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どうしてみんな自信があるの?

 私は思春期の頃から「世の中には絶対安心とか絶対保証される人生ってのはない。自分がいつ予想もしない悲劇・不幸に襲われるかわからないんだ」と強く思うようになりました。  その為、常に自信がない態度でビクビク生きています。しかし、ビクビクしている人を見下したり、いじめたりする考え方が多くの人の主流らしく、周りの人にそういう態度を取られることが多いです。その場だけ自信のあるふりをしようとした時もありましたが、常に虚像の自分を演じているようで続きませんでした。  事実、自信を持って行動して思いもよらない事故・事件に巻き込まれるというケースもありますよね。最近、多発している放火事件は自分の中では良い例に感じます。事件後に子供と面会したお父さんが「申し訳なかった。父さんが悪かった」と謝ったらしいですね。お父さんの教育方法が悪かったのか、どんな環境でも放火なんて行為をした子供が悪かったのかは置いておくとして、「親の教育の姿勢が放火の引きがねになった」という事とお父さんが「それが間違っていた」認めていることは本人達の面会でのやり取りで成立していると見受けられます。  もちろんお父さんは子供を愛しているからこそ、厳しくたくましい人間になって欲しかったと思いますが、お父さんはこの事件がおきなければ自分の方向性を疑うこと無く進んでいたと思います。自分からすると周りの自信を持って生きていて私の罵っている人達がこのお父さんとダブってしまいます。  自信を持って生きている人にお聞きしたいんですが、その進んでいる方向性が否定される場面などを想定していますか?。

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  • blacky06
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回答No.4

加藤諦三さんの 「行動してみることで人生は開ける―まず、できることから、やってみる 」 を読んでみてください。 自信ははじめから持っているものではなく、 何かをやった後の結果として出てくるものである 自信があるから何かをやるのではなく、 何かをやるから自信がついてくるのである だそうです。だから質問に回答するならば、 自信を持って生きている人は 進んでいる方向性が否定される場面を想定してはいないと思います。 この放火事件の例ですが、これは必ずしも自信の失敗の例とは言えない気がします。 父親は、エリート街道を歩んできたという自分の生き方に自信があったから、 子供にも同じような生き方をさせればよいだろうと思いこんで教育していただけで、 必ずしも教育に自信があったわけではないと思います。 同じ自信がある人でも子供の教育に自信のある教師とかなら このような失敗にはならなかったのではないでしょうか。

参考URL:
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4569572499/sr=1-6/qid=1156744547/ref=sr_1_6/503-4765474-3801536?ie=UTF8&s=books

その他の回答 (7)

回答No.8

質問者さんはちょっと極論に流れているような気がしなくもないのですが・・・(^-^;) 自信とは、『自分を信じる』ことだと思っています。 自分を信じられない人間は、どんどん弱くなっていきます。 自分を信じてみてください。 自分を信じるに足る人間でないと思うなら、信じるに足る人間になろうと努力してください。 そのあと、もう一度、このことについて考えてみてください。 誰の言葉だったかは忘れましたが。 「人間は生まれたときから死へのみちを常に歩き続けている」 こんな内容の言葉だったと記憶しています。 死は誰にも平等にやってきます。 そこへたどり着くまでの人生というものを絵画にたとえるなら、どのような絵を描いていくかは、自分自身が決めることであり行うことです。 迷いや不安を抱えても、それを血肉にしてしまう強さを身につけてください。 そして、人生という1つの作品をつくってください。 ある占い師さんに教えられたのですが、占いの世界には、『禍福はあざなえる縄の如し』という言葉があるそうです。 禍(災い)福(よいこと)は、あざなえる縄(編まれた縄)のようにつねにからみあい繰り返してやってくるそうです。 禍ばかりを考えず、福も考えて生きてください。 禍ばかりを考える人には、福はやってこないそうです。 ちょっと論点がずれましたが、頑張ってください。

