと納税」のほうが向いているかもしれません。
お礼
当方の質問文が適格でなく、申し訳ありません。 自分で調べるべき課題ではありますが、時間の関係とより多くの声が聞きたく、質問に及びました。 自分が「生の声」として知りたかったのは、 1、市町村合併の現状。 2、合併への住民の意識。 3、合併後の変化。 ですので、必ずしも「村」でなくてもよかったのですが、「町」から「市」より、「村」から「市」 の方が見かけ上変化が大きく、「村民」の方は「合併」をどのように受け止めたか関心がありました。 農村にはかつて、「ゆい」「五人組」田植えや屋根の葺き替えがあれば部落総出で協力しあう光景 がありました。 農業の機械化、個人主義が浸透してるのか、「ゆい」「五人組」は死語になりつつあります。 それに「村」から「市」への変化は、便利で近代都市への仲間いりを連想させ、NO.1様の指摘 のように地域のまとまりはますます希薄になってるようで、合併の「負」の一面かと思います。 御案内の点は検討させていだだきます。有難うございました。
- wasuregai
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長野県民です。 郷土の誇りだった文豪「島崎藤村」が平成の大合併で岐阜県 出身になっちゃった。 http://members.jcom.home.ne.jp/y2489y/magome.htm 住民投票の結果、僅差で中津川市に合併したのですが県民 としては残念です。 旧中山道の馬籠は妻籠と一体で歴史的な価値が有って、双方 が一体となって観光地として売り出せばもっと効率的にお客様 に楽しんで頂ける施策を打ち出せると思うんですが・・・。 ま、そうは言っても馬籠宿よりも宿場町の面影を残している妻籠 宿でも代替わりの結果、都会からUターンした二代目が古民家 で都会風のお店を開いて地域保存に苦労した初代と摩擦を起こ しています。 これも時代の流れでしょうがない事でしょうがネ~。 過去に自分達の生活と地域を守る為に住民に近代的で便利な家 への立て替えを我慢してもらい、補助金を得る為に不便な生活を 強いて町並み保存に苦労し、やっと「中山道の宿場町」として都 会人に認知されたのに、「故郷を捨てて都会で勝手な生き方をし てたのに今さら帰って勝手なことをするな」って事です。 長野県には時の自民党政府の「飴と鞭」を使い分けた強引な大合 併に反発し独自の道を模索した町や村が多いです。 泣く泣く大きな市に合併された町や村は、かっては町村の中心地 だった所が大きな市の辺境の地となって、合併前は子育てや老人 支援にきめ細かく対応出来たのに、今や都市の理論で予算配分 もなされず、子育て施設は廃止になり宅老所も予算が無く廃止。 結果、若い世代は豊かな自然の中での子育てに未練を残しながら 市の周辺の新興住宅地に引っ越して行きました。 残った老人は独居で孤独化しています。 こんな時、都会の権利意識の強い人達は行政に文句を言って自己 権益を確保して生活を維持するのでしょうが、田舎で暮らした老人 は「お国の世話になるなんて恥ずかしい、自分で出来る事は自分で」 って思っているのでひっそりと裏の畑で野菜を作って半ば自給自足 の生活をしています。 でも、人間界と動物界の境界が狭まった近年では苦労して作った作 物が収穫前に猿や猪に全滅させられる事件の珍しくありません。 なにしろ野生動物の「食べる本能」は人間以上です。 「もろこしが実ったので明日収穫しよう」と思ったその夜に猿に食べ尽 くされるなんて事件は珍しくも無いのでニュースにもなりません。 (昨年は都会で生活してる息子夫婦と孫が夏休みに来てモロコシもぎ を楽しみにしていた帰省前日、猿に獲られてしまった) ニュースでは都会に猿が出没し住民に危害を加えているので、市役所 職員が網を持って猿を追い詰め捕獲作戦を展開しているそうですが・・ 動きが素早い猿が人間の網にかかるなんて考えられないですが?? 自治体は本気なの??、それともパフォーマンス??。 大町では「猿追い犬を訓練して猿を追い払い、効果を上げている」って ニュースが全国的に報道されて注目を集めた時季が有りましたが・・・。 その後です。 猿を追っても敵は木の上に逃げ、下で吠える犬を無視しバカにする。 犬は木に登れないので下からワンワン吠えるだけ。 で、犬はストレスが溜まって「駆除犬」としては役に立たず。 「猿追い犬」が近年の有効なニュースになっていないのはこんな事情が あります。 ま、マスコミなんて時に話題になって聴視者の耳目を集めるだけで、後は フォローしない無責任な輩でしょう。 大町の「猿追い犬」を見て積極的に導入しようとした過疎地の年寄りに、 その後のデメリットを伝えたマスコミがありましたか?。
お礼
