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英語教育 問題はなに? 改善するには?

最近はかなり英語に対する意識が日本で高まっている気がします。しかし、英語を話せる人は少なく英語教育に疑問があがります。英語教育はこれから変わっていかなければならないと思います。 そのために今潜んでいる問題を明確にしていく必要がありますよね。 そこで、あなたが考える中学校・高校の英語教育で問題はなんでしょうか?なにが効率悪いのでしょうか? 直感でもいいです。ここがおかしい!という意見をぜひ聞かせてください。 またこうすれば改善するという案があるひとはぜひ提案してください。  おもしろいトピックだと思うので他のひとたちの意見が聞けたらうれしいです。最終的には挙がった問題を自分なりにまとめてみたいと思います。 ちなみにぼくは、発音の教え方(教えてない?)にまず問題があると思います。

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  • ベストアンサー
  • HSIEN
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回答No.24

ふぉふぉふぉ・・・No.17,No19じゃ。 >スポーツにも上達のコツがあります。それを教えるのがコーチだったりしますよね。ただがむしゃらに筋トレなどの努力をすれば到達するわけではありません。教師も同じように英語を学ぶにあたって間違った道に進まないように軌道修正する役割を持っていると思います。その努力が無駄にならないように援助する必要があるのではないでしょうか? おぬしが述べようとしていることはわかる。 学校で生徒が間違った努力をしないように軌道修正させることが必要じゃ。では、どのようなことを生徒に伝えていけばよいのか・・まず第一にそれは、No.16の者が述べたように >聞くだけで英語が聞き取れるようになる!」とか「○○するだけで堪能になる」とか言う類の教材が売れていること、また、通うだけでぺらぺらになるようなCMを打つ英会話学校が流行ってることからも分かります。つまり、多くの人が楽して習熟できる方法を追い求めているのです。 ということを生徒に認識させることじゃ。 それが語学習得の第一歩につながる。 そして第二にそれを理解した生徒に「必死の努力をすれば必ず成果が現れる勉強方法を教える」ことが重要じゃ。 では、どのような勉強方法か・・・それは音読である。中学でもらった教科書の英文の単語を覚え、文構造を理解し、意味を把握した上で、その英文を繰り返し音読する。1つのChapterにつき約500回音読する。教科書付属のCDを何百回と聴く。この訓練によってその英文を自分のものにできる(internalization) これが最も重要なことである。 じゃがこれは「コツ」ではなく「学ぶための方法」すなわち「努力をしてでも英語を話せるようになりたい者への方法」じゃ。なぜなら語学習得の王道であるこの方法で学ぶにしても本人の相当の努力が必要とされるからである。 そしてこの音読練習は学校ではなく生徒各自が家で行う必要がある。学校では単語、文法、構文を理解させるのに手一杯で音読に使う時間を確保することは難しい。だからといって文法、構文の理解をおろそかにしては本末転倒になる。 先ほど「大車輪」の例をだしたんじゃが今度は「野球」の例で考えてみようかのう・・ ワシはおぬしから『コツ』という言葉がでることはあらかじめ予想しておった。この『コツ』という言葉が日本人の英語の上達を妨げる「罠」である。 『外国語を習得する』というのは『野球を始めたばかりの初心者がプロのピッチャーの投げる140キロのボールからホームランを打てるようになること』と同じである。ここで注意してほしいことは「初心者」ということじゃ。英語でも高校の授業の進行にただついていき、普通に勉強して卒業しただけでは「初心者」の能力しか身についておらん。 ヤンキースの松井に 「野球をはじめて間もないですが、将来ホームランを打てるようになるためにどのような方法で練習すればよいですか?」 と尋ねれば、松井は具体的にその方法を教えてくれるじゃろう。 じゃが、松井に 「野球をはじめて間もないですが、ホームランを打てるようになるコツを教えてください」 などと言えば、松井は「練習してください」 としか言えないじゃろう。 ちょっと練習すればバットにボールを当てることぐらいはできるようになる。じゃがホームランを打てるようになるには相当な訓練をつまなければならないはずじゃ。そのためには素振りを何回、何十回、何百回、何千回としなければならない。初めのうちはバットを振っても音ひとつでないが、素振りを繰り返しているうちに段々と風を切る音がしてくる。すなわちただ単にバットを振る、といってもその完成度は人によってとんでもなく違うわけじゃ。 素振りで、なんにも音がでない段階なのに、何かコツのようなものを教えてもらえばプロのピッチャーの投げる140キロのボールが打てるはずだ、と無邪気にも信じている。そのようなことがありえないのは、野球を経験したことがある者なら誰でも知っておる。ただ、余りにも馬鹿らしいために、口に出さないだけじゃ。 >また興味があって夢中で英語の本を読んで知らず知らずにレベルがあがることはあると思います。それを努力だけとおっしゃるのですか?だとすればあなたのいう努力という言葉は相当の守備範囲を持っているのですね。 この文を読んで思ったんじゃが、おぬしが言う「レベルがあがる」とは一体「何がどのようにどの程度にまでレベルが上がること」なんじゃ? 「興味があって夢中で英語の本を読んで・・」という文意から判断して意識的な訓練を行うわけではない、ということじゃろうな。となれば当然のことながら「英会話として使える能力」に関してはその程度で飛躍などあり得ない、と言えるじゃろう。また大学入試の長文もその程度の訓練ではとてもじゃないが太刀打ちできんじゃろう。おぬしは大学受験をしたことあるかのう?大学受験において長文読解能力がかなりのレベルに達している者に聞いてみるがよい。 帰国子女などを除き「意識的な訓練」をしないでそのレベルに達したものは誰一人としておらんはずじゃ。 すなわち、おぬしが言う「興味があって夢中で英語の本を読んで・・」とは極端に言えば『努力』とは程遠い『遊び』となるわけじゃ。 No.14の者も述べておるじゃろう。 >でもそれは、受験前に物理の参考書読み込むより、ぜんじろうの「面白科学実験」見た方が楽しいのと同じです。ですが、残念ながら毎回毎回実験・観察では大学教育の下地作りには間に会わなくなってしまうのです。火山や火成岩、砂岩の観察に毎回遠足は出来ませんよね。 まさにその通りである。 おぬしは『毎日ただ鉄棒にぶら下がるという「努力」』と表現しているが、そんなものは「努力」ではなく「遊び」である。この2つの違いを認識してもらいたいものじゃ。