  • flyaway
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回答No.7

自他とも認める自信家です。笑 私の場合は、何かをする前に必ずよーーーーく考えてから行動します。 ですから失敗しても、「当時自分が知っていたことに基づいて最善の判断をしたのだから、間違っていても仕方ない」というある意味開き直りがききます。最善の判断をすること以上に自分に出来ることなどないのですから。そして、何か起こったらその時点で対応します。また、観察力を身に着けることでトラブルが小さいうちに対応することもできます。 「予想もしない悲劇・不幸に襲われるかわからない」というのは理解しています。ですが、それに囚われてビクビク生きるのは勿体無いと思うのです。どんなに用心しても、防げないものは防げないのですから。たとえばテロ騒ぎで外出したら危ないと思い家に引きこもっていたら、ガス漏れで家が爆発して、外出していた家族だけが助かった・・・なんてことだって十分にありえます。 どんなに頑張っても自分のコントロールがきかない出来事は色々あるので(たとえば子供の成長にしても、24時間ずっと見守るわけにもいかないので自分の目の届かないところでどう成長してるかなんて分かりません)、出来る範囲での判断力、そして何かあったときに臨機応変に対応できる柔軟性があればいいんです。すべてのトラブルを未然に防ぐ必要はありません。

  • alarmist
  • ベストアンサー率20% (71/342)
回答No.6

僕はパチンコ・スロットで生計を経てようと本気で頑張っています。 なぜこう思うかというと質問者さんが言われる「これで食べていく自信がある」からです。はっきりいって僕みたいな考えはめちゃめちゃ非難される立場ですよ。ですが、自分が出来る!!って思った以上本当に出来るように努力をしないといけないし、自信も持っていないとバッシングの嵐には耐えれません。 僕の中で自信っていうのは「自己暗示」に過ぎないんですよ。「俺は出来る!!大丈夫。」なんて他人に言っても理解してもらえないし自分で理解しようにも証拠なんてないんですから。 そして、質問者さんが言っている「進んでいる方向性が否定される場面」なんて考えません。考えたら前に進めませんからね。 この様な考えを思いつめると人間だれも生きていけません。頭にあっても考えない。これが僕の考えです。

  • momopooh
  • ベストアンサー率34% (166/477)
回答No.5

こんにちは。 私の考えですが、「自信をもって行動する」ことと「他人に我を通す」ことは違うと思います。質問者さんのご意見には、この二つが混同されているような・・・ 前者は、自分の行動には責任を取る、あるいは失敗もいい経験だと受け止める覚悟をもって、思い切って行動に移していくアグレッシブな態度のことだと思いますが、後者は、自分が正しいと思うことを他人にも強要し他人の行動や人生に干渉することだと思います。 つまり、自分の行動や発言に関することに自信をもち、自分の人生をどういうものにするかということに関して、前向きに考えられるということは、質問者さんが例に挙げられているお父さんの行動とは異質なものだと思うのです。そのお父さんは、自分の人生を生きるうえで、自分の行動に限ってその信念を貫く分には何の問題もないのです。それを子供に押し付けて、子供に自分の信じる生き方を強要したからそのような事件になったのではないかと思います。 何を言いたいかというと、周りの人に何を言われようと、どのようなアドバイスをしたり顔でされようと、あなたが「そうだな」と納得出来るものを受け入れて、自分がいいと思うことを実践していけばいいということです。 その際、その行動を取った後のいい結果を強くイメージしてみることをおススメします。イメージトレーニングという言葉がありますが、結構効果があると思いますよ。 そして、もし万が一思ったとおりの成果が得られなかったとしても、人生最短コースで成功ばかり勝ち取っている人なんていないのだと思って、その失敗もあなたの人生の一部なのだと受け入れてみてください。 人生、役に立たない経験なんてないと思います。 私は、結構自信があるほうだと思いますが、否定されることを想定しているかと聞かれたら、しているとは思います。しかし否定されることを初めから前提としたり、そのことばかり心配したりはしませんし、否定されても「そういう考え方もある」と思います。 万人に受け入れられる主張などないと思いますよ。 色々あなたのことを心配したりしてくれる人はいるでしょうが、結局はあなたの人生で、誰のせいにも出来ないし、したところで何も変わりません。 ・・・と、思っています。

  • muya77
  • ベストアンサー率24% (6/25)
回答No.3

自信などもって生きては居ません。視野が狭まります。 ただ、自分の目指すものは決めて生きています。 思いがけない不幸があるように、思いがけない幸運に見舞われる事があります。どちらも頻繁に起こる物ではありません。どちらが先に来るかなんて杞憂なことは考えずに、自分の進歩や実績を糧にして前に進んでいるつもりです。交通事故を恐れて家に閉じ篭っていては、夢は叶えられません。 ただし、自分の物差しが完全に正確でないという事も知っています。だから時々立ち止まって、理想とそれに至るまでの工程を見つめなおすことはあります。他者にかかわることなら相談もします。 理想に至る道は迷路のような物で、時には道を間違えることもあるでしょう。進んでいた道が正しいという保証もありません。ただし進んでいる道が間違っていると気づいた時に、それを正して前に進む事はできます。 まとめると 目標が間違っているとは思って居ないが、それに至るまでの方向性を間違う事はある。それを知っているからこそ、いつでも最善と思える道筋を摸索しながら生きていけます。 参考にしてただければ幸いです。

