• ベストアンサー

大学教育は何のためにあるの?

こんにちわ。 大学教育は何のためにあるのでしょうか? 大学で習った事で社会で役に立つ事は余り無いと聞いた事があります。 サラリーマン金太郎でも同じ事を言っているのを見ました。 自分的には情報を集めて、文章にしたり 議論をしたり、システマッチックに図を用いた勉強をする? のが役に立つのかなぁと思っています。 つまり、学問自体は役に立たない?のでしょうか・・

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • sionn123
  • ベストアンサー率53% (1910/3592)
回答No.13

 kagami333さん こんばんは  大学教育とは、ズバリ「学問」を学ぶ所です。  落語にも良く題材にされる様に、昔の人は言葉はしゃべれても文字が読めない人が結構いました。それでは困るので明治政府は小学校を義務教育化した訳です。実際は義務教育である小学校ですら通えなくて、子供の頃から働いていた人も結構居た様です。時代が進むと最低限知ってないと困る内容が増えてきました。したがって現代は小中学校の6年間は義務教育化していて、最低限生活上知ってないと困る内容を教えて頂く所なんです。ですから小中学校で学ぶ内容は社会に出て直接役立つ内容が殆どなわけです。  高校はと言うと、特に普通科高校では大学に行って高度な学問を学ぶ時に困らない様につなぎとなる内容を学ぶ所です。商業高校や工業高校等の職業高校の場合は、高校卒業後仕事を始めても困らないだけの最低限の能力を学ぶ所です。ですから高校とは卒業後に困らない知識や能力を学ぶ所と考えたら良いですね。  以上より小学校~高校までは社会に出て困らない最低限の知識や能力を学ぶ所ですから、社会に出て役立つ内容を学ぶ所と言う事が解り易いと思います。  では問題の大学ですよね。これは冒頭で記載した通り「学問」を学ぶ所です。ここで問題になるのは「学問」とは何かですよね。「学問」とは、色々な事を悩んだり考えたりする時の基礎となる知識や情報収集方法・ズバリ情報等だと私は考えています。世の中には色々と悩んで物事を考える人も居ますが、幸せにも何も悩まずのほほんと生活をしていて生活が成り立ってしまう方だっているわけです。前者の場合は大学で学んだ内容が役立つわけです。後者の場合は、大学で学んだ学問の使う場が無いわけです。そう言う差は有ります。ですから大学で学んだ内容を役立てて使える人と役立たせる場すらない人とがいるんです。ですから「大学で習った事で社会で役に立つ事は余り無い」と言う人もいるわけです。そう言う事を言う人は、大学で学んだ学問を役立たせる場を見つける事が出来なかった(別な言い方をしたら、役立せ無くても生活が楽に出来てしまった方)だろうと思います。  多くの方が今以上に自分をワンランク・ツーランク等上の人間へと変貌させたいと考えた時に、大学で学んだ学問はきっと役立つと思います。  以上を纏めると、小学校~高校までは社会に出て困らない為の最低限の事を学ぶ所、大学は自分をより良い人間に変貌させるまたは社会で役立つ人間になるために必要な知識等を学ぶ所と考えると良いでしょう。ですから大学で学んだ学問は、直接社会で役立つ内容で無いかも知れませんが。、学んだ人が学んだ知識を使って社会で役立つ人になれれば社会貢献出来ますから、間接的に社会に役立つ内容を大学でも学んでいると私は考えています。  以上何かの参考になれば幸いです。

その他の回答 (16)

  • fukakon
  • ベストアンサー率0% (0/1)
回答No.17

>自分的には情報を集めて、文章にしたり >議論をしたり、システマッチックに図を用いた勉強をする? この類の勉強の機会は社会でもあり、大学よりも真剣に取り組みます。 >つまり、学問自体は役に立たない?のでしょうか・ 役に立つ、立たないは考え方や範囲によりますが、大半の仕事には役に立ちません。面白ければよい、人生に役立つなどの考え方はあるかもしれません。結局、小数の専門職や研究者の養成を除いて、大学教育の大部分はカルチャースクールにすぎません。それでも、多くの人が大学進学する理由は、就職に有利だからです。大卒は就職応募のための資格であり、同じ大卒資格の中でも、偏差値などによるランキングがあります。 大学で身につけた知識や技能が仕事に使えるという理論を人的資本論、もともとの優秀さを選別しているにすぎないという理論をシグナリング理論というそうです。東大の研究者による賃金データを使った分析ではシグナリング理論が正しく、大学教育は職場訓練よりも職業技能を下げるようです。大学教育には意味があると信じたい人もいるかもしれませんが、賃金データで示すと説得力があります。 東大の入試がくじ引きになったら、東大卒を雇いたいという企業はなくなると思います。

