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大人になるにつれて…。大人はズルい!

無事大学進学が決まったんですが、自分が進学に前向きでなかったときに父親に「学生でなければ保険に入れない」と言われました。「じゃあ宅浪をしている人はどうなるの?」と聞くと、狼狽えていました。そんな合理的じゃない国なのか…とプレッシャーを感じて、一応ネットで調べてみたところやはり違っていました。父は時事や歴史にも詳しい普通のサラリーマンですし、学生でなければ保険に加入できないんなら、フリーターやニートも尻に火が付いたようにもうちょっと焦っていいんじゃないか、とよくよく考えればそんな理不尽な体制が取られている訳ないよなぁと納得しました。要はそんな基本的なこと知らない訳ないと思うんです。まぁ親心も分からなくはないですけど、封建的な考え方を持ったような人なので、結局人間には「曲がりなりにも」という言葉が言いえて妙だなと感じました。 根拠は他にもあります。此間の履修不足の問題でもうちの高校も槍玉に挙げられていたこと、特にそこの教師というのが一つの間違いも許さないような張り詰めた空気を理念にしていて、反感は抱きながらもスパルタの風で人間としては立派なのかなぁなんて思っていたのですが、調査書の改竄もしていたようで、こんなもんなのかと勉強になったものです。 世間に対しての認識が甘いというのか、子供から大人への顕著な階段を上がっていく中で、自分もいつかは擦れてこうなっていくのかと、人間の性を感じて寂しい気持ちです。少しオーバーな言い方をしましたが、大人は人生経験が豊富で、何だかんだ言っても正しいような言い分で、不正や自分の利益に悦に入ってるのはごく一部だと思っていたのですが、有無を言わず逆なんですね。これが普通なんだな…。 と、ここまでは自らの嘆きでしたが、他に大人はズルい!と思ったり、これを教えてくれたらよかったのに…なんて思ったようなエピソードがあったら教えて下さい。

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  • pancrace
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回答No.1

若いですね。 確かに世の中にはルール違反がばれてないというか 結果ばれないように監査側もルールを厳格化しないとか なぁなぁの所が物凄いあります。 でも、ルールを守らない事が一概に汚いとは思いません。 ルール作る人が現場を知らないなんて当たり前ですし。 私が心底汚いと思うのは、 自分の本分を色々言い訳しながら 回避しようとする行為だと思います。 学生で言うと、勉強する意味がわからんからしないとか 日本人だからと言って10年勉強しても英語喋れなくても仕方ないとか。 己の本分から逃げないのが大人って事だと私は思います。 私はそんな大人をそんなに汚いとは思いません。 枠組み自体が正義かと言うと微妙ですしね。 あと個人的に大人にガッカリしたのは 教員免許所得が簡単すぎる事でした。 あの程度の勉強で先生になる資格貰えると思ったら 本当がっかりしました。 教師なんのが簡単だってのを教えてくれたら 先生だから凄いんじゃなくて貴方が凄いんだって 素直に中坊ん頃に尊敬できたのにって思います。 先生の癖にとか下らない事で腐らんでもえがったのになぁ。

noname#23496
質問者

お礼

尤もらしいことを並べて言うと、偏ってその人自身が正義を主張しているように思えてくるんですよね。完璧主義的な感じがして、殊にうちの父親と学校側が少し特異なのかな…。 本分に弁解して理屈を捏ねるのは、自分でも最近は幼い考え方なのかなと思うようなことがあります。子供が持つ疑問、何故?という懐疑的な気持ちというのが、気持ちが足りていない努力には相俟って現れるものだと思うんです。だからと言って、いつまでも夢を追いかけて或いは探していく訳にもいかない。もしそれを掴んでも気持ちが本当に完全に満たされるのかなぁ…なんて、フリーターやニートについても深く考えさせられる点が多いです。 教員免許の取得自体はそれほどまでに難しくはないと聞いたことがあります。ただ今の時代採用はかなり大変だとは思いますし、残業手当もつかない中で働いている姿勢という一点では感嘆します。反面、こんな人に税金を払っている市は何を考えているんだ!と思うこともありますが…。確かに無難ではあるのかもしれないけど、志ももっと持って欲しいと一概には言えませんが思います。 汚い云々よりも互いが目を瞑っていること、仕来りというものに自分が目を向け過ぎていたのかもしれませんね。これから先も大人にとっては敢えて口に出す必要もないことなどが次第に分かってくることがありそうです。回答ありがとうございました。

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  • potepoten
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回答No.2

すぐ自分の過去をひきあいに出す所ですかね。 卒業旅行に友人とイタリアに行こうと計画していたのですが、 「俺の頃はそんな所に行けなかった」と旅費は出してくれませんでした。 友人は全額親から出してもらってたんで、自分だけバイト代とかを投入しなくてはならなくて、かなり萎えました。 お土産代として3万円だけ出して貰いましたけど。 他にも入学祝だとか携帯代とか、 俺の頃は…と昔の自分が貰っていた物、金額と比べられて、 苦労しましたよ。

noname#23496
質問者

補足

うちの場合は、まだ田舎の方で男女差別の風があった親の世代でして、母が大学に行かせて貰えなかったことで、自分には強くその旨の希望を抱いていました。寛容な親という訳では決してありませんが、教育に関しては口煩い面もあります。これに本心で感謝するというのが、今はまだ視野が狭くてなかなか難しいんですが…。 卒業旅行の費用の工面が自分持ちなのかというのがよく分からないんですが、友人が両親に負んぶして、片や自分のお金で大金を出すとなると、出し惜しむのはよく分かります。よく「うちは他とは違う」なんて言われましたよね。自分でも浮かばれない気持ちになると思います。時代は違うのに…と。ただ自分が親になったときに、どういったことが子供に言えるのか?とも思います。自分ができなかったから子供にはしてあげるのか、自分ができなかったから子供にはさせないのか。ここまでくると教育方針ということなので、話が脱線してしまいますね。ただ自分の過去を鑑みるのは根拠になってないような気もします。回答ありがとうございました。

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