  • haruniha
  • ベストアンサー率13% (9/68)
回答No.2

自信満々で生きてる人には、単なる勘違い(自信過剰)もいれば、その裏打ちを持っている人、そして本当は自信があるわけではないのに、有るように振舞っている人もいるでしょうね。 実際には自信が無いのに有るかのごとく振舞っている人ってのは、多分それがその人の処世術なんだと思います と言うのも、質問者さんがおっしゃるとおり、自信が無さそうにビクビクしているとなめられるのが、今の社会の現状だからなんですね よく「実るほど頭を垂れる稲穂かな」なんて言いますが、頭を垂れていいのは稲穂が実った人のみの特権なんですね 相手が謙虚に頭を下げたら、こちらこそと頭を下げるのが常識人です。しかし、こちらが頭を下げようものなら、ここぞとばかり笠に着てくる人間も残念ながら存在します つまり稲穂が実っているからこそ、他人はその稲穂を踏みつけることが出来ないのですが、稲穂が実ってもいない内に頭を垂れたりしたら、ここぞとばかり踏みつける人間なんて山ほどいるわけです ところで、あなたが「自分にだっていつ不測の事態が起こらないとも限らない」と考えるのは、とても賢明だと思います ある高名な武術の達人は、道の向こうからガラの悪い人物が歩いて来ただけで道を変えたという逸話があります しかしこの達人が私ども凡人と違うのは、その達人はイザとなったら戦う能力を持っていることですね ゴルゴ13なんて後ろに人が立つだけでビビッちゃう弱虫じゃないですか(笑) あなたもその細心さを持ち続けていっていいと思います ちなみに私もとても警戒心が強く、普段下手に出るのでなめられることがままあるのですが、私の処世術は、「あ、ナメられかけてるな」って時に一回だけ、周りが怖いと思ってる人間に対し、ガツンと反撃するんです。 周りの人間が引くくらいの勢いで。 そして一旦事が納まったらまた謙虚に振舞うんですね これが必要以上に敵を作らない処世術です 直接の回答でなくてすいません 高齢者のアドバイスと思って、不要なら聞き流してください

noname#200375
質問者

お礼

なるほど。 ゴルゴは確かに強さと冷静さを兼ね備えていますね。 私に必要なのはおっしゃる通り「処世術」だと思います。 マイナス思考一辺倒な会話しか出来ないんです。 演じる不愉快さと処世術の違いが理解出来る日が自分に来るのか疑問です。

noname#19664
noname#19664
回答No.1

自信を持っているというわけではないのですが、想定はしています。 もちろんそういう想定をした上で人生設計をしますから。 でも人は日々成長するもので、その時の人生設計が後から見れば未熟な場合もありますし、常に軌道修正する姿勢が必要ですね。 そのお父さんは、自分が間違った育て方をしたことに気がついたのでは? まあ、完璧なお父さんなんてこの世に存在しないので、私はそのお父さんを責めるつもりは全くありませんが(多分息子にも非があっただろうと思うし)。 で、否定されたらどうなんですか?嫌なんですか? 質問文から察すると、すごく嫌みたいですね。 でも、人間って十人十色なので、本人が生きたいようにするのが一番いいと思ってます(犯罪は除く)。 「一寸先は闇」ってことわざもありますが、先のことをそんなに心配していては進めませんよ。 「災い転じて福と成す」ってことわざもあるくらいですから、失敗も人生のスパイスって思うくらいでいいのでは?

noname#200375
質問者

お礼

完璧なお父さんなんていないからこそ、子育てで何があるか解らない、だから止めといた方がいいと思ってしまうんですよね・・・。 まあ、否定されたから嫌ってほどでもないですが、「まあ、君の気持ちもわからんでもないよ」という考慮がまったくない環境で生きているので、それほどの否定レベルでなければ嫌とまではいきません。 愚痴っぽくなっちゃいますけど、本当に自信満々な人たちに囲まれているんですよね。「一ミリの不安もない」ような人というか

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