参考URL:
http://keijisaito.info/econ/jp/gjk/j1_econ_education.htm
  • widoww
  • ベストアンサー率20% (33/159)
回答No.16

大学教育が役に立たないなら 日本はとっくに滅びてます。 SONYもありませんよ(笑) 文系はモラトリアム的な要素はあるけど 法学部などわかりやすいけど社会インフラチックなものは 現代社会を維持するのに必要です。 教育機関ってのはReproduceなわけですから 社会・科学技術の維持に必要です。 マンガの言うことを真に受けないようしましょう。 役に立たない人も多いでしょうけど、それを言えるのは 教育を受けたから言えることでしょう。 学問が役に立たないなら義務教育もいらないでしょう? それとも~まではいる学問とかあります? 私は中学校の連立二次方程式が実社会で目に見えて 役に立つとは思えないです。 しかし、もっと高度なレベルの学問をするには必要なこと 日本は一気にアフリカ並の3等国になるでしょう。 あなたのようなことを言い出す人がいること自体、 日本の教育がなされているこということでしょうけどね。 海外では教育の不整備で、内戦ばっかりしてる国があるくらいです。 教育ってのは国の根幹です。 絶対、軽視するのはお勧めしません。

  • gn_drive
  • ベストアンサー率22% (175/789)
回答No.15

なんか大学の選び方、大学への期待・考え方が違うなあと感じました。 自分がこういう学問を学びたいから大学へ行くのであって、 ただなんとなく大学に行くから「役に立たない」という発想になるのでは? 勉強するのに年齢制限はなく性別も問われない。 でも必ずしも大学で学ぶものは、純粋な学問の勉強だけでなく、その間やその空間に共有することで学べるものもあります。 高卒と大卒、浪人生の違いは、そのときの身分で、ぼーとしている時間でも感じ方が違うと思っています。 たしかに多くの人が感じている微分方程式や三角関数、理系なら光学や材料力学など普段使わない知識も、過去に習っただけで、ものの見方が変わってくると思います。違うかなあ。まあ人それぞれということで。

  • potachie
  • ベストアンサー率31% (1065/3387)
回答No.14

大学教育(厳密に言うと、高等教育ですが)は、勉強を教えるのが本道ではなく、研究の作法、知識の技法を伝えることが主な目的です。 考え方そのものを学ぶというのが、近いでしょうか。 先人の知識、同時代の人の知識を、どのように共有し、それを自分の研究(仕事と置き換えても良いでしょう)に役立てるか、を学ぶ場です。 社会人(それが会社勤めでも)になっても、自分を常に磨く方法を知っていないと、才能は摩耗していき、年齢とともに使い捨てられます。 大学を卒業した人が、何を自分のために役立てるか、は、人それぞれでしょうが、高等教育の基本的な思いは、本来は、日本という国をレベルアップできる人材を育てる、ということですね。

  • tetrarch
  • ベストアンサー率21% (123/563)
回答No.12

>大学教育は何のためにあるのでしょうか? それを理解する、知るためにあるんじゃないの。 そもそも大学教育って何? 定義・範囲・内容を教えてください。 もっとも、学ぶことは自由であり、自分自身が大学教育の必要性を考えるわけで、他人に聞いている時点で質問者さんの間違いかと。 まとめると、質問者さんが大学教育を必要と思っていないなら、質問者さんにとっての正解は「必要ない」でいいかと思います。 人によっては「学歴のため」・「趣味・興味」・「自分を磨くため」でも間違いないかと思います。