mametaro11
質問者

お礼

大変丁寧な説明ありがとうございます。 野球の例はとてもわかりやすく、その通りだと思いました。また必死の努力をすれば必ず成果が現れる勉強方法を教えることはとても大事だと私も思いました。 また語学は楽器の習得にも似ているなと思いました。 毎日基礎練習をし、徐々に弾ける曲が増えていく。努力がなすことですよね。 音読は自分もしています。音読がとても大事だと身にしみたからです。 また、現在カナダの大学でESLの教授法を学んでいますが、それは日本のものとはかけ離れたものです。きっとそれはカナダという英語の環境があるのと、日本という日本語の環境があるという違いですね。  大学受験は受けました。 今の受験の長文問題などの質の高さはわかっています。またそのころかなりの努力をしました。単語や構文を覚えたりと。いま思い返せば英語の習得のためにかなり努力をしていたと思います。 努力がかなりのウェイトを占めるという事実を認めます。ぼくの考えていたコツとはある程度努力を重ねたひとにしか当てはまらないものだったのかもしれません。 わかりやすい説明ありがとうございました。あと、あのおもしろい話かたのおかげで表現が和らぎ落ち着いて読むことができました。 ご配慮ありがとうございます。

その他の回答 (25)

  • tewpi
  • ベストアンサー率36% (255/707)
回答No.26

僕が遠慮して言わなかったことのほとんど(いや、それ以上の深い内容を)をNo4・9・12・13・25さんとNo17・19・24さんが非常に親身に話してくれましたね。 これ以上は、屋上屋を重ねることになるので、僕はあとひとつだけ。 マラソンの一流選手は100メートルを17~18秒のペースで走りきってしまいます。 胸の上でバーベルを挙げるベンチプレスの世界記録は300キロをはるかに超えます(成人男子は普通40キロくらい) 一流の科学者は月や火星にロケットを飛ばしたり、スーパーコンピューターを作ったりしますが、法学部出の私にはラジオでさえ自分ではゼロから開発できません。 それほど一流の人やその道の専門家というものは、素人には想像も出来ない能力を持っているものです。 英語教育が日本に生まれてから100年以上、かつての先達もそして現在の学者や研究者の方々も、少しでも我が日本の英語教育を発展させようと日々努力を重ねていらっしゃるのです。 もちろん今の日本の英語教育が完璧で、一切改善の余地が無いとは誰も言わないと思います。 しかしながら、仮にもそのような専門家の諸先生方が、血のにじむような研究の下、現在も模索を重ねていらっしゃる、現在の教育体系をあたかも、「ダメな教育方法」であるかのようにおっしゃるのは不遜ではないでしょうか。 同様に、多くの教師の皆さんが、少しでも生徒達に興味を持って英語の授業を受けてもらおうと日々努力をしていらっしゃるのに、「今の教師の能力が低い」という決め付けは大変礼を失するものだと思います。 はい、もちろん質問者さんは、そう断言はしてないでしょう。 しかしまるで、「今の学校英語は問題だらけ。僕が経験から得た勉強方法はとても有効だった」という響きがあることは否めません。 あなたの質問文に戻ってみましょう。 >英語を話せる人は少なく英語教育に疑問があがります。 >あなたが考える中学校・高校の英語教育で問題はなんでしょうか?なにが効率悪いのでしょうか? どうでしょう、あなたはあたかも現在日本人が英語を話す人口が少ないのは学校教育に主因がある、というニュアンスで語っていらっしゃいますね。 それらに対し、他の回答者さんたちは「いや、学校教育に主因があるのではない」と回答されているのではないでしょうか。 議論ではなく、アンケートが目的でしょうから、私もアンケートへの回答は述べます。 「学校教育のシステムよりも学ぶ立場の方が問題が大きいと思う」です。

