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1970年代 夜行列車

1972年~1975年の間で、 当時、私が7歳から9歳、 多分上野駅から秋田まで夜行列車で妹と二人で乗車した電車の事です。 この電車デッキドア?っていうのかしら?明けっ放しだったような気がしたんですが、そのような電車は当時あったでしょうか? 憶えているのは、郡山に停車したことと、その他にも沢山の駅に止まったことくらいなんですが・・・・ネット検索してもどうしても見つけることができません。当時の列車等に詳しい方がいらっしゃいましたらよろしくお願いたします。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.5

質問者さんが乗車された夜行列車は、上野発奥羽本線経由青森行き急行「津軽」か、上野発奥羽本線経由秋田行き季節臨時急行「おが」のいずれかでしょう。 中でも「津軽」は、1956年(昭和31年)から運転されている由緒ある夜行急行列車で、1970年(昭和45年)に寝台特急(ブルートレイン)「あけぼの」が運転されるまでは、秋田県北部や青森県津軽地方と東京(上野)を結ぶ唯一の優等列車であったために、この列車の一等車(現在のグリーン車)の乗って帰郷し故郷に錦を飾るのが、出稼ぎ等で上京するこの地方の人達のあこがれでもなっていて、その当時「出世列車」との異名を持つほどの人気列車でした。 また、「おが」は1961年(昭和36年)から運転されている列車で、津軽とともに奥羽本線夜行急行の双璧とされる列車でした。 これらの夜行急行列車は、その後の新幹線開業や高速道路網の整備等の交通体系の変化の波を受け、「おが」は1994年(平成6年)に、「津軽」はその3年後の1997年(平成9年)にそれぞれ姿を消しています。 ちなみに、質問者さんが乗った車両は、実は「電車」なのではなく「客車」というものです。 鉄道に詳しくない一般の方は車両の違いに気付かないため、つい「電車」といってしまうのですが、鉄道車両の分類では「客車」と種類のものなのです(お年寄りがなんでも「汽車」と言ってしまうのと同じようなものですね)。 この「客車」は自分で動力を持たないため自力では走行できず、蒸気機関車や電気機関車等の機関車に牽引されて走ります。 そのため、「津軽」や「おが」も、その線区によって異なる機関車を何台もつなげ換えながら長躯、青森や秋田を目指しておりました。 また、この当時の地方の路線では、幹線やローカル線でもこの客車を連結した客車列車がディーゼルカーと共に主力として運行されていました。 現在走っている「客車」はイベント用などを除いてデッキ部分のドアは全て発車時に閉まる自動ドアとなっていますが、この当時は、「津軽」「おが」に使用されていたものはもとより、全国で普通列車や急行列車に使用されていた客車は全て「手動」、つまり、質問者さんが目撃されたような、走行中でも開けられる(開きっぱなし)ドアでした。 発車時に閉まる電車のドアから比べると随分危険で、実際1956年6月に盲目の作曲家・箏曲家である宮城道雄氏が、深夜の夜行急行列車「銀河」の開きっぱなしだったデッキから転落して亡くなったという事故もありましたし、私の知人も凍結したデッキで足を滑らせて、進入中の駅のホームに転げ落ちたということもあるくらいでしたが、その当時はこの手動のドアが当たり前だったのですよ。 また、当時の客車は、寝台車と座席車のうちグリーン車は冷房がついていましたが、それ以外は全て非冷房車でした。 今では、電車も含め大半の車両に冷房がありますが、この当時は多くの車両が冷房化されておらず、特急用車両や寝台車、グリーン車に冷房が付いていました。 冷房が無い為、夏は結構暑かったのですが、走っている時は開けた窓から風が入ってくるからそこそこ涼しいですし、途中の駅では窓から駅弁を買うということもできたので、それなりに良い面もありました。 「津軽」「おが」ともこのような客車を連ねた編成で、津軽は寝台車3両、グリーン車1両を含めた11~13両編成、おがは寝台車2両を含めた11両編成、とまさに「夜汽車」という通称にふさわしい列車でしたね。 ↓はその当時の夜の上野駅の風景です。 質問者さんもこんな雰囲気の中で妹さんと乗車されたのでしょう。 http://dmh17.web.infoseek.co.jp/new_pageueno_15.htm

quesjira
質問者

お礼

こんばんわ、回答をありがとうございます☆ 私が乗車したのは『客車で』『津軽』のようです^^ アナウンスで、終点で秋田ではなく降り遅れたら大変! っと、子供ながらにドキドキした記憶がかすかにあります。 ドアに関しては亡くなられた方もいらっしゃったんですね、 考えてみれば全然不思議じゃないですよね、 私も怖いもの見たさで、近くまで行っては離れたり、 何度も繰り返しました^^ 私にとって、非常に心に残る思いでだったので 回答して頂きありがとうございました。