noname#100196
noname#100196
回答No.11

おおざっぱに言うと、近代以前の大学は神が書いた「二冊の本」つまり聖書と自然を読み解くための知識をつけるために存在していました。キリスト教以前のもっと古い大学にせよ、最終的な学問の目的は「真なるもの」とは何かを見つけるためのものでした。 近代以後、聖職者要請を主目的にせず、むしろ産業振興のための大学が作られるようになります。牧師養成学校として設立されたハーバード大学の初期の卒業生のうち、実際に牧師として働いたものは5割です。 このころから、科学技術の発展が、大学などの研究機関における応用科学の研究の進展→それに基づいた民間企業による発明、という二段ステップで行われるようになります。 例えば蒸気機関が大学で発明され、それによって蒸気船が実用化される、という感じです。(ジェームス・ワットなど) 大学での研究(学問)がなければ、株式市場も見えざる神の手もレーヨンもベークライトも超鋼タングステンも産業用ダイヤモンドも電灯も内燃機関も医療用トリアージもプラスチックも自動車専用道路も人口統計作表機もコンピューターも…何もかもありえません。 個人個人の経験からくる知識も確かに役に立ちますが、それによる生産性(どれだけ楽して豊かになれるか)はさほどあがりません。むしろ誰にでも扱える科学技術は触れるものすべてに魔法のような生産性の向上をもたらします。電子レンジや洗濯機などを思い出してください。他にも、電車や車より多く人や物を乗せて速く走れる人はいない、など…。 ですが、本当に大事なことは、夢を実現に向かわせる歯車の役割を大学が担い続けてきたということです。大学って本当は、人間の夢とロマンが詰まったとってもかっこいい所なんです。それと同じ理由で、大学はまるでタカのような行き過ぎた現実主義の攻撃から人間の夢と希望を守る機能も果たしています。「大学はレジャーランド」そうです。そのとおりです。一人の人間の一生の間に二度の世界大戦を起こしたこの世界、人間という存在。その事実を目の前にしていまだに私たち人間が、人類が一つになれると信じて未来のために立ち上がる人間が生まれくるところなのですから。大学はまさしく、夢とおとぎの国なのです。

  • Silentsea
  • ベストアンサー率38% (73/189)
回答No.10

ニュートンが物理を学ばず、農業だけに専念したとしたら、今の力学の基本は、まぁ、何十年かは遅れてたでしょうね 社会に出て役に立つことと、学問自体は直接結びつかないものだと思うんです。 というか、役立つ、ってどんなレベルなんでしょうか? 出世に役立つ、仕事で好成績おさめるのに役立つ、社会全体に革命を起こすほど役立つ・・・ 学問は、最後の「社会全体」に大いに役立つと思いますが、前の二つには、たぶん役立たないですよね。 もうひとつ、「学問」のレベルはどの程度の事を言ってるのでしょう? 例えばマトリクス計算方法や惑星の公転周期、英文学の和訳なんかは、所詮教材や計算道具なので、確かにほとんど役立ちませんが それらを踏まえた上にある各研究室の学問なら社会の役に立ちます。 「会社」の役に立つかどうかは知りませんけどね。 ま、小さい人間にはならないで下さい。

  • nobita60
  • ベストアンサー率29% (193/644)
回答No.9

大学で学ぶ理由は 自分を満足・納得させるためです。決して教養の一環ではありません。 モラトリアムとして、意義を見出さない人が、大学に在籍する嘆かわしい時代になりました。 大学で学ぶ意義がわかった人が、そのときに進学すればいい。それが大学です。 駅弁大学と揶揄した時代からコンビ化に大学的になってしまい、大学とは何かと真剣に考えています。 貴方の疑問が本当は必要な事象でしょうね。なんとなく納得。