mametaro11
質問者

お礼

はい、確かに英語教育に対して失礼な言い方をしてしまったと思います。反省しています。 また偏った考えで質問をしてしまったことも悪かったです。 多くの親切な回答を読むなかで、いまの教育の意義などが見えてきました。いままでマイナスイメージしか見えなかったものがプラスも見えてきました。これは最大の収穫だと思います。 偏った見方で見ていたといことを気づかせていただきありがとうございました。

mametaro11
質問者

補足

この場を借りて今回のアンケートの内容を箇条書きにしてみたいと思います。 ●回答の内容。 ・英語の習得には努力が必要で、いまの英語教育を責めることはできない(2票以上)。 ・必死の努力をすれば必ず成果が現れる勉強方法を教える。 ・文法、文章読解中心の英語教育が好ましい。日本人にとっての強みとなる。 ・アカデミックな英語教育が必要だ。 ・動詞(言葉の持つ「感覚的な意味」を教える)、文化、フォニックス、メールなどを使った異文化交流を行う英語教育。 ・英語を受験科目からはずす。 ・発音練習を授業に取り入れるべき(2票)。 ・アメリカ(海外)の生活や日常的なところから教えてほしい。 ・リスクフリーの環境。また、学びにおいて多くの機会を与えることが大事。 ・日本人が英語を苦手としているのは「英語の教授法やら制度やら教師の能力やらのせいにしてきたから」。 ・今の中高の英語教育も捨てたもんじゃない。 ・ぎこちなくても、日本人として英語を使ってコミュニケーションが取れればいい。 ●個人の(学校外の)英語の学習法として挙がったことは、 ・音読。(中学でもらった教科書の英文の単語を覚え、文構造を理解し、意味を把握した上で、その英文を繰り返し音読する。1つのChapterにつき約500回音読する。教科書付属のCDを何百回と聴く。この訓練によっ て その英文を自分のものにできる (internalization)) ・シャドウイング と、以上のような結果になりました。 ご協力いただいた方がた本当にありがとうございました。感謝しています。

noname#21461
noname#21461
回答No.25

No.4、No.9、No.12、No.13です。汗 >「ためになる英語教育」と「楽しい英語教育」 両立する事は可能かもしれませんが、自身の体験を考慮しても ちょっと途方の無い理想論だと思いますし そもそも学校がそこまで生徒に「上げ膳据え膳」する義務はないと思ってます 質問者様が否、学校は楽しくなくちゃ!とお考えなら、 これはもうagree to disagreeするしかないですね >読むことさえできれば満足すべきなのでしょうか? >理解不能のままの状態で満足できるのでしょうか? 満足できないと考えたなら、そう考えた本人が 「強いて」「勉めて」満足のいく方法を模索するまでです (これぞ「勉強」。学校が満足を提供すべきかどうかについては、上記参照) >言語好きにしかついていけないのではないでしょうか? また「好き嫌い」ですか?笑 嫌いだ、必要ないと感じるなら放棄されればよろしいことです それで後々苦労するも、しないも、その子の裁量です >なぜ文法だけにこだわるのですか? >文法中心のものを求める。それはなぜでしょうか? なぜといわれても「意見」ですからね 先述したとおり私も素人ですので、絶対的な説明などできません わざわざシャイな日本人が会話をやったり、 あまつさえハードルが高く、必要のない(と私は考える)英米発音をやるより 文法に絞ったほうが、たとえ道のりは辛くても 得られるものがデカいと思ったまでです そんなに難しいことはいってないと思います ところで >自分はぺらぺらなのに これは何でしょうか?母語だという事は申し上げたはずですので、 「ぺらぺら」という表現は不相応です 失礼ですが、質問者様は外国語を理解されようとする前に、 同じ日本人でも、ご自分でない人間は ご自分とは全く違うという事をもう少し理解されたほうがよろしいと思います No.13に訂正: 「懇切丁寧な英語教育」と 「本人次第の英語教育」の相違ですね

mametaro11
質問者

お礼

自分と違う意見を異質のものと見ていたことは悪かったと思います。また、おろかなコメントをしたことも反省しています。 自分と他人は違うんだということをしっかり自覚したいと思います。自分の理想を基準に考えていました。 またぺらぺら発言は失礼しました。勘違いをしていました。 回答者さまの文法をさらに強化した教育という意見、参考にさせていただきます。 何度も懲りずに返事をしていただきありがとうございました。

