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集団的自衛権 有識者懇談会の傲慢について

「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」が、18日からスタートしたようです。いわゆる集団的自衛権の有識者懇談会という代物と捉える事ができますが、報道によれば、13人のメンバーは、集団的自衛権の行使容認に積極的な論客ばかり、とのこと。 (1)集団的自衛権の憲法解釈変更ありき、の、いわゆる出来レース的な懇談会と感じるのだが、国民として、これを看過していいのでしょうか? (2)集団的自衛権の憲法解釈変更という下準備をした上で、憲法9条の修正を速やかに行うための、既成事実として、今回、この有識者懇談会を召集したのではないのだろうか?(既成事実を作っておいて、既成事実を盾に取り、憲法修正を正当化しようとしているのでは?) 有識者会議が検討する4類型 (a)公海上で米艦船への攻撃に自衛隊が応戦 (b)米国に向かう可能性のある弾道ミサイルをミサイル防衛システムで迎撃 (c)国際平和協力活動中、他国部隊が攻撃された際に自衛隊が応戦 (d)武器輸送などの後方支援 いずれも、自衛隊が、あたかも自衛軍(自民党新憲法草案に明記)になったかのように感じさせ、その前提で、議論をしようとしているように思います。そもそも、日本の憲法上、矛盾はあるにせよ、軍隊は存在していないはずです。 (3)存在していない、という大前提に立てば、上記の集団的自衛権云々の話題を詰める必要性がないように思いますが、いかがでしょうか? (4)また、仮に日本が軍隊を持ったならば、確実にテロリストにより、テロ標的国家に日本が格上げされると思いますが、いかがでしょうか? 以上、4点について、忌憚のないご意見をお願い致します。

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  • 回答No.6
  • Roman0
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> スタンダードの定義を決定づけている人達が、「みなが」の > ”皆”であることは、説得力にかけるでしょうし、論理的説 > 明になってない、と言えます。  言えません。あなたの言がすり替えの上の乗っている以上、あなたの言は論理的説明になっていませんから。私の言う「みな」という語は日本以外の各国を指しているのに対し、あなたは「定義を決定づけている人」とすりかえています。ばれないと思っているのですか? > マジョリティが従えば、マイノリティを無視して、正義と成 > す、という論理は非常に危険であり、逆に、物事の本質を見 > 極める洞察力、判断力に委ねるべき、と考えます。  誰も正義の話などしていません。戦争に勝つための手段の話をしているのです。ここも、すり替えをしていますね。 > 歴史の実証があれば、正しい、スタンダードになりうる、と > いう考えは、官僚的な思考なのかな、と思います。所詮、私 > 利私欲にまみれた人間が決めた決め事であり、必ずしも正し > いわけではありません。  ここでもまたすり替えをしていますね。「スタンダード」という語を「正しい」にすり替えて、しかもそれを未定義のままに放置することで意味不明のものへとすり替えています。  また、どういう意味で官僚的と言っているのか意味不明ですが、戦争に勝つ手段として有効という意味が私の言う「スタンダード」であり、こんなすり替えをしたところで歴史の実証を経た有効な手段であることは動きません。 > 相対的な関係にのみ固執する考えで物事を判断するのであれ > ば、確かに、歴史重視となるでしょう。逆に、絶対的な見地 > を中心にしながら物事を判断するのであれば、歴史依存では > なく、真実を見極める客観的姿勢が必要になるでしょう。  共産主義者が言いそうな言葉ですね。自分ひとりの頭の中で考えたことで世界を律することができるという、思い上がった発想です。  だから、現実に機能しない仕組みしか作れず、ソ連は崩壊し東欧の共産主義国家は解体され中国も共産主義を捨てて資本主義へシフトしつつあります。しかも、機能しない仕組みにも関わらず、それを批判することを許さない結果、文化大革命などの自国民大虐殺を行うのです。  その歴史の実証が、やはり見えていないのでしょう。  せいぜいが数人~数百人の頭の中で捉えた脳内ワールドなどを、現実ははるかに超えて複雑であり制御困難だということを、謙虚に受け止めましょう。ここで言う現実とは、歴史の実証と全く同義語です。  それが分からないと、権力を握ったときに自分の脳内ワールドと現実のギャップを、自国民大虐殺によって埋めるしかなくなります。これは、既に歴史が証明していることです。 > これは、お国柄という部分を考慮しないと、判断できない部分です。  違いますね。どこだろうと、「これから侵略する」と宣言して戦争をする国はありません。そして、戦争を侵略戦争・自衛戦争に分けることにも意味はありません。戦争に勝つためには最終的には相手国に侵略して制圧する必要があるということは、これもまた歴史が実証しているからです。つまり、侵略をしないと自衛ができないわけですから、同じ戦争が自衛と侵略と両方の要素を必ず持ちます。  なお、現代においては、負けてしまえば汚名を着せられ放題ですから、そもそもロジカルな話は全く通じなくなりますので前提が異なります。今の日本やイラクがその状態ですね。 > 私が懸念するのは、日本が自衛軍という形で、軍隊を大手を > 振って世界に対して、保持を宣言する事により、第三次世界 > 大戦を近未来的に誘発するのではないか、導火線になるのは > ないか、という事です。  あり得ませんね。日本ほど戦争によって利益を得られない国はありません。日本周辺で戦争をしたがっている国は、唯一中国のみです。つまり、日本の問題ではありません。  また、世界中の対外の国は、日本を Self Difense Force という妙な響きの固有名詞を持つ軍隊を保有する国だと、とっくに認識しています。ちなみにこれは、直訳すれば既に「自衛軍」ですね。  世界情勢に対する正しい認識を持てずに何を懸念しても、杞憂以上のものにはならないでしょう。