  • otx
  • ベストアンサー率44% (256/576)
回答No.8

>大学教育は何のためにあるのでしょうか? 大学で習った事で社会で役に立つ事は余り無いと聞いた事があります。 なるほど。 では、質問者様は小学校、中学校、高校で習ったことは社会で役に立つことがあると思いますか? もし「ある」とお思いで、特に大学だけ役に立たないというご意見なら、それはそれで私の見解を述べたいですが、 もし、「ない」と思われるのならば、小学校、中学校、高校の教育はなんのためにあるのでしょうか?大学教育がある理由はその理由に毛が生えた理由だと思います。 小学校、中学校、高校の教育の意味も無い、と質問者様がお考えでしょうか? それとは別に >つまり、学問自体は役に立たない?のでしょうか・・ 学問自体は役に立たないですか・・・ どうしてこの世はこんなに便利になったのでしょうか? 学問の上に成り立つものばかりだと思いますが・・・ この掲示板を見ることの出来るネットもしかり、パソコンもしかり。 学問をやっているうちに出来たものでこの世はあふれていると思いますが、どうでしょうか? このことが想像できないのであれば、質問者様の想像力はなさすぎると思いますよ。

  • Us-Timoo
  • ベストアンサー率25% (914/3620)
回答No.7

>つまり、学問自体は役に立たない?のでしょうか・・ そんな、バカな・・・ 大学は本来 「自分が極めて行きたい事を勉強する場所」 ですよ。 小学校~中学みたいに義務教育で通う場所でもありませんし 普通高校のように、とりあえず入ってオールマイティに勉強して・・・という場所でもありません。 他の方も書かれていますが、大学で習ったことを活かせる職についていないから役にたっていないのでは? >大学で習った事で社会で役に立つ事は余り無いと聞いた事があります。 そりゃ、大学で習った専門外のことをやる職(単なる営業周りとか事務仕事)なら、たしかに役に立ちませんよ。 でも、自分の知識・センスを活かすクリエイティブなお仕事なら、 大学の勉強で得たこと・経験したことが、どれだけ活かされることか。 実際、大学などでその道の勉強をせずに、業界に入ると勉強・知識不足に悩まされます。 その上に、経験すらないのですから、まともな仕事などできるわけがありません。 >サラリーマン金太郎でも同じ事を言っているのを見ました。 あれは「学歴一辺倒社会」に対するアンチテーゼと作者のメッセージです。 そのメッセージにこめられた意味を読み違えるのは、作者に対して失礼というものです。 それでも、ご質問者様が学問自体が無意味だと思うなら、今すぐにでも大学辞めて 自分のやりたい道に飛び込むべきでしょう。 自分のやりたいことはありますか?それは何ですか? そのやりたいことのビジョンを自分のなかで持っていますか? 持っているのなら、それを実現するために自分で何をしていますか? そういうものが自分のなかになく、目標やビジョンが明確にもてないまま 大学生活を送っているのなら、せめて学問や勉強ぐらいしっかりやっときなはれ。 そうすれば、いつかそのなかから自分のやりたいことが見つかるかもしれませんし 見つからなかったとしても、その知識は持っていても人生では無駄になりませんし 今後の人生でそれがどんな風に活かされてくるか、今の時点ではわかりませんから。 それと、就職してからでは、勉強したくても出来なくなりますから。 今のうちに、しっかり勉学に励んで知識を身につけてください。 PS:単に「勉強したくない」くらいの横着者根性なら今すぐ大学辞めることです。  大学は本当に勉強したい人が行く場所ですから。

関連するQ&A

  • 歴史教育について学ぶには?

    4大文学部卒の社会人です。 幸い、さまざまな個人的な条件がそろい、再び大学あるいは大学院で 学びたいと思って情報を集めているところです。 内容は歴史教育はどうあるべきか、(もし時代をしぼるとするならば昭和史をどう扱うかということ)について研究したいと考えています。 学問の分野としてはやはり教育学部(教育学研究科)になるのでしょうか。 ぜひ情報をいただきたいと思っております。 関東在住なので、その近郊の大学情報であれば幸いです。 よろしくお願いいたします。

  • 英語教育を大学で学ぶには?