  • lucky111
  • ベストアンサー率30% (75/244)
回答No.23

妙な話し方(笑)ですが、No.19さんの言いぶんは最もだと思いました。 そういえば、「ドラゴン桜」でも、スポーツに例えた話をしていました。 「水泳で25m泳げる人なら、『泳げる』と答えられるが、英語だとペラペラ話せないと『話せる』とは答えない。その気持ちの違いが大きい。」みたいな内容でした。 あと、わたしの持論ですが、英語を話せるようになるには、右利きを左利きにするような感覚に似ていると思います。 左手を一時的に使う(左手ではしを持つなど)ことは、意識していれば、多くの人はできます。しかし、特に意識なく、また意識してもうまく使いこなせるようになるには、日々の努力が必要です。 また、あきらめ気分で「まぁいいや。右手(日本語)使えばいいんだし。」という気持ちであれば、たまに左手の練習をしたところで、左手(英語)を使いこなすことなど、到底無理だと思います。(今の私の状態(汗)) 教育においては、難しいところですね。学校でサッカーの授業があったとしても、大人になって、全員がサッカーのうまい人になるとは限りませんし。(結局、興味がある・ない、才能がある・ない、で分かれると思います。) ただ、最近は小学校で英語教育が始まっていますし、うまくすれば、将来、中学卒業=日常会話はできる、くらいにはなるかも知れません。 余談ですが、以前に幼稚園くらい子が、独り言みたいに「Nice to meet you」と言っていたことがあって、笑えました。

mametaro11
質問者

お礼

おもしろい例えですね。英語を話すときはProductive Vocabulary(アウトプットとしての語彙)を使うので読んだり、聞いたりするときよりも難しいですよね。読むときは使うのはReceptive vocabulary(インプットの語彙)なので、見て理解できる程度の単語の理解度ですみますから。 英語は国語などとは違って、必ずしも全員が必要なわけではないですよね。でも、授業があるのだから少しでもためになる教育ができたらいいですよね。 小学校の英語教育にはとても興味があります。どのような教育が行われているのか、またどのように行われるべきなのか今度意見を聞いてみたいと思います。 ありがとうございました。

