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幸せ度
数ヶ月前まで、楽しい毎日でした。忙しい中、少々いやな事が起こっても、日々小さな幸せを感じながら過ごしていました。 変わったのは環境です。長年の夢だったマイホームを手に入れ、理想の生活を手に入れたはずでしたが、大金かけたにもかかわらず住んでみてわかる「こんなハズでは、、」的なことから始まり、なんだかネガティブ思考の塊でした。家が完成した頃にたまたま仕事も一段落してしまい、完璧主義で神経質な私にはなおさらキツイ毎日でした。 しかしながら、物理的な諸事情については、懸命にどうにか自己消化しつつあります。家に関するマイナス事情については、「もういいや!」と考えないようにし始めました。 普通に過ごすのですが、以前のように小さな幸せが感じられないのです。例えば、子供が先に寝て、ゆっくりテレビを見て過ごせたり、ゆっくり夕飯を作れたり・・。以前はそれだけで幸せを感じていたのです。 なぜ感じなくなってしまったのでしょうか。 うつ状態から回復し始めたばかりだからなのでしょうか。 以前とは状況が変わってしまったため、もう以前のような幸せは感じることが出来ないのでしょうか。
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- ooooooooeo
- ベストアンサー率22% (5/22)
私はちっちゃい夢ですけど実現できたとたん、 なんだこんなもんかってその立場になってみると 案外感動が薄いときってよくありますね。 az3さんは幸せを感じ過ごしてこれたのですから、 これから新しい環境になりさらに幸せを見つけていけるとおもいます。 今はただショックなことがあって落ち込んでるだけです。 幸せを見つけるのが得意なら大丈夫です!
- psfa_mig
- ベストアンサー率29% (135/452)
注文住宅なのですね。このご時世、普通の人から見たら羨望の眼差しです。 でも、考えてみて下さい、どんな完璧な家を建てたとしても、建てた瞬間耐用年数は決まっているし、床に傷がつくこともあれば地震や長期の使用で建付けが悪くなります。理想をふくらませ過ぎれば過ぎるほど、シビアな現実が辛くなります。本当に素晴らしい理想の家が手に入るのは、キャッシュで家が買えるほんの一握りのお金持ちだけです。 あなたはふくらませすぎた理想の落としどころが探せずに苦悩し、それがストレスになっているという、ある意味他の人から見たら贅沢な状態です。 でも自分の認識を改める方法があります。 毎日自己分析してノートにポジティブな部分を書き出して下さい。自己分析して、自分が同じくらいの歳の世間一般の平均の人と比べて、幸せである部分を最低3こは箇条書きにして下さい。マイナスの部分は不要です。自然と価値観が整理されて落ち着き始めるはずです。 例えば、あなたは大事な人がいて結婚をしている、仕事と収入がある、住宅ローンが組める(ローンは誰でも組めるというものではありません)、仕事は激務ではないし家族とのバランスが取れているなど。 どうしても思い浮かばなければ、夕食が美味しかった、部屋が掃除されていた、程度のことでもいいんです。 視野を広く、ポジティブに考えるトレーニングになります。 完璧主義者の最大の弱点は、局所の完璧性を求めるばかりに全体最適に頭がまわらないことです。 今まで「家」に焦点を当てすぎて思考しているので価値観の視野が確実に狭くなっています。 家を手に入れたのはあなたとあなたの家族の生活の質を高めたことの一部でしかありません。生活の全てでは無いはずです。生活の他の部分にも柔軟にポジティブに思考を切り替えられるように訓練してみましょう。
補足
そうなんです。その通りなんです。 高飛車な暮らしをしている部類ではないので、世間の常識からいって私が抱えているモヤモヤは贅沢なことなのだろうとわかります。こんな事を声高に言うべきではないと自分を納得させようとしていて、どんどんネガティブシンキングになっていったのかもしれません。 ですからこうして胸のうちを語れる場所で、納得のいくアドバイスをいただき大変うれしく思いました。 気分的にこのような状態なので、一生かけてはじき出した金額それ相当の満足が得られないと、詐欺にでもあったような絶望感さえ感じてしまったのだと思います。 しかし人間とは強いものですよね。あきらめ、前に進むように出来てい るんであろうと思います。でないとこの世は絶望の渦巻く世界ですよね。 私は今日はこのように少しポジティブなのですが、三寒四温というか、波があるようです。 昨日アドバイスいただいたように幸せなことを数えだしていました。今朝はいっとき、マイナス要因についてどーっと考えてしまいました。 もう少し、、、がんばってみます。
目的というのは「だからどうした」という面を持っています。反面手段というのは何かほかの役に立つという面を持っています。幸せ感を与えてくれるのは目的だけです。手段はつらいのが現実です。そして手段はいつの間にか目的へ、目的はまた手段へとお互い変わっていきます。その状態が幸せというのは手段が目的に変わっているときか、目的が目的のままにあることです。ところが手段は目的が達成されると消滅し、目的は実現されてしまうとかならず手段へと変わってしまいます。手段に変わってしまったかつての目的はもはや幸せをへ与えてくれません。これは幸福の逆説です。幸福は手に入れたとたん幸福ではなくなります。要するに常に目的を求めていないと幸せ感は得られないということになるのではないでしょうか。目的は冒頭に書いたようにほかの役に立たないものです。ほかの役にたたないつまらないものがうれしいという心境が最も確実な幸せ感を得る方法だと思います。物質的に恵まれすぎた人が幸せ感を持てないというのもよくわかるような気がします。
補足
なるほど・・・。うなずけます。的確な回答ありがとうございます。 私の場合、物質的に家を得ましたが、夢が覚め、膨大なローンに我に返り後悔の念に苛まれた経緯もあり、純粋に夢が達成されたなら良かったのですが・・・。 どうにか前を向き歩き出したいです・・・。
- blazin
- ベストアンサー率50% (20251/40149)
貴方も日々成長している。変化しているんです。 以前の幸せを求めても手には入らないんです。 これからはこれからの幸せの形がある。 以前を求めると今が疎かになる。昔は昔。今は今だからね。 貴方なりに頑張っている部分と、少し神経質で欝気味になりがちな自分もしっかりケアしてあげる。その中で貴方なりに今感じられる幸せを大切にしていく姿勢。それは今貴方の周りにある環境、人間関係を大切にしていく事でもあるからね。そうすれば必ず今は今として前向きに受け止めていけるんです。自分に波がある事もちゃんと踏まえた上で、今の完璧だけを求めずに、貴方の今後の人生を掛けて完璧にしていけば良いんだよ。ご家族を大切に、ご自身の事も大切に☆
補足
すごい・・・。心に響きました。 病院にこそ行きませんでしたが、ネットに噛り付いてウツについて調べたり、自己啓発本を読み漁ったり、もがいていました。 教科書的に活字として頭に入ってはくるものの、自分の気持ちに変化は起きないままでした。随分と日にちも経ちましたので、状況に対する自己消化(あきらめ?)は出来つつありましたが、重い気持ちの対処の仕方がわからず焦りを感じていたところです。 blazinさんは経験者とありますが、、、回答の一言一言が心に響くものでした。ありがとうございました。
補足
ありがとうございます。 幸せって、ちっちゃい夢とか目標があって初めてじんわり感じるものなのかな・・・。 幸せを感じたい~!と躍起になるのも変ですよね。 日々を過ごしていってみます。