    こんにちは。現在31歳です。 大学では、商学部に所属していました。 今から、英語教育を勉強しなおしたいのですが、 どのような進学方法等があるのか、整理がつきません。 ネットで英語教育を調べると、大学院ばかりでてきます。 英語教育は、学部で、英語関係の勉強をして、 その後進む道なのでしょうか? そうすると、私は、まず、学士入学、編入、社会人入試等で 学部で勉強することからはじめた方がいいのでしょうか? 勉強不足、情報収集不足で、的外れな質問内容に なっていたらすみません。 どうぞ、よろしくお願いいたします。

  • 教育系の大学院の選び方について

    教育系大学院受験を考えている者で 教職大学院ではなく、修士課程の大学院を受験しようと考えています。 将来は博士までは考えておらず、 修士が取れたら、小学校教諭になりたいと考えています。 そこで、教育系の大学院の選び方を教えていただきたいのですが 地域で有名な教育大学を重視して選ぶべきか それとも 有名な教授のいる大学で選ぶべきか また 修士論文指導は不十分だが 地域に提携学校での、実践的な授業を行ってくれるなど 開設授業を重視すべきか それとも 開設授業内容ではなく 個人の修士論文を重視し、学問的研究の指導をしっかり行ってくれる大学を選択すべきか など 周りの教育系の大学院に対しての価値観が 様々異なっていて、どのようなことを重視して大学院を選ぶべきなのか 決断しかねています↓↓ よければ 教育系の大学院の選び方、また、 教育系の大学院を出て就職する際、どのような事が重視されるのか  などについて、色々な方からご意見伺いたいので よろしくお願いします!!

  • 大学で教育を学ぶべき方法について

    大学で教育を学ぶべき方法について こんばんは。この春から大学生になったものです。 私の通っている学部は問題発見解決型であり、 自分から能動的に学ぶ学問を奨励しています。 (自分が問題に対して必要だと思う学問を自分で選択します。) 私は日本の教育にスポットを当てて問題発見をし、 解決策を研究していきたいと考えています。 問題発見の方法としては、ドイツのシュタイナー教育やフィンランドの教育、その他の世界の教育など比較文化といったかたちをとって日本の教育を客観的に見つめていきたいと 考えています。 しかし、自分の中でテーマは決まっているものの、漠然としすぎているため、 何から手をつけていいのかわからない状態になっています。 どんな本を読めばいいのか?日々どういったことをしていけばいいのか‥ 毎日がただすぎてしまっているだけの状態です。 おすすめの本、または奨励するアクションなどがありましたら、 ご意見よろしくお願いします。

  • 教育工学が学べる大学院について

    教育工学を学べる大学院を探しています。 情報科、学部生の4年生です。プログラミング言語勉強用のアプリケーションをJAVAで開発し、その効果について検証する研究をしています。その研究でなくとも大学院に進んでからも教育工学を研究していきたいと思っています。 しかし、私の大学には教育工学に詳しい大学院の研究室がなく、学内の教育工学に関する先行研究もほぼありませんし詳しく教えられる教授もいません。 となると外の大学院の研究室に行くしかないのですが、情報がありません。 現在、Cinii等の論文サイトを利用し興味のある研究を行っている研究室の見学に行くアポを取っている段階です。しかし効率が悪いのかうまく見つからず進学先の調査が順調ではありません。 そこで質問なのですが、教育工学を学べる研究室がある大学院でお勧めはありますか? 教育工学と言っても幅が広いですが、できれば何かプログラミングで開発→検証というようなことを行っているところが好ましいです。 大学生ならば自分で探せ。といわれても仕方のないような質問内容ですが、学内で聞ける人もおらず、外部進学自体を反対されて困っています。お力添え頂けると非常に助かります。

  • 社会が求める教育のあり方とは?

    高校3年の者です。小学校教員を目指して教育に関して情報を集め始めました。なぜなら、大学に入ってからの目標を明確にしておきたかったからです。 先日小論文模試を受けた際に、教育が知識を教えるだけでなく、隠れたカリキュラムとして社会に出るために必要な素養を身につけることをも役割として持っている。という文章を題材として読みました。自分も、知らず知らずのうちに協調性や時間を守ることなど当たり前と言われることが身についていたのが小学校教育の隠れたカリキュラムのおかげだったのか!と納得させられました。(もちろん、教育が知識を教えるだけの所だとは思っていませんでしたが) そこで、社会と教育を結びつけて考えて見たときに疑問が生じました。それは、社会はどんな子どもを欲し、教育に求めているかという事です。隠れたカリキュラムで身につけることのできた当たり前の素養は、社会の求めるものではなく、社会で当たり前のものです。では、なにが求められているのだろうと考えたとき、自分の力では答えを出せませんでした。かれこれ1週間ほど悩み続けています。 社会は子どもに何を期待し、教育はどのような役割を果たすべきなのでしょうか?