  • youyouqi
  • ベストアンサー率18% (11/58)
回答No.22

今の英語教育で必要なものは、きっと教師の質向上ではないでしょうか。 ある程度(英語を第二外国語として使用可能レベル)まで学習し、英語を習得した人であれば、絶対に日本人が陥りやすい間違え、必ずぶつかるであろう壁などが自ずとわかっていると思います。 それにより、軌道修正なり、正しい方向性を指導できるのだとは思います。 確かに、メールやチャットなどを活用し、世界中の人とコミュニケーションをとることの出来る楽しさ、面白さを生徒に実感させ、学習意欲向上をするのはとても大切なことだと思います。 また、英語が発達した歴史や文化を紹介し、言葉の成り立ちを教えるのも興味が増える一つになるかもしれません。(ただ、これはある程度「言葉」に対して興味のある人にしか効果はでないかもしれませんが。) 私が英会話学校で子供達に指導していた際は、言葉の持つ「感覚的な意味」を教えていました。そういう感覚的に動詞なり形容詞なりを教えることにより、各それぞれ自分達が持っている感覚に置き換え、日本語に訳すと同じ意味になる言葉でも、使い分けることができるようになります。 最近のNHKの番組で行われているような、イラストを使ったりなどして、英語の意味を日本語に置き換えるのではなく、感覚として覚えさせることです。 確かに過去形、過去分詞形を覚えることも大切です(将来的にあの時必死になって覚えたのがものすごく役に立っています)、しかし、その前に個々の動詞の「核」となる意味をきちんと理解することが大切だと思うし、学校ではもっとそれに時間を割いてもいいような気がします。 他の教科と同じですが「なぜそれが必要なのか?」ではなく、「それを使うと何が出来るのか?」を教えることにより生徒の視野を広げ、未来に希望を与えることができるのではと思います。 ただ、日本の英語教育の方向性(文法・文章読解中心)は間違ってはいないと思います。他の回答者様も書かれていますが、実際に英語をある程度習得されている方であれば、身をもって実感することだと思います。私は、「聴き・話し」はプラスアルファの要素がかなり強いように思えます。現在の英語教育でそこまで手を伸ばしてしまえば、結局はすべてが中途半端になってしまうと思います。それならば、一番難しいであろう読み・書きを教えることに重点を置いた方がいいと思います。 教師自身も発音やリスニングスキルにどれほどの自信があるか、また、どのようにそれを習得したのかまたは理解したのか、が重要になってくるわけですよね。それがご質問者様の「コツ」につながるのだと思います。 ご質問者様の仰る「効果的な英語教育」が「成果を実感できる」ことであれば、発音やリスニングはとても学校の授業では補いきれないでしょうね。要は毎日の積み重ねなので、ものすごい力の差が歴然と出てしまうと思います。そして、それは更に嫌い・好きを二分する結果となってしまうと思います。ただ、学校側から提供できる勉強方法も確かにあると思います。それを生徒に伝えるべきではあるでしょうね。 学校では発音の学習はフォニックスを教えるに留めてもいいと思います。 学ぶことは楽しいこと。学べることは幸せなこと。だとみんなが実感するにはどうすればいいのでしょうかね。まずはそこですよね。 授業としてしてほしいこと 1.動詞についてもっと説明する(感覚で覚えさせる) 2.文化・歴史背景を含めて文字の成り立ちを教える 3.フォニックス 4.メールや文通などで行う異文化交流(チャットは不可、正しい英語を覚えて欲しいから) 5.長文・短文を読みそれの要約文を書かせる などでしょうか。 簡単な授業の流れとしては、 フォニックス→動詞の説明・確認→名詞や他の単語の説明→構文の説明→短文を作成→メールのテーマを決め書く と、今の授業とはあり変わりませんかね。。。

mametaro11
質問者

お礼

筋の通った回答ありがとうございます。かなり共感できました。 まず動詞を感覚として教えることはとても大切なことだと思います。イラストを使うと、その単語がでてきたときにイメージとして理解できますよね。逆に日本語訳だけで覚えてしまうと応用がきかなくなると思います。 自分も単語を覚えるときには「核となる意味」はなにかと考えます。 辞書を引いてたくさんの意味がでてくるときはその単語のもつ感覚をつかもうとします。 教師のことですが、質の高い教師が求められますよね。外国人は英語が話せてもその習得に苦労していないから、日本の学生がつっかかるところがわかりづらいと思います。逆に日本人で英語の習得に苦労した英語教師は、どこが陥りやすいポイントかがわかるので学習者にとっていい指導者になりえると思います。 学校教育での読み書き、聞く話すについてもっと考えていこうと思います。 中途半端になっても発音をすこし時間をかけることはまずくないと思っています。きっかけを与えてあとは本人でということになりますかね。 動詞についてもっと説明する、という考えは特に参考になりました。ありがとうございます。

noname#20377
noname#20377
回答No.21

追記。 #「英会話」って言うが別に「英語」と違う物ではないだろうし、会話中/会話文中で文にならないのは「端折った結果」だと思っている。 今日私は学校を休んだ。→「学校サボった。」 今日はお日柄も良うございますね→「こんにちは」→「こんちは」→「こん」 私は今困っている。困っている人を助けるのは当然だ。何故あなたは私が困っているにもかかわらず当然の行為をしないのか?→「あの、困ってるんだけど?」 #他人が使うので知っている必要があると言えばあるが、自分が何かを話す分には無理に端折ろうとする必要はない。 >端折ることができるようになると、 それも正しい形を知っていて「復元できる」から、だろうな。