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その他の回答 (4)

noname#132927
noname#132927
回答No.4

> 電車デッキドア?っていうのかしら?明けっ放しだったような気がしたんですが、そのような電車は当時あったでしょうか? 電車には、ドアが閉まってロックされなければ運転士が起動させようとしてもモーターに通電しない、「戸閉連動装置」という物が組み込まれています。そのため、ドアが開いた状態では、電車は動きません。ドア故障などでドアが開いたまま、安全処置を施した上で運転するときは、ドアに閉鎖用の鍵を掛けて開かないと言うことを明示する、あるいは扉に近づけないよう幕(添乗幕と言います)を張り、係員がその場に立って案内と安全確認をすることになっています。 従って、ドアが開いたままと言う状況はあり得ません。 ただし、他の方も書かれていますが、客車の場合は異なります。ドアが自動開閉で閉鎖できるのは、当時は特急用のみでした。20系、14系24系と言った特急寝台列車用の車両は、車掌による自動開閉で、走行中は開かない物でした。 しかし、各駅停車用の客車はドア部分が客室から区分されたデッキ付き2ドアでありますが、ドアは乗客が自由に開け閉めできる物でしたので、走行中にも開けっ放しのこともありました。 ぎりぎりに来て乗り遅れた人が、走り始めたばかりの列車の近くのドアに駆け込むと言う映画さながらのことも、こうした旧型客車列車では不可能ではありませんでした。 こうした状況から、乗られたのは客車列車と推測できます。 私も当時、上野発6:50分頃の高崎行き、高崎で1時間停車して再び運転時は9:50頃発車の長野行きとなる各駅停車に乗りました。この列車もご質問者様が書かれているように、走行中もドアが開けられました。 列車はEF62型電気機関車が牽引する7両編成の旧型客車(ボディが茶色、座席は木製でした)列車で、後部に碓井峠でEF63型電気機関車2両の補機が付き、碓井峠は9両編成で上り下りしました(下りは先頭にEF63を付けるので、機関車3重連になりました)。 乗られた列車は当時運転されていた「津軽」の可能性が高いですね。

quesjira
質問者

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こんばんわ、回答をありがとうございます☆ 私が乗車したのは『客車で』『津軽』のようです^^ アナウンスで、終点で秋田ではなく降り遅れたら大変! っと、子供ながらにドキドキした記憶がかすかにあります。 私にとって、非常に心に残る思いでだったので 回答して頂きありがとうございました。

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  • river1
  • ベストアンサー率46% (1254/2672)
回答No.3

昭和47~52年 当時の秋田、青森行の夜行列車は、客車編成です。 上野発奥羽線経由 寝台特急「あけぼの」、急行「津軽」、急行「男鹿」です。 このうち郡山停車は、急行「津軽」、急行「男鹿」です。 急行「津軽」は、青森行(2往復しています。) 急行「男鹿」は、秋田止まりです。 編成は、上野側からA寝台(両側2段式)、B寝台(3段式)、グリーン車、指定席普通車、自由席普通車の編成です。 上野発車時間か、秋田駅に着いた時間が分かると、はっきりとした列車名を思い出せますが・・・ 秋田駅到着が、朝7時ちょい前頃なら「津軽1号」又は「第一津軽」 午前9時代なら「津軽2号」又は「第二津軽」 午前10時代なら「男鹿」です。 ちなみに、上越・羽越経由では、寝台特急「鳥海」、急行「出羽」が走っていました。 ご参考まで

quesjira
質問者

お礼

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  • ED751000
  • ベストアンサー率50% (2/4)
回答No.2

質問者様の乗車したのは、たぶん急行「津軽」ではないでしょうか。「津軽」(客車列車)上野を夜出て、東北本線を通り福島から奥羽本線経由(秋田)終着青森行き夜行急行列車です。その当時の津軽は10系客車を使用しており、寝台車も座席車もデッキドアは走行中でも手で開きます。郡山も停車しますし、その後も福島、米沢、山形・・・急行列車なので、かなりの停車があります。「急行津軽 10系」で検索してみて下さい。

quesjira
質問者

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  • mukaiyama
  • ベストアンサー率47% (10403/21784)
回答No.1

>夜行列車で妹と二人で乗車した電車の事です… 電車でなく「客車」ですね。 >明けっ放しだったような気がしたんですが、そのような電車は当時… ふつうにありましたよ。 夜行列車でも特急は今で言うブルートレインで、冷暖房完備の自動ドアでしたが、各停はもちろん、急行ぐらいでは手動ドアで当たり前でした。 しかも、トイレは垂れ流しだったんですよ。 「駅で停車中やトンネル内ではトイレを使用しないでください。」 なんて車内放送を聞いた覚えは残っていませんか。 ブルートレインに対してこれらのことを「旧型客車」と呼んでいます。 列車名はたぶん「急行・男鹿」だったのではありませんか。 45~47年の編成で、「スロ」は 2等座席車 (グリーン車)、「オロネ」は 2等寝台、「スハネ」は 3等寝台、「ハ」が 3等座席車です。 ちょうどその少し前に等級変更があったので、「ロ」が 1等、「ハ」が 2等と言ったほうがよいかも知れません。 http://tokyo.cool.ne.jp/beppu/a/oga6.html http://www.jnrpc.com/N-TRAIN/st-time/ueno-st-th.html

quesjira
質問者

お礼

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