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小さな問題も大きく考えてしまい苦しいです。
周りからすれば、何故そんなぐらいで悩むのかと言われます。 例えば、お客さんと飲み会で「怒らせたらどうしよう」 少し注意されたら「注文がゼロになったらどうしよう」 少し難しい顔されたら「一日中、ずっと考えてしまい寝れません」 などなど、過ぎたことや、家ではどうしようも無いことでも 悩みます。 みなさんはこういう事ないですか? どうすればいいですか?
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こんにちは。 >みなさんはこういう事ないですか? あります。 というより、なければ、全く進歩がないでしょう。 こういったことを、克服(乗り越える)ことが、winerさんを強くすると思います。 >どうすればいいですか? 「プラス思考を持て」という人は多いです。 そんなことができるならとっくにやっているし、できないから苦しいのですが。 では、どうすればいいか。 実は、答えは、winerさんの、心の中に、あるような気がします。 つらく苦しいのは、winerさんが決めたこと。つらくて苦しいのは、winerさんがそう思い、自分で苦しいと決めたからです。 ですから、逆に言えば、それを取り除くのも自分の力でできる、と考えられませんか。 例え、ですが、本当にそうなのでしょうか? そんなに心をすり減らすほど無理しなくても、失うものはない気がします。 もしも失っても取り返すことができると思います。 「怒らせても、つぎに取り返せば・・・。」 「注文が仮にゼロになっても、つぎに取り返せば・・・。」 考え方を少し変えるだけのことです。 それが、むずかしい。 つまり、winerさんは、不器用なのではないでしょうか。(私もですが・・。) ただ、将来、こういった苦労は、必ず、何らかの形で報われます。 『良いほうに考えるのも、悪いほうに考えるのも、自分。』 無理に、バカにならなくていいと思います。 社長は“絶対”でしょうか。 プライドが高すぎる、と言うだけで、どうすればいいのかは、言わない。 ひょっとして、winerさんの方が、優秀なのではないですか? というより、優秀だから、言う必要もないのでしょうか。 社長から、何か言われるっていうのは、恵まれているような・・。(贅沢な悩みのような気もします。) ただ、どうしよう、どうしよう、(なんとかならないか)と不安がったり、願っているだけでは何も変わらないと思います。 「お客さんにわかってもらうために、何をすべきか」でしょう。 どういう方法で、は、ここでは、省略。 大事なことは、winerさんの「心の持ち方」です。 winerさんが、すべきことは、今まで何度やってもダメだった方法を繰り返すことではないように思います。 同じ方法を繰り返しても、絶対に無理です。厚い壁に跳ね返され、不安に陥るだけで終わります。 特攻隊ではないですから、厚い壁に頭から飛び込んでいってもすり潰されるだけです。 「同じことの繰り返しはやめてみる」 そして、次にすべきことは、 「自分はベストを尽くしたのか?」と自分に聞くこと。 尽くしていない、となれば、別の方法がみつかる。 尽くした、と言い切れるまでチャレンジすればよい。 ベストを尽くした、と答えが出れば、一応の結論が出たということ。 ダメなものはダメ。「期待」は出来ないという結論に至ります。 『ベストを尽くしてダメだったら、しょうがない』ということです。 ところで、winerさんは、自分の中に何か“絶対”を持っていて、それにしがみついていませんか? 「自分は、こうあるべきだ」とか「このように生きるべきだ」とか。 別に、無理に、こだわらないように、とはいいませんが、“絶対”は、ないと思います。 (この“こだわり”が取れれば、ラクなのですが。) 長々と書いてしまいましたが、 ・自分を責めるか、試練とみるか、チャンスとみるか。 厳しい状況もチャンスと見えれば、良いほうに考えられます。 ・今できなくても、次にできれば200点満点。 自分が分かれば、自分が見えれば、必ず次にはうまくいきます。 試練をくぐってきた人は、とても強くなります。 なにか支離滅裂になってしまいましたが、いかがでしょうか。
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- xmixmi
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過去に何か問題が起こってそれ以来・・・ というようなことはありませんか? 何もなくてこのように考えてしまうことは 少ないのではないかと思います。 私も以前、いじめられた経験があり、他人が 何かいやなアクションを起こさないか、いやな表情を していないか無性に気にするようになった時期が ありました。 一度専門医に相談してみても良いかも知れません。
- maremare
