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東條英機の手記について
東條英機元首相は、ポツダム宣言受諾の御聖断(8月9日)が下った後に、以下のような手記を書き残しています。 *****以下引用***** ▽8月13日 戦いは常に最後の一瞬において決定するの常則は不変なるにかかわらず、その最後の一瞬においてなお帝国として持てる力を十二分に発揮することをなさず敵の宣伝政略の前に屈し、この結末を見るに至る。 もろくも敵の脅威に脅え、簡単に手を挙ぐるがごとき国政指導者及国民の無気魂なりとは夢想だもせざりしところ、これに基礎を置きて戦争指導に当りたる不明は開戦当時の責任者として深くその責を感じるところ、上御一人に対し、また国民に対し、申訳なき限り。願くは今後の国民諸君、降服によりて来るべき更に大なる苦難を忍びに忍び他日の光栄ある帝国建設に努められんことを伏して願て止まず。 *****引用おわり***** 気になるのは、思っていたよりも国民が無気魂だったから戦争に負けた、としている点です。三百万余の国民の命が失われたにもかかわらず、それを悼む言葉が一切無く、反省するどころか責任を国民に転嫁しています。 みなさんは、この東條の手記についてどう思われましたか? また、こんな東條を擁護しようとする一部のネットウヨについてどう思いますか?
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「ネットウヨ」のことはよくわかりませんが、この手記は読んでみて、ああ、「武士」の人だったんだなあという印象でした。よくも悪くもまさに日本男児、という感じ。「武士」だったらこういう結論(感想)になるだろうな、と思いました。 ただ、「他人」にばかりその精神を適用して、自分を省みないところは、どうなんだろうと思いますが。 モノより心、「精神力」というものを重視するのが日本の伝統だと思いますし、その精神には無味乾燥な合理主義にはない素晴らしいところも多いと思います。戦後日本の復興が成し遂げられたのも、もちろん運もあるものの、この精神あってこそかと思っています。 が。 精神力「だけ」に重きをおきすぎると、えてして視野狭窄になります。 今だに、武士道精神の名残なのか、現実が見えずに(見たくないから見ずに)精神論だけになっちゃっている男性は、昨今の会社でもよく見かけます。 精神力さえあればなせぬことはない、みたいな。 (まわりは「おいおい、物理的にムリだろう、ちょっと冷静になってくれ」、と思っている) 話がそれますが、女性って、そこまで精神論とか一発逆転的発送に傾かないと思うんですよね。 夢がないともいえますが、冷静に現状を把握してムリのない道を選ぶし、部下の負担の程度も考えてくれる。 会社などでも、トップのほうに力を持った優秀で冷静なもの申せる女性(あるいは、女性的な思考回路を持った男性)がいると、安心なんですよね… 当時の日本にも、そういうポジションの人がいてくれるとよかったですよね…といっても、独裁状態じゃ意見するのもムリだったのかな。 ネットウヨ?はどうなんでしょうね。 なんかうすぼんやりした今の世の中で、自分が憧れられる正義?みたいなはっきりしたものを求めているのかもしれませんね。 戦争をやっていた時代は不自由だったけど、いろいろハッキリしていたから、そういう何か「ビシっとした感じ」に憧れてしまうのかもしれません。まるきり想像ですが。
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- dell_OK
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質問者様が気にされた点の文章は、「何かについて、この原因が、国政指導者及国民の無気魂のせいだとは、つゆほども思わなかった」と言う風に読めました。 まったくもってそうとは思っていなかった、としているのだと思います。 この人には、そのような意図はなかったけれども、どこからか、「国政指導者及国民の無気魂」と言う言葉を思いつかされたのは、考えれば考えるほどにそうではないのかと言う自らの疑念。 「せざりしところ」の部分が、他のところもだけど、意味がよくわからなかったので、誤解しているかも知れません。 私にはみょうちくりんに聞こえる昔の言葉づかいのようで、ちんぷんかんぷんな手記だなと思いました。 夏の暑い日で、脳みそが煮えていたのかも知れないとも思いました。 「ネットウヨ」が何なのかも調べていないので定かではありませんが、私が東條と言う人なら、ちょっとうれしいかも。 私が「ネットウヨ」と言う存在なら、擁護したいんだからいいでしょ、と思う。 どちらでもないとして、どうとも思わないかな。
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>戦いは常に最後の一瞬において決定するの常則。 この一文が、恐ろしいと思います。(質問者様とは、違うとこに食いついちゃいました。) ただ、この考えが、あの戦争の悲劇を大きくしたのだと思います。 ミッドウエーで惨敗した時点で、コールド負けみたいなものなのに、意味もなくダラダラと戦争を続けました。もう、10日早く終戦していたら、広島も長崎もなかったのに。 大体、戦争の犠牲者は、勝敗の帰趨が明らかになってからの方が多いと思います。 ただ、東條に関しては、罪を犯し、裁きを受け、罰を受けたと考えていますので、さらに、死者に鞭打つような意見は持っていません。 東條擁護の方々については、私とは考えが違いますが、言論の自由の範囲内と思います。
お礼
ありがとうございます!
- iserlone
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国政指導者とも書かれている事から、東條英機氏本人も含まれている事が分かります。 即ち、必ずしも他人の所為にしたものとは思われません。 平たく言えば「自分を含めたみんなの力が足りなかった」という事です。 また、東條英機氏は国際軍事法廷裁判において以下の様な宣誓供述を残しています。 「敗戦の責任については当時の総理大臣たりし私(=東條英機)の責任であります。 この意味における責任は、私はこれを受諾するのみならず真心より 進んでこれを負荷せんことを希望するものであります」 (東條英機宣誓供述書 156より)
お礼
ありがとうございます!
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