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制服の理由

高校生です。 金八ではありませんが、制服を着る理由ってなんですかね? 自分は制服を着て登校していますが、ブレザーの下に着るセーターまで指定されています。セーターまでも指定するのが納得いきません。特に目立たないようにしているのに!! 極端の話、見つかると没収された人もいます。 セーターまでも指定されるのは納得がいかないような・・・。ブレザーと同じだ!といわれればそれまでなんですが、どうも納得がいきません! 教師に対する筋の通った反論などがあればぜひ教えて下さい。

みんなの回答

  • Ama430
  • ベストアンサー率38% (586/1527)
回答No.8

すでにいろいろ出ていますが、整理すると (1)集団の団結を外見的に示す。 (2)おしゃれを否定し、そのエネルギーを勉強に向ける。 (3)各家庭の経済格差を学校では目立たせない。 (4)社会での理不尽な規則も守るという練習。 (5)ルールが明確だと、先生の指導が単純になり楽だから。 などでしょう。 本来は、個々の事情に合わせて指導を調整しなければなりません。 例えば、インフルエンザが流行したとして、授業をやめるという対策はしても、服装自由という対策をする学校はないと思います。 その不合理を指摘すると、筋が通っていると感じる先生は、正論を採用できないことがわかるので、困るだけでしょう。 「屁理屈」と感じる先生は「生意気な生徒」というレッテルを貼って終わりです。 ですから、先生に反論したいときには、ある程度、生徒の「総意」であるという裏付けがないと、良い結果につながらないように思います。

  • gwkaakun
  • ベストアンサー率43% (1162/2649)
回答No.7

例えば高校を例にします。 都立や公立高校は頭がいい高校から馬鹿高校まで、レベル別に学校編成してます。一方公立中学校は天才~馬鹿までごちゃごちゃ混ぜになっています。 で、逆に質問しますが、都立や公立高校の頭がいい所が何故に私服が多く、校則が自由ないしない高校が多いと思いますか? そしてレベルが低い都立や公立高校は校則が厳しく、私服の高校が無いのは何故ですか? これを考えると答えが出ます。 要は中学校の場合、レベルがごちゃごちゃに混ぜた人が同居しているため、校則が守れない方々に合わせるしかないからなんですよ。秩序を守るために。

  • 007yuuki
  • ベストアンサー率12% (27/213)
回答No.6

思いつく限りの理由を述べると・・ ・この年代は精神的に未熟なので、おしゃれにばかり気をとられて、本来の目的である学業を疎かにしないため。 ・高級な服装とそうでない服装など、持ち物に差が出ることによる、軽蔑や僻みなどの差別から、余計ないじめを発生させないため。 ・学校帰りに悪さをしても、すぐに特定できるようにするため。 ・他校が紛れ込んだりしてもすぐに見つけられる等、集団を統括するのに便利だから。 などでしょうか。 私も当時は制服が嫌で嫌で仕方なかったですが、大学生になった今では私服が嫌です。毎日のことになるとお金もかかるし、めんどくさいので。

  • misasann
  • ベストアンサー率24% (140/579)
回答No.5

まず、制服の利点は他校との区別ができると言う点です。それが特徴あれば、なおさらです。 セーターの指定ですが、指定品は決して安くはないですが、みんなが同じ価格で買うという利点があります。ユニクロでいいと多くの人が思っていても、中には数万円、数十万円のセーターを着てくる生徒はいます。もし、親友がそんなセーターを着てきたら、揃いで着たいと思いませんか?みんなが裕福で何でも買ってもらえるのならそれでもいいかもしれませんが、そうでなかったら、手に入れるためにどうしますか? 一部でも悪いことをする可能性があるなら、指定品にしようという考えです。

  • go_on_nov
  • ベストアンサー率17% (91/522)
回答No.4

簡単に言うと「規律・規則・協調性」を、身につけさせるためですかね。 例えば、社会人になって工場などで働く場合は、作業着を正しく着用しないと、ケガをしたり不衛生な場合もあります。 あなただけ「みんなと同じ服装はイヤ!」と言って、作業着を正しく着用せず、袖などが機械に巻き込まれ、指・手・腕までもが巻き込まれたり、食品などに体毛が混入したら、大変な事になりますよね。 だから、若い頃に制服を正しく着させているのだと、思います。 個性のある服装がしたいのなら、放課後や休日にできると思うので、我慢しましょう。

  • kouji0524
  • ベストアンサー率28% (40/140)
回答No.3

難しい質問ですね。確かに、自分が生徒だったときは同じことを思っていました。 でもでも、今となってはなんとなくその理由がわかるように思います。 日本の社会は組織を大切にするで発展してきたといっても過言ではありません。 その組織の一員としてきっちりできるかできないかは、ちょっとしたことだと思います。 例えば、高校時代遅刻くらい働いたらちゃんとやるといっている人、実際できるでしょうか?そういった人は必ずといっていいほど、遅刻しますし組織の一員としてうまくやっていけないのです。 こんなちっちゃなことでも積み重ねれば自分にとって大きな欠点となってしまうのです。 高校から就職というような風潮の有る学校は特にそういったことを大事にします。これは社会人としての基本的な部分になるからです。 セーター一つとっても、自分はよくても、人がどう思うか考えたことがありますか?今はどう思うかは先生だから甘えることができるのです。それが、就職して働くとなったとき、そういうわけにはいきません。働いたときなど感じると思います。 結局はちょっとしたことでも基本的なことができない人は、社会人として通用しないということです。 私も厳しい学校でしたが、ようやくなんであんな意味のないことをしてきたのかわかってきたように思います。 怒られることは自分にとってほんと可愛がられているのですし、怒られて成長するものです。 集団の中できっちりできない人は、社会の組織に対応できません。謙虚な気持ちで自分のためにルールを作ってくれているんだとおもって今は我慢した方が私はよいと思いますよ。 働いたらおそらくわかりますし、自分が親になったら分かると思います。

回答No.2

制服を含め、学校における規律は将来、社会に出てから 「決まり事を守っていく」ために学んでいくものと思っています。 制服を着る一つの理由として「お洒落をして勉学に気を取られないよう」という意味もあるかもしれませんね。 そしてその制服がその学校の象徴でもあるので、 「この学校の学生です」という学校に対する「意識」も高める目的もあるように思います。愛校精神とでもいうのでしょうか。 では、なぜセーターに例えられるように細かい規律まであるのでしょうか? ひとつOkしてしまうと「じゃあこれもいいんじゃない?」と なし崩しになってしまうからです。 法律だってそうですよね、「この万引きはOKでしょ?」なんてないのです。 学校の校則は社会に出てからしっかり規律を遵守していくために ある程度は必要と思います。 制服に関する決まりもそのようなことに起因するのではないでしょうか?

回答No.1

ある人曰く、「社会に出て理不尽な規則にも従う訓練である」 と思えば「長いものには巻かれろ」の類であきらめましょう。

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