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<卒論>どこまで注をつけるべき?
現在、大学4年で卒論の追い込みにかかっています。 初めのほうの章はほぼ書き終わって、いよいよ考察のメインとなる章に取りかかるところです。 しかし、これまで書いた部分を読み返したところ、あまりに注を付けすぎていることに気が付きました。 ほとんどが参考文献の紹介で、引用や補足は少数です。 考察の前提である前半の章は先行研究に乗っかっているので、「これについてこの研究者が言っています」「ここは、あの研究者が言っています」といった感じで、事細かに注をつけてしまったからです。 実際、参考文献の注はどこまで付けるべきなのでしょう? 卒業論文に書くこととは、「先行研究から知ったこと」か「自分で発見(考察)したこと」のどちらかなわけですよね? そうすると、結局書くことの大半が先行研究に乗っかっていることになると思うのですが・・・。
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- anthracene
- ベストアンサー率39% (270/678)
質問者さんがなぜ悩まれているのかいまいち分からないのですが。 ご自分の論文に、先行研究の内容・結果を引用している場合は、当然ながら参考文献として掲載しないといけません。 メジャーな研究ジャンルだと、先行文献があまりに膨大になってしまうことはありえます。それを全部引いてたらとんでもないことになっちゃった、という類の話でしょうか? そういう場合は、レビュー(総説)や教科書、本など、ある時点までの研究を総括した文献・書籍を代表として引くというのも手でしょう。 卒論だと外部に発表するわけでもないですから、あまり関係はないかもしれませんが、ジャーナルに投稿する論文だと、先行研究をうっかり見落として引いていなかったりすると、レフェリーから「これ引いてないよ」と注意がきますし、人によってはそれで心証を害して評点が悪くなることもありえます。 あとNO.1さんも書かれていますけど、あまりに先行研究をずらずらと紹介していて、自分の研究に関する記述に対して比率が多くなりすぎると、「じゃあ君は何やったの?」ということになります。 細かいことまでずらずらと書かずに、一番重要なところを抽出して自分の論文のイントロなどに活かすようにしましょう。
- Napoling
- ベストアンサー率44% (8/18)
学士の卒論とはいえ、それなりに価値を認める立場でアドバイスします。 学術論文は、学術の進歩に資するものであればよいと考えていますので、質問者さまの『卒業論文に書くこととは、「先行研究から知ったこと」か「自分で発見(考察)したこと」のどちらか』という点では、「先行研究を横断的に再編して後進の発見を待つ問題提起型論文」「自らの発見を示す問題解決型論文」などという意味合いで考えられると思います。 さて、注ですが、私は注が全体の6割程度の占める論文を提出したことがあります。当然、認められました。本論のダイエットを図るため、先行研究にかかる論証の紹介を一切注に押し込んだからです。 そういうところで同じ引用原典が登場した場合は注内で「注6と同論文、p106~107」などと略記する方法でカバーするというやり方があるのではないかな、とは思いますが、参考文献の注は全て付けるのが正統だと思います。 一つ気になるので書きますが、先行研究に乗る形での前提が過重に記述されていると「ふくらまし」ととられかねませんので、もっと簡潔になるように工夫していくことも考えた方がいいかもしれません。
お礼
ありがとうございます! 論文の6割が注という場合もあるのですね。知りませんでした。 自分の論文は注が多すぎると思っていましたが、そう考えると、むしろ少ないぐらいかもしれません。 注を減らそうと思い補足説明等を全て本文に入れてしまったので、読みにくい論文になってしまったかもしれません。 もう一度読み返し、注にまわせる補足は注にまわし、読みやすい論文を目指します。 ありがとうございます。
お礼
ありがとうございます。 メジャーな研究ジャンルなので先行研究が膨大というよりは、とてもマイナーなジャンルなので先行研究者が限られており、参考文献自体はさほど多くないのに「同書」というかたちで注が多くなっていたので「これって不自然?」と疑問に思ったしだいです。 ただ、アドバイスいただいた通り、先行研究に依拠している部分はそのまま注をつけて提出いたします。 その上でどこまで自分の考察がいれられるか、提出期限まであと二週間、がんばりたいと思います。 ありがとうございます。