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質問者からのお礼

回答ありがとうございます。回答者さんの論理は、私の私見でですが、「強者の論理」だと言えます。いわゆる新保守主義的(ネオコン)であり、評論家で言えば、櫻井氏、世界の有名人で言えば、ブッシュ大統領、の思想と一にしていると感じます。それは、一つの思想なので、その思想の存在は認識しますが、戦争ありきの考えには到底賛同できない、が私の考えです。 事実、武器がある、戦争が起きている、パワーゲームで世の中が動いている等、ではありますが、力で相手をねじ伏せて、良き世界になった試しは、過去の歴史上、一度もなく、確実にねじ伏せられた側は、恨み、を持ち、遺恨がためだけに混沌社会が続いています。恨みが存在する以上は、戦争は肯定される事はなく、パワーゲームも肯定される事はありません。良き世界にするには、恨みの社会ではなく、感謝のできる社会にしなければならない、事を、愚かしい人類(私も含めて全ての人々)は、そろそろ気づかなければならない、と考えるのです。 >戦争に勝つための手段の話をしているのです >戦争に勝つ手段として有効という意味が私の言う「スタンダード」であり >戦争に勝つためには最終的には相手国に侵略して制圧する必要があるということは >現代においては、負けてしまえば汚名を着せられ放題ですから、そもそもロジカルな話は全く通じなくなりますので前提が異なります 戦争ありき、の言動というわけですね。戦争ありき、では、確かにロジカルな話は不毛です。ですから、このへんで、一旦締めさせて頂きます。 参考意見ありがとうございました。

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  • 回答No.5
  • dogday
  • ベストアンサー率29% (2314/7952)

この返答には反論がありますね。 >10代の若者の多くは流行に敏感ですが、流行に迎合するばかりが、正しい生き方だとは思えません。流行は流行として捉え、流行の中でも良いところは受け容れ、良くないところは排他する、という判断がないと、自分を見失う生き方になると考えます。 銃であり、ミサイルを応用して違う使い方をしている訳ではありません。攻撃に使おうが防御に使おうが、殺傷兵器です。 用途は一つ「相手を倒す」しかありません。持っている事で味方が生き返る使い方はないわけです。 同じ道具を持っていたら、ルールは多数決です。皆がポーカーをしているときにブラックジャックで上がる事はできません。 できるとしたら、道具を放棄し(または相手に見えないようにする)、ルールには乗らず(外交せず)、鎖国する事です。ゲームから降りる以外にはありません。もっと効率的なルールがあるなら味方が多数になる実力がいります。日本にはその新ルールすらありません。 今の日本は江戸時代がもう一度できると思っているのと同じです。生活を変える事はできますが、落とす事はできません。

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質問者からのお礼

回答ありがとうございます。 >できるとしたら、道具を放棄し(または相手に見えないようにする)、ルールには乗らず(外交せず)、鎖国する事です。 この考えは、現代人であれば、あり得ない、発想ですが、私は、この考えにかなり近い思想の持ち主です。科学振興を止め、エネルギー過剰使用も止め、文明を極力排除していく、インターネットが人間に対して有害なら、止めてもいい、市場原理主義にもまれて人としての心がなくなり、過労死が増えるのなら、市場原理主義も排他すればいい、等々、現状の悪い部分は、遠慮なく切り捨てる事が、地球環境という限られた空間で生きていく、人類の最後の選択肢ではないかと考えてます。 >生活を変える事はできますが、落とす事はできません。 やってみなければ、分かりませんよ。ベネツィアも水没しかけてますからね。

  • 回答No.4
  • Roman0
  • ベストアンサー率18% (118/628)

