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同潤会青山アパートの価値
同潤会青山アパートの価値ってなんでしょうね。 社会的には戦後の焼け跡に当時としては近代的な住居を建てた、と言う意味では歴史的に価値があるかもしれません。でも、それでは各地にある公団住宅も同じだと思います。建築的にも公団と変わらないと思います。 あの、表参道のおしゃれなビルの中、美しいケヤキ並木のなかにあるから風情があるので、だたの地方にあれば汚い廃墟? 勘違いしないでください。 私は建て替え賛成派というわけではありません。 タンスの中にむかし着ていたシミの付いたTシャツを見つけた時のように、「思い出」としての価値なのでしょうか?Tシャツは本人以外には価値がありません。
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同潤会青山アパートは、戦後ではなく「関東大震災」後の復興事業の一環で他地区の同潤会アパートと前後して出来たものです。 したがって戦後の公団住宅とは比較しにくいのですが、平面図、仕上げ面でも昭和25年頃の公団設計と同等以上だと思います。 代官山でもそうでしたが浴室のない平面で、確か「6、4.5+3畳位?の板の間」で、狭さも戦後の公団並の復興用アパートです。 たまたま私が生まれれ前両親が2年ほど住んでいて、とても子供を育てる大きさではないと武蔵野方面に逃げ出しています。 都市密着的な一面があり当時はまだ人口的にも少なかったサラリーマン若夫婦向きのハイカラな最先端住宅だったことは事実です。 交通の便は市電もありましたが、表参道から丸の内まで丁度一円で行ってくれる【円タク】が流行ったのもその頃のことです。 さて貴兄の「箪笥の古着説」については・・・私はあまり古着は好きでない方ですが・・・ 「T-シャツ」では古着にもする気にはなりませんが、受けている所を見るとヴィンテージものの「ジーンズ」位の価値は認めます。
- 参考URL:
- http://www.doplus.org/
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- hmori
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文化であり、歴史ですよ。 合理性や利便性だけの価値基準では、 計れないものです。 もちろん、たんすの中の個人的に思い出のある シミのついたTシャツとも違います。 風合いや趣き・・・ そういうものを愛でる精神もいいじゃないですか。 もっとも、同潤会アパートを利用してる人たちは 残念ながら別の価値観ですが・・・
お礼
回答ありがとうございます。 文化や歴史、風合いや趣き、わかります。 私もそう思っています。 同潤会も趣きがあって是非残してほしいと思っていた一人です。 #1の方にも書きましたが、実際、中に入ってみてわからなくなりました。 どうしてもっと大事にしなかったのでしょう? 建物は窓を各々サッシを作り変えたり、外壁も何年おきに塗り替えとかしなかったのでしょう。 公団住宅などは手入れをしながら住んでいます。 ツタはだれが植えたのでしょう?偶然?わざと?
- ma_
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「表参道のおしゃれなビルの中、美しいケヤキ並木のなかにあるから風情がある」のだとおもいます。が「だたの地方にあれば汚い廃墟」というわけでもないとおもいます。人は住んでいるわけですし、生活の匂いもあります。軍艦島とはまたすこし違います。
お礼
回答ありがとうございます。 私は同潤会の前をずいぶん前に、また数年前にも何回か通った事がありますが、この前しみじみ建物の中や棟の間にも入ってみました。 取り壊されると決まったので数軒のお店があるだけで生活の匂いがありません。 廃墟にみえてしまったのはそのいせいでしょうか? 人が生活しないということはこんなにも建物をだめにしてしまうのでしょうか。 軍艦島も昔の人がいっぱいいた頃の写真を見ると同じ島とは思えません。
お礼
回答ありがとうございます。 ちょっと勘違いしていました。戦後ではなくその25年も前の住宅なのですね。 公団住宅も今になってみれば狭くて住みにくいですが、当時としては新婚夫婦のあこがれの住宅でした。その25年も前、簡単に25年と言っても街の様子はすごく違ったと思います。その中にあったのなら、かなり最先端の建物だったでしょう。 それならヴィンテージですね。 今の感覚でみると良くある住みにくい住宅でも、当時の人の気持ちになってみると屋根の無い鉄筋コンクリートの住宅というだけですごかったでしょうね。 私は公団住宅と同等に考えていました。 近所にも公団住宅の建て替えや取り壊しで人がいなくなった廃墟をみたことがあります。 これも何年かしたら、保存運動が始まるのでしょうか?