noname#20377
noname#20377
回答No.20

思っていることは大体#15,#16に同意です。 ========== 教えたこともないし、僕自身イマイチだけど・・・ 自分の考えるコツはこんなところだろうか・・・・ 書き: ●単文を十分な時間を掛ければ正しく書ける。(とりあえずはSV,SVO,SVCまででも十分かも) I have a pen. ●複数の単文を書き並べることによって流れが作れる。 I have a pen. That pen is white. ●単文・重文が十分な時間を掛ければ正しく書ける。 I have a pen and he has two pencils. ●単文・重文・複文が十分な時間を掛ければ正しく書ける。 When I was a child, I went to a shop after school. ●単文・重文・複文を書き並べることによって流れが作れる。 When I was a child, I went to a shop after school.I enjoyed the games there. ※完了形(現在形・過去形だけで代用)・仮定法(普通のIfで代用) ・間接話法(直接話法で通じる)・時制の一致(単文に分割で代用)・使役動詞は余裕があったら。無くても代用可能。 関係詞・動名詞・不定詞・分詞の形容詞的用法が学べているとBetter. (特に関係詞は単文さえ作れれば手っ取り早く、表現を幅を広げられる) 読み: ▲文法構造によって単文に分割できる。 ▲各単文を直訳で訳せる ▲直訳に違和感を覚えることがある。 I want something to drink. 私は「飲むための何か」が欲しい。 ▲直訳をイメージに置き換えることが出来る。 「飲むための何か」→ぶっちゃけそれって「飲み物」のことだよね。 ▲訳を滑らかに出来る。この段階でイメージをふくらませる 私は飲み物が欲しい →何か飲みたい(Or 喉が渇いた) ▲頭の中で滑らかな訳に一気に変換できる。イメージだけなら綺麗な日本語の和訳を考えるより早く出せる。 聞く/話す: ■各アルファベットの発音を時間を掛けずざっと流す。 ■自分で発音してみる。(出来れば文単位で。自分で作った文を読むのがいいかな?) ■発音しているうちに面倒くさくなってきて、ところどころ端折り出す (日本語でも端折る→はしょる。自分では「はしょる」と言っているのではなく「端折ると言っている」つもりだが「結果的にそうなっている」 ) ◎話す内容を決める。 ◎言う順番を決める ◎単文に分割(「書く」ほど正確さは求めなくても良いが、書くつもりで。) ◎適切な接続詞等で繋いで重文・複文にする。(慣れてきたら) ※「話す」と「聞く」はある程度「書く」事になれていないと厳しい。

mametaro11
質問者

お礼

とてもわかりやすい具体例をありがとうございます。 読みの「イメージ」という言葉に共感しています。訳すことが目的ではなく、メッセージの伝えたいことを「イメージ」することが大事なのだと思います。 訳読だと「ちゃんとした日本語訳」ということに頭がいってしまい、英語をイメージとして捉えることの妨げになってしまいますよね。英語を英語で考えるようになるととても効率的です。たとえばThis is a pen. やI love you.などは日本語に訳すまでもなくイメージできますよね。そのまま受け入れる練習が必要だと思います。(それが学校できるかはまた問題になりますが) 端折ることができるようになると、そのように発音されている言葉も聞き取れるようになりますよね。日本語の例を示すことは身近なので説得力があると思います。 >■各アルファベットの発音を時間を掛けずざっと流す。 このアイディアも良いですね。それによって日本語モードから英語モードに変えることができそうです。 多くのアイディア、工夫を提案していただきありがとうございます。大変興味深いです。参考にさせていただきます。

  • HSIEN
  • ベストアンサー率37% (3/8)
回答No.19

ふぉふぉふぉ・・・No.17の者じゃ。 おぬしがそのように考えたくなることもよくわかる。じゃがな・・語学を習得するということは『どんなに効率的に勉強したとしても』本来、とてもつらい、厳しいものなんじゃ。 よっておぬしの疑問に対して・・ >それでは英語はそうとうの努力家にしかマスターできないってことになりますね。 「その通りじゃ」 としか言いようがないわけじゃ。 元東京外国語大学学長の小川芳男氏は英語とは「慣れるまで習うもの」だ、と述べておる。日本人はよく「習うより慣れろ」と言うが氏の発言は全く逆じゃ。 『外国語を習得する』というのは『鉄棒の「大車輪」をできるようにすること』と同じである。テレビで体操選手が大車輪をやっているのをたまに見るのう・・彼らは競技を「流れるように、苦もなく、つまり、あまり努力しているように見えずに」やっておる。じゃが、これは「結果」としてのことじゃ。彼らのその自然な演技の裏には、並大抵ではない、意識的かつ綿密な努力が積み重ねられておるんじゃ。腕や肩、腹筋をある水準以上に鍛えなければ、鉄棒の上にすら上がることはできないじゃろう。 もしこのような体操選手に 「大車輪ができるようになる1つの方法として努力の道があるかもしれませんが、それだけではないのではないでしょうか?」 と言ってみたらどうなるじゃろうか? たいていは相手にされないじゃろう。 スポーツの例ではわかっていても「英語」となると『錯覚』する人間が続出するわけじゃ。 この体操選手が鉄棒競技を練習することが好きじゃったとしても 『楽しく』このレベルに到達できると、おぬしは思うかのう・・?