> 何がスタンダードかは、本来であれば、客観性を持って、 > 絶対評価を持って決したいところです。世界の多数が、正 > しい、と言えば、自分も正しい、という思想に乗ってしま > うのであれば、それは、間違った方向に進んでしまう可能 > 性もあるという事です。  スタンダードの定義は、みなが従っているルールです。  世界の多数が従っている以上、それがスタンダードです。多数でない例外は、日本だけでしょうね。  また、それがスタンダードになった理由は、同盟の形が歴史という実証を経た結果です。歴史の実証と流行の区別が付かないようですが、よほど浮世離れしているか、歴史を知らないのでしょうか。  ともあれ、集団的自衛権が使えないなどという解釈は、GHQ が道を敷き旧ソ連のコミンテルンや中国共産党の策謀で付けられた、共産圏に都合のいい代物です。結果においてアメリカにも都合が良かったので、アメリカも黙認してきましたが、いずれにせよ日本が独自の外交方針を持って設定したものではありません。そんなものは、いずれ消え去ります。それが今始まったに過ぎません。  消え方としては、国家が自ら消すか、国家が消滅することで結果において消えるか、いずれかでしょう。私は、自分が属する国家である以上、前者であって欲しいですね。 > これは、まさにその通りで、あるものはある、でいい、と思い > ます。しかし、それは、どのカテゴリーに入るものなのか、の > 区分けは、非常に大切であると考えます。自衛を目的とする自 > 衛隊なのか、敵国を攻撃することを含める自衛軍なのか。  これも、戦争の歴史を知らない発言ですね。  自衛が目的であっても結局は相手の国へ攻め込まなければならない状況など、先史の中には腐るほどあります。日露戦争もそうでした。そんな区分けなど、戦争という状況の前には意味がありません。  かつてイギリスで、そんな類の規制を議会が海軍に対してかけたことがあり、実戦の場ではそんな規制など守っていたら負けるシーンが続出します。そこで、当時の艦長たちは処罰を覚悟で規制を破り、戦いに勝って処罰されました。  戦場の外で決められないことを戦場の外で決めたところで意味が無いということは、とっくに歴史が実証しています。  また、イラクへ侵攻した米軍ですら、管轄省庁は「国防省」です。つまり、国防(自衛)を目的にした軍隊です。あなたの言う区分けに意味の無いことは、この点からも言えます。

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質問者からのお礼

回答ありがとうございます。 >スタンダードの定義は、みなが従っているルールです。 >世界の多数が従っている以上、それがスタンダードです。多数でない例外は、日本だけでしょうね。 スタンダードの定義を決定づけている人達が、「みなが」の”皆”であることは、説得力にかけるでしょうし、論理的説明になってない、と言えます。例えば、ある概念をある学者が提唱し、それが社会(世界レベルで)で10年実証され、プラスマイナスで見てもメリットの面が多く、リスクも少ない、との判断が、世界的な有識者(選任された人)100名に承認された、ならば、その概念をスタンダードにする、というように、論理的手続きがあっての定義なら、理解もできますが、不特定多数、年齢不明等の人間達が従っていれば、盲目的に付いていく、というのは、あまりに客観性に欠ける視点であろうと考えます。 マジョリティが従えば、マイノリティを無視して、正義と成す、という論理は非常に危険であり、逆に、物事の本質を見極める洞察力、判断力に委ねるべき、と考えます。 >歴史の実証と流行の区別が付かないようですが 歴史の実証があれば、正しい、スタンダードになりうる、という考えは、官僚的な思考なのかな、と思います。所詮、私利私欲にまみれた人間が決めた決め事であり、必ずしも正しいわけではありません。間違いも内包しながら、歴史的に放置された、反論がなされてこなかった、だけであり、その実態は、間違いかも知れません。科学の領域でも、ある時点では、真実であっても、時代が経ち、新たな所見がでれば、その時点で、過去の所見は誤り、という事になります。暫定的に正しい、とされた事に対して、盲目的に追随するのではなく、常に、その物事の是非を問う姿勢こそ、大切ではないか、と考える次第です。