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ああ、ありますね。そんなことよくあります。 ご自分の中で 「かくあるべき」「こうしたい」「こうしなければならない」 「こうでなければならない」「ああであってほしい」といった 確固たる「自分の理想」「理想の○○」があり、 そのギャップやジレンマの苦しみが出てきてはいませんか? 「理想」を築けなかった、もしくは「理想」に近づこうとしている 自分に対する批判や失敗があったときに弱みを見せるのが恐かったり、 自分の中の何かが一気に崩れる不安があるのではありませんか? 他の質問も拝見しましたよ。 「プライドが高い」と指摘されたとき、 急にご自分の中で保っていた何かが崩れて 「このままではいけない。バカにならなければ、 面白いことを言わなければ」と不安になったのではありませんか? 「お客様を怒らせてはいけない」 ……は社会人として当然のこととしても 「注文がゼロではいけない」 「相手の方に難しい顔をさせてはいけない」 「マイナス思考はたださなければならない」 という義務感を自分で課していませんか? 自分の短所(プライドの高い自分、悩み過ぎる自分)も ありのままに受け入れること、思い込みのパターンを捨てて 頑張り過ぎない、良い意味でいつも「開き直り」 「何か失敗しても一から頑張ってやり直せばそれでいい」 といった発想を持つことが必要かなーと思いますがいかがでしょう? 職場の相談室やカウンセリングは、精神疾患や大きな問題を 抱える人だけが対象ではないです。 最近では自分の趣味を語りたくても周囲に理解してもらえず、 職場の相談室でカウンセラーに大いに語って爽快感を得て お帰りになる方もいるそうです。 それくらい相談室は身近なものになっていますので、 一度自分の気持ちを整理するために、お話ししてみてはいかがでしょう?
- haq1234
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私も以前はよく、過ぎたことをくよくよと悩むタイプでした。 今は全く悩みません。秘密はある日この本に出会ったからです。 『神との対話』【ニール・ドナルド・ウォルシュ著 吉田利子訳 サンマーク文庫】 特に第8章の人間関係についてのアドバイスが気にいりました。 人間関係の試練は、相手があなたの思いにどこまで応えてくれるか、自分が相手の思いにどこまで応えられるかにある、と思い込む誤解だ。しかし、真の試練とは、あなたがあなた自身への思いにどこまで応えられるか、ということなのだ。(P167) 人間関係では、それぞれが自分のことを考えるべきだ。<中略> 人間関係では、それぞれが他者について心をわずらわせるのではなく、ただただ自分について心をくだくべきだ。 これは奇妙な教えに聞こえるかもしれない。あなたがたは、最も気高い人間関係では相手のことだけを考えるものだと聞かされてきたからだ。ところが、ほんとうはあなたがたが相手にばかり気持ちを向けること---相手にとらわれること---が、失敗の原因である。(P167P168) <マスター>は、相手が何者で、何をし、何をもち、何を言い、何を欲し、何を要求しているかはどうでもいいことを知っている。相手が何を考え、期待し、計画しているかはどうでもいい。大事なのは、その関係の中であなたが何者であるかだけである。 最も愛情深い人間とは、最も自己中心的な人間だ。(P168) 納得できない私はすぐに、仕事のお客様や職場、家族の人間関係で実験をしました。結果、おどろくべき変化が私に起きました。 今は、相手が誰であろうと、身分、地位、年齢、職業の違いを超えてどんな人とでも臆することなく接することができるようになりました。 だれでも、自分自身が愛すべき素晴らしい存在であるとことに気づけば他人の素晴らしさを受け入れ、また無条件に他人に愛情を注げるようになるのではないでしょうか。 あなたにも、本当の自分の素晴らしさに気づいて欲しいと思います。
- el-900
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そんな事はいつもあります。 性格が似ているのでしょうかね。 どうすればいいかというと・・・ 心療内科にカウンセリングに行く事をお勧めします。 欧米ではカウンセリングは当たり前ですが、 日本は先進国の中で、メンタルケアについて 後れているだけなのです。 よって、あなたが、流行の先端を切って、 カウンセリングに行く事が自分の自信にもつながり 良い結果が得られるでしょう。 また、心配で夜も寝れないという症状を放置して おくと、うつ病に発展しかねません。 ここで相談にのってもらうより、専門知識をもった カウンセラーに相談にのってもらうのがBestと思いま す。 私は、そんな心配事が固まりうつ病となり毎日、 寝れない日々を送っています。
もっと難しい課題を見つけて解決しようと悩んでみたらどうですか。日常生活が事なかれ主義で単調だったり退屈だったりしているので花以下と思いました。つまりあなたは自分の持っている能力をもてあましているのではないかということです。