mametaro11
質問者

お礼

回答者さまは楽しくを強調してますが、そこまではこだわってません。楽しいに越したことはないといっているのです。 スポーツの例が出ましたが、そのスポーツにも上達のコツがあります。それを教えるのがコーチだったりしますよね。ただがむしゃらに筋トレなどの努力をすれば到達するわけではありません。 教師も同じように英語を学ぶにあたって間違った道に進まないように軌道修正する役割を持っていると思います。その努力が無駄にならないように援助する必要があるのではないでしょうか? また興味があって夢中で英語の本を読んで知らず知らずにレベルがあがることはあると思います。それを努力だけとおっしゃるのですか?だとすればあなたのいう努力という言葉は相当の守備範囲を持っているのですね。 >「大車輪ができるようになる1つの方法として努力の道があるかもしれませんが、それだけではないのではないでしょうか?」 相手にされないといいましたが、コツはあると思います。毎日ただ鉄棒にぶら下がるという「努力」だけでは大車輪はできません。心理学者のヴィコツキーのいう「本人の能力だけではできないが指導者や能力の上の者の援助や助言によって達成すること」だと思います。 繰り返しますが、「楽しく」は「効果がわかる」という意味で使っています。学びは基本的に楽しいものと考えるのはぼくだけでしょうか。 人間は好奇心の生き物だと思います。なにかを知ることが「楽しく」てマイナスになることはあるのでしょうか? (回答者のみなさまのおかげでいろいろな考えを巡らすことができ、感謝しています。)

mametaro11
質問者

補足

回答者さまの考える英語教育はどのようなものでしょうか?  また学校ですべきことはなんだと思いますか? 独学でかなりのレベルまで達したのですよね。それでは学校で「こういうことをしてほしかった」などという不満はありませんか?  どの教科でも今の教育が完璧だとは言い切れないと思います。必ず改善点がある、見直すところがある、だから教育はおもしろいのだと思います。今の現状で妥協してしまっては教育の未来は明るくないですね。 時代とともに敏感に変わっていくのが教育だと思っています。

  • subdued
  • ベストアンサー率27% (26/93)
回答No.18

質問者さんのおっしゃる問題点というのは、英語を勉強しているのに英会話ができない、 ということでしょうか。 まず、英語に関して、何が求められているのでしょうか。 例えば、私は「映画が字幕なしで見られたらな~」「流暢に会話したいな~」と思います。 しかし、私の夫は、多国籍企業で働いているので毎日たっぷり英語を使うのですが、 その方法のほとんどはメールで、会話は少ないそうです。 確かに、会話はできたほうがいい、でも、もっと大事なのはメールで、 技術的なことを間違えなく把握すること、と言っています。 彼のような仕事で求められていることは、日常会話ではありません。 正しい文法力がある程度必要、と言っています。 また、英会話にとって必要ないものが受験英語だとはよく言われます。 でも、私にとっては受験英語は役に立ちました。 英語の文章を読むことは苦ではないですし、映画を英語字幕で見るので、 聞き取ったことを目で見て把握することができます。 そうしているうちに、字幕なしでもわかる言葉が増えたと思います。 英語で話した経験はほとんどない (日本にいて、日常的に英語を使うということはなかなかないですよね)のですが、 たまに英語圏の人と一緒になると、言いたいことをふつうに伝えることはできます。 周りの人間でも、受験勉強が出来た人は、 わりとそこそこ会話することができる人が多いです。流暢ではないですが。 また、会話中心の授業になっても、勉強しない人はしない感じがします。 それは、他の科目からも想像できることと思います。 最近購入した英語の勉強の本で、著者が、 「前知識がなく外国に移住した人は、語学力が低いと感じる、 ネイティブか? と思える日本人の多くは、日本で英文法を勉強して、 それなりの資格(toeicなど)を取ってから渡った人」 と言っていたその言葉をわりと信じてます。 私は、おそらく親になっても、早いうちから子どもに英会話を勉強させることはしません。 細かい発音ができることや、会話に長けていることが、 それほど必要だとは思わないからです。 ぎこちなくても、日本人として英語を使ってコミュニケーションが取れればいいと思います。 英語が趣味なら、それを極めればいいですが、ある程度できれば、 別のことに力を入れたい人は多いと思います。 現在の教育を変える方法は思いつかないです。 字幕がある程度理解できれば、シャドゥイングは有効だと思いますが、 これって、1人でやることですしね!  上手にしゃべるにはいい練習だと思うのですが、学校では向かないと思います。

mametaro11
質問者

お礼

興味深い回答ありがとうございます。同意することが多かったです。 質問に英会話をあげましたが、それを論点をしているわけではありません。ひとつの例です。論点は今の英語教育が抱える問題です。 受験英語にとらわれて、英語を使うという発想が薄くなっているような気がするのです。 逆に回答者さんがおっしゃった英語のメールでやり取りするのはいい例です。他の国のひとと英語でやりとりをするという体験を英語教育のなかに取り入れてもよいのではないかと思うのです。 いまの英語教育には動機付けが足りないと思います。英語を学ぶことでどう変わるのかとか、なぜ学ぶのかをしっかり教えるだけでも変わってくると思います。

