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ダブルヘッダー

日本のプロ野球ではドーム球場も多くなり、最近ダブルヘッダーはほとんどありませんが、個人的な記憶では1974年の長嶋茂雄の引退試合や1988年10月19日のパ・リーグの優勝を決する「ロッテー近鉄」の試合などは忘れることのできないダブルヘッダーです。 まあ、ともかくダブルヘッダーは「死語」という感じがしますが、大リーグではきょうはホワイトソックスーヤンキースでダブルヘッダーがあったようです。MLBは162試合と試合数も多く、ポストシーズンのこともあるので、ダブルヘッダーがあるのもやむを得ないと思います。 ところで、ダブルヘッダーの場合のチケットの買い方はどのようになるのでしょうか。2試合とも見たい場合、第一試合、第二試合それぞれチケットが必要なのか、あるいは1枚で2試合分見れるのか。あるいは、例えば普通に2試合見るより割引になるとか。 長嶋の引退試合では第一試合と第二試合の間に長嶋がグラウンドを1周して別れの挨拶をしていましたが、そうするとほとんどの観客が入れ替えなく2試合とも見ていたと推測できます。また、10.19でも第二試合までの間隔は20分しかなかったと思うので、これもほとんど入れ替えはなかったように推測されます。 まあ、こんなビッグゲームは別として、ダブルヘッダーというのは消化試合のことが多く、特に昔のパ・リーグでは失礼ながらガラガラの試合も多かったので、1試合だけ見て帰ろうと思う人もいるかもしれません。そうすると、1試合だけ見たい場合は1試合分のチケットを買うことになるのでしょうか。 経験がないのでよくわかりませんが、ダブルヘッダーでのチケットの買い方などご存知の方教えてください。

noname#33272
noname#33272
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  • ultraCS
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回答No.2

ほとんど、後楽園での東映、日拓、日ハムのゲームでの経験です(地元にもかかわらず大洋ファンの父親の影響でアンチ巨人の子供だったので、ただ、長嶋の引退の時は偶々件が手に入ったので球場にいました) ダブルヘッダーは少々割高だったはずで、一試合の時と同料金ではありませんでした。第一試合と第二試合の間で入れ替えはしません。また、第一試合終了後に入場の場合でも割引はなかったと記憶しています(あったかもしれませんが、少なくとも、後楽園の東映戦では記憶にありません)。まあ、第一試合が終わるとダフ屋が安くなるので、そこで買うと割引でした。 一試合だけのチケットというのはなかったはずですが、変則ダブル(対戦相手が違う)の場合どうだったかといわれると自信がありません、変則ダブル自体がまさに変則で何年かに一回の事態ですから、経験がない物で。 で、第一試合終了後、あるいは第二試合途中で降雨や日没ノーゲームの場合は半額払い戻しでした。第一試合が成立しなければ全額の払い戻しです。一度だけ、第一試合終了後夕立になって第二試合が流れて払い戻してもらいました。 なお、アマチュアではこういう場合は一試合成立で払い戻さないようですね。

noname#33272
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。長嶋引退の観戦をなさったとは、一生の思い出ですね。 ダブルヘッダーは2試合分は取らないけど、1試合分よりは少し割高という感じでしょうか。 変則ダブルヘッダーというのもあったのですか。日本シリーズの日程は決まっているし、前後期制のプレーオフの時代もありましたので、そういうこともあったのかもしれませんね。プレーオフやってるときにBクラスどおしの消化試合などやっていたような。 でも、今はローソンなどの印字チケットですので、球場販売以外であらかじめチケットを作成しておく必要はありませんが、当時は写真や絵が盛り込まれていたので、日程調整して間もなく試合しなくてはならないことも多かったと思うので、チケットの作成などいろいろ苦労があったのかもしれませんね。

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  • tounosu24
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回答No.3