私ごとで申し訳ありませんが、阿武隈高原中央部に「葛尾村」があり、 長野県の「葛尾城」に山が似てるから「葛尾」の地名をつけたとされてますが、 国換え?か何かで流れてきた部族が遠き故郷を偲んで名ずけたものと想像します。 その部族の末裔の当方もある意味「長野県人」ですが、当面は群馬県嬬恋村在住で、 野鳥や野生動物に囲まれて生活してます。 場合によっては、長野県最北の栄村移住「長野県人」化も模索してます。・・私ごとでした。 ところで、地域が活性化、便利になるのは結構ですが、永年つちかってきたものが失われるのは 寂しいです。 価値観はひとそれぞれ、年を重ねるごとにも変化しますが、都市化は都市部に任せて、 山村は山村らしさが一番と思います。 できたら幼少期は山村で育ってほしいです。 幼少期の土や草の匂い、生き物とのかかわりを知らない大人は、はたして健全か疑問だからです。 まとまりのないお礼になりますが、貴重な御意見有り難うございました
- kbfd33
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市町村合併促進により町村が多数消えました。 岐阜県大野郡丹生川村、吉城郡上宝村、大野郡清見村、大野郡久々野町などが消えて高山市が誕生した結果人口9万5000人、面積は東京都より広い、過疎市域が出来ました。 高山駅前も高山市、乗鞍山頂も高山市、冬には高山市で遭難するよ。 都会人から見れば「村」はノスタルジイの空間でありましょうが、其処に住んで義務教育を終えて都会に就職するものにとっては、田舎出身者のハンデキャップを感じます。土地柄はそのままで、高山市になっただけのことですが、「上宝村」と「高山市」出身では響きが違います。 尚、当地付近には古川町地域合併で飛騨市が、下呂町地域が萩原町、小坂町地域を合併して下呂市になりました。 日本三名泉のヒトツ下呂温泉と飛騨小坂「下島温泉」を間違えないでね どちらも下呂市になったから。
お礼
群をまたいでの合併もあったのですか・・。 <東京都より広い・・ 市内を移動する市職員は出張感覚では。 <「上宝村」と「高山市」出身では響きが違います。 「上宝村」と「高山市」は知名度の差であって、人物の評価ではありません。 「旧上宝村」出身と胸をはってお励みください。有難うございました。
- gsmy5
- ベストアンサー率58% (1454/2499)
質問者様の仰るような考えに近い人もいるでしょうから、日本中の全ての村が合併で消滅すると言うことはありえないでしょう。 そもそも、特例法などで合併を進めた政策は一段落したので、今後の合併は今まで程多くは生じないことと思われますので、消滅したくても消滅できない(合併できない)村も多数あるかと思います。
お礼
合併、時には分村を選択した結果への尊重の気持ちに変わりはありませんが、 合併せずとも頑張ってる姿勢にも、勇気をもらいました。 有難うございました。
- can21
- ベストアンサー率50% (1/2)
稚拙な文章ですが、もしよろしければ・・・ 合併のメリット、デメリットと重なってしまいますけど、 合併による、自治体の行政区域拡大によって、住民サービスの低下は確実にあります。 実際に自分の村も、村営バスがあったんですけど、合併後には範囲は広まったものの 便数が減り、お年寄りが困っていました。 自分のところは・・村から、・・・市・・村に名前が変わったんですけど 出身とか答えるときに、「・・村」というより「・・市」と 言ったほうが相手に伝わることが多々ありました。 ・・市になったほうが、知名度はややアップするかと思いますが 住民のまとまりという面では、旧村内での住民の意識が低下して まとまりがなくなることがあると考えています。 自分は実際に村がなくなる(廃村など)ことについて 興味がありいろいろ本を読んだりしているんですが、 村から市へ変わるのと、廃村になるのとでは 住民の方のショックや影響はまったく違うものです。 廃村関係の本ですが、考えさせられ感動します http://www.amazon.co.jp/%E6%B0%B4%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%9F%E6%9D%91-%E5%A4%A7%E8%A5%BF%E6%9A%A2%E5%A4%AB/dp/4795847924/ref=pd_sim_b_1
お礼
実際に生活されてる方の実直な声が伝わるようです。 国の財政困窮の影響が万遍なく行き渡ってる現実を目の当たりにした思いです。 高度成長時の無策の代償と過去を責めても遅いですので、 今はひとつひとつ課題を乗り越えてくしかないのかなとの心境だす。 有難うございました。
補足
磐梯山の噴火で湖底に沈んだ福島県桧原村、浅間山の火砕流に埋もれた群馬県鎌原村など 自然の力にはなすすべもなく消滅した村があれば、徳山村のように人間によって失われた村が あったことに、人間に本当にその権限があるのかと考えさせられます。
お礼
村の諸問題の具体例を教えて下さり、有り難うございました。 村人の大半は合併を望んでた訳でなく、財政難で仕方なく合併に踏み切るしかなかった状況が よく分かりました。 また、村には自分の想像以上の様々な問題があり、自分の認識の甘さを痛感しました。 都市には「何をしたらよいか分からない。」「人の役に立ちたい。」若者も沢山います。 一方山村には「遊休地」が目につきます。 国、自治体、NPOの支援で「遊休地」の有効活用に意義を見出す若者の発掘と支援体制ができればと 願ってます。