  • 大学へ行く目的がわからない。

    18歳の男です。現在、1浪中の者です。 僕は高校を中退していて、これから大学へ行こうか 悩んでいます。 その訳は、何のために行くのかがわからないからです。 法学部・外国語学部・工学部などいろんな学部がありますが 特にやりたい学問はないです。 今までは、「高校を中退しているので、将来、社会に出るときのために 大学卒業資格を持っておこう」という意識で大学を目指していました。 しかし、あまり興味のない学問を4年間、勉強したところで 自分のためになり、大学へ行っていたことが将来、役に立つのでしょうか? お金も何百万をかかりますし。 大学へ行く目的がわからないので、勉強に実が入りません。 大学へ行く理由をはっきりとさせるには、どうしたらいいでしょうか?

  • 大学教育を終えて、あなたの専門度は?

    大学教育を終えてあなたのその学問分野においての専門度はどのくらいなのでしょう…。また、この質問について大学教育とは何だと思いますか? さまざまな意見を期待します。理想的なものから現実的なものまで…。 はじめに、文系理系の紹介をお願いします。 できれば自分の選考も沿えてください。 それではお願いします。

  • 教育養成課程の志望理由書

    高校三年です。 初等教育社会科養成課程のセンター利用推薦のための志望理由書を今考えています。 しかし自分の考えが推薦入試の志望理由書を書くにあたってふさわしいのかどうか疑問に思い始め、全くまとめることができないので、何かアドバイスを頂きたく質問しました。 ○自分の大まかな考え その大学のオープンキャンパスの雰囲気が自分にあっていると思ったことからです。 そしてその大学は2年次から社会科の専攻を選ぶことができるので自分の社会という学問の視野を狭める事もないと思い受験しようと考えました。 特に目立った特長やカリキュラムはなかったように思います。 正直教員になりたいという強い意志は持っていません。 社会科という自分が一番興味のある学問の教育法(?)を学び、教えることができる能力をもつことで自分の学問を探求したいという理由で教員養成課程を志望しています (((その知識を発信(=教える)したいとも思いますが、教職を目指す確固たる意志とまでは… ちなみに推薦を受験しようと思ったのは、高校三年間の成績や、部活動の成績などを評価してもらいたいと思ったからです。 *上の文書は志望理由書に書いた文章ではありません。 そもそも子どもが好きでどうしても教員になりたいような人しか教育学部の推薦を狙う資格がないのでしょうか? よろしくおねがいします。

  • 大学院に進むか悩んでいます・・・(教育系)

    私は大学3年生で、将来高校の数学教員になるつもりです。 一応、来年の教採の勉強は始めてはいるのですが、大学院に進んで修士までとったほうがよいのではないかと思い始め、どうしようか悩んでいます。 時期的に、どっちに進むのかはっきりさせないと勉強にも集中できないですし・・・ なぜ、大学院まで進んで修士までとうろかと悩んでいるのかというと、修士まであったほうが将来自分の役に立つのかなぁと思うからです。 今はまだ変わりないですが、将来は修士がないと教員になれないという話も聞きます。 今、教員になってしまえばなった者勝ちとも聞きますが・・・ そうゆう話を聞くと、修士をとっておくべきなのかと悩むようになりました。 また、修士があるという理由で、教員になってからも差が出てくるのでしょうか? 給料が若干違うのは知っているのですが、それ以外にも有利にはたらくのでしょうか? 私は高校の教員になったならば、いずれはレベルの高い学校に赴任したいと思いますし、管理職にもなれればと考えています。 そういったことに対して、やはり有利のなるのでしょうか? また、私立の学校に採用されるにも、やはり関係してくるのでしょうか? また、今の私の状況としては、今は理学部に在籍しているのですが、院は同じ大学内の教育系に進もうかと思っています。 私が行きたい院は他の大学や社会人になってから入学する人もいるので、合格するのは大変なのですが、今からなら間に合う気がします。 だからこそ、とっても悩んでます。 いろいろなこと教えてください! お願いします★