 大リーグに関連してダブルヘッダーという言葉をまた聞くようになりましたね。  10.19を観戦した者として、ご質問への回答にはなりませんが書いてみます。  パ・リーグファンとしては必見のゲームということで、川崎球場まで二時間弱、到着が第一試合開始30分前くらいだったと思います。切符売り場はすでに長蛇の列…と言いたいところですが、全てがコンパクトにできている川崎球場ですから、窓口の数だけファンが並ぶと、ちょっとした駐車場ほどの広場が人でごった返しているような感じです。  並んですぐ、ハンドスピーカーを持った係員らしき人が「…今からお並びいただいても入場できない場合がございます」とかなんとか触れて回ります。不安が高まったところへダフ屋が「もう無理だよ、今からじゃあ入れないよ。ハイ、5千円、5千円」と列の間を歩いて営業。私はちゅうちょせずに(たしか)内野自由席券を5千円で買いました。元がいくらのものかは記憶にありません。もちろん一枚で二試合分。他に買う人はなく周囲から羨望のような眼差しを感じたものです。  しかし記録映像などを見ても分かるとおり、序盤の客席はガラガラのところもかなりあります。あの時点でダフ屋のお世話になるのは完全な間違いでした。私が「羨望の眼差し」と感じたのは実は「嘲りの眼差し」だったのではないかといまは思っています(^^ゞ  ところでダブルヘッダーの場合、第一試合が薄暮ゲームになることが多いのですが、この「薄暮ゲーム」という言葉に私はダブルヘッダー以上の懐かしさを感じます。  参考URLにもある、西宮球場(だったと思う)のとても雰囲気のよい薄暮ゲームをテレビ中継で見た記憶が私にはあります。  ゲームの開始時間はもう少しいろいろあった方が面白そうですね。 http://home8.highway.ne.jp/ballpark/gametime.htm

参考URL:
http://home8.highway.ne.jp/ballpark/gametime.htm
noname#33272
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。歴史に残る1戦いや2戦を観戦された方の貴重なお話ありがとうございます。私はその日は夕方くらいからニュースやニュースステーションなどをぶち抜きでの放送を食い入るように見ていたのを覚えていますが、客席がガラガラの所があったというのは意外でした。でも、貴重な試合ですから球場で見れてよかったのではないでしょうか。 私もその後就職で関東に住む機会もありましたが、国道1号線などで川崎に入るときは、川崎球場に行ってみたいと思っていたのですが、結局実現できませんでした。2000年だったか、川崎球場最後の試合をかつてのフランチャイズだった大洋(現横浜)とロッテとでオープン戦をやっていました。スカパーで拝見しましたが、「10.19」をはじめ伝説の多い球場ですね。

  • toro321
  • ベストアンサー率29% (1222/4138)
回答No.1

懐かしいですね~。 昔は1試合分の料金で見れましたよ。 割高になる(2割ぐらい)のときもあったように記憶してます。 日程消化のために、10月などにダブルヘッダーするときは、間違いなく1試合分です。 ちなみに、東京6大学野球も、2試合見れます。(学生席を除く)

noname#33272
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。私の出身の福岡はちょうど私の成長期に球団がなかったため、試合を見る機会が少なく、フランチャイズを失っているので、ダブルヘッダーを見る機会というのは全くありませんでした。あの10.19はニュースステーションが放送枠ぶちぬきで試合を放送してくれましたが、あの盛り上がりはうらやましいと思いました。 そういえば、昔のチケットは例えば巨人戦であれば、王さんの一本足打法の絵が載っているなど、趣向をこらしたものが多かったように思いますが、今はローソンチケットなど印字だけで味気ない気がします。でも、今はローソンロッピーで楽に手に入れることができるが、昔は巨人戦などは、年間数試合しか来ないし、読売新聞を取っている人しか取れないとか、かなり並ばないと取れないとか、今以上に苦労が多かったように思います。 そうですか。1試合分の料金で見れるのですか。それはお得ですね。でも、ダブルヘッダーが増えると、それだけ球団収入は減ることになりますが、まあ、昔は球団の赤字があってもそれほど深刻にはとらえていなく、親会社が穴埋めしてくれる、球団は広告塔程度にしか考えられてなかったということでしょうか。今は野球人気回復のため、どの球団も集客努力を図っているのと対照的な時代ですね。ガラガラの川崎球場で三冠王を取っていたころの落合博満の姿が思い浮かびます。

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