  • HSIEN
  • ベストアンサー率37% (3/8)
回答No.17

ふぉふぉふぉ・・・ちょいとワシにも答えさせてもらえんかのう・・ No.16の者が極めて的確なことを述べておる。 以下に示したものは約10年前の朝日新聞の記事の一部である。 『語学習得の秘訣を尋ねたら、「悪者扱いされがちですが、中学校の英語教育は基礎力を養うのに役立っている。カリキュラムよりもその後の各自の取り組む姿勢が問題なのでは」と厳しい答えが返ってきた。(マーシャ・クラッカワー「朝日新聞」)』 現在の日本ではたいていの者が中学、高校6年間の英語教育を受けるわけじゃが、その教育を受けた者の中で中学の教科書に書かれている英文を理解できている者はどのくらいの割合でいると思うかのう? ここで勘違いしてほしくないんじゃが、「理解できている」というのは「一通り英文の意味が分かる、とか一通り英文をすべて訳せる、とかそんな程度のことではない」ということじゃ。一通り英文の意味が分かる者なんてそこらへんにたくさんおる。 おそらく「理解できている」者はごく少数、中学生では皆無に近いはずじゃ。今の学校教育で一応よしとされている程度では、とてもじゃないが使い物にならん。 だから学校以外での各自の勉学が必要となるんじゃ。 ちなみにワシは英語を学びために外国に行ったことは一度もない。それどころか英会話の教育、レッスンも受けたことがない。じゃがワシは自らの英語修行でかなりの水準にまで英語力を持っていくことができたのじゃ。一応、英検1級、通訳ガイドの資格を持っておる。 はっきりと述べるが、日本人が英語を苦手としているのは「英語の教授法やら制度やら教師の能力やらのせいにしてきたから」じゃ。教える方法さえ変わればまるで魔法のように英語がペラペラ話せるようになると思い込んできたのじゃ。そんな上手い話があるわけないことすら気づかずにのう・・・・

mametaro11
質問者

お礼

英検1級、通訳ガイド、これらを日本だけで達成されたというのは偉業だと思います。そうとうの努力家ですね。 しかしこういう例は、ごく稀な努力家にしかできないと思います。それでは英語はそうとうの努力家にしかマスターできないってことになりますね。 語学は努力だけではないと思います。ぼくは楽しさもあったから語学を学んできました。 努力もしましたが、そこまで努力だけでやってきたとは思いません。簡単な文を読むのにはそんなに努力はいりません。しかし新しい単語も覚えられるし、習った単語の復習もできます。 すべて努力、努力と言ってしまうのはおかしいと思います。ひとつの方法として努力の道があるかもしれませんが、それだけではないのではないでしょうか。 >だから学校以外での各自の勉学が必要となるんじゃ  もちろん必要です。学校だけの時間ではマスターは無理です。そして学校は学習者を自分で学んでいける学習者に変える役割があると思います。 ありがとうございました。

  • term-ott
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回答No.16

こんにちは。 私は地道な努力をする人が少ないから話せないのであって、教育自体に問題があるとは思いません。 それを証明するものとして、「聞くだけで英語が聞き取れるようになる!」とか「○○するだけで堪能になる」とか言う類の教材が売れていること、また、通うだけでぺらぺらになるようなCMを打つ英会話学校が流行ってることからも分かります。つまり、多くの人が楽して習熟できる方法を追い求めているのです。それが一番の問題です。ただ、熱意や努力が足りないだけです。 語学習得には地道な努力がまずあるべきで、その当然なことが見過ごされ、教授法などに責任転嫁されているように思えます。

mametaro11
質問者

お礼

地道な努力は絶対に語学の習得には必要です。まして日本人にとっては英語は母国とかけ離れており、ヨーロッパのひとが英語を学ぶのとは難しさは全然違います。よって日本人が英語を学ぶのは本当に大変です。なので努力に関して必要ということは同意です。 しかしぼくの言いたいことは、それでも「今の教育より生徒が効率的に学ぶ教育はある」ということです。ぼくは語源を学ぶことで単語の習得を飛躍的に伸ばしました。なのに学校ではどうしてそれを教えないのでしょうか? それは興味深い教育につながるのではないでしょうか。 学校教育では疎かにしていることが多いと思います。 日本人で英語を話せないひとはみんな努力不足だとはいえないと思います。学ぶ方法を知らされてないからではないでしょうか。 文法に偏り、発揮する場(読み、聴き、話し、書き)を与えられていないからではないでしょうか? ありがとうございました。

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