質問者からの補足

>これも、戦争の歴史を知らない発言ですね 専門家のようですが、戦争の歴史を学者レベルの方々と論戦しても、全てにおいて、間違いなく回答しうる能力を持たれている、という事だと思います。 歴史は確かに、重要です。しかし、歴史を重視するがあまり、現時点での判断を間違えては意味がありません。 相対的な関係にのみ固執する考えで物事を判断するのであれば、確かに、歴史重視となるでしょう。逆に、絶対的な見地を中心にしながら物事を判断するのであれば、歴史依存ではなく、真実を見極める客観的姿勢が必要になるでしょう。 >イラクへ侵攻した米軍ですら、管轄省庁は「国防省」です。つまり、国防(自衛)を目的にした軍隊です。 これは、お国柄という部分を考慮しないと、判断できない部分です。アメリカでは、国防を実行するとは、国益を守る、あるいは、国益を得る、という意味ではないかと思います。そうなれば、他国を攻める事で、国益が得られるならば、例え国防省という冠がついていたとしても、攻撃ありき、になると考えます。 日本は、今まで、憲法9条という縛りだけで、憲法解釈をするという、面倒くさい手続きを踏まなければ、自衛隊の派遣等が出来ない、というお国柄でした。そういう意味では、たかが言葉、されど言葉になっていた経緯を持ち、そういう意味では、日本においては、自衛隊、という言葉が、充分な歯止めになる、と考えます。 私が懸念するのは、日本が自衛軍という形で、軍隊を大手を振って世界に対して、保持を宣言する事により、第三次世界大戦を近未来的に誘発するのではないか、導火線になるのはないか、という事です。

  • 回答No.3

私自身は自衛軍には賛成ですが、内閣(行政)には法律を、まして憲法を作る権限などありません。 少なくともここ数十年続けてきた事実上デファクトの解釈(対外的にも繰り返し言い続けてきた)を、国民投票にも(まして国会にも)かけずに変えるなんてことをしては安部さんのいう民主主義的にとてもまずいです。 堂々と、正面突破(国民投票をして憲法改正)するべきです。 こんなこと(行政による憲法解釈の変更)を許しては、中国やタイなんかとまるで変わりません。

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質問者からのお礼

回答ありがとうございます。 有識者懇談会は、安倍首相が、アメリカに発つ前日に発足した、と聞きます。ある見方をすれば、この懇談会自体が、アメリカに対するお土産と評価できるそうで、そうなると、対米追随の一環として、集団的自衛権問題が議論されている事になりそうです。

  • 回答No.2
  • Roman0
  • ベストアンサー率18% (118/628)

(1) 集団的自衛権を使えないなどという縛りなど無いのが世界のスタンダードです。現状はそれから外れた異常状態なのですから、スタンダードに戻すのが正しい姿です。戦争とは相手のいる話なのですから、相手が持っているオプションを自分で勝手に放棄していては、勝てるものも勝てません。看過も何も、さっさと進めるべき話です。 (2) 憲法9条の変更も同じですね。現実に自衛隊があるし、その役割は北朝鮮や中国が攻め込んでこないしソ連も攻めてこなかった点で、十分に果たされているわけですから、それをきちんと制度として認めるのが政治の役割です。  意味の無い平和信仰に基づく主張を、政治に対してして欲しくはないですね。共産党とか。 (3) そんな大前提などありません。自衛隊をなんだと思っているのでしょう。 (4) No.1 の方に同じ。

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質問者からのお礼

回答ありがとうございます。 >集団的自衛権を使えないなどという縛りなど無いのが世界のスタンダードです 何がスタンダードかは、本来であれば、客観性を持って、絶対評価を持って決したいところです。世界の多数が、正しい、と言えば、自分も正しい、という思想に乗ってしまうのであれば、それは、間違った方向に進んでしまう可能性もあるという事です。 10代の若者の多くは流行に敏感ですが、流行に迎合するばかりが、正しい生き方だとは思えません。流行は流行として捉え、流行の中でも良いところは受け容れ、良くないところは排他する、という判断がないと、自分を見失う生き方になると考えます。真実を見極める洞察がない中での思想迎合は、非常に危うい、と感じます。(ホリエモンを時代の寵児と祭り上げていた風潮のような危うさ) >現実に自衛隊があるし これは、まさにその通りで、あるものはある、でいい、と思います。しかし、それは、どのカテゴリーに入るものなのか、の区分けは、非常に大切であると考えます。自衛を目的とする自衛隊なのか、敵国を攻撃することを含める自衛軍なのか。

  • 回答No.1
  • dogday
  • ベストアンサー率29% (2314/7952)

根本的に、集団的自衛権は、所持しなくても国体は維持できるので(スイスはできてる)、国民投票は所持するか、放棄するかの二択が先だと思います。そこが何か変。 1,2,3は解釈論なので置いておきますが、 (4)国際的には自衛隊は軍隊と認識されていますので、政治家レベルならともかくテロリストの意識は変わらないでしょう。出番が増えたら標的です。

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質問者からのお礼

回答ありがとうございます。 >出番が増えたら標的です 今の段階では、出番があっても、せいぜい後方支援ですから、テロリストの標的であっても、優先順位からすれば、欧米各国よりは低いかもしれないですね。

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